([な]9-2)わたしをみつけて (ポプラ文庫 な 9-2)

著者 :
  • ポプラ社
3.92
  • (31)
  • (61)
  • (37)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 506
感想 : 54
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591145579

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 人の名前からはさまざまな情報が読み取れます。

    “三郎”であれば三男なのかな?と推測できますし、“夏子”であれば夏に生まれたのかな?と推測できます。おばあちゃんによくある名前では”シメ”とか”トメ”というものがあります。これは、『もういらない、これが最後の子』という時につけられた名前のようです。名前からは思った以上に色んな情報が読み取れることが分かります。

    私たちは、新しく人と出会った時に、そんな名前のことを話題にすることがあります。お互いのことを知り合っていくために、その人を表す名前の意味を知ることは一見間違っているとは言えません。しかし、そんな名前のことを話題にすることが極めて安易で安直な行為となる可能性もあります。

    例えば、『弥生です』と名乗る女性がいたとします。美しい響きの和風月名でもあるその名前を聞いて、あなたは『三月に生まれたのね』と、何も考えずに訊き返したとします。もちろん、『弥生』だからと言って必ずしも三月に生まれたとは限りませんが、例え違っていたとしても、そのことが問題になるようには思えません。第三者的に聞いていても決して違和感のない普通の会話に過ぎないでしょう。しかし、そんな『弥生』という名前にこんな理由が隠されていたとしたらどうでしょうか?

    『わたしは三月に生まれたんじゃない。三月に捨てられた』。

    この作品は『わたしはよい子じゃなかった。よい子のふりをしていただけだった』と『捨て子』として今までの人生を必死に生きてきた女性の物語。そんな中で『いい子でさえいれば、責められない』と、自分の真の姿を隠して生きてきた女性の物語。そして、それはそんな女性が、『だれかがわたしを見てくれていた』という人の優しさに気づき、『今はなんにもこわくない』と強い思いを持って新しい人生へと踏み出していく様を見る物語です。

    『いつの間にか雨が降りだしていた』ことを『地下の霊安室では気づかなかった』と、窓を見上げるのは主人公の山本弥生。『準夜勤の時間は過ぎて』、『もうじき夜も明ける』と思う弥生は『昨夜、末期がんの患者さんが亡くなった』時のことを思い出します。『大野先生が臨終を告げて病室を出ると』、『看護師さんは泣かないのね』と、娘さんが言います。『慣れてるんでしょ。患者のひとりくらい、死んだって平気なのよね』と続ける娘さん。しかし、師長が入ってくると、娘さんは黙りました。『病院のヒエラルキーがわかるらしい』と思う弥生は『わたしがこの病院の底辺にいるということは、だれにでもわかってしまうものらしい』と思います。そんな師長は『父親の介護のために』退職する予定で『明日にも新しい師長がやってくる』、その『引き継ぎの手伝いをするのは、古株のわたし』という弥生。そんな弥生は仕事を終え帰途に着き、その道程で突然声をかけられます。『散歩のときに、このアパートの前を通る』と言うのは犬を連れたおじさん。『どなり声がするときがある』、『泣き声もしたようだったし』と言われるものの早く帰りたい弥生は『きこえませんね』と言って済ませます。『仕事帰りかな。たいへんだね』と労ってくれたおじさんは『わたしは退職したんでね』と話しました。そして別の日の外来の場面。『舌圧子の渡し方が気に入らなかった』ことで神田さんを叱る大野先生。『まったく、正看のくせになにやってんだ』と看護師の神田を詰る一方で『やっぱり准看じゃないとだめだな』と弥生を見上げる大野。そんな大野の外来は彼が『三十分遅れて出勤してくる』から『必ず三十分遅れて始まる』ということが常態化していました。『二時間待ち』という中で、『混むのわかってんだから、ここに来なきゃいいんだよ』と笑う大野。そんな『大野先生の外来は、ほんとは苦手だ』と感じている弥生は『看護師を困らせ、患者に冷たくし、自分だけがえらいと思っている』と大野のことを思います。そんな外来の後、『山本さんです。わたしよりも古いの』と、師長は弥生のことを『新しい師長に紹介』します。『山本です。よろしくお願いいたします』と言うと『藤堂優子です』と挨拶する『新しい師長』。そんな藤堂にフルネームを聞かれ『山本弥生です』と答えると『きれいなお名前ね。いろいろ教えてくださいね』と返す藤堂。『ここは准看が多くて、彼女も准看なんですが、とてもしっかりしてます』という師長の耳打ちを聞く弥生は病棟へと藤堂を案内することになりました。外来の前を通ると『内科の先生、人気があるのね』と言う藤堂に『それもありますけど、先生が遅れてこられるので』と返した弥生は『迂闊なことを口にした』と感じます。『大野先生ね。おぼえておくわ』と言う藤堂は、『大野先生は自信のないかたなのね』とも言います。そんな藤堂との会話の中で笑みをなくしていたことに気づいた弥生はもう一つあることに気づきました。『このひとは、わたしに、三月生まれかどうかをきいてこなかった』という藤堂との会話。『弥生です、と名乗ると、必ずきかれる。「三月に生まれたのね」』と、同じ問いかけを受けてきた弥生。そして、弥生は思います。『わたしは三月に生まれたんじゃない。三月に捨てられた』。准看護師として働くそんな弥生が藤堂との出会いを通じて何かに気づていく物語が始まりました。

    『准看護師なら、学校の寮に入り、午前中は付属の病院で働き、午後、学校へ通って試験に受かれば、免許がもらえる』と、『働きながら資格を取』り、『慈森会桜が丘病院』で准看護師として勤務する主人公の山本弥生視点で描かれるこの作品。そんな病院のある街は、『桜が丘という名前の町のはずなのに、桜は一本も見当たらない』と、どこかで聞いたことのあるような街並みが描写されます。そう、この作品に登場する街は中脇初枝さんの代表作でもある「きみはいい子」の舞台である『桜が丘』です。そのことを知らずに読み始めた私は弥生が夜勤の帰り道で出会った、犬を連れたおじさんが登場するシーンに驚きました。『散歩のときに、このアパートの前を通る』と言うおじさんは、『一階の一番奥の部屋から』、どなり声や子どもの泣き声が聞こえることがあると語ります。『敷地には壊れたバイクやさびた自転車』、そして『車のタイヤが積み重ねてある』という記述にピンときます。そう、このアパートは、「きみはいい子」の〈サンタさんの来ない家〉で虐待が疑われる描写がなされた四年生の神田の家です。この作品は内容的に「きみはいい子」の続編というわけでも、ましてやスピンオフでもありませんが、そこには「きみはいい子」と同じ町を舞台に描かれた作品だからこその自然な繋がりをもって、事実上の〈サンタさんの来ない家〉の決着を見る物語が描かれていきます。これは予想外の収穫です。学級崩壊の苦悩の中で、物語の最後にようやく勇気を持つことができ、具体的な行動へと一歩を踏み出す場面で終わった教師の岡野。あの物語に心打たれた方には是非とも読んでいただきたいこの作品。そこには中脇さんの優しい想いを感じるその先の物語が描かれていました。

    そんなこの作品は弥生の衝撃的な独白から始まります。『弥生です、と名乗ると、必ずきかれる。「三月に生まれたのね」』。確かに『弥生』という印象的な名前を聞くと、会話の流れから生まれた月を聞いてみたくなることはあると思います。しかし、弥生はその問いに『わらってこたえ』ず、黙ったままでやり過ごすことを通例としています。そこには、『わたしは三月に生まれたんじゃない。三月に捨てられた』というまさかの事情が背景にありました。『三月に生まれたのね』と訊く人にもちろん悪気はないと思います。しかし、まさかの裏事情を知ったとしたら…と考えると人の名前を話題にして安易な発言をすることの恐ろしさも感じます。そして、弥生はそんな自らの境遇を胸に秘めてこれまでの人生を生きてきました。施設で育った弥生は『わたしはよい子じゃなかった。ぜんぜんよい子じゃなかった』と自らのことを思う一方で『よい子のふりを』しながら生きてきたと語ります。その考え方の裏には『わたしがほんとのよい子なら、捨てられるわけがない。施設で、わたしだけが、捨てられた子だった』と、自らが『捨て子』であることを強く意識する弥生。そして、『捨て子だとばれるのが、こわくなった』と、自らの存在を出来るだけ隠して生きていきます。『ずっと、いい子でいよう』、『いい子じゃなければ、また捨てられる』、そして『いい子のふりをすれば、いい子だと言われ』ると、『いい子』という言葉に囚われた人生は、彼女が大人になり、准看護師として働くようになってもその行動を縛り、今の彼女という人間を形作ってきました。私たちは誰でも人に貶されるよりは、褒められることを望みます。これは、歳を取ろうが変わることはないと思います。しかし、それはその人の本来の良さが発揮された先にあるものでなければ、その人の中で葛藤が生まれるのは当然だと思います。この作品の弥生は、『いい子』という言葉に常に囚われる中で准看護師として果たすべき役割を見失っていました。そんな中で弥生は二人の人物と出会います。それが、藤堂師長であり、犬を連れたおじさん=菊地でした。

    『私たちはここにいて、わたしたちにしかできない仕事をしなければいけないの』と、看護師の仕事の大切さを説く藤堂師長。それは、『いい子』として振る舞うのではなく、自身が本当に正しいと思ったことを成していくことの大切さを弥生に気づかせるものでした。また、

    『みんな覆って隠したほうがいいことだってあるんだよ。見えないものは見なくていいんだよ』と話す菊地の言葉には、『いい子』という言葉に固執し、自らが『捨て子』であることから踏み出せない状況に、もっと自分に自信を持って生きるよう未来を見据える大切さを気づかせるものでした。

    ずっと自分自身を否定し続けてきた弥生。そんな弥生が二人の人物と出会い、彼らの言葉を聞いて、そして二人から認められたことをきっかけに顔を上げ、再び前を向いて歩いていこうとする清々しい結末。どんな辛い境遇に生きていても、どんな辛い瞬間を感じながら生きていても、きっと誰かがあなたの頑張りを見ていてくれる、そんな人の優しさを感じる物語がここにはありました。

    『わたしの人生は、すべてが捨てられて始まった』、『だから、わたしはいい子でないといけなかった』、そして『わたしはいい子のふりをした』という人生を歩んできた主人公の弥生。その人生は、私などが想像もできない苦労に満ち溢れたものだったのだろうと思います。人はそれぞれにそれぞれの悩みの中に生きています。幸せしか知らない人生を送る人などいません。しかし、自分を偽って、自分を隠して生きる人生は、どこまでも後ろ向きであり、自分自身も満足のいく人生にはなりえないと思います。そんな中で、気づきの機会を与えてもらったことをきっかけに『今はなんにもこわくない』と、自らがなすべき道を見据え、力強く一歩を踏み出す弥生の物語は、弥生の真の誕生をそこに見るものでした。

    「わたしをみつけて」という書名が、作品を読み進めれば進めるほどに、ふっと心の中に浮かび上がるのを強く感じるこの作品。中脇初枝さんのどこまでも優しい眼差しをそこに感じた、素晴らしい作品でした。

  • 自分をみつけるのは自分。
    自分の居場所をみつけるのも自分。
    という事かな…。
    主人公は施設で育ち准看護師として働いている。
    それ以外の選択肢は無かったし、自分が必要とされているかも、自分自身の事も分からない思いを持ちながら日々をやり過ごしている。
    そんな彼女は新しく来た師長と出会い、、、という物語。
    この師長さんのセリフが1番心にずしっときた。
    いつも診察時間に遅れてくる医師の存在を知り、「自信がないから、ためしてる。患者さんに。みんなためされている。自信のない俺様に。」 
    そんな自分でも皆が受け入れてくれるかと。
    そんな風に人を試し、自分の存在価値を図ろうとする事って形は違えど誰しもが持っているかもしれない。
    主人公だけではなく、読者も何かをみつけられるかもしれません。

  • 良い子でさえいれば責められない…
    施設で育った過去を持つ准看護師の弥生の物語。

    経験に裏打ちされた正しさ、それが故の強さと優しさ。
    様々な境遇の人々の住む社会。その中における自分の立ち位置、向き合い方について考えさせられる。

    • スツールで読む本さん
      フォローありがとうございます
      フォローありがとうございます
      2022/06/04
    • おじさん。さん
      こちらこそ有難うございます
      こちらこそ有難うございます
      2022/06/04
    • スツールで読む本さん
      とんでもございません。これからもよろしくお願い致します。
      とんでもございません。これからもよろしくお願い致します。
      2022/06/04
  • 「名付けは親の最初の暴力」 ってすげー 文だな、と思った。
    「これからの長い人生。きっと、生きていける。
    うそを踏みしめて。」
    優しい嘘って、こういうことだね。ここの一文素晴らしいと思った。
    主人公の、あの子だけ、みんなだけ、ずるい。というか、自分にはいなかったのに、してもらえなかったのに。っていう気持ち共感する。
    でもちゃんと勇気を出して行動するの。


    ちょとでもいきなり性格というか心構え変わりすぎ。とも思ったかな。

  • すごくよかった。
    強い心が育っていくのが見えてよかった。
    病院務めてるので知ってるけど
    こんな医者は沢山いるけど、こんな師長は絶対にいない笑

  • 物語の主旨ではないけど、医者不信になる…
    読んでいてしんどかった。

  • 以前読んだ同作者の本で戦後の色々について学んだが
    今作でも初めて知った事多い。。

    主人公の名前や生い立ちや生き方についても考えされられるけれど
    院長が強烈すぎて。。
    結婚式や引っ越し業者でも担当次第で大分扱いやその後の流れ変わるけれど
    生死に関わる医師が どんなタイプか 運次第ってのは怖いなぁ。。

    ナースのお仕事の野際陽子さんが演じていた厳しい院長、主人公の遅刻を叱る原因が 自分が過去遅刻したせいで患者さんを亡くしてしまった事が原因だったけれど
    本作の主人公や院長も失敗を乗り越えて、成長して、素晴らしい看護師さんになっていくのだろうけれど
    その失敗の過程で関わるとなると。。
    人と接する仕事って難しい。。

    赤ちゃんポスト出身の男性の記事が最近あったけれど
    それこそ施設での先生や一緒に生活する子とは運次第だけれど
    綺麗ごとだけれど
    虐待死や心中も辛いけれど、生きていて欲しいとも思ってしまう。。

    ラストがハッキリ書かれていないのが良い。

  • いい話だけど、最後はちょっと手抜き感というか違和感というか。3件も続けて手術失敗するようなダメ医者ほんとにいるんだろうか?ちょっと大げさでは?とはいえ、内容は重いけど希望が持てる。重い内容だけどするすると読める。自分が経験しなくても、知り合いでなくても、世の中にこういう人がいてこういうふうに生きているんだということがわかるから小説はいい。

  • 児童養護施設育ちの看護師さんの話。

    よく育ったね。

    親がいながら施設に行くのも、いないのも、つらいこと。

    そして、だからと言って許されることではないのだが、そういう育児しかできない親の育ち方も、今の生活も、きっと幸せではない。

    遠くの県で起きたひどい虐待には、心を傷めることしかできない。

    それよりも日常で、周りにいる子供と親に、触れていきたい。

    いい子とか悪い子とか、どっちでもいいのよね。

  • わたしはわたし。
    というより、わたしはわたしでしかいられないのかな、と思った.

全54件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

徳島県に生まれ高知県で育つ。高校在学中に坊っちゃん文学賞を受賞。筑波大学で民俗学を学ぶ。創作、昔話を再話し語る。昔話集に『女の子の昔話 日本につたわるとっておきのおはなし』『ちゃあちゃんのむかしばなし』(産経児童出版文化賞JR賞)、絵本に「女の子の昔話えほん」シリーズ、『つるかめつるかめ』など。小説に『きみはいい子』(坪田譲治文学賞)『わたしをみつけて』『世界の果てのこどもたち』『神の島のこどもたち』などがある。

「2023年 『世界の女の子の昔話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中脇初枝の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×