クレーの日記

制作 : ヴォルフガング・ケルステン 
  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622086611

作品紹介・あらすじ

「色彩は私を永遠に捉えた、私にはそれがわかる。この至福の時が意味するのは、私と色彩はひとつだということ。私は、画家だということ」(チュニジア旅行、1914年4月16日)
画家パウル・クレー(1879-1940)は文章を書くのも好きで、自己省察のために日記をつけていた。画家の死後、遺された四冊のノートは息子フェリックスによって編集され、『クレーの日記』(1956)として刊行された。
クレー研究が進むにつれ明らかになってきた「フェリックス版」の問題点を、第一線の研究者が詳細に再検討して校訂、再編集したのがこの新版である。生い立ち、影響関係、交友関係、絵画技法への取り組み、育児、軍隊生活…画家となるまでの道のりでやきついた原体験が映し出されている。
切ったり、貼ったり、押したり…、まるで作品をつくるように丹念に書き継がれた、いわばクレーの自叙伝ともいえる日記を、手稿図版を織り交ぜ、新しい日本語でお届けする。
『新版 クレーの日記』(2009年3月25日発行)を装い新たに、葛西薫のブックデザインにより新装復刊。美術を愛する人へ贈る。ビニールクロス装・函入。

著者プロフィール

20世紀を代表する画家の一人。1879年、ドイツ人音楽教師を父に、スイス人声楽家を母にベルン(スイス)近郊に生まれる。高等学校卒業と同時にミュンヒェンに出て画塾に通うが3年後ベルンに戻り、独学の道を選ぶ。1906年、ピアニストのリリー・シュトゥンプフとの結婚を機にふたたびミュンヒェンに赴く。長い無名時代を経て、1920年、総合造形学校バウハウスから招聘される。ヴァイマール、デッサウの同校で教鞭をとった後、1931年にはデュッセルドルフ美術学校に籍を移すが、2年後、ナチスの弾圧を受けてベルンに亡命。皮膚硬化症を患いながらも制作意欲を失うことなく、その後も数多くの作品を残した。1940年、南スイス・テッシン州の療養院で60年の生涯を閉じた。

「2018年 『クレーの日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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