部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (403ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622049715

感想・レビュー・書評

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  • 物理科学だけでなく、生物学、哲学、社会、政治に関しても著者の着実で深い思考の一端を垣間見ることができる。専門分野や時代を超えて、一流の知性に接することができることを有り難く感じた。

  • ・「それでは君は、その時代の文化的発展に寄与したいと思う個人は、歴史的な発展がちょうどその時代に彼のために準備してくれた可能性に従うべきだと言うのだね?もしも、モーツァルトがわれわれの時代に生まれていたとしたら、彼も今日の作曲家と同じように無調の実験的な音楽しか書くことができないのだろうか?」
    「そうだよ。僕はそうだったと思うよ。もしもアインシュタインが十二世紀に生きていたとしたら、彼はきっと何も特に有意義な自然科学的な発見をすることができなかっただろうとね。」

    ・私にとっての出発点は、今日までの物理学の立場からは全くの驚異としか言いようのない物質の安定性ということでした。私が安定性という言葉で言おうとしているのは、いつでも繰り返して、同じ性質を持った同じ元素が現れるということ、同じ構造の結晶がつくられること、同じ化学結合が生ずるということ、等々です。このことは外からの作用によって引き起こされた多くの変化ののちでも、鉄の原子は結局、ふたたび正確に同じ性質を持った鉄の原子であるということを意味しています。このことは古典力学では説明のできないことですし、とくに原子が惑星系と相似性をもったものとするとなおさらです。
    ―ニールス・ボーア

    ・原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論を作ろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際は正にその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。観測というのは、一般に非常に複雑な過程であることがおわかりでしょう。観測されるべき現象が、われわれの測定装置に何事かを引き起こします。その結果として装置の中でさらに別の現象が発生し、それがまわりまわって、遂に感覚的な印象をつくりだし、われわれの意識の中へその成果を定着させます。現象からわれわれの意識の中への定着までのこの長い道中にわたって、自然はどのように作動しているかということを知らねばなりません。われわれがなにかを観測したということを主張したいなら、自然法則を、少なくとも実際の面で知っていなければなりません。ですから理論だけが、すなわち自然法則の知識だけが、感覚的な印象からその基礎にある現象について結論することをわれわれに許すのです。
    ―アインシュタイン

  • 飲み会での哲学論議・物理学者バージョンの回顧録。もう一回読む。第二次世界大戦が始まるその中でドイツに残る決心をしたあたりは読んでいて痺れる。部分を見ながら、全体を塗り替える理論を探す、この感覚が読み進めるうちにわかってくるようになったのが不思議。物理学が全くわからないのに。
    真ん中あたりの章も面白くてメモった覚えがある。ナチスの若者との対話のとこかな。

  • 図書館の返却期間に間に合わず
    半分くらいで挫折した。
    物理学を本格的に学んでいない私には難しかったが、自然の摂理や秩序、物事の捉え方など高次元の視点から話される内容は興味深いものがあった。
    再度チャレンジして読破したい。

  • 栗林のおすすめ本である。物理の理論的なことはほんのわずかで、友人との対話、ドイツでの戦争中のこと、戦後すぐのこと、しらばくたってからの話など、自分の生活を中心としたことである。
     これを手本として物理学者も自分のエッセイを書くようになったと思われる。

  • ドイツ物理学会の英雄、ハイゼンベルグが、時代の最先端の科学者仲間と語り合った内容が生き生きと記録された一冊。ボア、シュレディンガー、アインシュタイン、マックスプランクなどとの、科学、哲学、宗教、自由、戦争と政治を巡る対話。「理解するとは何か」「科学の成果が必ずしも人類を幸せにしないことについて」「宗教と科学は一致するのか」など。現代でも論争となるこれらの論点について、科学を極めた博士等の議論が面白い。

  • サイエンス

  • dialog Platon ティマイオス
    Sommerfeld Pauli Bohr Dirack
    Einstein Plank Ratherfourd
    schurodinger

    量子 

    参画

    行き着くのは市場に膾炙した理。
    ただ、論理を通したものであるか、あてずっぽなのかという違い。

    重い

    この違いには気づきにくい
    中にいればなおのこと。

    ひとつのことしか見ないようにして
    もしくは項目を絞ってなさんとするのは
    人間を引き受けたものの企て。
    それゆえ、死角が生まれ、盲者になりもする。
    己の占める領域意外に関しては全くの門外漢である
    この者たちは、べつの視座若しくは視点を必要とする。
    人間360度常々見ているわけにもいかなければ
    見ることなどそもそもが不可能なのだ。
    他者の存在を必要とすることは、
    人間を引き受けることから始まる。

    己の死角を穴埋めすること。
    変わりに後ろや足元を見てくれる人を
    何なら前だっていい。
    欠落した存在、絶えざる未完成な存在。
    受難だけでは足りない。
    諦念を有するだけでも、重さを獲得するだけでも。
    今日我々は、妥協しなければならない。
    前の世代までには、完全へ完全で完全に達さねばならないと思い己自身に重さを与えて生きてきた。
    足取りは重く、厳かに、己自身に
    神を与えて、神聖化することで
    説明のつかなさをごまかそうとした。
    一切が均一化され均された現在は
    いくべきあてが定まらない。
    それでも
    「この次は」というなくなる事のない
    この問いを我々は一つの世紀が変わるたびに
    掲げ続けねばならない。

    そのたびに生じる死角に
    補填をすること。

    量子力学の登場は。

  • リーダーの本棚技術経営のあり方学ぶ
    科学技術振興機構理事長 中村道治氏

    2015/7/19付日本経済新聞 朝刊

      尊敬する物理学者の自伝を常に手元に置き、技術経営のヒントを得ている。











     大学で原子核物理を学んだので物理学者の自伝的な本に興味があります。超一流の人が書いたものは物理学の話のレベルが高いだけでなく、社会とのかかわりや研究所の運営などの深い考察が記されたものが多いように思います。1972~73年、勤めていた日立製作所の制度で米カリフォルニア工科大学に留学し、研究の進め方や厳しさを学びました。帰国後、中央研究所で部長職に就き、組織運営などについて考えていた頃に、旧ソ連の物理学者、ピョートル・カピッツァの講演などを集めた『科学・人間・組織』の広告が目に留まって購入しました。


     カピッツァが英国のキャベンディッシュ研究所にいた頃に指導を受けた(原子核物理学が専門のノーベル賞受賞者)ラザフォードから「君は足踏みしているね。結論はいつ出るのか」といつも言われていたエピソードが出てきます。カピッツァは厳しさを感じたものの、ラザフォードは励ましのつもりで、若手の独自性、積極性、個性を伸ばそうという意識が強かったと書かれているのを読み、雰囲気がカリフォルニア工科大と似ていると感じました。


     カピッツァは休暇中に旧ソ連で拘束され英国に戻れなくなりましたが、低温物理学で業績をあげノーベル物理学賞を受賞しました。この本で一番教えられたのはメンター、つまり師の大切さです。日立の中央研究所でも現場を大切にし、一人ひとりの研究者の声を聞くよう心がけました。さらに、日本流のチームワークを大切にし、高水準の研究を製品に結びつけていけば海外にも勝る強みを発揮できると確信しました。


     世の中を変える大きな成果を出す研究には20~30年かかります。科学技術振興機構などが手掛ける研究も同じです。優秀な人材が集まり、挑戦できる環境を維持することこそが技術経営だと思うに至りました。1つの研究分野を立ち上げるには10年単位の時間がかかりますが、組織が弱るには1日あれば十分です。実はキャベンディッシュ研究所は90年代以降、ノーベル賞受賞者が出なくなっているようです。海外から多くの研究者が来て、独創的な研究のるつぼのようだった環境が失われたのが理由だと聞いたことがあります。


      科学技術が細分化しすぎ、専門分野に特化した研究者が増えている最近の傾向が気になる。


     (ミクロの世界の物理法則である)量子力学の立ち上げにもっとも貢献したウェルナー・ハイゼンベルクの『部分と全体』は、タイトルにひかれて買いました。原子論や量子力学の誕生の過程が生々しく描かれていますが、それだけでなく自分自身と周囲、科学と社会、科学と行政などの関係も実に深く洞察しています。科学哲学の書ともいえます。


     人間は細胞が集まって器官ができ、それが協力しあって全体としての恒常性を保っています。一方、科学技術は進歩を続けるなかで、どんどん細分化されてきました。個々の計算や実験、理論と、背景にある物理学、生化学、天文学、さらには人文科学、社会科学を関係づけて考えることの大切さがタイトルには込められています。当時の指導者たちの、物事を考えるスケールの大きさに触れ、視野が広がりました。


      科学技術を離れ、落ち着きたい時には小説を手に取る。


     夏目漱石の小説は高校時代から繰り返し読んでおり、おそらく全作を10回は読み返しています。今でも半年くらい仕事で突っ走って、疲労感が出たときなどに息抜きに手にします。休みの日に、家でゆったりとした気持ちで読むことが多いですね。なかでも気に入っているのは『明暗』で、人間のエゴ、生き方などについて考えさせられます。深刻さはなく、言葉がわかりやすく、すっと頭に入ります。『虞美人草』も好きで、夢かうつつかわからないような世界で遊ばせてくれます。


     でも、仕事以外の時もやはり科学技術関係の本が気になります。先日は吉本隆明の『「反原発」異論』に目を通しました。人間は科学技術を前進させる動物で、結果として核エネルギーを使うまでになった。発達した科学を後戻りさせるのは人間をやめること。どう使うかに知恵を絞るべきだ――。主張のすべてに共感するわけではないが、科学をよく知ったうえで書いていると感じました。


    (聞き手は編集委員 安藤淳)






    【私の読書遍歴】




    《座右の書》


    『科学・人間・組織』(カピッツァ著、金光不二夫訳、みすず書房)


    《その他愛読書など》


    (1)『部分と全体』(W・ハイゼンベルク著、山崎和夫訳、みすず書房)。序文はノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹氏が寄せた。繰り返し読んでいるが、まだすべてを理解できてはいない。


    (2)『宇宙をかき乱すべきか』(上・下、F・ダイソン著、鎮目恭夫訳、ちくま学芸文庫)。物理学の伝道師とも呼ばれ、原爆を開発したマンハッタン計画で知られるオッペンハイマーらの近くで研究していた著者が、科学と社会の関係、原子力産業が抱える問題などを論じる。


    (3)『明暗』(夏目漱石著、新潮文庫)。連載中に著者が病没したため未刊となった長編。


    (4)『虞美人草』(同上)。漱石にとって初めての新聞連載小説。


    (5)『「反原発」異論』(吉本隆明著、論創社)東日本大震災以後と、以前の2部構成。対談なども収めている。




     なかむら・みちはる 1942年生まれ。67年東大院理学系研究科修了、日立製作所入社。中央研究所長、研究開発本部長、執行役副社長を経て2011年から現職。

  • 量子力学を確立した3人の物理学
    ■ヴェルナー・ハイゼンベルク
    ■ニールス・ボーア
    ■ヴォルフガング・パウリ
    の3人を中心とした回顧録。量子論と哲学が話題の中心。

    以下、メモ

    表現方法とは、概念を把握し、理解するための枠組み。つまり、新しい表現方法を確立するのは、新しい概念を把握できたということの証。そして、こういった新しい表現方法が生まれることで、人々はそれを応用して、それの土台に立って、更に新しいものを見れるようになる。アインシュタインの相対性理論もベートーヴェンの音楽的手法も、どちらも新しい概念を形にできたために革新性があった。
    この視点からは、2つの考えが導き出される。
    1つ目は、革新性は「新しい表現方法を考えること」にあるということ。
    2つ目は、「新しい表現方法」はあくまで理解できる形にする枠組みを、それまで上手く掴めなかった「内容」に与えるだけなので、何か新しい「内容」を自ら創造しているわけではないということ。その形では表せなかった新しい「内容」は、社会や大衆といった一般が生み出した精神性や空気感であって、それを上手く形にして提示してくれるからこそ、多くの人の心を動かすことになる。

    結局、コンテンツではなくてフィールド(形式)を作り出せる人を天才と言うのかもしれない。

    「理解する」とは、相互作用の仕組みを理解して、今起きている現象を把握したり、未来に起こる現象をある程度予測したりできることを指す。外見的には無秩序でこんがらがっていても、それを何か既知の定理に集約できるとき、つまり、多様性を一般的な簡単なものに帰せしめることができるとき、人の思考は安心感を得る(思考の経済性)。

    政治や宗教的な意見の対立の際、暴力や汚職といった不正を働くことがあるが、わざわざ不正に頼るということは、そうでもしないと自分の考えが多くに浸透しないと、正当な方法では浸透できないような考えであることを告白しているようなもの。

    自然科学は「正しいか・誤っているか」を巡る問題なのに対し、宗教は「価値が有るか(善)・価値がないか(悪)」を巡る問題である。しかし、一部には、宗教がその価値観を説く際に用いた比喩を、さも真実かのように理解しているために、自然科学との間で意味のない「正しさ」争いを繰り広げることになる。

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