本を読めなくなった人のための読書論

著者 :
  • 亜紀書房
3.97
  • (76)
  • (74)
  • (46)
  • (12)
  • (4)
本棚登録 : 1719
感想 : 125
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516080

作品紹介・あらすじ

本は
ぜんぶ読まなくていい
たくさん読まなくていい

多読・速読を超えて、人生の言葉と「たしかに」出会うために。
NHK「100分de名著」常連の本読みの達人が案内する読書の方法。

本が読めなくなったのは、内なる自分からのサイン。
だから、読めないときは、無理をして読まなくていい。
読めない本にも意味があるから、積読でもいい。

知識を増やすためではなく、
人生を深いところで導き、励ます言葉と出会うためにする読書。
その方法を、あなたと一緒に考える。

【もくじより】
・読めないときは、読まなくてもよい
・「正しい」読み方など存在しない
・「書く」ことから始める「読書」
・本は、最初から読まなくてもよい
・言葉の肌感覚を取り戻す
・ゆっくり読む
・情を開く

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 私は最近、近年まで好んで読んでいた本のとある分野(はっきり言ってだいぶ前から恋愛物と、最近ではミステリーなんですが)を読んでいて、読むのが辛いと感じることが多くなってきていた気がしていました。

    それで、この本のタイトルは前から気になっていました。
    読んでみて、今の自分に必要なたいへん良書だったと思いました。

    以下自分にとって重要と思われるところを何か所かメモしました。

    〇出会うべくして出会った本(言葉)が教えてくれるのは、すでに心のなかにあるのに見過ごしてしまっている何か。

    〇本に呼ばれるようになってくると「読む」世界の光景はまるで違ったものになってくる。

    昨日まで、まったく関係がないと思っていた本が昔からの知人のように思われてくる。

    〇本を読めなくなった。ということは、自分の旅は自分で作るときがやってきた、という人生からの合図です。

    ほかの人たちがやっているように、ではなく、自分にあった場所へ、自分にあった歩調で進んでいく。
    そして、世の中が見えるものではなく、そのときの自分が見つめなくてはならないものを「観る」ことを、人生が求めているのです。

    〇かつてのように読めなくなっている。それは情報以外のものを摂りいれなくてはならない。新しい「読む」感覚を取り戻さなくてはならない。という「からだ」からの合図かもしれません。

    〇肌感覚が戻ってくると、二つのことがはっきりしてきます。
    ①自分にとって不要なもの
    ②自分にとって本当に必要なもの

    「求めよ、さらば与えられん」という新約聖書の言葉は本との出会いにおいても真実。

    • まことさん
      myjstyleさん。おはようございます。

      コメントありがとうございます!
      myjstyleさんは、速読はできないとおっしゃっておら...
      myjstyleさん。おはようございます。

      コメントありがとうございます!
      myjstyleさんは、速読はできないとおっしゃっておられますが、私からみれば、読書量、映画鑑賞、音楽もたくさん聴かれていると思います。
      読書は気に入ったテーマを読まれているとのこと。私も参考にさせていただこうと思います。
      私も、今は、日本の現代作家さんのエンタメ系が多いのですが、違う系統の本を読みたくなってきています。
      手探りしながら、myjistyleさんのような自己確立を目指していきたいと思います。
      コロナ下での生活は、私は実はもともと人付き合いや外出より、本を読んだりしている方が好きなので、そんなに苦ではないんです。
      ただ、書店に行くのも億劫になってしまいましたが…。
      2021/01/29
    • 5552さん
      まことさん。
      穂村さんの書評集は行きつけの図書館に入れてくれないかな〜と期待して待っているところなんですよ。
      そこの図書館は穂村さんの本...
      まことさん。
      穂村さんの書評集は行きつけの図書館に入れてくれないかな〜と期待して待っているところなんですよ。
      そこの図書館は穂村さんの本がたくさん置いてあるので今回も入れてくれるんじゃないかと。
      なので読めるかどうかは分からないです。
      穂村さんは優れた読み手なので、どんな本を読むのか、どのように感じるのか、、、もし読むことができたらレビューしますね。

      nejidonさん。
      まだ今年が始まったばかりなのに、もう今年1番の本に出合ってしまわれたのですね、、、!
      『本泥棒』も気になりますが、『物語創生』も気になります。
      2021/01/29
    • まことさん
      5552さん。
      図々しい、お願いしてしまってすいません(__)
      でも、もし図書館に入ったらよろしくお願いします。
      私の住んでいる地域、...
      5552さん。
      図々しい、お願いしてしまってすいません(__)
      でも、もし図書館に入ったらよろしくお願いします。
      私の住んでいる地域、雪国なので、4月くらいまで図書館に行けないのです。
      暮れに、大雪が降った時は、タクシーで往復してしまってひどい目にあいました(笑)。
      2021/01/30
  • 多読や速読など羨んだこともなく、出来るようになりたいと思ったこともない。
    十代の頃は憧れてもいたが、そもそもが遅読のためシフトチェンジも早かった。
    知識や情報を増やすためではなく人生を深いところで導いてくれる一冊ともしも出会ったら、あとは熟読し咀嚼するだけだ。

    そうは思っていても良書に出会った時ほどレビューを載せられない。
    こんな稚拙な感想で、とても伝えられるはずもないからだ。
    そもそも著者に対して失礼にあたるのではないか。
    ・・それで読了から一週間が過ぎた。
    その間ずっとこの本を携えていた。
    外出の際には、鞄に必ず入れた。寝る時も抱えていた。

    おだやかにやさしく温かく、心の底に語り掛けてくるような若松さんの文章。
    その語り口が、私の背中をそっと押してくれる。
    大丈夫、上手く語る必要はありません。
    読書は個人的な体験です。いかようにも常にありのままで良いのですよと。
    それで私はおずおずとキーを叩いている。

    著者の文章は、過去いくつもの大学や高校の試験に採用されたことがあるそうだ。
    試験終了後に問題と報告が送付されて届く。
    しかし著者でさえ解答できない問題があり、若松さん自身の答えが間違っていることも多々あるという。つまり、一般に言われる「正しい読み方」などなくて、問題作成者にとっての「正しい読み方」があるだけだと言われるのだ。
    『誰もが、自分の読み方が正しくないのではないかという不安を抱えながら本を読んでいる。
     あなただけが心配しているのではないのです。
     誰もがそう感じているのですから、自分を特別視する必要はありません。』

    そしてまた、こうも言われる。
    『正しい「読み」は、あるのかもしれません。しかしそれを完全に実践した人はいません。
     間違っていても良いではありませんか。
     私たちはそれを誰かに強要しない限り、そしてその「読み」によって他の人を軽んじることにならない限り、どこまでも自分の読みを深めて良いのです。』

    この本は「読めない時間」が私たちに何を伝えようとしているのかを、感じるところからスタートする。
    図書館で、あるいは書店で、どこを探したら良いか分からない時は童話か詩のコーナーに行くと良いと。全部読むのではなく、読みたいところから読みたい分だけ読み、気になったところを書き写すことをお勧めしている。
    『私たちに求められているのは、速く、多くの言葉を読むことではありません。
     ほんとうに必要なコトバに出会うことなのです。』
    そして私は、この本の気になった個所をいくつもいくつも書き写した。

    仕事に忙殺されていた時期、心のバランスを欠いてしまい全く本が読めなかった。
    本・コトバではなく、自分にとって必要なものは自分の外にあると思って探していた。
    しかし今は、意味のあることの全ては目の前にあったのだと知っている。
    だからこの本に出会えたということだ。
    良かった。読めない時期は無駄ではなかった。そう思ったら涙が滲んだ。
    タイトルになっている「本を読めなくなった・・」という部分に惹かれる人もそうでない人も、「情報」を入手する読書ではなく「経験」としての読書を望む気持ちはあるのではないだろうか。
    生活のための読書ではなく、人生のための読書に。

    本当に必要なたったひとつの言葉に出会うまで、本は待っていてくれる。
    読書の秋におすすめの一冊。

  • 本が読めない。特に小説がーーー。

    数年前から徐々に徐々に私の中で小説離れが起こっている。
    興味を持って読みはじめるが、数ページで断念した本たちがだんだんと積み上がる度、罪悪感を覚えていた。
    読みたい、という欲望はあるものの、読めない自分に自信をなくしてゆく日々。
    自信をなくす、というよりも残念、といったほうがいいかもしれない。
    思い出すのは子供のころの、青春時代の、小説との蜜月。
    あの頃に戻りたいーーー。
    と思っていたところで、この本のレビューを見かけた。
    無性に読みたくなり、再読を決行。

    結果、安堵した。

    読みたいのに読めないのは自分だけじゃない事。
    読めなくても良いこと。
    無理に読む必要はなく、読めるときがくるのを「待つ」こと。

    再度いろいろ教えてもらった。
    というか、骨身に染み込んでいて、自分で考えついたと思ったことも、この本に書いてあった。恥ずかしい。(よくあるのだ)

    若松さんの文章は、私が人生経験不足だからなのか、時折よく理解できないところもあったが、読んでいると落ち着く。

    「本が読めなくなった」人たちに優しく寄り添う本だった。

    • GMNTさん
      5552さん、おはようございます。
      私も読めない時期が長くあって、理由のひとつとして「フォントのデザインが気になりすぎてしまう」というのが...
      5552さん、おはようございます。
      私も読めない時期が長くあって、理由のひとつとして「フォントのデザインが気になりすぎてしまう」というのがあります。エンデの文庫版『モモ』を今読んでますが、フォントが気に食わなくてなかなか進まず……。気になりすぎて、以前新潮社さんに「なんで文庫のフォントがバラバラなんだよ!」と電話したぐらいです(こんなきつい口調では言ってないけど笑)。
      5552さんは買って読む派ですか?私も以前は買ってましたが、積読本が増えてプレッシャーになるのが嫌で、今は図書館で借りています。私の読みたい本なんぞはほとんど置いてありますし。どうしても欲しい本だけは買いますけど。借りるようにしてからの方が、本を読めるようになりました。
      最後に、立川談志師匠のお言葉。
      「学問とは?」「貧乏人の暇つぶし!」
      2021/01/29
    • 5552さん
      GMNTさん、こんばんは。
      私はフォントのデザインは気にしたことなかったですね。
      ただ、文字がちっちゃくて細いと読みにくい!って思うよう...
      GMNTさん、こんばんは。
      私はフォントのデザインは気にしたことなかったですね。
      ただ、文字がちっちゃくて細いと読みにくい!って思うようになりました。歳ですね。
      昨日パラ読した山崎まどかさんの本に「今までカレンダーのフォントで気に入るものがなかったけど、新潮社さんでもらったカレンダーは完璧」というエピソードがあったんです。
      今日GMNTさんのコメントをいただいて、おお、フォントが気になる人に連続に出合った!とビックリしました。

      本は図書館で借りるうえに、更にブックオフでも買っているので積読が山のようにあります。
      自分でも呆れるくらいに、、、。
      それが知らず知らずのうちにプレッシャーになっているのかもしれませんね。
      うーん、本との付き合い方を見直すべき時がきているのかも。




      2021/01/29
  • 読めないときは読まなくてもいい−−自分の心に寄り添う読書の在り方 『本を読めなくなった人のための読書論』 | GetNavi web ゲットナビ
    https://getnavi.jp/book/837272/

    若松 英輔『本を読めなくなった人のための読書論』|慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)
    https://www.keiomcc.com/magazine/review240/

    亜紀書房 - 本を読めなくなった人のための読書論
    https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=921

  • 実はこの本読み終わってません。
    「本は、ぜんぶ読まなくていい。たくさん読まなくていい」という帯のことばを傍らに、たまにパッと開いてそこを読むということにしようと思っています。なんだか一回読んで終わりというおつきあいでは寂しいので。

  • 本を大量に買ってはいるけども全然読めなくなってしまったのでこの本を買ってみた。

    本は全部読まなくてもいいし、どこから読んでもいいということが書かれており少し気持ちが楽になった。

  • 本を読むことを好きでよかったなぁ。本を読む嬉しさを改めて考えさせてもらった。というより感じさせてもらった。…という表現の方がこの本にはあっているかな?
    読書について見直すきっかけになった。
    本を読みたいと思うけれど、、、中々進まない。読み終えた本の数、今注目されている本にばかり目がいってしまっていたなぁと思った。
    読書は自分との対話。本が読めなくなったということは、今までの読書の方法?(感じ方)から自分が一段階レベルアップしたという話が納得できたし、面白かった。どんどん本を読みたくなった。
    また読めなくなったら戻ってきたい1冊。










    ★「読む」とは、「ひとり」であるところに始まる、言葉を通じて行う無音の対話なのです。

    ★不思議に聞こえるかもしれませんが、出会うべくして出会った本が教えてくれるのは、「本当に必要なものは、すでに私たちの中にあって、私たちはそれを見過ごしているだけだ」という現実なのです。
    ★出会うべくして出会った言葉が、私たちにもたらしてくれるのは、新しい「情報」と言うよりも、すでに心のなかにあるのに、私たちが見過ごしてしまっている何かなのです。

    ★「読む」と「書く」ことは呼吸のような関係です。読めなくなっているのは、吐き出したい思いが、胸にいっぱいたまっているからかもしれません。

    ★大切なのは、言葉に出会い、言葉を糧とできるかどうかであって、多く読むことではありません。大切なのは「たしか」に読むことです。
    ★食べ物が私たちの体の糧であるように、言葉は私たちの心の糧です。

    ★「読む」とは、今日まで生きてきた、すべての経験を通じて、その日、そのときの自分を照らす1つの言葉に出会うことに他なりません。

    ★「見る」と言う言葉は、今、目の前にあるものを「みる」ことです。しかし、「観る」という言葉は、単にものを「みる」のではなく、「みえてくる」ということを意味しています。

    ★人がよいと言ったものではなく、自分がほんとうに必要だと感じたものを必要なときに手にする。その言葉は、たった1行の、あるいは1つの言葉である場合も少なくないのです。

    ★大げさに聞こえるかもしれませんが、読者への態度は、人生の態度と似ています。読書を楽しんでいる人たちの多くは、自分の読みが、不完全であることを受け容れているのです。そして、誰かと競争するように読むことも止めています。

    ★本を読めなくなった、ということは、自分の旅は、自分で作るときがやってきた、という人生からの合図です。
    ★本を読めなくなっているというのは、新しい読書の次元が開けると言う人生からの合図。

    ★人は、日々、変化している。日々、新しく世界と向き合っている。昨日興味を持てなかった本に、今日、「人生の一語」を見つけることは、けっして珍しくないのです。

    ★「心が動かされながらも、読み通せなかった本」を、ゆっくり読み進める。

  • 最近、何のために読書をしているか分からなくなっていた為に手に取ってみた。

    最近の私の読書は人に影響され、とにかく足りない知識を補うために大量のインプットを求めて結果的に「読まされていた」事を改めて認識。

    本来、読書というものは1人の時間という「孤独」の中でゆっくり、ゆったりと時間をかけて本との対話を行うものだという本質を思い出す事が出来た。

    人や、流行に流されず自分の内なる心に正直になって読書を楽しんでいければと思う。

  • 「本を読めなくなった」と思ったり、この本を手にとってみたという人は、「本を読みたい」または「本を読もう」という気持ちはある人でしょう。

    「読みたいのに読めない」と思っている人向けでしょうか。

    私は司書になるまでは、もっぱら読むのは自己啓発的な本、語学が好きなので語学上達法とか海外生活エッセーとかに偏っていました。

    司書になって「物語」や「児童書」を読み漁るようになり、本来の読書の楽しさを取り戻したような気がします。

    「物語」を読むにあたっては、本書の「全部読まなくていい」「最初から読まなくてもよい」というのは当てはまらないと思いますが、ほとんど本を読まないという人が読もうとするには、こういうことから始めないといけないのかな、と思います。

    『ほんとうに本を読みたいのであれば、よい本を手にするだけでなく、ひとりの時間を確保しなくてはなりません』

    もともと夫と娘はかなりの読書量で私もひとりが好き。「家族で週末に買い物」なんて全く興味がないのも家族としてどうなの?と思ったこともありましたが、やはりひとりの時間は譲れない!

    『本は多く読む方がいい。本当でしょうか。これまで見てきたように、言葉が心の食べ物だとしたら、多く食べることがよいことなのでしょうか。あるいは速く食べることがよいことなのでしょうか。』

    テレビやゲーム、インターネットは見る時間、やる時間で調査されるのだから、本も、冊数ではなく時間で考えてもいいと思います。そして、1日5分でも本を開いてみる時間があれば、全く触らない人と、大きな差が生まれるのではないでしょうか。

    こんなに読みたい本、読める本があると知らなかったときは、移動中やスキマ時間にSNSばかり見ていましたが、やはり他人のことを知るのは楽しいことばかりではなく疲れることのほうが多かった気がします。
    本を読むときは一対一、攻撃してくる人はいません。

    司書の仕事を離れても、自分の時間を大切にし、「しみじみ心が温かくなる」本との出会いが続くように、と思います。


  • 読書が出来なくなった人向けなのに、それについて本で読むという若干の矛盾を面白く感じながら読書。
    私も少し読書が進まない状態だったので、丁度よかった。
    文字もびっちりではなく、文章も読みやすくて、
    優しいスープのような1冊。

    全部読まなくてもよい、
    読み切る必要もない、
    好きなところから読んでもいい、
    「言葉のジュース」をつくる
    言葉は人生という旅の「薬草」である。

    気になった方はおすすめします。

全125件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年に第16回蓮如賞受賞。
近著に、『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『光であることば』(小学館)、『藍色の福音』(講談社)、『読み終わらない本』(KADOKAWA)など。

「2023年 『詩集 ことばのきせき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

若松英輔の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
若松 英輔
矢部 潤子
アンデシュ・ハン...
出口 治明
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×