「大学改革」という病――学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する

著者 :
  • 明石書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750345468

作品紹介・あらすじ

昨今の大学改革は正しい方向に進んでいるのか? 大学だけ取り出して大学論を議論するのは危険だ。なぜなら、大学は日本社会のシステムと密接に結びついているから。国家(政府)の押しつけではない、民主主義社会を支える装置としての大学のあり方を提言する。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、昨今の大学改革の現状と問題点を皮切りとして、大学の歴史と「学問の自由」という理念の歴史、日本の大学入試システムの社会的位置づけ、職業教育、日本における社会保障制度と税制、競争主義の妥当性といった多様な問題について検討を加えている。そのような本書に通底しているのは、次のような考え方である。

    民主主義とは、全ての国民が賢くあらねばならないという無茶苦茶を要求する制度である。その本質は多数決ではない。合理的な根拠に基づいて主張をする人同士の冷静な話し合いによる合意形成である。何が正しいかを判断するためには、様々な問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行うことが必要で、そのためには個々人の「良心」「真の知恵」「専門的な知識」などが必要な場合がある。これらを欠いて多数決を採って決めたら、ひどい結果を招くこともある。日本人の特性である「軽薄へのエネルギー」(司馬遼太郎『歴史と小説』)や衆愚政治にもなり得る。だから、正しい民主主義を実現するために大学というものは存在する、というのだ。

    大正デモクラシーの旗手、吉野作造は「デモクラシーは基督教国に起こった」(吉野作造『デモクラシーと基督教』)という指摘に通じるものがある。中世のキリスト教国で誕生した大学(ユニベルシタス)では、三学(国語系科目)四科(数学系科目)を通して、慣例や偏見に惑わされない「リベラル」な考え方、分かり易くコミュニケートする技法「アーツ」を身に着けることに主眼が置かれたからだ。このような点でも、著者の主張は、大学の存在意義の核心を衝いている。

    近年の教育改革は、初等中等教育での「個性重視」と高等教育の「競争重視」という相矛盾する方向で進められていることも問題である。そのしわ寄せは大学入試に集中する。このため、ホリスティック入試の必要性を訴える者もいる。その場合の選抜の指標はアドミッションポリシーであろうが、そこには「主体性と協調性がある人物」「変化する現代社会における関心を持つ者」など非常に抽象的な項目が列挙されている。これでは受験生からすれば、大学入学に向けて何をどのように勉強すればよいのか不明瞭だ。
    従来の日本の一般入試のように、試験科目を明示し、受験生は大学入学偏差値を参考にしながら、目標に向かって反復学習に励む姿勢を涵養することも重要だろう。アメリカの中等教育以下の成績が振るわない一因には、入学基準の不明瞭さ(学習目標の設定しにくさ)にもあるかもしれない。また、アメリカのホリスティック入試は、国籍差別の批判に晒されずにWASPを優先入学させる制度となっているという研究結果もある。アメリカの制度が優れていると妄信するのは危険である。
    日本の入試では、新設される「大学入学希望者学力評価テスト」や「高等学校基礎学力テスト」において、どのように「努力」も評価される「具体的」な学習目標を設定させることができるかどうかが重要になってくるのではないだろうか。

  • 大学とは何なのか?どのようにして成立してきたのか?昔はどんなんだったのか?「学問の自由」「大学の自治」とはどういう意味なのか?日本で進行してる「大学改革」とは何なのか?今後どうなるのか?どうすべきなのか?大学関係者、特に国立大関係者なら知りたいこと、知っておくべきことが大変良くまとまっていてとても参考になります。やらされ感満載の現在の上(政府・財界)からの「大学改革」について単に愚痴を言ってすごすのではなく、批判するにしても同調するにしてもこれぐらいの知識を持っておく必要はあると感じました。断片的に見聞きしたり読んだりして知っていた情報も多いのですが、やはり総括され言語化されてまとまっているので頭の中が整理されます。ここで紹介されている事実を自分で調べてまとめ、起きていることの文脈、道筋を明らかにしていく労力は大変だと思う。こういう書籍を読むと、いわゆる文系の知性が重要であることを再認識させられます。「ゆとり教育」の本当の目的について、本書168~169ページに紹介されている、作家・三浦朱門さん(2002年の学習指導要領改訂に教育課程審議会会長として関わる)のインタビュー発言が非常に衝撃的で面白かった。衝撃的だけど非常に正直な発言で、分かりやすい。「できん者はできんままで結構。(中略)戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。(中略)それが「ゆとり教育」の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどくいっただけの話だ。」。たいていの政策な額面の説明は politically correct な説明なので目的が良く分からないのだが、良し悪しはおいておい、このような本音のところを語ってもらえると理解はできる。本書ではこのような現状のもと、大学はこれからどうあるべきかという著者の案も述べられています。すぐには実現できないかもしれないが、単に大学のみ変えることはできないので、人口減などいろいろと問題を抱える日本社会全体の対応としてゆっくりでも変えていく必要はあるでしょう。こうなるとやはり結局は政治の出番かもしれません。国民全体が主人公の政治という良い意味での。

  • ◆5/24 シンポジウム「自由に生きるための知性とはなにか?」と並行開催した「【立命館大学×丸善ジュンク堂書店】わたしをアップグレードする“教養知”発見フェア」でご紹介しました。
    http://www.ritsumei.ac.jp/liberalarts/symposium/
    本の詳細
    https://www.akashi.co.jp/book/b308606.html

  • ついに「病」認定。我が国を含めた世界の大学の歴史的成り立ちと社会との関わりを解き明かし、大学の使命を再確認する。読み応えあり。

  • ☆ふむ(著作)コピペと言われないレポートの書き方教室

  • 大学は民主主義社会を実現するために存在していると筆者はいう。そして、大学はそのための学びと対話の場であり、学生は「調べ,知り、考察し、話し合い、共有できる知識を作っていく」技法を学ぶのである。

    そういう哲学から、今日実施されている「大学改革」は全く間違っていることを、様々な角度から検証していく。日本における大学を議論する際の基本文献の一つだろう。

  •  世間で言われる大学改革は本当に意味があるのか。

     欧米と日本の大学の歴史にふれ、なぜ大学の学問の自由が保障されるべきなのかから始まり、選抜機能など大学(受験)教育以外の機能についてもふれ、そこからあるべき大学教育は何かを説いていく。
     これは就活とも重なるところだが、受験の競争が厳しく人々の人生が追われてしまうのは受験システムの問題というより社会保障などの社会システム全体の問題なのだと思う。競争がうまく行えればよくなるという考えは危ういと感じた。

      大学だけに留まらず教育、社会を考える上での必読書。

  • 東2法経図・開架 377.1A/Y24d//K

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著者プロフィール

1970年奈良県生まれ。徳島大学総合科学部教授。1999年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。2002年博士(文学)学位取得。専門はフランス近代哲学、科学哲学。主な著書に『コンディヤックの思想――哲学と科学のはざまで』『人間科学の哲学――自由と創造性はどこへいくのか』(以上、勁草書房)、『認知哲学――心と脳のエピステモロジー』『コピペと言われないレポートの書き方教室――3つのステップ』(以上、新曜社)、『ひとは生命をどのように理解してきたか』(講談社選書メチエ)、『人をつなぐ 対話の技術』『語源から哲学がわかる事典』(以上、日本実業出版社)、『「大学改革」という病――学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する』(明石書店)。翻訳書にコンディヤック『論理学――考える技術の初歩』(講談社学術文庫)。

「2022年 『「みんな違ってみんないい」のか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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