この歳になってわかったこと

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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584139745

作品紹介・あらすじ

戦艦大和の軍医として、広島原爆投下後の調査団として、その後の長年にわたる医師としての活動を通して日本の医療に貢献してきた著者が、生老病死について語る人生哲学!

感想・レビュー・書評

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  • 浅く思ったことを並べてみた、ような。
    現在99歳ならしょうがない?うーん。

    大和の乗務経験、原爆投下3日後の現地調査も同じことをやった人はいないだろうに、そっちをもっと知りたかった。
    責任を果たさず個になりすぎているとか、競争、教育、死に様とか、もっともなんだけど、薄く浅く感じた。

  • この歳になってわかったこと

    著者:祖父江逸郎
    構成:成田全
    発行:2020年12月10日
    KKベストセラーズ

    著者が戦艦大和に乗っていた軍医だと知り、この本を図書館予約したのだと思うが、よく憶えていない。だいぶ待たされてやっと読めたが、検索するとその間に著者は逝去していたらしい。3月29日死亡、新聞発表は今から1週間程前の4月8日になっている。
    享年100。おそらくこの人は名古屋では有名人だったのだろう。

    生まれが愛知県山田村(現在の名古屋市)。僕が生まれ育った名古屋の大曽根の隣接町、今なら同じ小学校区の可能性大。愛知県第一中学(県立旭丘高校)、第八高等学校(名古屋大学)、名古屋帝大医学部から医師になったエリート。卒業に際しては、いくつも選択肢のある身として軍医を選び、戦艦大和に乗る。

    中国の青島で見習尉官として特別訓練(17Pには約半年、20Pには約3ヶ月と書かれている)。1944年に築地でさらに必要な訓練を受けて軍医大尉に。同年4月、大和でシンガポールの南「リンガ泊地(リンガ諸島)」へ。そこからさらに「タウイタウイ泊地(スールー諸島タウイタウイ島)」に行き、マリアナ沖海戦へと突入したが、空母が集中攻撃されたために一旦、沖縄を経て呉に戻る。
    7月にリンガ泊地に戻って3ヶ月ほど演習。停泊中に1度だけ大和の艦橋(ブリッジ)へ上ってみたが、海面ははるか下。大和の大きさとブリッジの高さを実感した。

    10月、ブルネイからフィリピンのレイテ島沖へ向けて出撃。レイテ沖海戦では、大和の僚艦であった戦艦武蔵が沈む。その他戦艦2、空母4、巡洋艦10、駆逐艦11、潜水艦3隻を失った上、日本に帰る途中の台湾沖で戦艦金剛と駆逐艦浦風が潜水艦の魚雷で轟沈(攻撃され1分以内に沈没すること)。次から次へと運ばれる負傷兵の手当。戦争のリアルさを体験する。

    同年11月に戻り、翌年(1945)1月に転勤命令が下って江田島にあった海軍兵学校大原分校での任務に。そこで、対岸の広島に落ちた原爆を体験。朝に出来たキノコ雲は午後になってもまだ形を保っていた。8.15以降は復員官として復員業務を担当。

    全体4章だてのうち、第1章でそんな戦艦大和体験が綴られ、戦争は2度としてはいけないと強調する。しかし、面白かったのは第1章だけだった。
    2章は本のタイトルにもなっている「この歳になってわかったこと」で、ここからじわじわと〝戦前思想の良さ〟を評価していることが見えてくる。表向きは戦後に実現した自由を否定するのではなく、自由を獲得するためにある部分に枠をはめなければいけないと、海軍式の良さを引き合いにだしながら語り始める。リベラルを装いながらも強制的にさせるものが必要という意味合いのことを延々と言う。

    昨今言われる多様性とは対極にある人だということが分かってくる。そうしなければいけない理由を「品格」の言葉に収斂させていく。「子供は一人ひとり個性が違うものです」としつつ、「ある一定の型にはまった、最低限度の社会生活を送らせることが躾には重要」であり、そのために合宿や寮のようなところでの共同生活をやらせた方がいいと。
    「多数派や勝ち組に属していれば安心だ」という考えを否定して新自由主義的な風潮を嫌っているのかと思わせておきつつ、昔、成績順で席に座らされたがトップの成績で一番後ろからの眺めは格別だ、しかし油断するとあっという間に落ちてしまう、とやっぱり勝ち組でないとダメという人のようだ。まあ、エリートだから仕方ない。

    章の締めくくりの言葉は、「世の中の酸いも甘いも経験してこないと、こうしたことはなかなか言えないでしょう。やっぱり人間百年近く生きないと、わからんこともあるんですよ」として、一切の反論を受け付けない態度だった。これがこの本の主題なのでしょう。

    3章は健康でいるためにするべきこと、4章は老いと死について。

    *********

    「一期一会」の原典は、井伊直弼による茶道の著書「茶の湯一会集」の序文。

    大和での経験。飛行機が襲来すると、艦の上空に対空機銃の弾幕を張って飛行機が入り混むのを防ぎ、さらにそこに対空砲火を浴びせるが、それが上空で炸裂して、その破片が大量に落ちてくる。その鉄片で味方の兵がやられてしまう。

    ほとんど公表されていないが、江田島の海軍兵学校大原分校に全国から集まってきた選り抜きの生徒に、夜尿症が続出していた。高校生ぐらいの年齢になって、蒲団がボロボロになるほどだった。

    スピードを重視すると正確さは失われると思われているが、海軍ではすべてのことをスマートにやることが基本。「海軍魂」。

    哺乳類が一生に打てる心拍数は30億回。

    テロメアとは、染色体の末端部にあり、そこを保護する構造のもの。この長さが寿命の長さに関わっていることが見出された。

    読んでいる本の著者と話しをするような「能動的読書」をするべし。

    インプットだけでなくアウトプットの訓練も必要。記憶した知識を一度取り出してリピートすること。アウトプットを一番効果的に行えるのが人に教えること。

    海馬では最近の記憶がメモリーされていて、記憶の獲得と短期間の置き場所として機能している。ここで記憶されるのは半年から2年以内ぐらいの記憶。それよりも古い記憶は「遠隔記憶」と呼ばれ、大脳皮質に記憶されている。

    (著者は)魂は実際に存在しているものだと考える。科学がこれだけ発達している現代でも、魂を具体的に捕まえた人はまだいない。それは魂が人の持っている能力の範囲外にあるもの、もしくは違う次元にあるものだからだろう。魂は電磁波的なもので捉えられるのではないかと思っている。

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著者プロフィール

1921年、名古屋市生まれ。公益財団法人 長寿科学振興財団名誉理事長および名古屋大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授。
1943年、名古屋帝国大学医学部卒業後、海軍軍医学校での訓練を経て軍医中尉となり、戦艦大和に乗艦。乗組軍医としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に従軍した。45年1月に広島県江田島の海軍兵学校大原分校に転勤。8月6日の広島原爆投下の3日後に現地調査を行った。戦後は名古屋大学教授、国立療養所中部病院(現・国立長寿医療センター)の院長などを経て、99歳になった現在も現職(2020年11月現在)。1994年に勲二等旭日重光章叙勲。主な著書に『長寿を科学する』(岩波新書)、『天寿を生きる』(角川ONEテーマ21)、『軍医が見た戦艦大和』(角川書店)などがある。

「2020年 『この歳になってわかったこと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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