- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620326382
作品紹介・あらすじ
新聞協会賞、ボーン・上田賞を受賞した敏腕記者が、テロリズムや「自粛警察」など過激化の問題の核心を突き止め、解決・防止策を提示する。
感想・レビュー・書評
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本書は「なぜテロリストが誕生するか?」ということをジャーナリストである著者が研究し、記した本である。
著者はテロを研究する以前は、
もし自分が将来テロを起こす可能性があるか?
という問いには
自分は100パーセント無い
と答えることができると思っていたそうであるが、テロリストを研究するにつれて、人間は誰もがテロを起こす可能性があると思うようになったという。
しかし、同じ環境に置かれても全員がテロを起こすわけではなく、そこにはテロを「起こす人」と「起こさない人」がいる。
ではその違いはどこから発生しているのか?
それを細かく研究し、本書にはその結論が書かれている。
その違いの一つは、他者に救いを求めることができるスキルを持っているか、持っていないかということである。
そんなこと誰でもできるだろうというかもしれないが、人生で成功してきた人間こそ、他人に助けを求めるということは難しいのである。
また本書では、人間の暴力性についても記されている。
人間の暴力性はもともと誰もが持っており、それは実験でも証明されている。
スタンフォード大学での有名な実験で、フィリップ・ジンバルドー博士により実施された『監獄実験』というものがある。
この実験は無作為に選んだ白人の男性をくじ引きで二つに分け、一方のグループは看守役、もう一方のグループは囚人役を演じさせたのであるが、実験中にあまりに看守役たちの行為が過激にエスカレートしたために、実験途中で中止となったという実験であった。
その他にも数多くの研究結果等が論じられているが、この分野については、まだまだ研究途上であり、著者は独自に研究を進め、みずからその結論に至っている。
見事である。
本書は、テロを起こす人間、そしてそれを防ぐ方法が書いてある学術書であるが、著者がジャーナリストから学者へ移行していく手記としても読むことができる。
非常に興味深い本であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「正義」「当たり前」「普通」というのを私は闇雲に信用しない。
本書は、
「あなたは、自分や自分の家族が無差別殺人を犯す可能性があると思いますか」
という問いかけから始まる。
私の答えは「はい」だ。
可能性、という話なら、ゼロではない。
ただ、それだけの理由による返答だが、
本書によると、「そう聞かれて、はい、と即答する人はほとんどいないだろう。」
とさらりと書かれている。(いやいやいや
…私と、現代日本社会との乖離を再確認した感じではある。w
この冒頭をもってして、、余談だが、私は何十年かぶりに実父とのやりとりを思い出された。
まだ未成年の頃だったと思うが、
親父と、何か問答をしていた際、
(友人となる資格のような話だったと思うのだが)
親父からの問いかけに「まあ、なかには犯罪者や反社もいるからね、、一概には言えない」みたいな返しをしたら、逆上されたことがあったのだ。「当たり前だろう!!」と。
親父からすれば、犯罪者や反社は前提確認するまでもなく除外されるものであって、
何を言うんだお前は!
という感じだったのだとは思う。
ただ、私からすれば言葉によって議論していたのに、
言葉によって定義していないことを当たり前のように語られる理不尽さに憤慨した。それに犯罪者や反社であっても人間は人間なのだ。まるで存在しないかのごとく扱うのもどうなんだと。
あと、表に出ている人格が仮初なことなんて死ぬほどある。それなのに、「当たり前だろう」と返され、父親の現実社会の認識の甘さというか、視野の狭さにも愕然とした。
一般的に言えば、
本書の問いかけのように、
親父の独断のように、
当たり前、と思い込むたくさんの前提条件や思い込みは世の中に溢れているだろう。
しかし、看守と囚人の実験しかり
普通と異常の境界しかり
何が正常を狂わすのか?
薄氷のような日常の尊さをわかっていない人が多すぎるのではないか。
そう思えてならない。
私のように日常はいつでも狂気に変わりうる、と思っている人には本書はたいくつ(書いてあることをただ読むだけ)だろうが、
一般的に良識ある多くの人には是非読んで欲しい良著である。
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近頃活躍中の「自粛警察」の人たちの心理状態を知りたい、と思い帯を見て図書館にて借受。
コロナ禍における自粛警察にももちろん触れてはいますがメインは、ISをはじめとしたテロリストを生む要因ときっかけ(トリガー)についての解析でした。日本人として生まれ日本でしか暮らしたことのない人間にとっては頭で理解はできても、おそらくそれも現実にはほど遠い程度であろうと思い知らされるような内容でした。
それでも何故「自爆テロ」に子供が利用されることが多いのか、他国の若い青年たちがテロに魅了され取り込まれていくのかということが本書を読むとそこから遠くにいる自分のような日本人にもわかります。
被害者意識は物の見方を変えそれにより復讐の意思がより強く認識されるとモラルの抵抗感がなくなる、というのは大変分かりやすい解説でした。
また、自分の愛着を抱いているものの一部でも攻撃を受けたなら、それが何であってもどんな事柄であっても自分のアイデンティティーが侵害されたと人々は感じるものだというのも、普通に暮らしていても日常的に人間関係の中ではそのくらいのことは起きますからよく理解できます。
最後のほうの章にストレス対処のための自分のメカニズムを意識するための質問表があるのですが、これが結構役立ちそうです。
今企業ではストレスチェックなどを行っているところも増えつつありますが、実際はチェックするだけでどのように対処したらいいのかまで個人としての対処法を具体的には教えてくれないことが多いように感じます。(企業の相談窓口やカウンセラーの紹介などそれまで関わっていない人との関わりで行う対処がメイン)そういうところに出向くこと自体が重い人もいるだろうに、と思っているので本書にあるような「BASIC ph」の質問表は自分で自分を客観視するいいきっかけにできるのでは、と感じました。
知りたかったこととは実はちょっと違う内容でしたし誰にでも必要と言う本でもないですが、普段意識しない視点に気づかされる一冊でした。
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ruko-uさん
治療のコトを思い出さず済めば一番良いですよね。
もし万が一そんなコトになったら、副作用面も合わせてチェックくださいね。ruko-uさん
治療のコトを思い出さず済めば一番良いですよね。
もし万が一そんなコトになったら、副作用面も合わせてチェックくださいね。2020/11/21 -
猫丸さん、それが一番ですよね。そして万一の時は副作用も調べると。大切な点ですね。
ありがとうございます。
そうならずにすむ読書ライフをこれ...猫丸さん、それが一番ですよね。そして万一の時は副作用も調べると。大切な点ですね。
ありがとうございます。
そうならずにすむ読書ライフをこれからもお互い送って行けるとよいですね(^^)
2020/11/22 -
2020/11/22
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著者は『毎日新聞』編集委員。
社会部記者時代の調査報道で、2年連続して「新聞協会賞」を受賞。2010年度の「ボーン・上田記念国際記者賞」も受賞。英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の客員研究員も務め、ワシントン特派員やエルサレム特派員も経験……と、華々しい経歴を持つ国際派の敏腕記者だ。
その著者が2年余にわたって留学休職し、イスラエル随一の研究機関で、テロ対策や危機・トラウマ学等を研究した。
記者としてテロの最前線を取材した経験と、その後の研究生活――双方をふまえ、著者のテロについての調査と思索を結実させたのがこの本である。
日本ではテロというと、9・11同時多発テロや「IS(イスラム国)」によるテロなど、政治的動機を持つテロに限定して考えがちだ。
しかし、著者はテロをもっと広義に捉えている。
「テロリズムとは、何らかの政治的、思想的、感情的目標を成し遂げるために実行される、無辜の市民に対する意図的暴力」――これが本書で採用されるテロの定義である。
「感情的目標」という言葉があるのがミソ。たとえば「秋葉原通り魔事件」「相模原障害者施設殺傷事件」「京アニ放火殺人事件」なども、本書ではテロに含まれるのだ。
イスラム過激派等による政治テロから、いわゆる「無敵の人」による通り魔事件まで、広い意味でのテロが俎上に載る。
副題に「『普通の人』がなぜ過激化するのか」とあるとおり、著者はテロリストを異常者として捉えない。
「イスラム国」の戦闘員となる人間も、無差別殺人に走る「無敵の人」も、じつはみな「普通の人」であり、いくつかのプロセスを経て過激化していったと捉えるのだ。
その過激化は誰にでも起こり得ると、著者は言う。
本書は、「普通の人」が過激化へと突き進むプロセスを「見える化」し、そのメカニズムを解き明かそうとする。つまり、「心理学的な観点からテロリズムを探求する試み」だ。
この分野の研究は歴史が浅い。
本格的に始まったのは「9・11」以後だが、当初は被害者の心理ケアが中心であった。「普通の人」の過激化メカニズムが研究対象となったのは、「ローンウルフ(一匹狼)」型テロ(=過激派組織に属さない個人によるテロ)が拡大した2000年代中盤以降だという。
その意味で、著者の研究は新分野を切り拓く意義深いものといえる。
本書は、主要な先行研究を渉猟して書かれ、可能な限り参考文献が明記されるなど、学術論文に近い体裁が取られている。
一方で、著者がエルサレム特派員として行ってきた取材の成果も、重い臨場感をもって書き込まれている。
その中には、「イスラム国」の元戦闘員3人に対するインタビューなどという貴重な記録もある。
つまり本書は、ジャーナリストとしてテロの最前線に身を置き、被害者・加害者の双方に取材したノンフィクションでもあるのだ。
そうした成り立ちから、著者は本書を、報道的側面と学術的視座を兼備した「アカデミ・ジャーナリズム」(著者の造語)の実践と位置づけている。
本書の〝幹〟に当たる、過激化メカニズムの精緻な分析は、テロリストの心に深く分け入るような見事なものだ。
「テロリズムには無差別殺人を正当化する強い根拠が必要」だが、「根拠」となるのは「被害者意識とそれに基づく報復欲求」であり、テロ行為は「自分と同じような犠牲者を出さないための戦い」として正当化される。
テロリストの心中では、テロは「聖戦」として位置づけられる。そのような「歪んだ正義への使命感こそがテロリズムの正体」だと、著者は言う(199ページ)。
ローンウルフ型テロリストの分析にウェートが置かれているが、彼らの台頭にはネットの普及が大きく影響しているという。
かつては過激派組織が担ってきた役割の多くを、ネット上のバーチャルコミュニティが代替しているというのだ。
第6章を丸ごと割いて、日本におけるテロ事例が俎上に載り、その過激化メカニズムが分析される。
日本の近年の例で、過激派組織に担われたのはオウム事件のみ。それ以外はみなローンウルフ型テロだ。相模原事件、秋葉原事件が取り上げられている。
また、コロナ禍以後に現れた「自粛警察」の攻撃性に、著者は過激化の危険な萌芽を読み取り、警鐘を鳴らしている。
本書のテーマを知って、「テロなんて私には関係ない」と敬遠する向きもあろうが、じつは本書の内容は我々の日常と地続きなのだ。
そして、最後の第7章では、過激化を芽の段階で摘むための防止策が模索される。
「普通の人」が過激化し、無差別殺人に至るまでには、必ず「非人間化」のプロセスがあるという。ターゲットとなる人たちを「人間ではない」と認識してしまう、恐るべき「認知の歪み」のステップである。
そのプロセスを経るからこそ、無差別殺人を行うことが可能になるのだ。
ゆえに、過激化を防ぐために大切なのは、人とのあたたかいふれあいであり、人間性への共感だと、著者は結論づける。
《非人間化の現象を食い止めるには対象との距離を縮め、相手の「人間性」を目や耳で感じることが重要だということだ。「人はわずかでも他者が人間化・個人化されると残虐な行為をすることが難しくなる」と米心理学会(APA)で会長を務めたカナダ人心理学者、アルバート・バンデューラも述べている。(中略)
バンデューラは、ヒューマニズムの力が非人間化という認知を抑止すると主張する》313ページ
ジャーナリズムの大きな役割が平和の基礎づくりであるとすれば、本書はまさにジャーナリズムの王道を行く試みと言えよう。 -
今年読んだなかでもっとも印象的で刺激的。
イスラム過激派の研究を通して「いかに普通の人が過激化していくのか」を解き明かしていく。
これは遠い異国の硝煙にまみれた戦場の話ではない。「一般人」を自認する我々全てが過激化する可能性を秘めている。
アメリカの大統領選からジェンダー間の軋轢、果ては「お箸の持ち方」まで、現代は正義と正義のぶつかり合い。味方か敵かの二元論ばかり。Twitter初期には落語の長屋のような関係だったTLは、今や肥大し辻斬り御免のスターリングラードに。
最近のこの世相はなかなかしんどくて、世の中は「白黒ハッキリバッサリ切るひと」が威勢がよい。
“外的なストレスを受けると、ひとは衝動的に世界を内側と外側に分ける。つまり敵と味方”
“そして味方を称賛し敵を蔑める物語(ナラディブ)を語る”
本文中でも言及されているが、これはヘイトスピーチへ繋がり、そして歴史を自分に都合の良い神話として利用しようとするプロセスそのものだ。
最も秀悦な点は過激化のプロセスを「バランスシート」で表していること。
人はストレスを受けると、その負債を補うために資産を利用する。通常、その資産は家族愛、コミュニティの関係であったりするが、これらのリソースが枯渇している場合、人は負債を補うために負の資産を消費する。それはドラックであったり暴力であったり、また神話として作られた物語であったり。それらをドーピングのように使って自尊心をブーストするのだ。
今の社会のこうした息苦しさを感じているひと、孤独を感じているひと、家族が悩んでいるひとは是非本書を読んで欲しい。
繰り返しけどこれはエキセントリックな思想を持った少数の例外の物語ではない。我々すべてに当てはまる写し鏡であり、そして今の世界は急速に過激化の方向に閉じつつある。
その隙間から久しぶりに空を見たような読後感。 -
● LONE WOLFによる現代型テロ。①死ぬことや捕まることを恐れず、刑事罰による抑止力が効かない。②組織的でないため事前の情報収集が極めて困難③テクノロジーの進歩による単独でも高い実行力。
●テロリストの頭の中を考えるには、まず普通の人々の頭の中を考える必要がある。そうしていくと、大半の人は状況さえ整えば、テロリストになるのだということがわかる。
●パレスチナではユダヤ人襲撃事件が起きると、実行犯は大抵その場で銃殺され、自宅には「殉教者」として写真がかけられる。家族はその姿を「誇りに思う」
●ブッシュ大統領は「我々の敵か味方か」と問いかけるような演説をした。大衆を煽動する指導者たち。
●イスラム系の過激派組織は、カルト教団が使うのと同様のマインドコントロールを使う。虐待や拷問により行われる洗脳とは異なる。
●ジハードクール。イケてる聖戦。
● 9.11以降、米国ではイスラム教同士の結婚が急激に増え、出産率が増加。イスラム教徒へのいじめや差別を回避するため結束、内向き志向が強化された。
●人間はそもそも、自分が思っていることを肯定する証拠を無意識のうちに探す習性がある。情報検索で疑問を追いかけた後、物語の創作に行き着く。そして、世の中を前と悪、加害者と被害者など単純明快にカテゴリー化するプロセスを経て過激思考が強化されていく。動画を見て視覚的な刺激を受けると脳のミラーリングが起動する。 -
過激化は誰しもに起こりうる。普通の人がテロリストになるまでのプロセスと対処法を解説。得た教訓としては、普通の人を過激化させる「過激思考」(相手を100%悪、自分を100%善と決めつける等)は、間違ったストレス対処法として手をだしやすく、依存性も高い。また、人間の習性として収集するリソース(資源)の中でも、不適応なリソースとしても「過激思考」も含まれ、手を出してしまう可能性がある事が学べた。本書はテロリストにまで話が広がっているが、日常的に他者との関わり合いの中で生かせる知見も得る事ができる一冊。ちょっとムズい。
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なぜ、テロリストになる人とそうでない人がいるのか、というシンプルな問いに、真正面から挑んだ本書。
私の問題意識とも重なる部分も多く、頁を繰る手が止まらなかった。 -
「普通の人」がなぜ過激化してしまうことがあるのかを、イスラム国、パレスチナ問題、それに日本で起きた障害者施設での殺傷事件、秋葉原での通り魔事件などを取り上げ、ローンウルフ型と言われるテロ行為を防ぐ方法を模索している。
読んでいて非常に気が重たくなる本であるが、重大事件の裏にも「防げたかも知れないタイミング」があったようで、個人レベルであれば周囲の人が手を差しのべることによる解決策が提示されているのが救いだ。
しかし国家同士となると難しい。読んでいて昔のアニメ「伝説巨神イデオン」を思い出した。異なる民族が誤解を重ねて戦いが泥沼化し、相互に愛し合う個人が存在し目的も望みもお互い似通っているにもかかわらず戦いがやめられずに、最後は「神」の力によって双方が全滅するという話だった。人類が到達する先終点がこうならないように祈りたいものだ。