- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784635500395
作品紹介・あらすじ
トイレが使えない!紙もない!いざという時、どう出す!?ノグソを始めて43年、ついに見えた命の真理。お尻で見る葉っぱ図鑑88種。
感想・レビュー・書評
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ガチで理にかなってて草
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元キノコ写真家によるノグソのススメ。お尻拭きに使える葉っぱの図鑑。思想と遺言。
フキノトウの語源がお尻拭きとは驚きと納得。
トイレットペーパーがない時代や場所では、葉っぱはその用途にも使用されて、そこでも四季を感じていたのだろう。
菌類を専門にされたことから、現代一般常識とは違った自然感を持たれ、自然との共生をより深い観点から説いてくれている。 -
「トイレが使えない!紙もない!いざという時、どう出す!?ノグソを始めて43年、ついに見えた命の真理。お尻で見る葉っぱ図鑑88種。」
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読みやすさ★★★★★
学べる★★★★★
紹介したい★★★★★
一気読み★★★★
読み返したい★★★★★
新年早々頭をガツンと殴られたようだ。アウトドア~サバイバルの分野を調べているときに、タイトルに惹かれて箸休め的に選んだ本。ところがどうだ。私の愛する、目から鱗系の洗脳を解いてくれる良書だった。常識を疑え系の本は今はもう常識なのだ。
本書では隅々にウ●コネタが散りばめられて、いちいちニヤッとしてしまうが、伝えたい内容は筋が通っており、理に敵っている。ウ●コを中心に思想と理念が一貫しており、野糞にかける情熱と行動は著者の言う通りもはやアスリート。私はこのような熱い変態が大好きだ。
著者も語っているが、メディアではコンプライアンス的に取り上げづらい(というか無理な)テーマだが、これぞ本質をついた地球環境問題の解決案のひとつだし、持続的な循環型社会への最適解なのだ。そうだ、みんな野糞をしよう!なんて勢いになる。
確かにトイレであれだけトイレットペーパーを使い、環境に良いわけがないのだ。昔、汲み取り業の知り合いが、トイレットペーパーは溶けないよ、と教えてくれたのを覚えている。
お尻を拭くのに適した葉っぱの図鑑も含まれており、そのこだわりや完成度の高さに唸ってしまう。本当に野糞を愛しているのだ。
知ってしまったのに信念のないダメな私は、実際すぐには野糞ライフを送ることはないだろう。が、トイレの度に水洗に対する罪悪感を今後は感じて行くと思う。ともあれ災害時のトイレに対する不安はなくなった。そのときは堂々と?野糞をしようと思う。
ところで一時期、子供学習用にうんこドリルが流行ったが、あれは無理やり過ぎて私はくどさを感じたが、そこには思想がない(ドリルだから当たり前だが)から仕方がない。
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「食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方」
執筆時点での連続野糞記録は13年と45日。
ウンコ原理主義者の信念に基づいた記録である。。
なぜ野糞にそんなにこだわるのか。
まず、人が何かを続けるとき、それが快感となることが前提である。
そのうえで、何故野糞がよいのかを検証すると、現代社会において人間は、他の生物の命を奪って食べるのに、その命を自然に返していない。
し尿処理施設で焼却処分されるからだ。
この、自然から逸脱したシステムへの疑問が信念となり、うんこ原理主義者としてのぐそに励む。
のぐそ...。個人的なハナシですが、年に2,3回、しますよ。
登山中とか、サイクリング中とか、割と躊躇せずしますよ。
作者の指摘通り、葉っぱによっては表面ツルツルで拭けない葉っぱがあるとのことも理解できますよ。
でも、都市生活で野糞することは全くないですよ。
都市生活と野外活動の線引きしますよ、俺は。
全日本人が野糞に励むべしという作者の主張は、あっいや、俺は結構です。
たまにならしますけどね。
それよりも、本書で学ぶべきは災害時のトイレ問題についてどうするかということ。
災害に備えて携帯用トイレを人口分用意するのは不可能だ。
下水処理が長期間にわたって止まることもある。
そういったときに、小さいながらも植物が育つ林の重要性には気が付かされた。
都会のオアシス、ちょっとした緑。
そんなところが災害時のトイレにするというアイデアは必要かもしれない。 -
なかなか真似できないけど、伊沢さんの話好き。
まずは近所にどんな葉っぱがありそうか、パトロールから。 -
いやー、久しぶりに強烈な本でした。
honzで紹介されており、タイトルが気に入って(?)すぐ手に取りました。
キワモノかと思いきや、深淵なる糞土思想が展開され、明日から自分もノグソするか?みたいな気持ちにさせられました。
いや、しないけど。でも一本筋の通った主張というか、生き様に脱帽です。 -
ふむ
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野糞のやり方だけでない、壮大なスケールの自然観まで。とても面白く何度も爆笑しました。電車の中で読まないこと。色々な意味で。