誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃

  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620326078

作品紹介・あらすじ

イノベーション不足、研究力の低下……「科学技術立国ニッポン」はなぜ幻と消えたのか? 国力低下の真因を探る渾身のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 【まとめ】
    1 論文数の減少
    日本のGDP当たりの論文数はラトビアやトルコと同じくらい。豊田長康・鈴鹿医療科学大学長は、14~16年のデータを分析し、「データ上は、日本は科学技術立国とは言えない」と言い切る。豊田氏によれば、全分野の論文数の合計を比較すると、米国、中国、韓国など欧米やアジアの主要約20カ国の中で、日本が唯一、02年ごろから停滞または減少している。人口当たり、もしくはGDP当たりの論文数も増えておらず、他国に追い越されている。引用数上位1%の影響力の大きな論文に限れば、オーストラリア、カナダ、イタリアにも抜かれ、4位から9位に転落している。年間平均論文数は10年前に比べ約3,900本も減少した。


    2 企業の失われた30年
    ・フラッシュメモリーの生みの親である東芝は、需要に柔軟に対応しきれなかったため先行者利益を生かせず、サムスンの後塵を拝し続けた。01年に市場から撤退した。
    判断が遅れた要因には、東芝が家電から原子力まで多種多様な部門を抱える総合電機メーカだったことが挙げられる。投資のバランスをとる必要があり、他部門の不振で思い切った意思決定が難しかった。
    長内厚・早稲田大教授は、「東芝に限らず日本の大手企業の多くは、技術的な優位性があればビジネスでも優位に立てるという思い込みから、同じ失敗を繰り返している。自ら開発した技術がそのまま製品の価値になった70~80年代の成功体験が忘れられないからだろう。経営の課題を全て技術の問題として解決しようとしてきたところに問題があった」と指摘する。
    東芝は18年に半導体事業の子会社「東芝メモリ」を売却し、稼ぎ頭を失った。

    ・JSTは、国から研究開発費の出ていた「IGZO」の使用開発権を、サムスン電子に売却した。JSTは、当時まだ海外との契約実績が乏しく、サムスンと契約を結ぶ前に国内のメーカー複数社に契約を打診していた。だが、国内メーカーから色良い返事はなく、結果的に、英科学誌ネイチャーに論文が発表された04年当初から関心を示していたサムスンが先行した。
    JSTで知的財産の管理や企業との交渉を担当する幹部は、「海外の有力企業の中には世界中の社員に大学の研究成果を探させ、いち早く自社製品に取り込んでいるところもある。日本企業は社外からの技術導入の動きが遅い」と指摘する。契約交渉の場にも、海外企業は幹部が来ることがあるのに対し、日本企業はいつも担当者レベルしか来ないという。「意思決定のスピードが違う」のだ。

    ・企業の研究開発が、「ものづくり」に代表されるような、すぐに利益には結びつかない長期的な基礎研究を縮小し、「サービス」のような、より短期的・応用的なものへと移っている。

    ・藤村修三・東京工業大教授は、「たとえば量子コンピューターのように、純粋な基礎研究は産業構造すら変える可能性を秘めているが、日本企業の研究はその逆を行っており、どんどん出口(商品化)に近くなっている」と評する。

    ・富士通佐々木社長は、「かつてない速度で社会が変化している。(そのため、以前のような長期的な研究開発は行わず)2~3年やって研究を続けるかどうかを判断する」と、研究のスパンがより短くなっていることを認めている。


    3 選択と集中
    内閣府が主導する大型研究開発プロジェクトは、社会にイノベーションを起こす目的が強調されており、研究のプロセスよりも成果を重んじる「出口志向」が強まっていると言える。これらはまさに、財務省が言う「選択と集中」の代表例のような事業だ。研究資金を「選択と集中」した結果、ハイインパクトの研究成果や、経済発展につながるイノベーションが起きれば、狙い通りの展開と言えるだろう。だが、これら内閣府のプロジェクトで狙い通りの成果は出ておらず、その検証すら不十分なのが実情だ。

    過去の実績を当てにして研究費を配分しても、期待通りの成果が出るかどうかは分からない。科学技術政策アナリストの小林信一氏は、「日本では00年代後半に特定のテーマや研究機関に資金が集中する傾向が強まった。海外でも『選択と集中』を政策目標として位置付ける国は多いが、日本のような極度な集中はみられず、米国では00年前後から見直しが始まった」と指摘する。

    かつて、iPS細胞は日本発の万能細胞として注目を集めた。しかし今では、山中教授が主導で進める「iPSストック事業」が支援打ち切りに合っている。
    再生医療全体で見ると、世界はES細胞を中心に研究が進められており、日本の研究環境はガラパゴス化している。ES細胞には人の受精卵を使って作製するという倫理的問題があることから、日本では医療への使用を長らく認められていなかった。これを認める指針が施行されたのが14年で、京大のチームによる医療用ES細胞の作製計画が17年6月に了承された。意思決定が非常に遅く、この間に海外と大きく差が開いてしまった。

    政府は、国立大やその研究者に「自ら稼ぐ」ことを求め始めている。国から大学に配分される運営費交付金が年々削られたことが、その発端だ。調査では、国立大の研究者が外部資金なしで実施した研究の割合は04~06年の24%から、10~12年の17%に下がっている。外部資金への依存度がますます高まっている。
    また、大学教授は日々の講義や大学の運営業務、学内の会議でびっしり埋まり、自らの研究に当てる時間が少なくなっている。事務作業に追われればいい成果をあげられず、競争的研究資金を得ることがますます難しくなる、という負のスパイラルに陥っている。


    4 政治と科学の関係
    多様性が大事なのは、自然と社会そのものが多様だからだ。将来大化けするような研究をしようとすれば、多様性の中に隠れている何かを探さねばならない。そのような気の長い研究をできるのは大学だけであり、「選択と集中」で効率の良い研究だけが大事だと思っていると、本当に大事なものを見失うことになる。

    悪い結果が出ているにもかかわらず、方針を改めようとしないばかりか、さらにアクセルを踏もうとする根本的な要因は、科学技術政策が政治イシューになっていないからだ。
    政権交代前後、各政党に科学技術政策についてアンケートを行ったが、自民党も民主党(当時)も科学技術を経済成長に役立てようとする「出口志向」に変わりはなく、政策にも大きな違いはなかった。実際、政権交代を経ても、総合科学技術会議や宇宙政策委員会といった、政権の科学政策のブレーンとなる組織の有識者メンバーは大きく変わらなかった。
    「カネにも票にもならない」科学技術分野に関心を持つ国会議員は少なく、与野党間でも大きな議論にならないとなれば、幅をきかすのは官僚の論理だけとなる。官僚は基本的に間違いを認めない。「行政の無謬性」というやつである。必然的に、過去の政策の検証も十分に行われないまま、いったん決めた方針が踏襲されることになる。最近になってようやく「根拠に基づく政策立案(EBPM)」という言葉が霞が関でも言われ出したが、裏を返せば、今までそのような考え方はなかったという証左である。

  • 毎日新聞の連載記事が元となった一冊。取材が基本なので多くの関係者の主張が紹介されるに留まるが、この20年の日本の科学界の歩んできた衰退の経緯を振り返るのにはとても便利。いわゆるPDCAのCの部分だけど、日本には基本的にこのCは無くてPDのみのドードー巡りが続いているのかもしれない。官僚の無謬性の原則というやつかもしれない。犯人捜し、責任追及をしても仕方ない(本書では何となく犯人が特定されている)が、この20年の敗戦への道を精査して、どうしてこうなったかを理解することは大事だろう。
    この本を読んで、「(官邸)トップダウンによるスピーディーな意思決定、効率化」って、要は、社会主義体制、共産党独裁的に近づけていこうってことだなって感じた。いくら優秀なトップによって目の前の短期的な問題の解決が達成されても、長期に渡れば権力が腐っていくのは歴史の教えるところ。上の目ばかり気にして、やがて誰も何も考えなくなってしまう。
    1995年の科学技術基本法のスタートから、その後の科学技術政策は全て、経済発展のための科学・技術という発想だったようである。科学者・研究者がしだいに意思決定から排除されていき、今やすっかり経済・産業政策に成り下がってしまった。内閣府に集められた”有識者”の年配の方々らが、現場も知らずに自分らの経験で教育”改革”を主導してかき回しているのは、昨今の大学入試改革の混乱でも周知の通り。
    また、国立大学法人化と基盤経費削減は、時期が一緒なのでセットのように見えるが、セットとして始まったわけではなかったようだ(「遠山プラン」での法人化では基盤経費は確保することが付議されていた)。法人化の前から、国の財政難から国立大の基盤経費の削減は議論されていて、法人化によって寄付やらその他の事業による収入源を得る自由を確保するためにも、終盤で国立大自身から手に平を返して法人化を推進した面もあるようだ。

  • 現代において「科学技術立国 日本」という姿を真と捉えているものは多くないだろう。基礎科学を中心としたノーベル賞の受賞は、その姿が是であったかつての残滓として、もう数年は続くのかもしれないが、その先どうなるかは分からない。

    本書は科学技術立国がどのように幻想の産物となり果てていったのかをアカデミアや製造業・情報通信などの民間企業のトップや研究者たちへのインタビュー、中国をはじめとする海外の科学技術に対する注力具合やその投資の実態などに基づいてまとめられたノンフィクションであり、幻想の崩壊を実感できる優れた一冊。

    これを読むと、崩壊しつつある日本の科学技術をどう立て直すかは、文科省に代表されるアカデミアや、経産省に代表される民間企業など、各組織が個別に取り組むだけでは解決不可能であり、国家レベルで取り組むべく重要な政策的イシューであるということを痛感する。

  • 【読書前メモ】
    取材記事を元に書籍化した作品。ここ数十年の日本の科学史とそのビジネス転用(主に衰退)が記されている。

  • SIPやImPACTに対する「成果を意識するあまり、テーマが小粒になってしまった」という批判は、研究開発に携わる立場として、心に留めておきたい。

    日本の大学は資金難と、外部資金調達などによる研究時間不足でまともに研究できる環境ではないらしい。雇用条件や労働環境も一般企業と比べて劣悪である様子。組織として疲弊しているし、個人として幸せになれないという印象を持った。今後もしアカデミアを目指すことになったら、海外を選ぶべきだろう。

  • 日本の科学の情勢について、まとめた内容。
    良くも悪くも新聞的な本なので、体系的な背景や提案などは薄いのだけど、現状を捉えるにはいいかなと思う。
    科学や教育は長いスパンで物事が見る必要があるけれど、そこに政治が絡むと短期的成果を求められるから、相性が悪いなあと感じる。

  • 論点が整理されており、課題を理解できる。
    一方、ではどうしたらいいのかという対案についてはほぼないし、この情報だけでは十分な考察ができない。科学技術の発展を真に願ってそう行動している人もいるだろうから、続編としてそのようなチャレンジをまとめて取材してほしい。

  • 東2法経図・6F開架:409A/Ma31d//K

  • 大学で理系学部を専攻していたため、今の日本の科学力の低下は憂いている。本書ではこれまでの政策や関係者のインタビューから、日本の科学力の凋落を分析している。
    特に基礎研究をおざなりにし、出口のある研究に注力する今の姿勢では、今後さらなる科学技術の発展が見込めないため、タネを撒くように、基礎研究にも力を入れてほしいと思う。

  • 誰って、決まってるだろ。「東大法学部卒」の連中だよ(=科学のリテラシーのない官僚ってこと)

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著者プロフィール

毎日新聞「幻の科学立国」取材班
毎日新聞科学環境部に在籍した記者による特別取材班。西川拓(デスク)、須田桃子(キャップ)、阿部周一、酒造唯、伊藤奈々恵、斎藤有香、荒木涼子が取材、執筆を担当した。

「2019年 『誰が科学を殺すのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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