もうダメかも――死ぬ確率の統計学

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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622088882

作品紹介・あらすじ

スカイダイビングから彗星衝突まで、あらゆる死の確率を「マイクロモート」という概念で分析。三人の登場人物の物語で描くリスク大全。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    2012年に関越道高速バスの居眠り運転事故があったとき、知り合いがスキーツアーをキャンセルした。彼は「バスでは行きたくない。電車なら考えた」と言っていた。
    バスでも電車でも事故に合う確率なんてそんなに変わらないだろう、と内心呆れたが、確かに、自動車の事故のほうが鉄道の事故よりも圧倒的に確率が高い。といっても、その確率の差を深刻に受け止めるなら、車通勤をしている人は毎日自殺行為をしているのと同じになってしまうのだが。

    本書では、そうした「日常に潜むリスク」によって命を落とす確率をたくさん紹介している。
    リスクはシチュエーションによって変化が大きいため、これを固定化するべくMM(マイクロモート)という単位が本書では使われている。これは「死亡確率100万分の1」という意味だ。何故100万分の1なのかというと、100万人に1人が毎日外因によって命を落としているからだ。つまり、1MM=1日当たりの死亡リスクということである。

    例えば、自動車による事故なら年平均で約31MM、鉄道による事故は約1MM、スキー中の死亡事故は約0.5MMだ。(リスクの確率は環境によってまちまちであるため、イギリスの道路と鉄道網における確率に均している。道路が全く整備されておらず鉄道が過密な途上国では、当然確率は跳ね上がる)

    高速バスに乗ってスキーに行くことは、休日の過ごし方としては確かにリスクあふれるものなのかもしれない。

    しかし、われわれはMMをどのぐらい深刻に受け止めるべきなのだろうか?取り返しのつかない結果を避けるためMMに敏感であるべきなのか、それともただのくじ引きと割り切って、命をもっと粗末に扱うべきなのだろうか?

    そうした「死のリスクとの向き合いかた」という問題に対して、筆者はMMを真っ当なものとして捉えるのではなく、競馬の「賭けオッズ」のようなものとして考えるべき、という知恵を授けている。どういうことか。

    結局のところ、リスクをMMという単位に集約したとて、あらゆる事故の事象を同様の確率に平均化することなどできない。事故や事件の裏側には物語が潜んでおり、害を被る人は一定ではない。たとえ「40代男性の100人に30人が生活習慣病にかかる」と言われたところで、あなたは他の100人と一緒ではなく、生活習慣病にかかるまでの物語も違う。

    そして、物語が違うということは、リスクテイキングも異なってくる。
    可能性の低いリスクを執拗に怖がる人もいれば、それをあくまで誤差だと言い張って、リスク回避的な人を軽蔑する人もいる。しかし、いくら100万分の1と言ったって「1」は存在するし、「1」の避け方をできるだけ自分で決めたい人も大勢いる。

    本書が幾分ドラマ仕立てで死のリスクを語っているのも、まさにこの「物語性」が理由である。死ぬ危険性をただの統計データと捉えるだけでは、人の行動を効果的に説明できない。事故を事象と捉える以上のきっかけがなければ、そもそも人は死に恐怖することなど無いのだから。

    「人は、自分が危険についてどういう尺度で物事を測るかのこだわりを持っている。そして、人それぞれが人生に求めている物事を考えると、危険に際した選択でその人が『実際に間違っている』など証明する術などない」
    「客観的な数字を主観的な見方と切り離すことはできない」

    筆者はこうした考えのうえで、MMを「競馬の『賭けオッズ』」と言っているのだ。競馬では明らかに損をするような高額馬券を買い続けるファンがいる。しかし、それは確率の世界を知らないのではなく、知ったうえで自らの趣向のもと選択している。
    身体に悪いことや命が危ないことであっても、同じように考えるべきなのかもしれない。
    確率を生真面目に受け止めてがんじがらめになるよりも、こうして緩く構えておいたほうが、ずっと生きやすくなるのは確かだろう。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    【メモ】
    ・数字は確率を与えるが、往々にして確率は物事から物事への因果関係を厳密に把握しているとは主張せず、すべてを足し合わせて生と死の合計を示すだけである。

    ・危険というものの大きななぞは、何千万の人間が危険にさらされ、それぞれの事件の裏にはバラバラの物語があるのに、数字は比較的安定していることだ。がんにかかる人の割合がほぼ変わらず人口の3分の1であるように。

    ・本書で使う単語
    MM(マイクロモート)→死亡確率100万分の1。100万人に1人が毎日外因によって命を落とすため、1日のリスク=1MMと表す。

    ・MMの例
    スカイダイビング=10MM
    全身麻酔=10MM
    マラソン=7MM
    自転車走行40km=1MM

    ・乳幼児
    1歳になるまでの赤ちゃんが直面している全世界の平均リスクは4万マイクロモート。もちろん国によって違いはあるが、たいてい、人は生まれてから最初の誕生日を迎える前の間が一番危険にさらされている。そして、人の一生で一番安全なのは7歳のときだ。

    ・暴力
    年間他殺率は、1歳未満の子供が「年間」で26MM。そこからぐっと減り、10-14歳では年間3MMほどだ。

    ・事故
    交通事故に起因する年齢別年間MM値は、14歳以下で2MM程度、その他の年齢層で平均6MM程度だ。
    これが「事故」になると、平均で子ども1人当たり年18MMになる。溺死や走行中の死より偶発的な窒息死のほうが多かった。

    ・認知バイアスや推論の不首尾を理由に人間を責めるのが最近流行って来たが、思うに、危険を巡って不合理と言いたくなる事例の大半は、実は情報のフレーミングのせい、あるいは判断が本当に複雑だったせいであり、推論はたいてい合理的だ。
    人は、自分が危険についてどういう尺度で物事を測るかのこだわりを持っている。そして、人それぞれが人生に求めている物事を考えると、危険に際した選択でその人が「実際に間違っている」など証明する術などない。

    ・世間でリスクと呼ばれている尺度は個人の価値観や各自のフレーミングの問題に違いないのだ。言い換えれば、客観的な数字を主観的な見方と切り離すことはできないのである。

    ・確率とは本来「同様に確からしい事象」の期待値であるが、事故で命を落とす確率、がんのリスクなどは、そうした外界の性質ではなく、必然的に人の判断である。つまり、独立した客観的な確率というものは存在しないのだ。そして、MMというのは、確率という真っ当な概念などではなく、競馬の「賭けオッズ」のようなものだ。

    ・たとえば、「心臓発作の確率12%」は一般に、「あなたのような男性100人のうち12人が、10年以内に心臓発作または脳卒中になると予想される」という具合に伝えられる。だが、あなたのような男性が100人いるわけではないし、あの確率はあなたの確率ではない。もう少し説得力のありそうな例えとして、「今後10年であなたに起こりうる100とおりの成り行きのうち12とおりで、あなたは心臓発作か脳卒中になるだろう」というのはどうだろう?

  •  様々な確率やリスクに接する際、我々が決まって陥る混乱──結局、この数字は一体我々にとって何を表しているのか──の正体とは何か、そしてそれはなぜ生じるのか。この謎に、人生の様々なライフステージにおけるイベントを題材として迫る本。ベイズ統計学を専門とするケンブリッジ大学教授と数学に関する著書のあるジャーナリストの共著である。彼らによれば、我々のリスク=確率をめぐる混乱とは、リスクが表明するドライな「数字」と、その出来事を経験することになる人々が紡ぐウェットな「物語」という、2つの全く異なるアスペクトが「確率」という概念の中に同居していることにあるという。本書の目指すのは、これら2つの側面を同時に扱いながらこの混乱を解きほぐして行こうというもの。その上で著者らは「人にとって確率は存在しない」と嘯く。一体どういうことなのか?

     本書で扱われるリスクイベントは幼児誘拐や交通事故、オーバードーズ、ベースジャンプや隕石衝突まで多岐に亘るが、これらを同一平面上で比較するのは直感的には殆ど不可能である。そこで各イベントのリスクを測るゲージとして導入されるのが「マイクロモート(MM)」「マイクロライフ(ML)」という単位であり、これが本書全般の中核をなす著者ら独自のアイディアとなっている。MMとは外因による急性リスクによる死亡確率100万分の1のことで、平均的イギリス人が1日に突発的な致死性イベントで死ぬ確率にほぼ等しい。たとえば1MMはサイクリング45kmで生ずる死亡率だが、鉄道で同じリスクを実現するには12,000kmを要する。MLはその慢性リスクバージョンであり、平均的イギリス成人の平均余命の1/100万を指し、時間にして概ね30分程度。タバコ1本の喫煙は0.5MLを消費、つまり統計上15分だけ余命が短くなる。ハンバーガー1個は1MLだ。こうして異なるリスクファクターの比較を行いながら、隠された人間の諸リスクに対する不合理な態度を炙り出してゆく。

     ・「顕現性」。子供の事故は比較的確率の低い事象だが、よりありふれた他の事象よりも大きな評価値が割り振られがちだ。その為子供の危険な遊びを必要以上に忌避してしまい、かえってリスクへの対処法を学ぶ機会を奪っているという。
     ・「確率」と「成り行き」。たとえば100万分の1という確率は、いざ我が身に起こってしまえばもはや固有の経験(成り行き)としての評価を受けるため、もはや意味をなさない。
    ・「バイアスのかかった同化」。新たな情報に接した場合、人々は各自の信条や直感に合う事実のみを取捨選択する為、元来の信条を強める結果となりがちである。リスク評価の一部は信条により行われ、リスクそのものに対する評価とは乖離する。ポリティカルグループごとに環境リスクに対する割引率は異なるのだ。
    ・「感情ヒューリスティック」。出産に関するリスクは、その後に得られる利益(子供の獲得)に対する期待が大きい場合、自分だけでなく他の誰にとっても小さいと見積もられる。
    ・「リスクホメオタシス(リスク補償)」。自動車装備の性能が上がりリスクが変動すると、リスク水準を以前と同じに保とうとしてかえってリスクテイクをするようになる。
    ・「エッジワーク」。高等で難易度の高いスキルを用いることで、過剰社会から逃避し自己決定性を取り戻そうとする心性。ベースジャンプ等のエクストリーム・スポーツの本来相当に高いリスクは、自ら選ぶという自己決定のステップを踏んでいる為、たとえば疫病や放射能などの逃れられない「不本意な」リスクに比べて過小評価される。いわば主観と客観のズレがスリルを増幅させている。
    ・「健常労働者効果」。炭鉱などの本来高リスクであるべき業種は、そもそも通常より頑健な成人により担われることが多い為、統計上リスクは低位に算出される。

     本書で扱われるトピックはまだまだあるが、通底するテーマはせめぎ合う「確率」と「物語」の間で翻弄される人間の姿だ。「確率」は時に冷徹に人間的感情を削ぎ落とすが、「物語」は逆に余計な不合理を増幅して判断を誤らせる。しかし著者らはさらに歩を進め、なんと確率の客観性を否定する。「あなたに〇〇が起こる確率△△%」とは、あなたと同じバックグラウンドの人100人がいた場合、△△人に〇〇が起こる」という意味であり、あなたの「習性」を客観的に直接描写するものではない。むしろ確率とは、特定の分野の特定の文脈において合理的に見積もられた「賭けオッズ」に過ぎないというのである。この数々のオッズにどのようなウエイトづけを行うかはあなた次第、というわけだ。いわば構成主義的に確率を捉えた考え方であり、MMやMLのアイディアよりもここが本書の最もオリジナリティの高い部分だと思う。

     全般的に、ストレートで簡潔な表現とは程遠いイギリス人特有のアイロニックな文体のため、少なからず読み辛さを感じたのが残念。これでもかと言わんばかりの物量の統計ネタの連打を、この文章で繰り出されては受け止めるのに骨が折れた。もう少し気軽に読みたかったのだが。

  • タイトルよりも、副題の「死ぬ確率の統計学」の方がわかりやすいかもしれない。
    本書は人が生まれてから死ぬまでの間に出くわす死亡リスクについて考察するもの。統計的な事実と3人のモデル(ノーム、プルーデンス、ケビン)の人生を重ね合わせて、ストーリー仕立てで、ちょっとユーモラスに、いささかシニカルに概観していく。

    原題の"The Norm Chronicles"は、モデルの1人のノーム(Norm)の名と、普通名詞としての標準的な状況(norm)を重ねたもの。つまりは、「(ノームに代表されるような)一般的な人の人生のあれこれ」というところだろうか。
    章ごとに、人生の途上で出会うさまざまな出来事が考察されるわけだが、乳児期、自己、薬物、出産、交通機関、安全衛生、ライフスタイル、手術、老後のお金、とまぁ生きていればいろんなことがあるわけである。

    本書前半では、マイクロモートと呼ばれる基準が随所に出てくる(提唱者は著者らではない)。マイクロは100万分の1、モート(mort)は死の意で、死亡確率100万分の1を指す。
    生きていれば危険はつきものだけれど、死ぬほどのことはそう多くはない。イングランド/ウェールズ(*著者はイギリス人)では、事故や事件で亡くなる人は毎日50人ほどだという。この地域の人口は合わせて5000万程度なので、つまり100万人に1人が劇的な出来事で命を落とすことになる。これを1マイクロモートと呼ぶ。普通の暮らしをしていて不慮の死を遂げる確率はこれくらいですよ、ということだ。これがもうちょっと危ないこと、例えばスキューバダイビングをするとか、全身麻酔を受けるとかになると、確率は10マイクロモートに上がる。こうして危険を換算すると、急性のリスクを比較することが可能になるわけである(まぁざっくりと、だけど)。

    本書の中で、著者らはもう1つの基準、マイクロライフも提唱している。こちらは成人の人生を100万等分した1個の単位のことで、概ね30分間に当たる。これは何の役に立つかというと慢性リスクを考えるのにちょうどよいのだという。単純にぼんやりと時間を過ごすだけでもマイクロライフは減っていくわけだが、不健康な生活をしていればその分、マイクロライフもどんどんと減っていく。たばこ2本で1マイクロライフ減り、ウェストが2.5センチ太くなるごとに1マイクロライフ減る。ハンバーガー1個で1マイクロライフ、度数が高いビール1リットルで1マイクロライフ。
    1個のハンバーガーで死ぬことはめったにないけれど、積み重なれば寿命は短くなっていく、というお話。

    さらりと読んで、ふぅん、そうかというところだが。独特のシニカルな語り口は何となくイギリスっぽい感じがする。
    イギリスはコホート研究(cf.『ライフ・プロジェクト』)みたいなものも盛んなようで、統計的に物事を見る地盤のようなものがあるのかもしれない。

  • めちゃくちゃにわかりづらい。英国なのも拍車をかける。

  • 人はどんな時に、どれぐらいの確率で死ぬのか。統計の数字と具体的なありそうなストーリー(もしくはありえなさそうな荒唐無稽なストーリー)とで、人が死ぬリスクを洗い出していく。

    マイクロモート(死亡確率100万分の1、平均的な1日のリスク=1マイクロモート)、マイクロライフ(人生の100万分の1、1マイクロライフ=30分)というリスクの単位で比較するという考え方は、斬新でわかりやすいと感じた。「バイクに乗って死ぬ確率」と「出産で死ぬ確率」と「小惑星衝突で死ぬ確率」が比較できるのすごい。

    統計学の本は好きなほうなんだけれども、本書は読みづらく感じた。イギリス国内の話が多く、事例にピンとこないからかもしれない。事例に登場する男性ノームは、日本語でいえば、ふつふつお(普通男)みたいなことなんだろうけれども、そのあたりのイギリス的おもしろさと皮肉加減が翻訳だとよくわからず、ちょっと残念。

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  • ふむ

  • 文体が眠たくなるが、中身は面白い。
    100万分の1の確率をマイクロモートと定義して、イギリスで一日の間に平均して死亡する確率と同じとする。また30分寿命が縮む確率をマイクロライフと定義し、アルコール一杯目は1マイクロライフ寿命が増加、2杯目以降は0.5マイクロライフ寿命が縮むそうな。このような新単位系を導入することで、様々なリスクの横並びを比較することが可能になる。出産のリスクは120マイクロモート、スキューバダイビングのリスクは5マイクロモート、アフガニスタン駐留は1日当たり47マイクロモート。
    これらのリスクを理解する人の心は不安定?で、リスクを400分の1ととるか安全は400分の399ととるかで態度が変わる。また、同じような人が400人いたら死ぬのが1人として、同じような人って誰?の定義が難しい。「確率はまっとうな概念に見えて、直感的に難しくてややこしいもの」であり、「伝える側が、伝えようとしている内容を、本当はよくわかっていない、確率とは混乱そのもの」であるというのが結論である。もしも?とそれがどうした!の2面的解釈を個別事例毎に使い分けることが確率を御するコツのようである。

  • 主に死亡やその他の災難の原因別の確率についての種種雑多な記述。おもしろいが、この和文タイトルは、ミスリーディング。原タイトルは、The Norm Chronicles (ノーム(登場人物の名前、標準という単語のダジャレ)の歴史)。うーん、直訳は、売り物にならないな。
    ちょっと前まで、出産時の死亡率は、家庭内のほうが病院より低かったんだね。原因は院内感染。現在も医療関係者が院内感染に神経を使う理由がよく分かる。

  • 生まれてから死ぬまでの統計による確率が延々と続く。ここまで長いと読むほうもつらい

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。BBC Radio 4 のブロードキャスターでもある。英文学出身だが、数学について学び、共著にThe Tiger That Isn’t (Profile Books, 2008); The Numbers Game (Gotham, 2008); The Norm Chronicles (Profile Books, 2013) 〔『もうダメかも』松井信彦訳、みすず書房〕、著書にThe Hidden Half (Atlantic Books, 2019) がある。苦手なリスクは、アイススケート、狭い空間、高所、遊園地のアトラクション。

「2020年 『もうダメかも 死ぬ確率の統計学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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