東アジアからみた「大化改新」 (555) (歴史文化ライブラリー 555)
- 吉川弘文館 (2022年8月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642059558
作品紹介・あらすじ
中大兄皇子・中臣鎌足のクーデターに始まる一連の政治改革「大化改新」は、東アジア世界のなかでどのように位置づけられるのか。膨張する隋唐帝国への対応を迫られた高句麗・百済・新羅の動向と比較し、改革の必然性を解明。皇極・孝徳期の外交政策、内部対立、「任那」問題、難波遷都をもとに、古代日本の一大画期を新たな視点から再検討する。
感想・レビュー・書評
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ライブラリイという性質からか、本人の思い出の逡巡があってか、内容をコンパクトにするとこの6割という感覚の読了。
同じ内容を表現と違え、何度も何度も繰り返し述べている。
おまけに圧縮すると「あとがきだけで完結する感じだった。
とは言え、かつて学校で学んだ大化の改新の概要が内外的に、しかも時期的な要素を加えて再検証してあることが面白い。
筆者の言う通り「ウクライナへのロシア侵攻」という今日的な状況を睨むと 我が国が考える対外的スタンスはづしても他岸の火事というニュアンスが強くなるのがやむを得ないと。強硬論は日清日露でもあった様な空論が他出、慎重論は絵空事の様に考えがちで「国境を接しない国同士のひりつく緊張」を捉えていないものとなってしまう。
敢えて屋上屋の展開を論じた理由がよく読める。大化の改新が生煮えの結果と終わり 氏族的枠組みからの脱却、前代的様相の解消とはならなかったのは 本土進攻の低い可能性 対外的脅威や緊迫が薄かったことが大きい。
孝徳期から乙巳の変 大化の改新と繋がるその時間 皇極期は改新前夜。唐の外交政策が西方の吐蕃政策の変化、東方の高句麗・百済・新羅に対する力点変容と相まって姿を変えて行ったことに関係している(640~670)
難波京、副都的な筑紫京の関係も表裏的・・更に難波京焼失後は筑紫京は饗応の役目に終始して行った様であった。その後の摂津京では外交・と交通の要としての役割を重視、孝徳期にかけ外交に特化した正確を備えて行くことに努め集住の地としての色合いが薄い(「調」のやり取りを軸とした礼的優位の維持に努め外交路線の分裂が伴ったこともあった。)
やはり、白村江から壬申の乱までの10年での「律令体制の危機感の高まり」を待たねば氏族的枠組みの解体からの脱却はかなわなかったと思える。 -
大化の改新を東アジア情勢から見る。隋唐帝国の成立や高句麗征討で東アジア諸政権への圧力が高まったことを背景とした改革と位置づける。
同時期、同じ圧力に直面した高句麗では蓋蘇文、百済では義慈王、新羅では金春秋がそれぞれ権力集中を進めた。大化の改新はこれら三国と比べると不十分で、白村江での大敗で一層の危機感を覚えてから律令体制への大きな変革に移ったとする。 -
女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000059117