- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582858624
感想・レビュー・書評
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#3206ー29
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先日読んだ本。タイトルに『「全盲」のフィールドワーク』とある通り、視覚障害のある文化人類学者による著作。前半では自分の半生や盲人史研究について語り、後半では触ることの良さをものすごい勢いで語る。
どちらかというと目が見えない人の日常生活について知りたかったのでそのあたりに関して言うと、著作の中の川柳がだいぶ参考になった。
「目覚めれば ボタンを押して 知る時間」
「色は無視 手触り任せ 服選び」
「自分では 必要ないが 電気点け」
最後のやつはちょっとおおっとなった。
パソコンやスマートフォンの台頭によって点字離れが進んでいる話なども興味深かった。世代や視力を失った時期によって視覚障害者文化に違いが出てきているというのは、あまり考えが及んでいなかった話である。著者は点字に思い入れが深く、点字文化の衰退を惜しんでいるようだ。
しかし、国立民族学博物館がよく面白そうな展示をやっているなと思ったら、こういう方が働いていたのですね。
あと107ページにスッと書いてあった「専業のイタコもいなくなり」という文が地味にショックでした。…もう…いないのか…。 -
2021年1月期の展示本です。
最新の所在はOPACを確認してください。
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00536419 -
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配置場所:摂枚普通図書
請求記号:369.275||H
資料ID:95180088 -
↓貸出状況確認はこちら↓
https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00260680 -
『わが盲想』のモハメド・オマル・アブディンもそうだったが、著者も同音異義語を巧みに使う。アブディンの場合はそれが単にオヤジギャグであったりするのだが、広瀬の場合それは、「無視角、無資格、無死角」「健常者、見常者」など、造語まじりの同音異義語で新しいものの見方を提示している。また同音ではないが、「見常者」に対して「触常者」、「見識」に対して「触識」などの概念を示すことで、視覚中心のマジョリティの文化に対して、そうでない文化が存在すること、そしてそれは見常者も享受する価値のあるものであること訴える。そしてその具体的方策をどのように実践しているかを語る。その語り口は新たな世界を切り開いている者のそれで、読んでいるこちらもわくわくしてくる。
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国立民族学博物館准教授であり、また全盲の研究者である。
著者の生い立ちと共に現在の研究テーマを素人の私たちにもわかりやすく解説している書である。
今まで、目の不自由な方、当事者が、特にどのようにして勉強をしてきたか、また就学中は将来のことをどのように考えてきたか等、現在の自身に到るまでの人生を聞く機会がなく、興味を惹かれた。
著者は30年ほど前に京都大学で学んでいる。当時は今ほど障がい者に対するサポートもなく、大変な努力をして勉強をしてこられたのだと思う。しかし自身の一般的には負と思われる障害ということを、研究テーマにして民博の仕事を推し進めていくパワーには敬服させられる。
近年はパソコンの普及、その読み上げソフト等により、点字を習得せずとも楽に社会とコネクトできるようになり、点字習得率が落ちているという。
しかし著者は「目から得られる情報量の多さとは別の、人間が聴覚や触覚から得られる情報の余情を感じる能力、想像力の大切さを説いている。
現代人はあまりにも多くの情報を瞬時に得られ、しかしそれによって失ってしまった感覚も多いのではないかと痛感した。