幻覚剤は役に立つのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII)

  • 亜紀書房
3.90
  • (9)
  • (10)
  • (8)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 269
感想 : 14
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (536ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516370

作品紹介・あらすじ

『雑食動物のジレンマ』『人間は料理する』で知られるジャーナリストが
自ら幻覚剤を体験し、タブーに挑む!

 今どんな幻覚剤の研究がおこなわれているのか。
 幻覚剤は脳にどんな影響を与えるのか。
 そして、医療や人類の精神に、幻覚剤はいかに寄与しうるのか。

「不安障害」「依存症」「うつ病」「末期ガン」などへの医学的利用の可能性と、“変性する意識”の内的過程を探る画期的ノンフィクション。

ニューヨークタイムズ紙「今年の10冊」選出(2018年)、ガーディアン紙、絶賛!


一部の精神科医や心理学者が過去の幻覚剤研究の存在に気づき、発掘を始めたのは最近のことだ。
彼らは現代の基準で再実験をおこなって、その精神疾患治療薬としての可能性に驚愕し、(中略)幻覚剤が脳にどう働くのか調べはじめた。
——幻覚剤ルネッサンスである。(宮﨑真紀)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 【感想】
    この本は危険すぎる。なぜなら、読むと絶対に幻覚剤を試してみたくなるからだ。

    幻覚剤というと、周りの風景がぐちゃぐちゃに歪むとか、見えるはずのないものが見えるとか、依存症の危険があるとか、とにかく使ってはいけない「禁忌」のイメージがある。
    しかし、筆者はそうした負のイメージを「自身の体験談」によって否定する。筆者を含む使用者の体験レポによれば、幻覚剤の効果は「めちゃくちゃな空想を生み出す」というよりも「普段知覚している物事を圧倒的なスケールで見つめ直す」ことに近い。言葉にするのは難しい(というよりも言葉にするのは無粋だ)が、自分が世界や宇宙と融合する感覚、自身の身の回りの事物が際立って新鮮に見える感覚を得る人が多い。その神秘さがゆえに、幻覚剤はスピリチュアルな体験として無神論者を有神論に目覚めさせることも多いという。

    では、そうした体験中に脳はどうなっているのか。あくまで憶測の域を超えないが、幻覚を見ている間は脳のデフォルトモード・ネットワークが非活性化しており、まるでこの世に生まれた赤ちゃんのような状態で世界を見つめているのだという。

    私たちは長年のあいだに、日々直面する物事に対して最も効率的で定型化した反応をしがちになっている。適応力が高まっているおかげで最小限の作業で仕事を終わらせることができるのだが、やがて機械的になってくる。そして感覚が鈍り、注意力が退化する。注目し、感じ、考え、あえて行動する(何かに強いられてではなく自由意思で行動する)ということがなくなってしまう。

    こうした脳の構築済みのネットワークを全てぶっ壊し、普段は結びつかないであろう脳の部分を新たにリンクさせるのが幻覚剤だ。記憶や感情を司る領域が視覚情報処理領域とじかに交流するようになれば、希望や恐怖、先入観や感情が視覚に影響を与えはじめる。脳内システムに新たな結びつきができることで、知覚情報が混交して、色が音になったり、音が触感になったりする。その先にあるのが、まるで自分が溶け出して周囲の物事と一体化したような感覚なのだという。

    こんなことを言われてしまうと、自分のレッテルや思い込みから脱し、自然、世界、人間を純粋な視点で捉え直すことのできる「素晴らしい薬」のように感じてしまう。しかも、夢とは違ってトリップ体験は薬が切れた後も忘れることはなく、「人生を変えてくれた出来事」として一生胸に刻み付けておくこともできる。また、予想に反して依存症もないとのことだ。

    すると、次の論点は「これを健常者に使うか否か」である。現状では、鬱病や精神障害――これらの病気はデフォルトモードが強力に作用しているため起こる――の感性を幻覚剤で刺激することで、抑制状態の脳を正常に戻す治療が行われている。しかし、そうした「意識を変えるクスリ」を健常者に使わない理由があるだろうか?誰しも大人になるにつれて既知の情報が増えていき、どんなものを見ても驚かなくなる。子ども時代のような純粋な感性で世界を見つめ直したい、と考える人は少なくないだろう。その先に待っているのは「治療薬としての幻覚剤」ではなく「娯楽のための幻覚剤」であり、それどころか、「深淵に近づくための希望のクスリ」として使われることも現実味を帯びてくる。

    頭を狂わせる薬を認可するのは、倫理的な問題もあるためずいぶん先が長いかもしれない。しかし、娯楽と経験が溢れかえった現代において、自分の知見をリセットするための薬には一定の需要があるはずだ。果たして幻覚剤が(1960年代のように)平然と使われる世の中になるのか、そしてそれが起こった先の世界はどうなってしまうのか。幻覚剤はまさに将来を変える可能性を秘めているのかもしれない。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 幻覚剤の歴史
    LSDの発見は、神経伝達物質の脳内での役割が明らかにされた1950年代を幕開けとする脳科学革命と、ある意味一リンクしていると言えるだろう。わずか数マイクログラムのLSDで精神疾患に似た症状が引き起こされるのだとすれば、それまで原因は心理面にあると考えられていた精神障害にも脳内化学物質が関係しているのではないか、と考えた脳科学者たちが研究を始めたからだ。同時に、かつてはアルコール依存症や不安障害、うつ病といったさまざまな精神障害の治療がおこなわれていた心理セラピーの場でも、幻覚剤が利用されはじめた。1950年代から1960年代初頭にかけては、精神医学主流派の多くがLSDやサイロシビンを奇跡の薬と考え、さまざまな疾病や障害の治療に使われていた。しかも、その多くで印象的な結果を残していた。

    ところが1960年代末には、その社会的、政治的衝撃波はほぼ消え失せた。パッドトリップ、精神破綻、フラッシュバック、自殺など、幻覚剤の持つ暗黒面が大々的に宣伝されたのだ。幻覚剤によるカウンターカルチャーが勃興すると、「カウンターカルチャーがアメリカの若者の戦闘意欲を殺いでいる」として、ニクソン政権から批判されるようになる。幻覚剤によるバッドトリップや異常行動がメディアに派手に取り上げられ、幻覚剤には「危険物質」というレッテルが貼られ、何十年ものあいだあらゆる研究が中止に追い込まれるほどタブー視されたのだった。
    しかし、合衆国における幻覚剤研究とサイケデリック療法は、地下活動という形で、ひそかに続けられる。

    やがて、その後に大きな影響をおよぼす思いがけない出来事が起きた。1990年代に入ったとき、一部の科学者、セラピスト、それにいわゆる精神世界探求者たちが、科学的にも文化的にも本来とても貴重だったものが失われてしまったと考え、幻覚剤を再評価し始めたのだ。しかしその試みは、一般の人々の目に入らないところでおこなわれていた。

    数十年にわたって封印され、無視されてきた幻覚剤だが、今あらためて研究が盛り上がりを見せている。2006年に、グリフィスによる幻覚剤の臨床試験とその論文が認められ、幻覚剤研究のきちんとした土壌が出来上がり始めると、新世代の科学者たちが、うつ病や不安障害、トラウマ、依存症といった精神疾患の治療に役立てられないかを探るようになった。また、幻覚剤と最新の脳画像化装置を組み合わせて、脳と心のつながりを研究し、意識の謎を解明しようとしている研究者もいる。


    2 幻覚剤で何が起きるか?
    幻覚剤により変性意識状態に突入した人には、従来の覚醒意識にとらわれている私達には見えない真実が明らかになる。しかし、科学ではこれを解明することができない。裏付けもなにもない報告に過ぎず、科学的価値はない。その意味で、組織的宗教に似ている。
    だが、それらはただの空想の産物ではなくれっきとした「事実」だ。

    ジェイムズは神秘体験を一般人には把握しづらいものと決めつけるのではなく、私たちでもそれと認識できるよう、4つの〈サイン〉を提示した。
    ひとつ目は、「言葉にしようがないこと」である。神秘体験を経験した人はすぐに、「表現できない」とか「報告しようとしても適切な言葉がない」と言う。被験者たちはみな自分の経験の迫力をなんとか言葉にしようと果敢に挑戦したが、結局断念した。「やっぱり実際に経験しないと」が決まり文句だった。
    ふたつ目の〈サイン〉としてジェイムズが挙げたのは、「認識的性質」である。「神秘的状態は、それを経験した人にとっては、ある種の認識のようなものでもあるようだ…それは啓蒙であり、重要な意味に満ちた啓示でもあり…決まって不思議な説得力を伴っている」。インタビューしたどの被験者にとっても、神秘経験は疑問をもたらすというより、答えをくれるもので、薬に誘導された体験だというのに、その答えを絶対的に確かなものととらえている。神秘体験をした人にとっては、真実が開示されたということが強烈なパワーで迫ってくるのだ。
    三つ目の〈サイン〉は「暫時性」だ。神秘的状態は長続きはしないが、記憶に残って何度もよみがえり、しだいに成長して、内面を豊かにする。
    最後の〈サイン》としているのは、神秘体験は根本的に「受動」だという点だ。神秘体験者は自分の意志が一時的に停止し、場合によっては至高の力によってわしづかみにされ、とらえられているような気さえする。この至高の力に一時的にひれ伏す感覚によって、人は自分が何か別のものに変化したと感じるのだ。

    「私のチャクラのすべてが爆発しました。そして愛と崇高さにあふれた混じりけのない光が輝き、それは私とともにあって、言葉など必要ありませんでした。純粋な神の愛の前に私はいて、その爆発的なエネルギーの中に溶け込んでいました……」

    同じドラッグを試したのにこんなふうに体験の質が全然違うのは、幻覚剤のとても重要な特質に原因がある。つまり、「セットとセッティング」が体験を大きく左右するのだ。セットとは、人が幻覚剤を摂取するときの精神状態や期待であり、セッティングとは周囲の環境である。ほかのドラッグと異なり、幻覚剤が同じ人に同じ経験をもたらすことはめったにない。なぜなら、幻覚剤はまさにそのとき摂取者の頭の内外で起きていることを増幅する傾向があるからだ。

    ホプキンズ大の研究室は今もスピリチュアリティと「健常者の幸福」を探究することに強い関心を持っているが、神秘体験が人を変身させる効果に治療面での潜在力があることも確かだ。すでに結果の出ている研究によれば、サイロシビンが引き起こす神秘体験は、依存症や余命宣告された人をしばしば衰弱させる実存的苦痛の治療に有効だということが示唆されている。


    3 筆者自身のトリップ体験
    音楽が始まるとすぐ、私は心のどこかにさまよいだし、おそらく音楽が呼び起こしたと思われる、完璧な森の中にいた。
    アマゾンの部族音楽は、私をセコイアの森を貫く急な下り坂へいざなった。道は、銀色のやいばのような急流によって山腹に刻まれた、渓谷に沿って続いている。カリフォルニア州マリン郡のスティンソンピーチかららタマルパイス山にのぼる登山道だ。だがそう認識した次の瞬間には、まったく別の場所に変化していた。音楽は今や、木材で高層の建造物を造っていた。平行方向にも垂直方向にも斜めにも、どうやってそこにという位置になぜか木材は吊り上げられて、階が一つひとつ積み上がっていく。それはまるで建設途中のツリーハウスのように空高くどこまでもそびえ、それでいて建物は宙に開け放たれていて、風鈴のようにカを響かせている。
    各階が、私がジュディスと過ごした人生のひとこまひとこまを表現していた。長年ともに過ごした私たちが、ステージを一つひとつのぼっていくのがわかる。大学で出会った頃はふたりともまだ子どもで、恋に落ち、町で同棲しはじめ、結婚し、息子のアイザックが生まれて家族となり、田舎に引っ越した。
    音楽がもっと男性的な、あるいは勇ましいものに変わると、息子という存在のこと、そして父という存在のことで頭がいっぱいになった。アイザックのこれまでの人生の映像が足早に流れていった。特別繊細な少年としてもがき苦しんだこと、でもその繊細さがむしろ強みとなり、今のアイザックとなった。息子に言わなければならないことを考えた。大人の仲間入りをして、新しい町に移り住み、自分のキャリアを築こうとしている彼のことを思うと、誇らしくて胸が熱くなる。だが同時に、成功しても強硬にならず、弱さややさしさを失わないでほしいと切に思う。
    私は知らずしらずのうちに涙を流していた。

    「愛こそがすべて」
    心の奥底にずんと響いた陳腐な決まり文句でも、やはりただの陳腐な決まり文句じゃない、と私は断じる。それは、あらゆる感情が吸い取られたあとに残った真実にほかならない。干乾びてからからになった言葉を再び感情に浸してみたとき、本来の姿がそこに現れる。普段はありふれた風景に隠れてしまっている、とても美しい、心の奥に深く根ざした真実。スピリチュアルな啓示?そうかもしれない。少なくとも、ジャーニーの最中、私にはそう思えた。幻覚剤は、特別皮肉屋な人間を、誰もが知っている常識の熱心な伝道者に変えてしまうらしい。
    薬のせいで馬鹿になっただけじゃないのか、と人は言うかもしれないが、平凡でセンチメンタルにしか思えない景色の中を旅してみた今、私にはもはやそれがちっとも平凡でセンチメンタルに思えないのだ。結局のところ、陳腐だと思う感覚や物事を皮肉る見方というのは、感情はもちろん、おそらくは感覚にも、簡単に圧倒されたり呑み込まれたりしないよう自分自身を守るために装備する、大人用の鉄壁の防具なのだ。

    幻覚剤は、すべての既知を棚から下ろし、蓋を開けて、日頃見慣れた品々でさえ取り出してしきりにひっくり返し、想像力によって磨き上げて、初めて見たときのようにまた光輝かせる。

    こうして今までとは違う視点を知ったことこそが、私がインタビューした多くの被験者が恐怖や不安を、喫煙者なら依存症を克服できた理由だと思う。反射的に攻撃的な反応をしたり自己利益に集中したりする自我の独裁から一時的に自由になったとき、私たちはキーツの言うネガティヴ・ケイパビリティの究極の形を経験する。ネガティヴ・ケイパビリティとはすなわち疑いやわからないことがあっても、反射的に確実な答えを求めずに受け入れる能力である。ありえないくらい無私なこの意識モードをより深めるには、主観を超越すること、あるいは主観の輪をどんどん広げて、自分以外にも他者や、あらゆる自然まで取り込むことだ。幻覚剤はまさに、私たちがこの輪を広げ、一人称単数から複数へ、さらにその先まで包み込む手助けをしてくれる。幻覚剤の効果が、絆の感覚を私たちに実感させてくれるのだ。


    4 幻覚下の脳では何が起こっている?
    LSDやサイロシビンのような幻覚剤が脳内の5-H2A受容体と結びつき、脳に作用することがわかっている。しかし、どうして化学的な反応が起こったあと、自我が崩壊したり主客の区別がなくなったりするのか?

    鍵は「デフォルトモード・ネットワーク(DMN)」という特定の脳内ネットワークだ。
    このネットワークは、大脳皮質の各部分を、記憶や感情などを含む、より深くにある古い脳構造とつなげる、きわめて重要な、脳活動の中心的ハブを形成している。私たちが何に注意を向ける必要もなく、精神的タスクがなにもないとき、つまり脳のデフォルトモードのときに活動するのが、このネットワークだ。
    DMNは脳の各部分に対して抑制的に働き、とくに感情や記憶を司る大脳周縁系を厳しく監視している。
    瞑想者たちが自己を超越したと感じたとき、DMNが沈黙する様子がfMRIで観察された。DMNの活動を示すデータが急落するときに自我が一時的に消え、ふだん私たちが認識している自己と世界、主観と客観といった区別が消えてしまうらしいのだ。

    私たちが外界を知覚するとき、それはありのままの現実を転写したものではなく、知覚器官から得たデータと記憶に基づいたモデルを使って予測している。であるならば、通常の覚醒意識は、夢や妄想やサイケデリック・トリップのような、あまり信用のできない創造物とどこが違うのか?

    カーハート=ハリスは、スペクトラムの低エントロピーの最末端に位置する精神障害は、脳の秩序が失われたから起こるのではなく、むしろ秩序がきつくなりすぎて生じたのではないかと示唆する。内省があまりにも習慣化してしまうと、自我の力が支配的になる。それが最も顕著なのはうつ病で、自我が自分の力に酔い、コントロールできないほど内省しすぎると、しだいに現実に影を落とし始める。ここで起こっているのはDMNの活性化、すなわち脳内エントロピーの低下だ。
    そこで、幻覚剤がDMNを抑制し、心のメカニズムに対する自我の締付けを緩める(脳内エントロピーを高める)ことで、精神障害の治療につながる、とカーハート=ハリスは述べる。

    幻覚剤の影響下では、脳内ネットワークがほかのネットワークとよりオープンに交流することがわかっている。脳磁図と呼ばれる、脳内の電気活動を表示する画像技術を使うと、サイロビシンの影響下にある脳では、新しいつながりが無数にでき、通常の覚醒意識状態ではほとんど交流しない遠方の領域ともリンクする様子が見られる。
    この脳内ネットワークの一時的な再編成によって、精神活動にさまざまな影響が出ると考えられる。記憶や感情を司る領域が視覚情報処理領域とじかに交流するようになれば、希望や恐怖、先入観や感情が視覚に影響を与えはじめる。まさに、原初的意識の特徴であり、魔術的思考につながるレシピである。同様に、脳内システムに新たな結びつきができ、共感覚が生まれる可能性がある。知覚情報が混交して、色が音になったり、音が触感になったりするわけだ。


    5 幻覚剤の未来と健康な人間への処方
    幻覚剤には大きな将来性があるが、安全性、厳密性、世評にさらされる危険といった諸問題はつい忘れられがちである。また、幻覚剤は、その性質を考えると、制度として容認するには破壊的すぎる。医療の権威にしろスピリチュアルの権威にしろ、とにかく権威と個人を仲介するのが制度の役割だが、一方で幻覚剤体験は個人に直に啓示を与えてしまい、本質的にルールを壊しかねない。
    筆者個人としては、自分が幻覚剤を使って経験したようなことは、病人に限定しないでほしいと心から思うし、いつかもっと誰もが体験しやすくなる日が来ることを願っている。では幻覚剤を単純に合法化すればいいと思っているかというと、必ずしもそうではない。遅かれ早かれ、「パッドトリップ」の恐怖体験をしたという話が頻繁に聞こえてくるはずだ。そのためにも、幻覚剤の持つ圧倒的な潜在力を安全な範囲に抑えておける場所、そして適切なガイド役が提供されることが必要だ。

    非日常的な意識の状態を探る意味は、心の働き方を新たな視点から見られることにあると筆者は考える。
    普通の覚醒意識は無数に存在する可能性がある意識のひとつにすぎず、その境界は「ごく薄い幕」で仕切られているだけだと知ることで、私たちの知る内的・外的現実は完全ではないと認識することになる。たいていのときは、サバイバルという面で、通常の覚醒意識が最も役に立つし、適応力も高い。だが、個人あるいは共同体にとって、変性意識状態が提供する思いがけない新機軸が人生や文化を変革する、そういう瞬間があるのではないか。

  • あくまで科学的な観点から分析しようとする姿勢が信憑性を上げてた。

  • 声出して笑うぐらい面白かった 最高

  • おもろいけど長すぎ
    途中で何回か飽きる
    ふむふむなるほど7割
    んなわけねーだろ2割
    ちょっとなに言ってるかわからない1割

  • 面白い。しかし脳に作用する物質でスピリチュアルな悟りを得るのが好きだねアメリカ人は。それのどこが悟りなのか。精神が物質の結果でしかないこの上ない証拠のように思うが。

  • ティモシー・リアリーがどれだけ迷惑をかけたかが良くわかる

  • 幻覚剤は麻薬の一種だと思っていたので幻覚剤はほかの薬物とはかなり異なっていて、特に幻覚剤には依存性はないというのは意外だった。

    幻覚剤を使用することで脳のデフォルトネットワークの働きが弱まり、自我が消えて脳の新しい回路が生まれるというのも興味深かった。
    瞑想を行ったときの脳と幻覚剤を摂取した時の脳の動きが似ていて、幻覚剤を摂取した時の自我の消失や執着が消える状態は仏教が目指しているものと似ているというのは面白い。
    瞑想を極めれば普段の生活ではたどり着けないような脳の動きができるなら、幻覚剤が手に入らない日本においては、瞑想をやってみたくなる。

    幻覚剤の歴史から丁寧に説明をしてくれているのだけど、歴史パートがかなり長い。
    筆者が実際に体験して科学的な分析を説明するパートは面白かった。

  • タイトルに惹かれて読みました。幻覚剤(LSD)は偶然の産物で、これがきっかけで精神薬などが開発されるようになったというのはかなり興味深い逸話です。本書は幻覚剤の歴史とそれを取り巻く社会状況、また著者の幻覚剤体験なども織り込まれた圧巻の500頁の作品。幻覚剤は今でこそ違法薬物ですが、かつてはLSDが様々な精神病の治療薬として使われたり、終末医療の緩和ケア剤としても利用されたりと、意外な側面を知ることができました。とても興味深い本でした。

  • 幻覚剤(サイケディリクス)についての概念が一変する内容。
    LSD,サイロシビン、MDMA、ペヨーテなどがその範疇に入る。
    幻覚剤には乱用に至るとか依存性が強くあるなどと我々は認識しているが、それは無いのである。
    幻覚剤を活用することで「うつ病」や「依存病=アルコール依存など」の治療そしてがんの末期患者の恐怖を取り除くなど「精神疾患」全般の治療に役立つとの認識が世界では高まってきている(日本は希薄)ということが詳しく説かれている。
    ヒトの脳の構造を解き明かすルートとしも幻覚剤の研究は大きな糸口を得ることにつながる可能性が強いなど。

    この本は、有益で極めておもしろい。

全14件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

作家、ジャーナリスト、活動家。ハーヴァード大学英語学部でライティング、カリフォルニア大学バークレー校大学院でジャーナリズムを教える。
著書に、国際的にベストセラーになった『雑食動物のジレンマ』(東洋経済新報社)、『人間は料理をする』(NTT出版)、『欲望の植物誌』(八坂書房)、『幻覚剤は役に立つのか』(亜紀書房)など。『人間は料理をする』『幻覚剤は役に立つのか』はNetflixのドキュメンタリー番組となり好評を博す。
人類学、哲学、文化論、医学、自然誌など多角的な視点を取り入れ、みずからの体験を盛り込みながら植物、食、自然について重層的に論じる。 2010年、「タイム」誌の「世界で最も影響力を持つ100人」に選出。受賞歴多数。

「2023年 『意識をゆさぶる植物』 で使われていた紹介文から引用しています。」

マイケル・ポーランの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×