「母と息子」の日本論

著者 :
  • 亜紀書房
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516493

感想・レビュー・書評

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  • 読書の秋に。小島慶子が推薦するジェンダー問題と向き合うための2冊|ウートピ
    https://wotopi.jp/archives/104928

    亜紀書房 - 「母と息子」の日本論
    https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=966

  • 茫洋と感じていたことを言語化してもらった。では母と娘は大丈夫かというとそうでもなさそうな気がするが、確かに、回路が違う。

  • こんなのを読んでいると、「全日本マザーコン選手権」があるんじゃないかと思ってしまう。

  • 母親と息子の関係を軸に、日本社会の特性について考察した本。

    母親は、その能力を社会に向けて発揮するのではなく、息子の教育を通じて、息子が社会で役立つようにする役割を担っている、と考察し、これが日本における子育ての特徴であり、結果として、母親と息子の分離が起こらず、個人の確立が遅れている、というのがこの本の主張かと思います。

    主張したいことはほぼほぼ理解できるのですが、説明がわかりにくい部分が多々ありましたし、「ホンマかいな?」と思う部分も少なくありませんでした。
    あとがきによると、編集者が、著者の文章の手直しにかなり苦労したようです。
    自分の受けた印象だと、「考察が客観性に欠ける点、ロジックが不十分な点、前提の説明が不十分な点を、どう手直しするか」が、編集者が苦労したポイントではないかと思います。

    言葉遣いは丁寧なのですが、内容が丁寧でないのが、この本の欠点かと。
    著者の持ち味を活かし切れておらず、もったいない本ですが、きっと、このレベルまでもってくるのが、編集者の限界なのだろう、とも思っています。

  • 「母と息子の甘美で重苦しい関係が日本社会の基礎を作っている。」そうなのだろうか、私にはあまり著者の言葉が理解できないまま読み終えた。
    私には息子も娘もいる。
    同じように育てたつもりだけど。
    著者の言わんとすることは分からなくもないがちょっと上から目線。
    誰も彼も今の地位に甘んじているわけではない。
    それなりに葛藤しながら生きている。
    何が生き甲斐かひとりひとり違う。
    子育てもそう。
    共感できない部分が多かったが、異なる考え方の著作を読むことも大事、そこそこ面白くはあった。

  • 日本論としては,古典的な山本七平や岸田秀や河合隼雄は目からウロコであったが,品田知美は社会学的側面から日本社会を分析し,母親がその息子を官僚や医者や博士等を目指すように教育したことが原因であることを明らかにした。その結果,男尊女卑や官僚体制だけでなく医療や大学の風潮を含む日本の社会体制ができあがったわけである。すなわち,母親にとって不機嫌な娘ではなく,最愛の息子達が立派になることが最優先事項であり,息子たちは母親の考えに応えることが最終目標になる。
    適切な言葉を思い浮かべることはできないが,この視点からの考察は唯一無二のものだと思う。自分の70年の生涯を振り返ると,母親の息子として溺愛され,育てられてきたというよりも,まさに母親に操られてきたのだと痛悔する。

  • 自分はまだ母ではないし、息子でもないがこの本を読んでドキッとすることが多く、自分の親との関係性を考えるきっかけになった。無意識下で"母らしくあること"や"息子らしくあること"という概念に自分も支配されている事に気付かされた。誰かの息子である全男性はもちろん、母である人もこれから母になる人も、母にならない人でさえ読んで感じることがある1冊だと思う。

  • ハハと息子の関係、母×ムスコの結びつきと、異常愛?による怖さetc.

    ボランティア活動にて紹介したジェンダー本|【プロ会社員】寧華 #note #自己紹介 https://note.com/ruly_yasuka/n/na0a80f26ee88

  • 重層的に問題が重なっていますよね。家父長の呪いの連鎖という感じ。
    やまゆり事件と農水省事務次官の長男殺害事件の考察は興味深かった。

    以外読書メモ
    >>>>
    ・もしあなたが男性なら、あなたには必ず母親がいます。母親から愛しているふりをされても、騙されてはいけません。彼女が自分のことを愛せていないなら、それはあなたへの愛ではなく自分を愛してほしいという叫びなのです。その叫びにあなたがつきあう必要などありません。本当に愛してくれる母親は、あなたのためだ、などと言って縛り付けようとはしない
    ・「不機嫌な娘」は、夫を選択できる時代なのに魅力的とは言えない結婚をした母に対して責任を免罪しないことから出現します。
    ・スポーツの世界ではいまも男性はプレーする人、女性は応援する人、というイメージが残っています。特に日本の部活動では「女子マネージャー」の存在が制度化されているので、その関係が子どもの活動にそのまま持ち込まれています。
    ・母親が自己犠牲してしまう心理=女性的マゾヒズム?byフロイト
    ・日本人男性は幼い頃から母親に甘やかされているのみならず、社会がそのまま甘やかしつづけます。死に物狂いで出世競争に勝ち抜けば、身近な人々に無骨な振る舞いをしていても許されるからでしょう。地位が高ければ、まさに気づく機会が失われていくのです。若かりし頃妻に優しく振る舞っていたはずの夫も 年月を経るにつれ、尊大な振る舞いを身につけてしまうのは偶然ではありません。
    ・現代の教育する母は、過去のように自己犠牲的な弱者の振る舞いをしなくなったことは確かでしょう。韓国では母親にとって教育はいまや高学歴女性の「自己実現」となったという指摘もあります。しかし、独立した人格として生まれてきた子どもを、自分の「自己
    実現」の手段に用いてよいはずがありません。この親子関係における母子分離意識の薄さの問題性が、東アジア圏全体で問われていると私は思います。母親の熱心すぎる教育は、子どもの権利を侵害する虐待と紙一重でしょう。
    ・強い父が息子を支配していたモデルを真似るかのように、ゲームのなかに強い男性である自分を創造していた英一郎さんは「だから庶民は」とか「生まれつき貴族の私」とか「勝てば官僚」のような上から目線の言葉を吐きつづけていました。最後まで父のちいや裕福な身分にすがりながら自分の自信を保とうとしている、弱々しい男性像がそこにみえます。女性や弱者を見下し、人を勝者と敗者に分かつ現代社会に広がる価値観を疑ってはいない様子を彼は隠そうとはしていません。
    ・この二つの事件の家族では夫婦が共依存の関係にありつつ、夫が妻を見下している精神的なDVの状況にあったと想像します。結婚後、妻は外部世界との深い交流が少なく、夫に囲われて籠の鳥のように人生を送りながら、頼り甲斐のある夫に従い、夫に判断を委ねている夫婦です。子どもからみたら、大人が二人いる状態とはいえないので、頼りにならない母でしかないでしょう。このとき、家族のなかで価値あるものは、父親が手にしている地位と権力に一元化してしまいます。よい職を手に入れられない男に、存在価値はないというわけです。家族の内部で「包含する」原理が存在しえず、「切断する」原理のみが一元支配しているのですから、文字通り見捨てられ切り捨てるという価値に支配されてしまうのです。
    ・離婚してひとり親世帯になった途端に経済的に困窮してしまい十分な社会保障が受けられない社会では女性の立場が弱くなりがちです。そのため異常な家族関係であっても持続せざるを得ない場合もあるのだと思います。
    ・家族の中で弱い存在であった母親を愚弄したり暴力を振るったりという行為を経験した息子は、強い男としての存在に向けて階段を一つ登りたかったのでしょう。すでに女性嫌悪(ミソジニー)がここに出現しています。けれども尊敬する父親がと共依存している以上、母を殺すまでにいたることはできなかったのでしょう。父の生存の基盤がおそらく母にあるからです。強い父を乗り越えて成長していくためには、精神的な父殺しを支えるメンターや環境が必要です。しかし、熊沢被告も植松被告の父も仕事の上でも地域においても立派で評判のよい存在で、息子たちには高いハードルが課せられていました。よい大人と出会えなかった息子の不幸を感じます。私はこの事件に関わる母親たちに、自らの人間の尊厳をかけて息子に抗う第一歩を踏み出してほしかったと願うのです。もちろん、その一歩を踏み出せなかった理由は、長年にわたる精神的DVであったかもしれません。結婚生活を通じて「お前はどうせだめだ、何もできない、能力がない」などと思わされている妻はとても多いからです。その辛さは弱ものである子供に向かい「なぜこんなこともできないの」と叱責した挙げ句、「こんな子供を産んでしまった私」という自虐の言葉に至る回路が完成してしまいます。
    ・スーザン・フォワードによると「毒になる親」の問題は、親子の関係が断ち切れないときに顕在化すると指摘されています。子どもから切ろうとしても、容易には断ち切れないのを、どうやって処理するかという究極のノウハウが「愛情のある親になってくれるようにと、"もがく"ゲーム」を子どものほうからやめることだと説かれています。頭でやめようと思っても、感情の面では割り切って納得するのは大変むずかしい。先に進むためには、まずは「毒になる親」との"もがき合い"に完全に別れを告げることが大事なのだと。
    ・ミッシェル・フーコーの権力論によれば、監視装置がいったんできあがってしまえば、装置の中枢が空白であっても権力は作用し続けます。日本で母を「恐怖の権力」の中心に留め置いておきたいという無意識のあらわれが、絵本の人気の秘密なのでしょう。そして権力の中心にいることの快楽も母親たちは知っています。
    ・男性が母と息子の重苦しい関係に気づかず、あるいは気づかないふりをして生きるとき、日本社会は甘やかでとても心地よく感じられるはずです。「母」なる存在であることを心地よく感じる女性と、その胸に永遠に抱かれたいと感じる息子との、完全なる調和が生み出される小宇宙からなる世界は、むき出しの個人が戦いあう世界よりよほど魅力的だと感じる人は、世界中にいるでしょう。
    ・"よりよい子ども"を育てようと社会が熱心になればなるほど、子どもが障がいを持ち生まれることや、逸脱への不安が喚起されてしまう。それは生まれてきた本人が母親から独立した個人として尊重されていないからも"イエ"という屍のような身分に縛られ続けているのが現代日本社会です。

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著者プロフィール

早稲川大学総合人文科学研究センター招聘研究員。1964年三重県生まれ、愛知県育ち。東京工業大学大学院社会理工学研究科博士課程修了。博士(学術)。城西国際大学福祉総合学部准教授などを経て、現所属。専門領域は無償労働と生活時間を軸とした日常生活の社会学。著書に『家事と家族の日常生活:主婦はなぜ暇にならなかったのか』(学文社)。『平成の家族と食』(晶文社)、『「母と息子」の日本論』(亜紀書房)などがある。

「2023年 『離れていても家族』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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