公文書危機 闇に葬られた記録

  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620326320

作品紹介・あらすじ

重要な記録は隠す、残さず、そもそもつくらず─
森友・加計問題から桜を見る会まで、安倍政権によってさらに加速する日本の公文書の危機を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 権力の中枢である首相官邸は東京永田町の高台にある。官邸前の茱萸坂を下ると、霞ヶ関と呼ばれる官庁街。東大を出て最難関の公務員試験を突破した数%のキャリア官僚が配下のノンキャリア職員を指揮する。中でも財務官僚が一目置かれる存在。そこで、官僚は前例主義を叩き込まれる。小さな事でもちゃんと記録してそれを残しておくということが官僚の体には染み付いている。

    その官僚が公文書を改ざんしていたのが発覚したのが2018年。森友学園の問題。続いて加計学園、桜を見る会の名簿破棄。そもそも、公文書の定義や保管義務はどうなっているのか。官僚や代議士の意識を問う事から本著の取材は始まる。霞ヶ関、永田町のご都合主義が暴かれる。

    表に出せない公文書を開示請求されると、私的な文書にすり替え。保存期間を1年未満にして請求される前に破棄。請求時点で存在していたとしても、捨てたことに。電子メールで重要なやりとりをし、それが残っているのにメールは電話と同じだと言う理屈で公文書にしない。首相と省庁幹部の面談記録もほとんど作っていない。桜を見る会の招待リストを本当に捨てたなら、翌年、何を参考にして誰を招けば良いか分からなくなるだろう。杜撰なのではなく、巧妙なのだ。

    取材で福田康夫。「日本は民主主義の国だから、主権者の国民が正確な事実を知ることができるようにする義務がある。もう一つは日本の形、つまり歴史を残す事だ。歴史の解釈をめぐって後世の人がなるべく迷わないようにする。外国から見ても、日本はこういう国だとわかる明確になる。公文書は一つ一つが石垣の石。それを積んで城ができる」

    政権の都合で歴史を修正してはならない。本著に書かれる事は、極めて重要な話だ。

  • 僕自身は地方公務員なんですが、この本に書かれている官僚の皆さんの対応と同じことをしたら、おそらくすぐに懲戒処分の対象となることでしょう。中央官庁の官僚の公文書取り扱いはそれほどに杜撰で、公文書を扱う人間として不適格な、悪意すらこもった習慣と作法がこれでもか、これでもか!と書き連ねてありました。

    この本に提起された公文書管理の問題点を解決することなしに、日本が民主主義の入り口に立つことはできないのではないか、とすら感じる、戦慄のルポルタージュです。

  • 日本人に法律を守るつもりはないということ。マスコミはオフレコで取材をすることを正当化しているが、私の立場から見ると、オンレコ、オフレコ問わず、マスコミに答えること自体が公務員の守秘義務に反している。そういうそもそもの矛盾からは目を背けながら、公文書危機と言われてもというのが率直な感想。次に、自分の身を守るために記録はなるべくしないことだと痛感する。

  • うむ。さもありなん。

    歴史を形成しているという意識が薄いのかな。

  • モリカケ問題や自衛隊の日報、桜問題など、本書に取り上げただけでも、何が公文書なのかを有耶無耶にしたまま政府の文書が杜撰に取り扱われていることがよくわかる。モリカケだけを見れば自民党、安倍政権の問題だと思いがちだが、霞ヶ関の官僚組織の根深い問題のようだ。取材を進めて、問題点に迫っても糠に釘。確信犯というか、それが日常になって何が問題なのかも分からなくなっているのではないか。
    本書は毎日新聞のキャンペーン報道を基にしたもの。毎日新聞は経営が厳しくなり取材体制が縮小されていると聞くが、このような報道をされているのであれば是非頑張って欲しい。
    本書のテーマとは離れるが、当時の菅官房長官の記者会見の場面が随所に出てくる。取り付く島もないような対応が首相になっても続いたと言うことか。今更ながら、残念なことだった。

  • HONZブックガイドから。毎日新聞、こんな熱いことをやっていたんだ、ってのがとりあえず最初のビックリ。自分の場合も、いちいち書面でってなると面倒に感じてしまう。じゃあメールでってなると、効率は上がるんだけど、その内容に関する重要度が、一段どころかひょっとしたらそれ以上、落ちてしまう気もする。でもこの考え方、見事に官公庁の隠れ蓑として機能してしまっている訳ですね。でも当然、公文書を私人のメールと同レベルで語って良い訳もなく、いかにあり得ない現状かってことが浮かび上がってくる。堂々と胸を張って虚言を吐き、発言の綻びについては後付けで強引に言いくるめる。いつになれば改まるのかと注視していても、この有様じゃあ、良くなる訳はない。闇は深い。それにしても、相変わらず不快感増強効果満点の本書だし、読書によるカタルシスなんて得られようもないんだけど、こうやって定期的に怒りを保ち続けないと、きっと知らん間に、国の垂れ流す嘘に塗り込められてしまう。施行を維持するための読書はしっかり続けていきたい。そう思わされる一冊でした。

  • 公文書に関する官僚の態度を見ていると、基本的に全ての公文書は都合の悪い情報で隠すことが基本という考えなのかと思ってしまう。福田元首相のように公文書から日本の行政を立て直してくれる人が出て欲しいと思う。

  • 【本書の概要】
    霞が関には闇から闇に消える文書がある。
    表に出せない公文書を開示請求されると、「私的な文書」にすり替える。保存期間を一年未満にして請求される前に捨てる。請求時に存在していても捨てたことにする。紙の資料は作らずにメールにベタ打ちして、「メールは公文書ではない」とシラを切る。
    公文書は、国としての意思決定がどうなされたのかという「日本の歴史」に関わる文章である。にもかかわらず、官僚たちの公文書保存への意識は低い。

    【詳細】
    公文書は、役所が意思決定する過程や結果を記録したものである。公文書を適切に保存することで、後の検証を可能にし、行政が適正に運営されるようにするのが公文書管理制度の狙いである。公的な記録は、民主主義を支える国民の財産であり、国の歴史そのものとも言える非常に重要な文書だ。

    しかし、霞が関には、公文書に残されては困るやりとりが多数存在する。そんな時に活用されるのがメールやLINEだ。
    紙の上に残したくないやりとりを、庁内メールや私用のメール、LINEにベタ打ちし送付している。政府は私用メールを公文書管理法の対象外としているため、情報公開請求があったとしても、「公文書に当たらない」として開示を拒否することができる。
    根底には官僚全体を通じて「メールは公文書ではない」という意識が蔓延しているためである。

    同時に、記録としてきちんと残されている公文書に関しても、なるべく見つかりにくいように細工されている。
    イーガブという公文書ファイルの検索システムに書類をアップする時、わざと抽象的な表現にして検索にひっかからないようにしている。情報公開制度発足時、国民からの資料請求を回避するために、ファイル名を抽象的にすることが組織ぐるみで始まった。それが長期に渡って踏襲され、今や変えられなくなっているのが現状だ。

    この結果、国民が情報公開請求時に適切な文書を選択できないばかりか、官庁の職員自身が文書を見つけられず効率的な行政運営ができなくなっている。効率的な運営ができず業務が膨らめば、文書保存という雑務はどんどんおざなりになっていく。その先に待つのは、国家としての意思決定が曖昧になり、国家の歴史が消えていく運命だ。

    さらに、やりとりそのものを記録しないことで、存在を隠ぺいしているケースもある。

    首相の面談記録は、当然、国の意思決定を左右する重要な文書であるにもかかわらず、首相や大臣と省庁幹部の面談の際に使われるレク資料は保存されず、面談の打合せ記録は作成されていない。総理秘書官は、不用意な失言や誤った決定から総理を守るため、余計なメモや記録を残しておらず、官邸は情報漏洩を警戒して首相面談に記録要員を入れさせていない。
    政治家や官僚は、総理大臣は間違った決定をしない存在だという前提に立っている。だから総理の間違いをあとから検証されかねない記録は残したり公開したりすべきではないと考え、存在の隠ぺいを行っているのだ。

    菅氏は、首相や官房長官を相手にした面談でレク資料や打合せ記録が官邸側に残されていない状況に対し、「首相面談の記録はそれぞれの行政機関において作成、保存すべきもの」「行政機関においてしっかり対応している」と繰り返してきたが、行政機関のひとつである内閣官房においても保存されていないことが判明している。
    これに対する菅氏の説明は「方針に影響を及ぼさなかった」「報告内容が問題なく了承されたため、残すほどではないと判断した」と繰り返すばかりだ。

    そもそも、公文書管理課が打合せ記録作成のガイドラインを作った際、「記録を残すべき文書」として、「政策立案や事務、事業の方針に影響を及ぼすもの」であると定義している。
    この定義に対し、各省庁から「定義が曖昧過ぎるから線引きしてほしい」「作成業務の範囲が広く業務の負担が大きい。規則の運用に裁量的な余地がある場合、易きに流れるのが普通である」という厳しい指摘が飛ぶも、何の手も打たずそのままガイドラインを作った。


    こうした公文書管理の現状に対し、元文科事務次官の前川氏はこう語る。
    「そもそも、森友、加計、日報の問題は隠蔽こそが本質なのに、論点が公文書の『管理』の見直しのほうにずらされている。国民の目をそらしているとしか考えられない。」

    政策立案には政治家の口利きがかなり影響するため、本来公正であるべき政策決定に歪んだ力が加わる。それをそのまま公開すると非常に不都合なプロセスが見えてしまうため、内部文書として残していても絶対に公開しない。そして、内部文書にすら残さないために資料を捨てる、メモを取らないといった行為が横行する。

    これは「管理」の問題ではなく、根っこにある忖度文化の問題である。

    隠ぺいを解消するためには、強制力をもって調査できる機関が必要だろう。


    【感想】
    本書の中でインタビューを受けた複数の官僚が、次のように話していた。
    「(打合せ記録をめぐる隠ぺいについて)民間企業でも、同じようなことがあるんじゃないですか」
    そう、これはどの企業でも起こっている問題なのだ。

    議事録を作る対象の会議は、ペーパーを読み上げるだけのお飾り会議であり、実際の意見はその会議の前の「プレ会議」によって既に決定されている。当然、プレ会議の内容は議事録に残らないため、そこで交わされた建設的な意見や危うい発言が後世に残ることはない。
    ならば、「プレ会議の発言も議事録に残せ」とルール化されたらどうなるのか。答えは簡単で、プレ会議の前に「プレプレ会議」を作ったり、控室での雑談や廊下での立ち話により意思決定するだけである。
    こうした「根回しによる会議の形骸化」は、何も公務員ばかりに起こっているわけではなく、民間企業においても重要な意思決定が、雑談や飲み会の中で下されることは多々ある。そうした不透明なベールの裏でのこそこそ話は、幹部級の職員であればその必要性を肌感覚で理解しているものだ。だからこそ、「同じようなことがあるんじゃないですか」というわけである。

    そして、もし「雑談も記録に残すべきだ」と言われたら、「雑談は公式な記録ではない」と言い返すに違いない。私もきっとそう答えるだろう。

    また、意思決定のプロセスを軽んじる姿勢は、人々の「情報の結論しか気にしない」という特性によっても引き起こされる。
    ニュースを読むときヘッドラインと結論だけで情報を判断するように、大抵の人は公になった情報のソースやプロセスをチェックすることなく、中間地点をすっとばして終点を確認しようとする。時間がない現代人には当然の行為である。
    政策決定でも同様のことが生じる。総理がどういう思考回路をしていようが、結局は結論が10割。腹のうちに秘めた思いを全て言語化することは不可能だし、情報の確実性の観点から、各人の頭の中の考えまで文字起こしするのは危険である。プロセスを丁寧に読み解くための人員も時間も足りない以上、記録は必然的にタイトルと結論のみの簡素なものになってしまう。後から検証しようとしない限りはその程度で足りてしまうからだ。

    組織の動向を「記録する」ということは、想像以上に難しいものである。

  • 毎日新聞がんばれ、と応援したくなる一冊だった。一つのテーマに取り組む取材と調査の方法も、とても興味深い。

    関係者の証言を積み重ねる中で、どれだけ官僚・霞が関にとって記録が大事か、しかし記録を公にしたくない、する必要がない、という意識の根深さがわかり易く理解できた。

    例えば、桜を見る会の招待者リスト。保存期間1年未満に指定されていて、追求された途端に廃棄処分される。しかし、政治家や著名人、各種団体が絡む招待者選定には、記録は不可欠、失われれば、不手際が起こり方々から非難が寄せられるだろう。

    2017年の加計学園の問題に端を発した、2017年12月の公文書管理法ガイドライン改定では、「方針に影響をおよぼす」打ち合わせは記録作成が義務になった。しかし、官僚も政治家も、できるだけ意思決定のプロセスは公にしたくない。都合の悪い部分や、国民からの疑念などを避けたいため。それを可能にできるよう、どうやって改定が骨抜きにされたのか、言い逃れできるような仕組みになったのかも明らかにされている。

    個人の仕事、民間企業の業務なら許されるかもしれないが、政治家、官僚は公人としての義務があるだろう。バカにしている、軽く扱っているという考え、態度が悔しすぎる。

    この言葉も印象的だった。「今の官邸は問題の核心に迫られないように、批判をかわせるように、論点をずらすのがとてもうまい」、何とも切ない気持ちになる。

  • 霞が関の公文書は危機的状況である。森友問題では改ざんに関わった職員が自殺した。その後も公文書管理が改善されているとは思えない。組織にとって都合の悪い文書を開示しないうちは、過去から学ぶことはできない。

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著者プロフィール

2018年夏、毎日新聞東京本社編集編成局社会部の遊軍担当だった奥山はるな、堀智行、デスクを担当した篠原成行の3人を中心に構成。メンバーは、いずれも外国人や子ども、教育を取り巻く問題に関心があり、それぞれ取材を続けてきた。本書のベースとなり、毎日新聞の紙面で掲載しているキャンペーン報道「にほんでいきる」は、取材班が執筆した。

「2020年 『にほんでいきる 外国からきた子どもたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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