息子が殺人犯になった――コロンバイン高校銃乱射事件・加害生徒の母の告白 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズII-16)
- 亜紀書房 (2017年6月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750514468
作品紹介・あらすじ
死者13人、重軽傷者24人、犯人2人は自殺。
事件の一報を知ったとき、母が心の中で神に願ったのは、息子の死だった……全米を揺るがした銃乱射事件の実行犯の家族が揺れる心のままに綴る、息子のこと、事件後のこと。
高村薫氏推薦!
「わが子が惨劇の犯人になったとき、親の人生もまた残酷に断ち切られる。著者が想像を絶する喪失と加害責任を引き受けてゆく過程や、それでもわが子を否定しきれない孤独な葛藤は、神を前に正しくあることを求める善きアメリカの、息苦しいほどの理性の姿である。」
感想・レビュー・書評
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/774128詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どんな切り口で感想を書けば良いのか迷う。まず言えるのは、中途半端な加害者家族もののフィクションを読むよりは本書を読んだほうが良いということ。それから人は納得のいく「理由」を求めずにはいられないということ。あとは……アメリカには加害者家族を思いやり、行動で示す人がある程度の数いるようだが、これは宗教的な要素が関係するのだろうか。例えば、9.11のハイジャック犯のために祈ったキリスト教徒はいたのか? 本書の主旨とは外れるが、そんなことも考えた。
著書の頭の中ではたくさんの If が渦巻いていたんだろうな。その中でも学校や警察、エリックの両親など、他者に向けた If は書けなかったのだと思う。 -
自身の家族が殺人を犯す、それも自身の息子が。そしてその殺人が銃によって若いティーンエイジャーら13人を対象としたものであったなら、そのとき親は何を思うのだろうか。
本書はアメリカにおける銃乱射事件の中でも最悪の部類の1つ、1999年のコロンバイン高校銃乱射事件の加害生徒の母親が綴る自省の書である。”トレンチコート・マフィア”と呼ばれた格好で学校を襲った息子は、なぜ凶行に及び、結果として犯行現場で命を絶つことになったのか。
メディアは往々にしてこのような事件があったときに育児放棄や過度なしつけなど家庭環境を原因とした報道を行う。もちろんそうした報道が真実の場合もあるのだろうが、同様の報道が繰り広げられた本事件に関していえばそれは正しくない。本書で描かれる家庭環境は典型的な中流階級の理想図ともいえるものであり、著者自身がそうした環境で息子を育てたことに強い満足感を覚えていたのだから。
事件の後、被害者への謝罪や裁判、メディアからの露悪的な取材攻勢などの中で呆然自失としつつも著者は、この凶行は息子が実はうつ病にかかっていたが故の”自殺”であったのではないか、という仮説を抱く。つまり、自暴自棄になった結果、その自殺の道連れとして起きたのがこの凶行であった、という解釈である。
もし自らが息子の小さな苦しみの声に気付いてやっていれば凶行は起きなかったかもしれないーその償いとして、著者は精神疾患と殺人事件の相関性に関する啓発活動に身を投じることになる。
読むのが苦しい場面も少なからずあるが、著者が強い償いの意識と理性的な思考を元に前へと進んでいこうとする様子には強く胸を打たれる。 -
途中で断念。
大虐殺を起こした犯人の親の作だけど、うーん、「あの子はやさしくていい子だった。」っていわれてもなぁ。。 -
息子が殺人犯になった――コロンバイン高校銃乱射事件・加害生徒の母の告白。スー・クレボルド先生の著書。犯罪被害者や被害者家族からすれば、犯罪加害者や加害者家族に対して怨恨や怒りを覚えるのは自然なことなのかもしれないけれど、周囲からの冷たい視線や差別や偏見に苦しんでいるのは加害者家族も同じ。私は加害者家族に対する非難や嫌がらせは絶対にあってはならないと思います。
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うーーーん。もちろん加害者やその家族を特殊なモンスター化して自分たちとは切り離し、さらには無関係の第三者までもが非難糾弾の嵐に乗っかってしまう現状は百害あって一利なしだと思うし、「凶行に及んだ原因」をあまりに単純化してしまう風潮に警鐘を鳴らすというのも意味があると思う。多くの無差別殺人が自殺の一環であることやそこから派生しての鬱などの‘脳の障がい‘への啓蒙活動にもすごく意味はあると思う。全部を親の育て方のせいにしてしまうのが間違っているのもわかる。
でもねえええええ。なまじ知識も経験もあるし、練りに練って書いた感じの文章だから一見わかりにくいけれども、やはり根っこの部分でなんか大事なところから逃げてないかい?という感じも全体からほのかに漂ってくるように感じて仕方がなかった。特に読み進んでいくにつれ。
それとは別に「礼状」とか「検視」とか誤字も多いし、同一ページでインチ表記とセンチ表記が入り混じっていたり、原文の英語構文がそのまま浮かんでくるようなある種不自然な訳も多くて結構読みにくかった。 -
殺人ではなくうつによる自殺と考える。
周囲の人まで巻き込む巨大な闇が心の中に育ってしまった。
本人が隠そうとすれば周りは簡単には気づくことができない。
育児をする上でとても示唆的である。
私は自殺者の遺族にこの話を数え切れないほどした。子どもが学校のことをちゃんとやれなかったり、家事の手伝いのことで親に悪い態度で反抗したりするのは、批判し、しつけし直さなければならないというサインではない。助けが必要だというサインなのだ。(P.292)
うつ状態を本当に脱した人と、自分が死ぬとわかって気が楽になった人を見分けるのは難しい。(P.294)
ディランの生前、あまりに多くの無実の人たちを飲み込んだ地獄から彼を引き戻せるうちに、彼の日記を読めるなら、私はどんなものでも差し出すのに。(P.298)
なにかがおかしいことに気付いていなかったわけではない。けれどそれが生死に関わるような重大なことだとは思わなかった。私はただ、ディランに悩みがあるようで心配だったのか。(P.305) -
1999年アメリカで起きた高校生による銃乱射事件で13人が死亡、24人が負傷。そして、犯人の2人の男子高校生たちは自殺した。
本書は、その犯人のうち1人の母親が、なぜ彼が殺人者になるに至ったか、そして、犯罪者の母となった筆者がどのように再生していったかを克明に、かつ、推測や創作なく描いている。
筆者は事件直後から、家族の生活を振り返り分析し、現在は自殺を防止する仕事を行なっている。
1人はサイコパスの疑いがあり、そして彼女の息子には自殺願望があったものも案が得られることがその原点となっている。