Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち
- みすず書房 (2018年9月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622087007
作品紹介・あらすじ
村上春樹は、今や世界で最も広く読まれている日本人小説家である。
50か国以上に翻訳され、各国でベストセラーになり、国際的な文学賞も数多く受賞している。
この圧倒的な成功の裏には、編集者、翻訳家、エージェント、書店員…などの
「一冊の本を世に出すこと」に情熱を傾ける出版のプロフェッショナルたちがいた。
国際出版市場の〈ハブ〉として機能する英語圏(特にニューヨーク)で徐々にポジションを確立し、
さらに世界の読者と繋がっていった一人の世界的作家Haruki Murakamiができるまでの過程を、
英訳に様々な形で携わってきた個性あふれる人物たちとの対話、そして村上本人へのインタビューを軸に描き出す。
感想・レビュー・書評
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はるきには関心がないのだが、『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』で吉田恭子さんがこの本を紹介されていて、アメリカの出版事情をのぞけそう!と期待して手に取った。そしたら、期待以上に面白かった。(なお、関心はないと書いたが、大学の頃から20代にかけては最も好きな作家のひとりとして愛読していたため、出てくる本は全部読んでいる)
興味深かったこと
*最もビックリしたのは、バーンバウム訳もルービン訳も、アメリカの読者のリーダビリティを優先してかなり大胆な編集・削除(章単位の省略とか)がおこなわれていたこと。たとえば『羊』の場合は、新しい日本人作家として紹介するため同時代性を強調したかったから、時代設定が70年代であることを示す箇所は徹底的に削除された。章題から年号を取り、三島の自決でさえ、ある年の11月25日とされている。なんとなくはるきはそういうことにうるさそうなイメージだったのだが、後年訊くと「そうだったっけ?」と意に介していない様子だったとか(←著者はインタビューやメールで丁寧に関係者の話を聞いており、各人のコメントが適宜盛り込まれる。みんな率直に語っていると見せかけて、あまり覚えてないとか言ってみたり、たまに微妙にごまかしてる?感じもあり、面白い!)で、カクンとなった。また、これは『ねじまき鳥』の編集に関してだけど、移籍したばかりだったからクノップフに強く出ないでおいた、とか、はるきのビジネスパーソンとしてのわりと割り切った一面がのぞけるのも興味深かった。
*『羊』も上記のように戦略的編集がおこなわれたわけだが、『ねじまき鳥』の場合は、翻訳された時期が終戦から50年の節目だったこともあり、「第二次世界大戦の責任に向き合う作品」という印象をアメリカの読者に植え付ける広告戦略がとられたみたい。なるほどなあ!
*欧米の編集者や書評家たちにはるきの小説がどう受け入れられていったのかを読んでいると、記憶の彼方から、かつて自分がはるきのどこに夢中になったのかがザバーンと波のようによみがえってきて、懐かしい自分に会えたみたい。
*初代訳者のバーンバウムが『ねじまき鳥』以降翻訳をはずれることになったあたりは、なんともいえないほろ苦展開で、へたな小説より胸がはりさけた。むろん、はるきを初めて英訳し、アメリカに紹介した功績は大きく、その事実は決して消えないし、本人も誇りに思っているだろうけど、悔しかったよね、アルフレッド。ほんとはちょっと休憩するだけのつもりだったんだろうに…。いや、この本でこういう揺さぶられ方するとはちょっと予想してなかったですよね。
*バーンバウムとタッグを組んだ、中国系アメリカ人の編集者エルマー・ルークさんの人となりもなんか良かったなあ。野心家で敏腕だけどどこか慎みがあって、でもその慎みって、出版業界にアジア系であるがゆえの壁があったというから、そういうのとも関係あるのかなと思うと、ちょっとせつない。
最後のほう、『ねじまき鳥』のあたりからやや駆け足になってきて、あとがきも(内輪の)謝辞みたいで、そこだけちょっと物足りなかったけど、いろんな意味で読めて良かったです。
編纂の過程が紹介される英語圏オリジナルの短篇集『象の消滅』も読んでみたくなったけれど、個人的にほとんど逆恨みに近い八つ当たりで卒業した対はるきの落とし前をつけるため、ここいらでやはり長編の再読をするべきか。だとしたら、いちばん思い入れのある『ハードボイルドワンダーランド』か、どうやら最重要作だったらしい『ねじまき鳥』かなあ。 -
苦痛も緊張もない郊外での生から異世界への切り口を開いていく小説として海外でも読まれている。
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村上春樹が世界でどのように紹介されて売れていったかが分かった。これまでは作品が良ければ自然と世界でも読まれていくのだろうと漠然と思っていたが、特に翻訳小説で成功を収めるには実は一人の作家に対して翻訳者や編集者などのたくさんの人たちが様々な思いで関わって、そしていろいろな偶然(必然?)が重なっていることが背景にあるようだ。これから翻訳小説を読むときには、翻訳者などにも注目していきたいと思った。
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宮下 志朗(仏文学者・放送大客員教授)の2018年の3冊。
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日本の現代文学において、最も海外で読まれている作家は村上春樹を置いて他にない。本書はなぜ彼の作品がここまで海外で受け入れられたのかという点について、彼の英語圏での出版を手助けした翻訳家・編集者・出版エージェントといった文学の”裏方”の人間たちにスポットを当てることで解を出した労作である。
こうした”裏方”については、村上春樹本人が、アメリカで翻訳された短編作品だけを収める形で半ば逆輸入的に日本で出版された『象の消滅 村上春樹 短編選集1980-1991』の序文で本人の口から細かく語られている。その中では英語圏の出版業界の比類なきプロフェッショナリズムが、大いなる賛辞と共に示されているが、その内実がどのようなものかは正直不明なところも多かった。本書ではそのプロフェッショナリズム、そして何よりも文学に対する愛情に、文学を愛する一人の読者として心を揺さぶられた。
特に、海外での出版にあたり最も重要となる翻訳者については、本書でもかなりのページ数が割かれている。村上春樹の英語翻訳については、彼が贔屓にしている数名の特定の翻訳家がいるが、その一人、アルフレッド・バーンバウムは初期の傑作『羊を巡る冒険』の翻訳にあたり、特徴的な登場人物である羊男のセリフ「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない」を以下のように翻訳したという。
「Yougottadance.Aslongasthemusicplays.Yougottadance.Don`teventhinkwhy」(本書P262より)
バーンバウム曰く、訳文を何度も読み返す中で聞こえてきたのがこのボイスであるとのことだが、『羊を巡る冒険』の読者であれば、羊男の饒舌なボイスとそのリズムを表すのに、この字続きの表現が適切だということを同感されるのではないだろうか。
村上春樹のファンはもちろん、英語圏における文学や出版というものの実態を知りたい人にとって非常にお勧めできる一冊。 -
村上『走ることについて語るときに僕の語ること』(そもそもこれもカーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』を模しているわけだけれど)を模すタイトルが差すように、私たちが村上春樹を読むときは、実は村上だけでなく編集者翻訳者エージェントなどなどの関わった人々の解釈と情熱をも読んでいる。
1つの作品が英語圏に出て読まれて評価されて売れるためには、作家の力もさることながら、それ以上に、関わる多くの人の力があることをまざまざと思い知らされる。
インタビューや年代を追う記述も多く、丁寧に取材したんだなあと思う反面、若干盛り込み過ぎの気も。 -
良書。素晴らしい。筆者の丁寧な仕事ぶりに好感がもてるとともに、この主題でちゃんと読み物になっていて退屈もしないし面白い。
海外でも村上春樹は人気で、ノーベル賞候補になっているとなんとなく思っていただけで、翻訳者を中心に関係者のインタビューやエピソードを通じて知らなかったことを知れた本。
翻訳のみならず、"本づくり"を感じ取れた。 -
バーンバウム、村上春樹を発見する 1984‐1988
村上春樹、アメリカへ―Haruki Murakamiの英語圏進出を支えた名コンビ 1989‐1990
新たな拠点、新たなチャレンジ 1991‐1992
オールアメリカンな体制作りへ 1992‐1994
『ねじまき鳥』、世界へ羽ばたく 1993‐1998
著者紹介
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「羊」から70年代を払拭、って今すっごく驚いています。確かに、村上さんていろいろうるさそうなイメージだけど、昔のことはよく覚えてなかったり、ビジネスマン的に割り切りそう、ってすごくわかる気もします。
この本読んだら、わたしも長編を読み返したりしてみたくなるかしら。村上さんへの関心のなさが、われながらどうしたんだろうって思ってたんだけど。