- Amazon.co.jp ・本 (389ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582859119
作品紹介・あらすじ
罪を犯した少年たちは、いかにして心が壊れたのか。矯正教育ではどんな取り組みが行われているか。虐待を受けた少年たちの病理と矯正教育の最前線を追った著者渾身のルポ。
感想・レビュー・書評
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犯罪被害者が一番気の毒であるし、明日は我が身という所でいくと、凶悪犯罪に対しては厳罰を下して欲しいというのが僕の考えです。
もちろん人が人の罪を、死という形で断罪されることが正しいと言っている訳ではなく、再犯する可能性が高い人間を再度市井に放つという事が、どうしても理解できないというのが正直な所です。一番大事なのは真面目に生きている人の安全でしょ。どう考えても。
さて、そんな中で一際難しいのが未成年の犯罪者です。未成年だから更生できるという事を僕は信じていないのですが、この本のように虐待や育児放棄で歪んでしまった少年少女が、その歪みが故に犯罪に走ってしまう事に関しては、非常に憤りと悲しみを覚えるし虐待する親を逮捕して欲しいと強く思います。
一概に虐待されたからとは思わないですが、この本に出てくるのは本当に苛烈な暴力にさらされた少年少女ばかりで、これだけの事をされてまともに生きていく事は難しいであろうと感じました。
しっかりとしたケアを受けて、社会復帰をする子供たちもいくばくかはいるという現実を、否定する気は無いし非常に大事な事だと思います。
でも、もし自分の家族に彼らの牙が襲い掛かったらと思うと、本当に恐ろしいし、「更生したかもしれない」で再犯の被害になって命を落としたり、人生に暗い影を落とすような事が有るとしたら、僕はやはり娑婆には出さず一生を塀の中で送って欲しいと思ってしまいます。
とても有意義な本で読みごたえも十二分。素晴らしい本です。でも僕はやはり許せない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
非行少年少女の置かれている「厳しい現状」を更生施設や更生過程にある少年少女(元を含む)への取材も交えながらつまびらかにする一冊。
「厳しい現状」には親からの虐待のようなものから、友人・社会環境の悪さ、本人の能力的な問題、そしてなにより手を尽くしても「そうそう簡単に更生はできない」という現実、そんな多岐にわたる「厳しさ」が明らかにされる。
そして「加害者の被害者的側面」だけではなく、厚生施設側の立場、そして「そんな加害者の被害者家族」の思いなど、いろいろな立場から見た「加害者」の見られ方も取り上げる。
こういう問題を扱い本の中ではかなり救いのない方の一冊。でも、だからこそ納得する部分は多かった。更生してほしいと誰だって願うけど、それをきれいごとだけでやすやすとできるような言い方をしつつその実装のお粗末さに落胆するよりは、こういう厳しさを指摘する本の方が信頼ができる、個人的にはそう感じた。
少年院などの「誘惑のない場所」でいくら更生しても誘惑のある社会に戻ってそれが続くとは限らない。そして加害者を積極的に受け入れることを社会に求めるのも難しいし、そんな加害者を受け入れることは被害者にとっての苦痛になる側面もまたある。
そういう現状を踏まえた上で、この本では最後に「更生した人が運営する更生施設」を紹介する。
非行少年少女も、そうでない少年少女も、大人だって「自分を受け入れてくれる同類」を本音では求めている。それが「厳しい現状にいる少年少女」と「まっとうな世界で暮らしている人」を分け隔てる原因になり、それが非行少年少女の更生を妨げている部分はある。
「更生した人」にとっても、決して「まっとうな人」が暮らす社会は居心地のいいものとは限らない。場合によっては「更生しようとしている人」の方が親近感がある場合もある。一つの有効な解決法なんだろうな、と。
「ワル」に限って群れるのは、ワルいことをしたいというより、ワルいことの方がイイことより誰にでもできるから群れるための敷居が低いから。
「したくてワルやってるわけではない」という「厳しい現状」は…犯罪に走るかはさておき、わりと見かける事例。自分自身考え直す部分があった半面…やっぱり難しいよな、というのが本音なのかもしれない。 -
「43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層」を読んだ時は 事件に関して何故???という消化しきれない気持ちしか残らなかったが このルポを読んで少し納得できたような気がした
理解するということが人によってはとても難しい。。
やはり 幼少期に親の愛情をどれだけ受けたかが大事だと思わざるを得ないが。。現実は厳しい
石井光太氏のルポは今後も読み続けていきたいと思う -
子を持つひとりの親としては、加害者の背景を少しは理解できつつも、許すことはできないと思う。
一方で、ひとりの人間として、加害者本人ではどうしようもなく事件を起こしてしまった場合もあり、加害者本人に罪を負わせたところで解決するものではないと理解した。
本書は、事件の加害者、被害者、加害者の更生に関わる人々、それぞれの側から背景や心情、取り組みが、とてもとても丁寧に書かれている。
本書で、加害者が更生期間を終えて戻ってきたとき、受け入れる側が受け入れなければ、また同じことの繰り返しになってしまうため、受け入れる必要はある。一方で、その対応が被害者の家族を苦しめる、という記述がある。
せめて加害者が別の町で暮らせられればと思うのだけれど、それも難しいのだろう。少なくとも被害者の家族を苦しめないようにしたい。
そしてなにより、心無い言動で被害者の家族を悲しませないようにすることは、肝に銘じたい。 -
知的障害の青年について書かれた第六章で、著者が「更生には自立して生きる印象があったが、かならずしもそうする必要はなく(中略)支援者に頼りながら自分のペースで生きていくのも一つの方法だろう」と書いているのを読んで、正直がっかりした。
これだけ、不遇な成育環境によるマイナスの影響を受けている少年たちについて、長く深く取材している著者でも、そこはそんな風に理解していたのか、ととても残念な気持ちになった。
自立とは、頼れる人がいること、人に頼りながら自分らしく生きること、私はそう思っているし、実際全ての人がそうして生きているはず。誰の力も借りず生きている人は、世の中に一人としていない。程度の差、頼る相手の違い(たとえば行政だったり制度だったり、個人だったり)はあっても、どんな人も100%誰かの力を借りて生きているのだ。それをもとに、自分なりの生活を成り立たせることが自立なのに「そう(自立)する必要はなく、支援者に頼りながら~」と言ってしまうことがとても残念だった。それだけ。
それ以外は、丁寧に取材して、当事者たちの声を聞き、社会の抱える問題に切り込んでいく著者の姿勢と取り組みには、深い敬意を抱く。まあだからこそ、上記の一文が残念だったのだけれど。
途中、犯罪被害者の遺族に取材している件がいくつかあって、理不尽に被害者になってしまった方の遺族ばかりだけれども、どの遺族も「しっかりと罪と向き合って、その贖罪の気持ちとともに、人生を歩んでほしい、それこそが罪を犯した人の歩むべき道」ということを言っていることに救われた。そう思ってくれる遺族がちゃんといるんだなということが、とても救いになった。
でもだからこそ、そんな遺族のためにも、犠牲になった被害者のためにも、成育環境の問題によって道を踏み外してしまう少年を出さないように、そういう少年であっても、更生してしっかりとその先の人生を歩んでいけるように、社会が抱える問題を解決していくことが、社会全体の責務であると思う。 -
またしても、少年たちの犯罪のルポを読ませてもらった。問題が複合的すぎて、どうしていいのか、途方に暮れる。少なくとも、少年たちをきちんと更生させることが、社会にとって良いことに決まってる。そのための方策にもっと力を尽くすべきだと思う。法務大臣はつまらない役職なんていう前に、そういうことももっと考えるべきだと思うなぁ。
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少年院などを実際に取材しているので勉強になる。
生育した環境が人格形成に大きく影響しているのだと思う。
周りの支援があれば、少しは生きやすい世の中になるのかも。
自分も含めて、正しい知識を持てるようになりたい。 -
被害者の心情をどうしても理解できない少年が顕著になっている
ADHDやASDの少年少女も含まれる
加害者、犯罪者であるのに、少年院などで更生指導を受けたのに被害者のことを考えられない
虐待を受けて育った少年少女の事件取材から、性非行・ドラッグ依存・発達障害との関係・独自の更生施設運営 などの事例に直面する
完全に人生を壊してしまった加害者だけでなく
ぐ犯 (犯罪に進む恐れがある)少年少女や、隠れたまま虐待を受けた少年少女の将来は危ぶまれる
刑期を終えた本人達もさまざまに もがいている
健全な家族関係を知らないまま、それでも何とか生きてゆこうとする
苦しみもがいてる人達が全て犯罪を犯すわけではない
愛情障害、発達障害、PTSDなどでも社会とのつながりの中で支えあって生きている人達の方が多いはずだ
苦しい時に、支え合える人がいることが大事なんだと、あらためて強く感じることができる
そして犯罪を犯した少年少女の更生のために 元服役者達が独自で受入施設を運営している
そのような更生施設はまだまだ少ないようだが、本当の苦しみを知ったからこその生涯をかける思いで更生施設運営する現場を取材された事には大きな価値を感じた
虞犯 ぐはん 犯罪に進む恐れや可能性のあること