- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622080909
作品紹介・あらすじ
人は思い出されているかぎり、死なないのだ。思い出すとは、呼び戻すこと。精緻な文章で、忘れえぬ印象を残す、名作13篇を収めるベストオブ・ヤマダミノル。
感想・レビュー・書評
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『私は想像する。ライクロフトとほぼ同じ年齢にたっしたころ、あるときーーそれは夜中にふと目ざめ、ふたたび寝つかれなくなった暗闇のなかで、あるいは久しぶりに家族そろっての夕食の席で、要するに、とくにどうというほどのこともない機会にーーふと、私もまた「自分の人生は終わった」と、こころの片隅でひそかに呟いたのではないか』-『ヘンリ・ライクロフト』
枯れるために必要なこと。それが必ずしも老いではないと作家は思っている。本当にそうなのだろうか、と老いの入り口の見えてきた自分は思う。枯れる、という言葉の意味することにも因るだろうけれど。それが主に、達観、という境地を指しての言葉であれば、確かにそうだろうと肯くこともできる。しかし、その言い換えから立ち上がるイメージからは、白砂を敷き詰めた手入れの行き届いた庭に置かれた存在感のある庭石が思い起こされ、枯れるというこうべを垂れたようなイメージと逆に、むしろ何か高みから半眼で見据えるような趣きがある。自分の中では、枯れることの本質は、むしろ敷き詰められた落ち葉の中に紛れてゆくような、言ってみれば、私、というものの輪郭がぼやけてゆくような印象があり、身体の中に湛えた水分が外にこぼれる位の瑞々しさのただ中にいる者が、やはり枯れるということはないのだろう、と思うのだ。
更に言えば、たとえ表面から水分が失われ老いが全身を「覆う」ように見えたとしても、それが枯れたことの十分条件ではない、とも思う。枯れることの本質はむしろ「芯」にある。樹齢を重ねた大木の表面がいかに朽ちていようとも、根の吸い上げた水分が芯を流れている限り枯れたことにはならない。それが新しい芽吹きを生み次の時間を生きる力となる。それは生まれ変わり続ける力があること、変化することによって枯れることを拒絶する力が存在していること、と捉えることもできる。
変化。詰まるところそれこそが老いと枯れを決定的に分ける言葉であるのだろう。「自分の人生は終わった」と呟くものが、明日への変化を期待しない心情を吐露しているだけなのであれば、それは枯れることへの願望を口にしているだけであるように、自分には思えてしまう。
別れの手続きとは何か。それは死後の自分の存在を固定化するために準備することなのか、それとも生前の自分の存在の痕跡を上手に掃き清めてしまおうとすることなのか。作家は、それを前者であると捉えているような気がしてならない。であればそれは、老いて尚盛ん、とこそ評される心境であって、懐古趣味もまた明日の自分を如何にこの世に立ち上がらせようかとする心情とも見えてくる。枯れた趣味の最たるものであろう盆栽が、何故「枯れた」と称されるかということを考えてみると、そこに「無私」という心境があってのことなのでは、と思うのである。
明日への変化を期待しない。その期待が現実のものとなる為には今日を昨日と同じように生きるしかない。自分の見て来たもの、感じてきたも、それらを如何に自分自身から切り離してしまうか。そうして残された自分自身から全ての水分が失われた時、上手に何も残さずに枯葉の中に紛れ込むことができるか。そんなことを考えられるようになるためには、やはり老いるという条件が満たされる必要があるのではないだろうか。そんなことをぼんやりと考えてみる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
軽妙洒脱で上品なエッセイ集、特に秀逸は本の題名となっている”別れの手続き”では著者と同業の某作家が病気入院中に世話をする妹と交わす一言一言やビールを飲みながらの会話、一時帰宅中に友人や家族に対しての何気ない言葉等は末期患者で己の人生や妹・友人との今生の別れをさらりと語り湿っぽくなく淡々と残りすくない日々を送る本人と妹の距離感や気遣いが素敵です。
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文学
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こういう交友て良いよね、と羨ましくなった。
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アナル?アナール?(苦笑)。解説が堀江敏幸さんだったからおもわず手にとってしまったのと、久しぶりに目にした、フランスの歴史研究グループ「アナール学派」のことでも書いてあるのだろう、という見込み違いから最初から苦笑するしかなく。でも、最後まで、心暖まる、ああ、なんて個性的な、良い文章を読んだ、という気持ちに満たされた。
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アナル?アナール?(苦笑)。解説が堀江敏幸さんだったからおもわず手にとってしまったのと、久しぶりに目にした、フランスの歴史研究グループ「アナール学派」のことでも書いてあるのだろう、という見込み違いから最初から苦笑するしかなく。でも、最後まで、心暖まる、ああ、なんて個性的な、良い文章を読んだ、という気持ちに満たされた。
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「みすず書房」の「大人の本棚」シリーズに新しく加えられた山田稔さんの散文集だが、これを手に取ったのは、堀江敏幸さんが書かれたあとがきに惹かれたからだ。
独特の個性を発揮する山田さんの文章を、「ひとつの文学ジャンル」であると位置づけて解説するその視点の温かさと的確さに、まったく系統は異なるものの、同じ仏文学を専攻した異形の先輩への素直な敬意がうかがえる。
実は、初めてお目にかかる作家だなと思っていたのだが、この本の目次を繰りながら「ロジェ・グルニエ」の名が目に入った。そこで、にわかに記憶がよみがえり、何冊か堀江さんの著作の記述にガイドされて読んだことのある、ロジェ・グルニエ作品の翻訳者であることを思い出したのだった。何という奇遇かと思ったのだが何のことはない、どちらも堀江さんを介在しての出会いということになる。
さて、集められた散文集は、一見俗に見えるもののその実、粋で洒脱でさらに品があるという変わった味わいのものばかり。
冒頭に置かれた「ヴォワ・アナール」などは、糞尿譚作家としてデビューしたという山田さんの個性が際立った読み物となっている。フランス語力のなさを恥じながら、自分のおかれた状況をいっぺんに逆転して見せる機転と、それを写し取る筆の冴えが見事な味わい。あとがきの中で、堀江さんが敬意を表しながら、山田さんを評して「アナル学派」と揶揄する気持ちが良く分かる。