GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622079118

作品紹介・あらすじ

GDPは経済状態を正確に反映しているのか。何を、どうすることで導き出されているのか。その利点と限界を的確に理解するための必読書。

感想・レビュー・書評

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  • 近代経済小史を通じて、国民経済計算の変遷とこれからの課題についてコンパクトにまとめられた本です(本編は147ページ)。

    国民経済計算は、戦争に当たって戦費がどれだけ調達できるかを把握するために18世紀に具体的な取り組みが始められてきたが、大恐慌におけるケインジアンの財政介入以来必要不可欠なツールとなり、1942年にアメリカでGNPが計算され、以来GDPは経済政策や途上国への援助にあたってのベンチマークとして今日まで用いられている。一方で、経済の変化や複雑化(最も大きな原因は経済が物質的なものから形の無いものにウェイトを移してきていること)、持続可能性(環境や自然資源)に鑑み、GDPのあり方は常に変化を迫られている。その上で、著者の意見は、GDPは福祉指標や真の進歩指標といったものに取って変えられるものではなく、両者は全く別のものであり、GDPは依然として最も力がありかつ不完全な経済指標であり、改善の余地があるものであるとしている(福祉指標のようなものは、それはそれで意義があるので、「ダッシュボード」にGDPとともに並べられる使い方が最も有りうるだろう)。

    そもそも、GDPは経済の様子を知るために恣意的に作り出された指標であり、経済の様子そのものではないことに気を付けなければならない。さらに言えば、GDPは経済政策により操作できる。というのも、経済政策により操作できる範囲の経済を表現したのがGDPであり、その定義を支えているのはケインズが考えた経済モデルであるからである。そして重要なのは、GDPは生活の豊かさを測る尺度ではないし、そのように意図されているわけでもなく、GDPは生産量を測る尺度であるということである。

    一方で、GDPが経済政策のために恣意的に作られたものであるということは、裏を返せば経済政策により達成されるべき目標のための手段であり、その目標が達成されるためであれば手段は問われない。GDPの増加そのものが目的ではないし、現在のGDPがその目標にそぐわなくなっているのならば、存在を守るために自己改革をしなければならない。

    経済指標は豊かさや幸福を測るものではないが、当然経済指標を通じて豊かさや幸福を達成したいと企図されているわけであり、幸福のあり方について考える際にも、この壮大で複雑すぎる存在であるGDPについて理解する意義はあるでしょう。

  •  一国の経済規模を計るもっとも基本的な数字であり、そのために国家の行方を揺るがしうる数字。そのGDPが産まれる経緯や仕組みから見えてくるのは、「経済成長とはなにか、なんのために経済規模を測るのか」ということが、GDPそのもののなかに含まれているということです。それは絶えず生じる技術的な課題であると同時に社会的な問題でもあります。つまり、そのときどきの学術的な議論や世論の論説、場合によっては政治的な要求などによって変化してきたということです。
     経済成長とは何なのか。いまこのように問い直す筆者は、国民総幸福量や持続可能経済福祉指標といった「豊かさ」を測る新しい指標などに対するGDPの有用性を示しつつ、それらの批判を踏まえながらGDPをより適切な指標とすることが必要だと説きます。(クズネッツという人が1937年に豊かさや福祉に関する指標を目指すべきだと唱えていた。GDPに関する問題を先取りしている)
     GDPという数字から、経済の全体像がぼんやりと見えてきます。面白い入門書だと思います。

  • 正直に告白すれば、マクロ経済学に関する啓蒙書をいくら読んでも、このGDPという概念については「肚に落ちる」という感覚を持つことができないでいた。この本を読めばもう少し目が開くかも、と期待し購入したが、やはりそれは変わらず。しかし落胆したかといえば全くそうではなく、寧ろこのような概念が理解できないのはある意味で当然なのだとの思いを強くした。

    何しろこのGDP、計算方法にはっきりとした定めがあるわけでもないため、かなりの恣意的な操作が可能だ。またそもそもその定義すら怪しく、例えば物質的な生産でないいわゆる「サービス」を含めるべきかすら未だ議論の余地を残すほどだ(金融業のようなインパクトの大きい業種ですら付加価値を生んでいるかどうかは決定的でない)。また何よりもcontroversial だと思えるのは、政府支出が現在のように当然にGDPに含められて計算されるようになったのは多分に政策的な意図によるものであり、これを「含める」のではなく「控除する(「含めない」ではない)」とする考え方も十分に成り立つということ。プラマイの符号が逆ということは、それぞれの場合の数値が全く異なるものを追っている可能性を強く示唆している。著者の立場はもし「経済活動に携わる人々の幸福の度合い」を計測するのであれば、後者の方法によるのが合理的だとするもの。確かに政府支出と国民の幸福度が単純パラレルであれば政府はひたすら財政拡大路線を取ればいいわけで、それほど事態がシンプルでないのは少し考えてみればすぐ理解できる。

    「そもそもGDPというものが…政策のハンドル操作で、(少なくとも短期的には)増加するようにつくられている」(p60)…この言葉がGDPという概念の持つ怪しさを十分に表している。もし政府がGDPを数値目標として掲げるならば、それは少なくとも一部は単なるトートロジーの体現である可能性が高い。「GDPが100兆増える?ファンタスティック!」素朴な経済観を持つ人ならばそう思うだろう(それがまさに政府の思う壺なのだが)。「GDPは生活の尺度を測る尺度ではないし、そのように意図されてもいない…GDPは生産量を測る尺度なのだ」(p96)。首尾よく生産目標が達せられたとしよう。しかしその結果実質的にあなたの懐がどの程度暖まるかは、全く異なる次元に属する問題なのだ。

  • この世で最も影響力を持つ統計量、GDPの歴史。あくまで"生産"の指標であり、豊かさの指標ではない。さらに、時代が進んで生産量を測ることのできない産業が多くを占める中、算出は複雑を極め、また恣意性も含まれており、数値の正確性には疑問が残る。しかしGDPによって途上国への援助額が決定し、国の将来予想に使用されるされるという現状。GDPに代わる有効な指標はなかなかないが、ダッシュボード式は面白い。

  • GDP(国内総生産)といえば、泣く子も黙る恐怖の数字である。いや、実際のところ泣く子は黙らないだろうけど、一国の首脳を泣かせたり、あるいはクビを飛ばすくらいのことはできる数字ではある。

    本書では、そのGDPという数字の誕生から今日に至るまでの歴史と問題点について学ぶことができる。一夜にして60%もGDPを増やした国やGDPの改ざんを拒否したために犯罪者になった人物など意外とスリリングな話も織り交ぜられている。

    かつてサイモン・クズネッツが述べたようにGDPは国の真の豊かさを示すものではない。真の豊かさを考えるのであれば、これからのGDPは環境の持続可能性や人的資本を加味したものになる必要があるだろう。そして経済の中心が製造業からサービス業に移行する中で本書は国の豊かさを表す指標のあり方を考えるよい機会になるだろう。

  • この一冊GDP ダイアン・コイル著 統計めぐる問題点を分かりやすく
    2015/10/25付日本経済新聞 朝刊

     偏差値使用の是非が激しい教育論議を巻き起こすように、国内総生産(GDP)を巡る経済議論は尽きない。偏差値信仰が教育をダメにしたという議論がある一方、学力テストの開示が急務という首長もいる。GDPで測られる経済成長はもうやめようという声がある一方、マイナス成長は野党から政府への攻撃材料だ。幾多の批判がありながら、GDPが重視され続ける理由は議論のたたき台となるべき統計が他にないからだ。







     本書は凡百の超越的GDP批判本ではなく、無味乾燥な解説本でもない。市場と成長をもともと重視する手練(てだ)れの著者が、GDPの有用性を認めながらも、内在的な批判と問題点を分かりやすく説明した大変貴重な本である。本書を読むことで、GDPに対する何かもやもやとした気持ちから解放されることが請け合いである。実際、GDPを題材にして、笑い事じゃないけれど笑ってしまうエピソード満載のエキサイティングな本が書けるとは驚きだ。


     本書のポイントは多岐にわたるが、中間投入の計測を巡る以下の諸点が評者には興味深かった。ソフトウエアを原材料中間投入と考えればGDPは増えないが、投資と考えれば増える。金融仲介の生産高の計測は難しく、現行の金利差を使う方法ではリスキーな投融資が大きいほどGDPは増える。そこでリーマン・ショック直後に英国の金融仲介業は空前の成長を遂げたことになってしまった。


     一方、公的部門の生産高は賃金など費用で測られるため、巨大な政府部門の存在は一人あたりGDPの上昇につながっている。つまり金融国家も福祉国家もGDP計測上の技術的な問題から生じる過大評価の可能性がある。これでは偏差値信仰と同じく、我々はGDPという便利なショートカットに振り回されているのではないか。


     本書の限界は国民経済計算という幾多の統計からなるマクロ経済の総決算書の中で、GDPだけに注目している点である。生産高動向を知りたいだけなら、電力消費量などを見ればよい。しかしGDP速報値だけでなく、遅れて発表される確報における統計の相互連関が我々のマクロ経済に対する理解を深めている。昨年度の我が国でも項目別の税収が増えているのに、マイナス成長が発表されるなど各種統計の整合性には謎が多く、相互連関が問われている。本書を再読しながら、12月に予定されているGDP確報(2014年度)の発表を固唾をのんで待つことにしよう。




    原題=GDP


    (高橋璃子訳、みすず書房・2600円)


    ▼著者は1961年英国生まれ。オックスフォード大で学び米ハーバード大で経済学の博士号を取得。著書に『ソウルフルな経済学』など。




    《評》首都大学東京教授 脇田 成

  • 購入した本。GDPの歴史、今後の未来について書かれた本。

    GDPの歴史は17世紀に始まる。元々は戦争開始前に、財務状況などを確認するために推計を開始したもの。

    Statistics(統計)とは語源がstate(国家)と同じ。元々は国家の数字という意味。

    GDPは消費者支出と投資と政府支出と貿易額(輸出ー輸入)の合計で決まる。

    90年代のアメリカの生産性の向上にはウォルマートが大きく貢献している。中国など安価な国で生産し、アメリカで販売するなど、貢献度は高い。


    GDPはイノベーションなど新たな価値を測るのに適していない。イノベーションを測るには経済の大きさではなく、サービスなどの多様性に目を向けなくてはいけない。

    GDPと幸福度には相関性がない。幸福度はどこかで頭打ちになる。


    「生産性(1時間あたりの生産量)で測れる仕事はたいてい自動化したほうがいい。人間が得意なのは時間を無駄にすること。実験し、遊び、創造し探究すること。長期的な経済成長にはこれらが必要。」


    普段何気なく、GDPという指標を参考に仕事をしているが、歴史や意義など知る機会となった。変わりゆく時代の中で、指標なども同じく変化しないといけない。

  •  「ギリシアでは、統計は格闘技なのです」で始まる本書では、GDPが如何にでき、それが徐々にいまの時流と合わなくなってきたことを分かりやすく述べています。

     英語の「statistic(統計)」という単語は「state(国家)」と語源が同じであり、もともとは大恐慌や第二次世界大戦などで国の経済をどう図るかがきっかけだったそうです。しかし、「ハウスキーパーと結婚して無償で家事をしてもらうと、GDPは減少する」「災害が起きるとGDPは伸びる」「教師の価値を何で測るのか」など様々なパラドックスも生じ、現代の経済に合致していない部分も多々あると論じられています。「GDPは単に産出量を測るものであり、人々の豊かさは考慮外」であり、実は国によってもその算出方法はまちまちというのが分かりました(単純比較は難しい)。

     手に取ったのは、8月19日付・日本経済新聞の「リーダーの本棚」で林外相が、愛読書として紹介していたためです。実は、昨年、林外相とは外務大臣室でお目にかかり、「以前は10曲程度入ったレコードが2,500円くらいだったものが、いまでは月980円で聞き放題。こうした差額を『消費者余剰』と言って、これまでのようなGDPでは計算できなくなっている」ということを話されていましたが、この「消費者余剰」について、この本にも書かれていました。多くのネット・サービスが「無料」で、一日の多くの時間を費やしながらも充分満足できるので、GDP云々ではもう測れない部分もあるとも思いました。

     「何事も量がすべてではない」ことがわかり、漠然と捉えていた言葉に新しい視点を投げかけてくれる良書と思います。

  • 日経新聞の書評で林外相が推奨本として載せており読んでみた。まず政府関係者はこうした内容からGDPの統計のあり方を見直す分科会を立ち上げ、議論しているという。意外と地に足のついたことをしている印象。
    本の中身についてはGDPの定義や歴史、課題、将来に向けてGDPに代わる統計指標は何かといった話で進む。
    GDPは新聞でよく見ていて経済成長を測る絶対的な指標という印象があった。ただこの本を読むとあくまで生産量、価値を合算したもので、ある意味で手動で集計、またその定義も曖昧であるといったことやイノベーションや多様性といった点の価値をGDPからでは見いだせず、必ずしも絶対的な指標ではないということがよく理解できた。
    GDPは合算した価値を季節変動やインフレ調整、国単位の購買力を加味して調整し初めて国際比較が出来る。非常に複雑。
    GDPが増えれば手放しで良いという論じ方等をしている場合は注意が必要。またGDPが増えると確かに豊かにはなるが、より人々の生活の潜在性に焦点を当てたHDI人間開発指数という指標がある。将来的にはこうした指標も使われる可能性がある。
    一人あたりGDPによって世界銀行は中所得国、低所得国といった分類をして、融資する際の金利などが変わってくる。
    今後は環境面も考慮していなかったり、IT分野等の形のないもの・サービスが増えていることから見直しが必要となるかもしれない。

    今まで何の疑問も持たずにGDPという指標を受け入れていたが、しっかりその指標が何を指しているかを理解し、またただ鵜呑みにするだけではいけない。指標主義に気をつけたい。

  • 本書あっというまに読了しました。まずGDP統計誕生の歴史について書かれていて、現在我々が使っているものは実は大恐慌と第二次世界大戦のなかでいかに国の生産力や軍事力をはかることを念頭におかれたものか、という背景情報は勉強になりました。
    そして時代が変わるにつれて、人々が本当に知りたいことが変わってきます。それは生活の質であったり、環境面への影響ですが、そのようなニーズを受けて、GDP統計自身が修正を加えられたり、全く新しい指標が開発されたりといったことがわかりやすく記載されていました。その意味でGDP統計の変遷についてはわかりやすく読めたものの、GDP統計のルールについては若干難解な箇所もありました。たとえば金融サービスの生産額の推計方法について。ただ著者の言わんとしていることは、まさに金融サービスの推計方法は難解でかなりこじつけ的な所もある、ということなのでしょう。つまりGDP統計は有益ではあるが全面的に信用するなというメッセージです。繰り返しになりますが、本書あっという間に読めて、GDPだけにフォーカスをあてた読み物という意味でニッチな本ですが、知的好奇心は満たせました。おもしろかったのですが、深い感銘を受けるところまではいかなかったので星3つとさせていただきました。

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著者プロフィール

ダイアン・コイル(Diane Coyle):経済学者、ジャーナリスト。オックスフォード大学ブレーズノーズ・カレッジ で学び、ハーバード大学で経済学のPh.Dを取得。民間調査会社のシニア・エコノミストや『インディペンデント』紙の経済記者などを務め、2000年には卓越した金融ジャーナリストに贈られるウィンコット賞を受賞。以後、英国財務省のアドバイザー、競争委員会委員、マンチェスター大学教授、BBCトラスト理事長代理などを歴任。現在は、ケンブリッジ大学公共政策教授、同大学ベネット研究所共同所長。おもな邦訳書に『GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史』(みすず書房、2015年)、『ソウルフルな経済学――格闘する最新経済学が1冊でわかる』(インターシフト、2008年)がある。

「2024年 『経済学オンチのための現代経済学講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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