障害者ってだれのこと?: 「わからない」からはじめよう (中学生の質問箱)
- 平凡社 (2022年7月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582839036
作品紹介・あらすじ
「障害者」とはだれのことか。「障害」とはなにか。わかるようでわからない問題を、いろいろなアプローチでそもそも論から考えます。
[本の内容]
本書の後半では、「障害者差別」についても考えてみました。この「差別」というものも、 まさに「簡単にわかろうとする」ことの方が怖い種類の問題です。だから、私がすべき仕事は、簡単に「わかったこと」にさせないようにしたり、「簡単にわかろう」とはさせないようにしたりすることかもしれません。
というわけで、「はじめに」でも書いたとおり、この本は読み終わった後「障害とはなにか」や「障害者とはだれのことか」が、読む前よりもわからなくなっている本を目指しました。なんとも不親切で意地悪な本かもしれません。なぜなら、本というのはふつう「なにかをわかるため」に読むものですから。
でも、私が心から望んでいるのは、「障害とはなにか」や「障害者とはだれのことか」 について、私と一緒に悩み、モヤモヤと考え続けてくれる人が少しでも増えてくれることなんです。
本書のサブタイトル「『わからない』から(・・)はじめよう」の「から」には、「理由」と「出発点」の両方の意味をこめました。同じような動機で、同じような場所から、私と一緒に歩いてくれる人がいたら、とてもうれしいです。
(本書「おわりに」より)
[目次]
第1部 「障害」とはなにか? 「障害者」とはだれか?
1 制度や法律の歴史から考える
2 理論や理屈から考える
「できる」と「できない」の違いはなにか?
障害学の見地
3 イメージから考える
車椅子が障害者のイメージとつながったのは?
パラリンピックの価値観はオリンピックと同じでいいの?
第2部 「障害者差別」と向きあうには?
1 差別ってなに?
2 障害者運動の神髄
「そりゃそうだけど、それだけじゃない」
「それだけじゃない」から生まれた価値観
3 障害者運動が闘ってきた「差別」
青い芝の会が否定したもの
善意の顔をした差別
4 差別のない社会は可能か?
「差別のない社会」より「差別があったら怒れる社会」
自分の苦しさを声に出す
感想・レビュー・書評
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文字ばかりの本なのに、とても読みやすい。
どう考えていけば良いのか、わからせてくれる。
はじめに。のシルエットだけで心を掴まれました。
意識を変える、考えるチャンス。 -
読みやすくわかりやすく、糸口になる本。「わからない」ようになる、と書かれている通りの示唆があり、次へ歩んでいくための本。
障害者の中にも差別があるし、他人の思想に傷つけられると自らも同じ思想で傷つけるようになるし、簡単ではない。差別がない世界ではなく、正しく怒る世界、という表現はしっくりくる。
コロナで自分が差別される(尊重されない)側になることを感じたというのはちょっと甘すぎると思ったけど。 -
障害者、差別について余計にこんがらがった。
こんがらがってもっと考えなければいけなくなった。しかし、それが大事だと。
障害者や差別について他の本も読んでみようと思えた -
「そもそも“障害者”の定義、“障害者差別”って何?」を戦後史や世間のイメージなど色々な面から考える本。中学生向けだけど、大人が読んでもわかりやすい。
発達障害の場合だと個人差(グラデーション)はよく言われるけれども、身体障害の場合はただ“歩く”にしてもその時の状況・条件(慣れた道か、昼か夜か、混雑度や荷物の重さは、等)+その人の障害の程度や特性によって難易度が変わるというのは見落としがちだなと思ったし、健常者にも“障害者的要素“ が誰にでもあること(得意不得意)、障害者間にもマウントやカースト(就労経験の有無、男女の役割分業等)があること、“障害者だから○○”と簡単に括ってしまいがちだけども、全てがはっきりくっきりと括れるものではないよね、ということにははっとさせられた。
「青い芝の会」の活動については渡辺一史「なぜ人と人は支え合うのか」(ちくまプリマー新書)でも取り上げられていて、現在でも賛否両論があると思うけど、”社会モデル”を推し進めたこと、著者の言う「差別をなくすのではなく差別があったら“怒れる”“苦しみを表に出せる”社会(断絶するのではなく相手と共存していく社会)」をつくる下地になったという面では活動に意味があったのだと思う(半世紀ほど経った現在でも、まだまだ充分とはいえないが)。
p172〜で引用されている横田弘氏の詩「祭壇」は、祭り上げられている(大事にされている)ように見えてお前らに閉じ込められて見えないようにされているぞ、という社会への皮肉や恨みと共に、迫力というのか厳かな感じというのか、そういうものも強く感じる作品だなと自分は思った(特に“四畳半〜自ら降り”のあたり。這うように移動していたという横田氏が“降りてくる”のがいい皮肉だし、神が降臨したような雰囲気がある)。
障害などの有無に関わらず、誰でもある面ではマジョリティで別の面ではマイノリティであるし、自分も実は国や社会に“差別されている”側なのかもしれないということ、よかれと思ってやったことでもその人の意思を尊重しない行為になっているのかもしれないこと(だからといって見て見ぬふりをしたり自分の意思を主張するのを諦めるのではなく、相手と“対話”をすることが重要)、は頭や心の隅に刻みつけておいたほうが良いのかもしれない。 -
障害者福祉の歴史や課題を、教科書的にではなく、普段の生活やものごとの考え方を土台にしながら一緒に考えるというスタンスの本。
単に知識の解説だけでなく、マジョリティとマイノリティとはなにか、差別とはどういうことか、といった、「福祉」という文脈を離れても大切になる視点について、丁寧に疑問を投げかけてくれる良い本だと思った。 -
障害者とは何か? 障害者差別とは何か? ということを考える本。こうした問いに対して、「答え」を出すのではなく、これから差別に出会った時に、一つひとつの問題を考えるための「考え方」を書こうとする筆者の立場が素敵だった。
この本では、第一部で「障害とは何か?」「障害者とは誰か?」について、法律と制度、理論と理屈、社会的イメージの三つの点から考える。しかし、まさに「考える」のであって、最初にも言った通り、その結果、何かしらの答えが出るわけではない。
「歩く」という例では、全く立ち上がることもできない人から、車イスから普通のイスに座るくらいなら自分で歩ける人。杖があって、人混みでなければ歩ける人。膝でにじり歩くことはできる人。そういった具体例を考える中で、「できる」と「できない」の間の、グラデーションを考える。
このように、この本の中では、「歩く」ことに障害のある人は、こういう人で、こういう支援が有効だ、とかいった話は一切ない。むしろ、そんな分かりやすい答えから遠ざかって、その境界線を考えることの大切さ伝えて、考えるためのきっかけとヒントを与えてくれる。
本の最後に述べられている「差別のない社会」を目指すのではなく、差別は起こりうるということ認めた上で、「差別に対して怒れる社会」を目指そう、というメッセージが印象的だ。
障害者や差別について語るとき、確かに、自分だけはされる側にはならないと思い込んでいることに気がつく。
自分自身が、マジョリティでありながら、マイノリティについて語るとき、差別を受けることへの恐怖心、怒り、そうした気持ちをどれだけ当事者性をもって受け止められるか。そのためには、常に障害があること、ないことの境界線の上で考え続けることが大切なのだという。
それを確かめさせられる本だった。 -
とても読みやすいけど、すごく考える本。
簡単に分かることなんてないんだと思うし無理だと思う。
考え続けることが大事。 -
中学生向けなのでわかりやすくてありがたい。当事者にならないと分からないことが多く身近にもいないので考えるきっかけになった。最近ダイアログインザダークに行ったので余計関心を持つトピックだった。
先入観や障害の定義について時代の流れなどの話
コテンラジオの#297障害の歴史〜声なき声に耳をすませば〜の回から#310各国の現状と日本の立ち位置がおすすめ。
障害や優生思想、福祉の歴史について学べる。