- Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594086145
作品紹介・あらすじ
日本の歴史という美しい「虹」を見るために。
1冊で読む日本通史の決定版!
大人のための歴史教科書。
個々の歴史的事実についての丹念な研究は尊い。
しかし、それだけでは国史という虹は生じない。
無数の歴史的事実から自分の国の美質を示すのは史観である。
無数の事実を見るための正しい視線の方向と距離が必要なのである。
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」
という問いが発せられるとき、その答えのヒントとなるもの、それが自分の国の歴史である。
幸いにして日本には世界に誇れる歴史がある。
この素晴らしい歴史を鑑(かがみ)として、
今一度、誇り高き日本を取り戻さなくてはならない。
それはこの時代に生きる日本国民全員に与えられた使命であると思うのである。
感想・レビュー・書評
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総じて、日本人の誇りを取り戻すという著者の思いが色濃く伝わってくる。
特に近代以降の自虐史観からの脱却を説くための、第二次大戦での日本側の正当性を裏付ける事実が興味深かった。
同時に何をもって史実とするのか?と考えさせられた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最近、両肩・腰・右足踵が痛い。花粉症で目が痒いし鼻水が止まらない。走ったり歩いたりしてるけど、回復傾向見られず満身創痍。おまけに体重も増加傾向。
週末は実家に帰って、掃除&同級生とゴルフ。案の定、症状悪化。特に腰が痛いのなんのって。仕方ないのでソファに寝転んで読書 (これも腰に悪そう)。
渡部昇一の「日本史」通史を読む。
NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人が面白いので、
まずは「中世」を読んで源氏の歴史を確認。
源頼朝が近親者を皆殺していく様や、日本史上、政治に口を出して唯一成功した女性と言われる北条政子を、
三谷幸喜がどの様に描いていくか今後の展開が楽しみ。
続きは、現代→近代→近世→古代と逆回しで読んだ。中学でも高校でも、歴史の授業は時間切れで現代が省略されたので、通史は現代からチェックする様にしてる。
歳と取るとともに歴史への興味が増してくる。日本のみならず、海外も、地元の歴史も。自分の歩みを振り返ることも歴史と言えるかも知れない。
興味のキーワードは人物、戦争だが、渡部昇一が書いた様な通史も大変興味がある。通史を読んで、興味があった箇所を掘り下げて他の本を読む。
通史には著者の歴史観が色濃くでるので勉強になる。
というか、著者は歴史観を示すために通史を書いているんだろうけど。
なんてことを考えながら、本を読み終えてソファから立ちあがろうとしたら、すっかり腰が固まっていて痛くて悶絶した。歴史から現在に引き戻される。 -
本書は、薄く広く日本の歴史を辿っただけで面白くもなんともない凡百の類書とは一線を画す。多くの日本史の本が面白くないのは、日本の歴史を学ぶという視点で書かれているためだ。それでは教科書的で面白くないのである。
一方、本書は歴史から学ぶという視点で書かれており、また、渡部昇一先生の解説が通り一遍の解説とは違うので、為になるし面白い。
自分の国の歴史を知ることは、アイデンティティに大きな影響を与える。日本人にとって必読の書であるので、多くの人に読んで頂きたい。時間がない人は、渡部先生が最も力を入れてきた第4章の近代と第5章の現代だけでも読んで頂きたい。 -
2022/04/04 amazon 399
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●個々の歴史的事実についての丹念な研究は尊い。しかし、それだけでは国史と言う虹は生じない。無数の歴史的事実から、自分の国の美質を示すのは史観である。無数の事実を見るための正しい視線の方向と距離が必要なのである。
●王朝の断絶がない。日本では、神話の伝承は歴史研究から切り離せない。
●日本の国体は断絶した事はないが、大きな変化は5回あり、今は6回目の変化を待っている時代である。
●新神話を事実と信じよと言うのではない。何よりも重要なのは、そこに書かれた伝承が今の皇室まで1本線でつながっていると言う点なのである。
●戦国時代100年は、日本の宝。「名将言行録」
●信長が、日本を啓蒙時代に導いた。啓蒙時代とは何か、これは宗教の権威を最高にしない時代と言うことになる。比叡山の焼き討ち、一向宗の皆殺し。
●豊臣政権の仲違いには「淀君及び近江以来の家来」VS「高台院(ねね)と尾張以来の武将」と言う構図。
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通勤中に日本史の通史を読みたいと思い本屋で探していたところこの本に出会いました。
新書サイズのためかさばらず、また肝心な内容ですが歴史の各事項々の相関関係がとても分かりやすかったです。
自分は本のこれはという箇所に付箋を貼っていますが、この本は付箋がびっしり貼られています。
またこの本を読むときがあると思いますが、この付箋箇所を中心に熟読したいです。 -
面白い。
若い時に出会っていたら歴史好きになってた -
歴史は古今東西、どの時代の歴史も好きになって参りました。一つの時代を掘り下げてある本を読むのも面白いですが、最近では一人の方が書いた「通史」が好きになりました。それを読むと、つくづくと歴史は繋がっているのだなと感じることができます。
一つの出来事だけでは、なぜそのような活動をしたのか理解できなかったことがありましたが、この本を読むことで、以前やられたことに対する仕返し・技術進歩により今までの軍事力が意味をなさなくなったので、他国に負けないように軍拡をし続けた等、歴史を流れで見渡すことで腑に落ちたことがありました。
以下は気になったポイントです。
・天照大神と素戔嗚尊は姉弟の関係であるが、この二人から五人の男の子と、三人の女の子が生まれる。男の子は天照大神が引き取り、女の子は素戔嗚尊が引き取った、神話では素戔嗚尊は高天原から追われて、天照大神の天孫降臨系(大和族)と、素戔嗚尊の出雲系(出雲族)に別れた、天照大神が引き取った男の子の子孫が神武天皇につながる。三人の女神は、安芸の宮島にある厳島神社に祀られ、さらに北の九州の宗像神社にも祀られている(p31)
・一神教の国では、万人は神の前に平等、古代ローマでは法の前に平等、シナでは皇帝の前に平等であった、日本では「和歌の前に平等」という思想があった、歌が上手であれば天皇と同じ本の中に入れてもらえる(p41)
・用明天皇が亡くなって蘇我氏と物部氏が争った時、蘇我氏の軍には厩戸皇子を名乗っていた聖徳太子が参加していた、戦場において聖徳太子は四天王像を造り「敵に勝たせてくだされば寺塔を建てます」と祈願し、その誓い通りに四天王寺を建てたと言われる、これ以降、日本では神社を尊びながら仏教を入れるという形に定着する(p50)
・総国分寺として奈良に東大寺が建造された、これには日本の本質がある、1)仏教は外国から来たものであるのに、日本に入ると外国にもないような壮大なものが出来上がる、2)大仏は盧舎那仏であるが、これは太陽神が仏教に入ったとされる、すなわち大日如来、これは密教における仏の一つだが、本質的に天照大神と同じものと考えられていた。これは、本地垂迹説という日本独特の考え方である、本地とは、仏・菩薩の本来の姿、日本の神々は仏教の仏(本地)が姿を変えて日本の地に現出(垂迹)したものと考えた、これは神と仏を両立させる神仏習合思想の一つである(p54)
・蘇我氏と対立していた中臣氏の血を引く若き天才・中臣鎌足(藤原氏の先祖)と中大兄皇子(のちの天智天皇)が蘇我氏打倒計画をめぐらし、女帝・皇極天皇の4年、三韓からの使者が来朝し、進貢の儀式が行われている最中に、そこに出席していた蘇我入鹿を殺した、このクーデターは成功し、大化の改新が始まる(p59)
・日本の律令制が唐のそれと異なるのは、神祇官を置き、一番高い位を与えた点である、一番肝心なところは日本流になっている(p60)公地公民制の基本となり、律令制の根幹となったのが「班田収授法」であった、農民は土地を分け与えられ(口分田)た代わりに、納税の義務をおった、そしてその土地は6年後に返還しなければならなかった、この制度は反発により次第に崩れていくことになり、743年には墾田永年私財法が出され、貴族や寺院が広大な土地を私有することになった(p60)
・平安朝における藤原氏の絶対性は、1)神話に基づく謹みがあって天皇家が安泰であると誰にでもわかった、2)律令制度を作り上げた家として、それを利用して広大なる土地を自分のものにした(=法律は作ったものがその法律を一番利用しやすい立場にある)という点にある(p70)
・35代皇極天皇(女性)以後、48代称徳天皇の崩御に至るまでの115年間に、重祚を含めて7人の女帝が即位したが、その資格は非常に厳格で、天皇の子か孫であって、しかも天皇の未亡人で妊娠の可能性がないことが条件とされ、未婚の娘の場合は、終生結婚しないという前提があった(p74)男系天皇とは、父親だけをたどって初代天皇の神武天皇まで遡れるということ、神話まで含めると天照大神と素戔嗚尊につながるという意味である(p75)
・平治の乱では、保元の乱の勝ち組であった平清盛が後白河上皇側につき、源義朝が二条天皇側についた、しかし、義朝は保元の乱で自分の父親を殺したために、当時の武士の間では人気がなかった。(p83)
・源氏が立ち上がったもとにあったのは、つまらない出来事であった。馬のことで息子が平家に侮辱された源三位頼政と、自分だけが親王になれなかった以仁王の遺恨が結合したことが、そのきっかけになった(p86)
・平家の一番大きな失敗は、京都を去るときに御白河法皇を連れて行かなかったことである、平家は安徳天皇を抱えていて三種の神器も持っていたから、本来官軍である。官軍として戦えば非常に有利だったが、後白河法皇を法皇をおいて行ったため、逆にご白河法皇が源氏に平家追討の命令を下した。これにより源氏も官軍と称し得る立場になったp92
・一回目の国体変化は、第31代用明天皇の仏教改宗、二回目は、源頼朝が鎌倉幕府を開いたことによって起こった、宮廷と関係なく天下を武力で征服し、守護・地頭を置いたことで、これは政治の原理の根本的変化である。三回目の承久の乱では、三人の上皇を島流しにした。四回目の国体変化は、明治憲法の発布で、五回目は敗戦による占領憲法の制定である(p100)
・強力な軍隊を有していた蒙古が侵略できなかった場所は3つある、東ドイツの森・ベトナムのジャングル・日本海の沿岸である(p107)
・日本の場合、他国とは異なる特徴がある、1)主導権争いは必ず皇室内で起こる、2)皇族以外の豪族が天皇になることはない、3)いくら揉めても外国からの干渉はない(p111)
・南北朝時代が続いた理由は、南朝も北朝も皇位継承権がある男系だったからである、明治の皇室典範はこの前例を踏まえて作られている。(p126)
・応仁の乱の前と後では、日本の貴族、豪族がほとんど入れ替わってしまう、皇室・公家のほかでそれ以前の名家で残るのは、島津・伊達など(p129)特筆すべきは、伊勢神宮が庶民に支えられる全国的崇敬の対象となった(p131)
・群雄割拠というのは確かに人間のレベルを上げる、ゆえにまともな封建時代がない国は近代国家になれなかったと言われる、発達した封建時代があった国は西ヨーロッパと日本だけであって、インドにも中国にも朝鮮にもなかった。それらの国の近代化は、結局、植民地または半植民地の時代を通過するか、共産革命を通過するしかなかった(p137)日本の各地に名物があるのは、封建制によって地方に根を下ろした大名が物産を作ることに奨励したから(p164)
・啓蒙時代とは何か、一言でいうならば「宗教の権威を最高にしない時代」である、信長が日本の啓蒙時代を開いた象徴的な事件として挙げられるのは、比叡山の焼き討ち、一向宗の皆殺しと行った宗教的権威の破壊である、これにより日本の近代化が始まった(p138)
・江戸時代も戦国時代も、女は政治に口を出さなかった、なぜ豊臣家では女が口出しできたのかといえば、豊臣家が公家化したから。日本史上、女が政治に口を出して成功したのは、唯一、北条政子だけである(p157)
・家康は、元和偃武によって平和な時代になると、能力主義から長子相続制度に変えた(p159)
・日露戦争において絶対に勝ち目のない日本の騎兵がロシアのコサック騎兵隊に勝ち得たのか、これは日本軍が騎兵を歩兵として使うことを覚えたから、騎兵に機関銃を持たせた(p216)
・日露戦争が終結して10年も経たないうちに欧州で第一次世界大戦が起こったが、この間にとてつもなく大きな変化が生じた、エネルギーが石炭から石油に変わったということ(p228)
・日本もシナも宣戦布告はしなかった、今日の国際法では、中立国は戦争をしている国に武器や軍需品を売ることはできない、中国も日本も武器やガソリン等を買う必要があったので、戦争と言いたくなかった(p252)
2022年2月13日作成 -
サクッと日本史を振り返るにちょうどよいボリューム。
新書判なので移動の合間で読むにも最適でした。