新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582767803

作品紹介・あらすじ

「フェルナンド・ペソアの書くものは、実名と異名と呼びうる二つの作品のカテゴリーに属している。…異名による作品は作者の人格の外にある。」-別の名と別の人格をもつ書き手たちの作品群が、ペソアという文学の場で、劇的な空間を開いている。20世紀の巨匠たちの列に最後に加わったポルトガル詩人、ソアレス名義『不穏の書』と、本人名義と複数の異名者の断章を旧版を大きく増補・改訂した新編集で。

感想・レビュー・書評

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  • 真に書く人は本を造らない。
    「造る」は「書く」に追いつけないからだ。
    散らかした紙片の中に佇み途方に暮れる人こと詩人なのである。

    みたいなことを考えた。
    つまりはペソア病にかかっていたわけだ。

    60箇所くらい付箋が残されたこの本を、何度も読み返すことになるだろう。

    未来の郷愁。

  • ペソア/ソアレスは「生きる」のギアがとてもマニュアルな人という感じがする。いちいち考えないと動けないからくたくたになってしまう内向型。彼の書くものはこちらの気分でかなり受け取り方が変わる。

    落ち込んでいるとき、どう表現してみても「落ち込んで余裕がない気の毒な人間」であることだけがはっきりしてしまいそうで動けなくなっているときは、ペソアの文章は妙に沁みる。手に入れられないものへの気持ちの整え方みたいなことについて、教えてもらっているような気がする。

    落ち込んでいないとき(てきぱき働いて一日が終わり、心を遊ばせるために本を開いたとき)には、「ああこういう人いるな、なぜほかのひとにも心があるのがわからないのかしら」と辟易する。自分にもペソア的面があって、そういうところを持て余しているから、よけいそう感じるのだと思う。

    とにかく内向的人間の欠点をとても上手に書くので、慰められてしまうところがある。お守りに持っておいたら安心かもしれない。あまりペソアが読みたい精神状態にならないように努めたいところではある。

  • 「私が私であることの不確かさ」、「私が私であることの耐えられなさ」―そんな感覚を抱いたことがあるならペソアを読もう。3つの人格、3つの異名を用いて膨大な散文を残したポルトガルの詩人。貿易会社に勤めて生計を立てながらも、その陰で書かれ続けた散文は始まりも終わりも無く、断片的な形式を用いて「断片化された私」について述べ続ける。その言葉の切れ端はニヒリズムの力を借りてエゴイズムを駆逐するが、それでもナルシズムからは逃れられない己の弱さを丁寧に暴き出しており、それは砕け散った私の欠片とまるで見分けが付かないんだ。

  • ペソアのことは、ツイッターで彼の言葉を定期的に呟くbotで存在を知った。その時から、この本のページをめくる今まで、まるで自分の心を覗かれているのかと思うほどに見事に言い表した言葉たちの鋭さに、悔しさを禁じ得ない。私が言葉にしようと現在進行形で試みていることを、100年近く前の人がとっくに言葉にしている、しかも、私よりもずっと的確に。悔しさでなくてなんだというのか。共感することと、実際に言葉にすることの間には、絶対に超えられない壁がある。私は表現者になりたくてたまらない、表現者のなり損ねだ。悔しい。悔しくて、でも感動でも新鮮さでもなく、ただ私につきまとう生きづらさを感じていた人がここにもいたということに、どこか心強さを覚えたりもする。彼と違って私は旅が好きだけれど。

  • 「断章」のほうはペソア名義だけでなく、アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンボス、アントニオ・モーラ、ベルナルド・ソアレスなど別名で書かれた詩や散文からの訳者の引用集のようなもの。「不穏の書」はソアレスの名前で発表された散文(しかし全文ではないらしい)。

    どちらも、どのページを開いてどこから読んでも、巻末エッセイの池澤夏樹の言葉を借りるならまさに「引用を待っている断言の束」。あれもこれも引用したくなる、格言集のようでもあり、哲学書のようでもあり、詩集のようでもある。

    完全に勘違いだし、変な言い方だけれど「これは自分が書いたのではないか」と思わされるほど、思い当たる部分がたくさんあり、かといって絶対凡人には書けない(適切に言語化できない)研ぎ澄まされた内容に目からウロコがぼろぼろ落ちる感覚もありつつ、どうしてこれほどまでに彼は孤独で偏屈なのだろうと、入り込みすぎると鬱になりそうに。

    「生きるとは、別人になること」と書き、実際いくつもの名前を使い分けたペソアが単純に多重人格だとは思わないけれど、奇妙な表出の仕方だなとは思う。気になる。作家が登場人物に一人称で語らせるようにいくつものキャラクターを創造しただけとも取れるし、一種のスターシステムだったのかもしれない。

    読み終わった後に、タブッキの「夢のなかの夢」をひっぱり出してきてペソアのところだけ読み直したりしました。もっと読みたいなあ。

  • ペソアが生きて書いて残したあとに生まれて来て幸運だと思ってる。
    でもきっと、こんなこと言っても本人に喜んでもらえないな…。

  • おもろい

  • 自分とその外界、それがもたらす細かな機微の変化よくこんなに意識するな。極めてナルシスティックであり真理であった。あまり読むの心地良すぎない?否定で肯定とかいう文体が自由すぎる。どこが不穏の書なんじゃ

    全訳じゃないんかい。

  • これは一生ものの一冊になりそうです。読んでいると、生活上の様々な出来事や悩みが至極つまらないことに思える。開き直ることができる。自分が自分でいられる。それでいて、時にしんみりすることもある。まるでお酒のように、飲み方によって色々な酔い方ができる作品です。

  • 記録

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著者プロフィール

Fernando Pessoa (1888-1935)
20世紀前半のヨーロッパを代表するポルトガルの詩人・作家。
本名のフェルナンド・ペソアだけでなく
別人格の異名カエイロ、レイス、カンポスなどでも創作をおこなった。
邦訳に上記4名の詩選『ポルトガルの海』(彩流社、1985年/増補版1997年)、
『アナーキストの銀行家 フェルナンド・ペソア短編集』(彩流社、2019年)ほか。
散文集『不安の書』は、ペソア自身に近い男ソアレスの魂の書。



「2019年 『不安の書【増補版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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