ことば、身体、学び 「できるようになる」とはどういうことか (扶桑社新書)
- 扶桑社 (2023年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594095796
作品紹介・あらすじ
ことばが世界をつくるのか。世界がことばをつくるのか。元オリンピアンで著作も多く、「走る哲学者」とも呼ばれる為末大氏。為末氏が現役時代から興味をもっていたというこの問いを、言語習得研究の第一人者である今井むつみ氏が受け止める。私たちが意識せず使いこなしている「ことば」とは何だろうか。「言語能力が高い」、「運動神経がいい」とはどういう状態を指すのだろうか。スポーツでも言語の習得でも、繰り返しながらやさしいことから難しいことへ、段階をふんだ「学び」が必要になる。しかし、「学び」とは単なる知識の獲得ではなく、新しい知識を生み出す「発見と創造」こそが本質であると今井氏は言う。その究極のかたちを為末氏は、調整力の高さ、すなわち「熟達」と呼ぶ。私たちはどのように学ぶのか、そこに身体がどのようにかかわってくるのか。「ことばと身体」を専門にする話題のふたりが、異なる立場から「学び」にアプローチする。◆目次案1章 ことばは世界をカテゴライズする2章 ことばと身体3章 言語能力が高いとは何か4章 熟達とは5章 学びの過程は直線ではない
感想・レビュー・書評
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動きを描写する方法でいちばんいいのはことばなのです。
気になるのは、以下です。
■ことば
・同じことばでも、学習者のレベルによって有効である場合と、ない場合があります。
・コーチングのうまい人は、学習者のレベルによってどのようなことばが的確かを直観的に判断し、巧みにことばを使う人が多い。
・映像では情報量が多く正確すぎ、人間の処理できる能力を超えてしまっている。ことばは、いちばん大事なところをスポットライトを当てることができるので、表現方法としては、いちばん適しているのではないか。
・人間の認識や認知にはくせがあり、同じものを見たり、同じアドバイスを受けても、受け取り方が人によって異なると感じるようになりました。
・受け取る人の認識を想像しながらことばを選ばないと、同じ動きを引き出せない。
・ブレイクスルーは、体験によって、このことか!と分かった瞬間に起きます。
■ことばと身体
・リズムは身体の動きに不可欠です。なぜなら、動きは、身体の部位が連動していくことだからです。
・スポーツの世界では、身体の連動のイメージには音声のほうが向いていて、方向性や軌道のような視覚的イメージはことばのほうがふさわしい
・システムを自分で考えて構築していくという過程があるからこそ、仮に実体がない概念的なことばを聞いても、実体のあることばとの関係の中で理解することができるのです。
・そのように理解したことばこそ、自分の知識の一部となり、身体の一部になります。
・ことばには余白があるから、伝えやすい。余白がたんさんある。つまり聞き手が自分で考え、解釈する余地がたくさんあるということです。自分で考え、解釈した情報は知識となり、身体の一部となりやすいのです。
■言語能力
・言語化するというのは、見たものそのままを言語で表現することではなさそうです。
・相手に、自分が見たものとまったく同じものを思いうかべてもらうことを目的としているとしても、実際には見たものそのままをことばで表現しているとは限りません。
・そもそもことばというのは2つの種類がある
1つは、認知的な意味合いで情報を伝える役割をもったもの
もう1つは、感情を伝えることば
・ことばというのは、おもしろくて、抽象度の階層があるわけです。
・あることを細かい粒度でいうこともできるし、それよりももっと粒度を粗くして、抽象的にいうこともできる。
・言語能力とは、「どのように伝えれば相手がこちらの意図を理解できるか」を推論する力だと思います。
・おなじことばを話していても、コモングラウンドが違うと伝わらない
・コモングラウンドとは、ある単語を行ったり、聞いたりしたときに、同じ対象、同じ意味を思いうかべることができたり、同じ文を行ったり聞いたりした時に同じシチュエーションをイメージできるかという認識の共通の枠組です。
・文章を読んでわかる、理解するということは、結局、このメンタルモデルをつくるということでそれができない子どもが非常に多い。メンタルモデルとは、状況を心の中で組み立てたイメージのこと
■熟達
・客観的に動きを眺めるということは、連続する動きの中で、ある点を捕らえて言語化するというプロセスが必要となるのですが、それができるには別の能力が必要となります。
・身体はすべて関係しあっているので、起こしたい動きを間接的に狙ったほうがうまくいくこともある
・毎回異なる状況に対して、同じ結果を出せる。つまり状況への対応能力、調整力が高いということが、熟達したということではないでしょうか。
・ことばはきっかけづくりとして使用されますが、技術習得の過程への影響はあまり大きくはありません。
・コーチの役割は4つ
教える
そのまま伝える
揺さぶる
気づかせる
・できるようになるとは、同じ事が繰り返してできるようになるということではなく、違う条件に対応できるということです
■学びの過程
・学びの過程
①最初は反復しかありません
②無意識にできるようになる
③無意識にしまい込んでいた身体の動きを改めて引き出し、意識的に改善する
⇒細かい動きを意識しすぎると、過剰に動きを意識してしまいへたになってしまいます
⇒意識するとギクシャクし、意識しなければ、動きが改善されない
④意識的に練習するときと、無意識に練習するときに、分けていた
⇒局部だけに集中すると全体が見えない
⑤局所で技術を改善すると、それによって変化した全体のバランスを取り直す
・新しいことを学ぶと、これまでできていたことができなくなる、あるいは混乱する
・達人になれる人というのは、自分が、何をわかって、何をわかっていないかを明確に判断できるということが非常におおきい
・ICAPモデル:情報を深くする
① Passive 受動的 聞いているだけ
② Active 能動的 メモや付箋をつける
③ Constructive 構成的 新しい情報と既存の知識が関係づけられる
④ Interractive 双方向的 対話によって複数の人と新しい知識を構築する
学びで大事なことは、学び方の学び
もくじ
はじめに 為末大
1章 ことばは世界をカテゴライズする
2章 ことばと身体
3章 言語能力が高いとは何か
4章 熟達とは
5章 学びの過程は直線ではない
おわりに 今井むつみ
ISBN:9784594095796
出版社:扶桑社
判型:新書
ページ数:240ページ
定価:950円(本体)
発行年月日:2023年09月
発売日:2023年09月01日詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書を読んで、言葉の力を改めて実感することができました。言語になっていることで、思考や行動に変化を生み出せることや、言葉の使い方次第で体の挙動を理想の形に近づけることができることがすごく良く分かります。
このお二人の会話は、とても興味深く、私はいつまでも聞いていたい。
為末さんは、みなさんご存知の陸上ハードル競技で日本の代表選手として活躍した方です。アスリートの多くは専属のコーチをつけて、自らの技をより高みに押し上げるスタイルをとってますが、為末さんはコーチをつけずにセルフコーチングで自らの体を鍛錬してきた人です。言葉の選び方、使い方を意識して活用することの大切さを語ってくれています。運動のできない私にもとてもわかりやすく語ってくれています。とても面白く、小説で得られるような高揚感も不思議と感じた一冊です。 -
ことばによって身体の動きが変わる、身体によってことばが変わる。正直そう言われても意味不明。だからこそ読んでみたい
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23/9/1出版
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スポーツでは、実際にデモンストレーションや、映像を見せ、よく見ればわかる、なんて指導が行われているかもしれない。でも映像は人が理解するにはあまりにも情報量が多すぎる。人が理解できるのはせいぜいのその中の一つ。熟練した人ならば自然に見るべきポイントがわかるが、経験の浅い人はそのポイントがわからず、いくら見ても向上しない。
だからこそ、ことばが大切になる。ことばというのは、視覚や聴覚や触覚など、あまたある外界の刺激のある部分をぎゅっと抜き出して表現します。
そして、すぐれたコーチは受け取る人の理解できることばを適切に使える人。
そのためには言語能力を高めること -
この書籍は言語学者今井むつみ氏とアスリート為末大氏の心温まる対話を通じて、学びの本質に深く迫っています。為末氏の博学ぶりと今井氏の平易な説明は、まさに心を打ち、教育者やコーチにとっては非常に有益な洞察に満ち溢れていました。特に、「オノマトペ」の話や運動と言葉の関係、そして読書の重要性についての議論は、目を見張るものがあり、教育現場での応用に大いに期待が寄せられます。言葉と身体の相互作用を深く理解し、それを教育や指導に生かすヒントが得られることは、まさに感動的でした。さらに、学びのプロセスを多角的に考察し、知識のアウトプットの重要性を強調する点も、学び手と教え手双方にとって非常に刺激的で、心に残る内容でした。
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p194 周辺にいると別の味方ができる
p206 あまり変化のない単純な働きの繰り返しに対して、意識をそらさないようにし続ける力を鍛えておくことも大切です
刺激がたくさんあり、どんどん向こうから情報がやってくる時代では、自ら集中する対象を定める力が失われることが一番の問題点
p224 映像は情報をリッチに含みすぎている。だから学習者は時に情報に幻惑されてしまい、そのドコに注目し、取り出したら良いかわからなくなってしまう
言語は、現実に起こっている多層的で一度に処理するには豊か過ぎる情報をすべて表現することはできません。どこか一つの次元に注目し、そこだけ残してあとは捨てる。のこした情報はデジタルに離散量として扱って情報量を圧縮する。
ジョンコートル 記憶は嘘をつく
p186 カウンセリングでカウンセラーと話すことによって、自分で新しいストーリーを作り上げてしまい、それによって起こった時の記憶が変わってしまうというパターン。カウンセラーが幼少期に受けた虐待などの記憶を引き出そうとすると、カウンセリングを受けている方は、話の辻褄を合わせるために、現実に起きたことに想像したことを混ぜて話を作ってしまう、すると想像と現実の経験が混じってしまうということがあるらしいです。そして、一旦混じってしまうと、それは水の中に垂らした一滴のミルクのように、分離することは不可能になると、著名な記憶学者が話していました。 -
とても共感できる内容。とても大事なことが沢山書かれています。
『運動神経の正体は「修正能力の高さ」である』というのもなるほどと思いました。
おすすめです。 -
為末氏のこれまでの思索懊悩から導かれた仮説に対し,認知科学の観点から今井先生が解説をする.為末氏が,そもそも自らを徹底的に客観的分析をする姿勢が貫かれているからこそ出現する問であり,これを第三者が読んだとしても表層的な理解でしかない.学ぶべきはその姿勢であり,その極限こそ自分とは何か,自分にとって生きるとはどういうことか,という哲学の本質に収斂する.