容赦なき戦争 (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582764192

作品紹介・あらすじ

『敗北を抱きしめて』の前著として合わせて読まれるべき戦慄の探究。同時多発テロとそれ以後についての特別寄稿を付す。

感想・レビュー・書評

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  • 「敗北を抱きしめて」のダワーが、日米戦争中の日米双方の人種主義を分析した本。

    「敗北を抱きしめて」はとても面白い本で、戦後の日本復興における日本とアメリカの一種の共同作業のプロセスをリーダーたちの言動だけでなく、庶民の捉え方も含め、言説やシンボルなどの文化的な読み解きを通じいて、とてもエキサイティングであった。

    この本が書かれたのは、この「敗北を抱きしめて」より早く、扱われている時代も戦前、戦時中というわけで、「敗北を抱きしめて」の前編ということもできる。

    内容としては、いかに戦時中に日米双方が、人種的な偏見、ステレオタイプ化によって、相手を非人間的な存在として、語り、シンボル化して、戦争において、相手の「人権」といったことを考える必要のないものにしていたかということを漫画やポスターなどなどの分析を通じて、明らかにしていく。

    戦後の日米の共同関係については、「敗北を抱きしめて」に詳しいが、それにしても、この間まで、鬼畜英米といっていた日本国民がどうして米国の支配をすんなりと受け入れたか、またアメリカが日本をどうして日本を人間として扱うようになったかは、不思議。

    そこまで、相手を非人間化しておいて、戦争を終わると、あっさりその比喩は和らげられ、あらたに敵として立ち上がってきたソ連や中国の共産主義に対して、同じような非人間化の比喩が用いられるようになる、その変わり身の速さがまた恐ろしい。

    で、その説明もこの本では与えられていて、イメージや言説の連続性はある意味では継続しつつも、意味が微妙に変化しているから、ということ。この辺の説明は、かなり説得力がある。具体的にどういうことかは、この本を読んでほしい。

    この本がかかれたのは、1980年代。当時は、日本の経済的な発展がピークで、日米貿易摩擦が問題になった時期。そうなると、一旦、収まっていた比喩がまたでてくる。「経済戦争」「エコノミック・アニマル」などなど。そして、「パールハーバーを思い出せ」的なことをまた言われ始める。

    つまり、いつでも利用可能なものとして、人種的な偏見と比喩は待ち構えているということ。そうした言説は、相手が変わっても、そのまま違う相手に対して使われることもあるし、国と国との歴史、固定観念との関係で、ユニークなものもある。

    そして、そうした比喩や言説は、日米関係に限らず、いつでも出動をひかえて、スタンバイしているのかもしれない。

  • 著者ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は、当時の文献研究を通して、敗戦直後の日本の埋もれていた事実を多様な視点から浮かび上がらせた名著だった。本書は同じ著者が、太平洋戦争時の日米双方の敵意あるプロパガンダや世論を文献から掘り起こし、戦争における人種問題の影響を批判的に指摘したものである。日米双方に強い排他主義と自民族優越主義が見られるが、同時に日本における言説とアメリカにおける言説の傾向は大きく違っていることも対比に基づいて指摘されていて興味深い。

    人種間の憎悪をあおるような差別意識は過去のものでは決してなく、今も根強く残り、そのため簡単に火がついて蘇ることもある。年配の親戚が、韓国やロシアのことを悪く言うことも普通にいまだにある。また、「黒人」のステレオタイプを自分の親の世代は持っているだろう。「バカチョンカメラ」という言葉が普通に何のためらいもなく使われていたことは驚きだが、過去には他民族に対する優越意識が当たり前のように多くの人の底にあったことを示している。また自身の経験でも、日本以外でも隣国間の根強い差別はあり、例えば一部のギリシア人はいまだにトルコ人を敵と考えていた。アメリカ人はテロリストというカテゴリーを使うことで逃げているようだが、アラブ人に対する差別要素をはらんでいることは簡単には否定できないだろう。

    かつては、人種差別は非論理的な人が持つ偏見ではなく、科学的な根拠を持つものとして語られていた。本書は、そういった事例に枚挙にいとまがないことを示す。そして、戦争という状況の下で誰もが、その説明を受け入れて利用することにためらいを見せなかった。時代によっては自分がこの差別や憎悪を積極的にサポートする側に回ることがあったかもしれない、ということを真摯に考えることは誠実な想像力の働きだと言えるだろう。こんな差別や憎悪を産み出してしまうなんて、やはり戦争はいけないことだ、と無邪気に結論を出してしまうべきではない。

    本書では、日本が「劣等民族」=「子供」であるという米国が与えたイメージが、戦後においてアメリカ自身を「保護者」であり、日本人自身が自らを「生徒」とお互いにみなすことで、スムーズな米国式民主主義導入が実現されたと分析している。終戦を境として真逆の態度を日本人が取ることができたという不思議の理由の一端をよく示している。

    日本の戦争犯罪の追究にも容赦はないが、本書は主にはアメリカが抱える人種問題について扱ったものだと言えるだろう。アメリカでどれほど読まれたのか不明だが。9.11の事態を躊躇いなく真珠湾に結び付けて公に語られたことからも今日的意義を持つものだと思う。

  • 連合国の日本人へのむき出しの人種差別といい、日本の独善的な大東亜共栄圏構想といい、胸の悪くなる話ばかりだ。

    とはいえ戦争が終わるとあっけないくらいにスンナリ仲直り(?)できたわけだし、今日のウクライナを見ていても戦争するのに人種間の憎悪が必要でないことは明らかだ。人種差別はあきらかに問題だし醜悪だが、なんといってもダントツに悪いのは戦争こと殺し合いなのだろう。

  • 【目次】
    目次
    平凡社ライブラリー版への序文(二〇〇一年一〇月二〇日 ジョン・W・ダワー)
    日本語版への序文(一九八七年七月 ジョン・W・ダワー) 


      第Ⅰ部 敵 

    第1章 人種戦争のパターン 
      第二次世界大戦が意味するもの/汎アジア主義の台頭/敵イメージの変遷/アジアにおける容赦なき戦い

    第2章 「汝の敵を知れ」 
      フランク・キャプラのプロパガンダ映画/敵国日本のイメージ/日本のプロパガンダ文書/三つのステレオタイプ/正反対の他者/他者イメージとセルフ・イメージの一致

    第3章 戦争憎悪と戦争犯罪 
      日本人がナチスより凶暴とされたのはなぜか/真珠湾攻撃の衝撃/無差別爆撃への非難/連合軍による無差別爆撃/日本軍がまき散らした死と憎悪/自国民にまで及んだ殺戮/強制労働への動員/捕虜の虐待/日本人絶滅政策/無条件降伏の要求/日本による仮想戦犯裁判/「助命なし、降伏なし」/身の毛のよだつ戦利品/「やるかやられるか」の悪循環/日本兵はなぜ降伏しなかったのか/リンドバーグが見たもの/ブレーミー将軍流の見方/歴史から学ばなかったこと


      第Ⅱ部 欧米人から見た戦争 

    第4章 猿その他 
      「良きジャップは死んだジャップ」/日系アメリカ人の強制収容/ジャップ・ニップ・動物/猿のイメージ/比喩としての「狩り」/害虫駆除

    第5章 劣等人と超人 
      ユニークで不可解な国/取るに足りない文化/日本の過小評価/日本軍の「四つの弱点」/特殊な精神構造/評価の逆転/超人の登場

    第6章 原始人・子供・狂人 
      アカデミズムの動員/国民性研究/用語の偏向/ジェフリー・ゴーラーの分析/幼児期のトラウマ/フロイト派の解釈/ニューヨーク会議/「集団的神経症」/無視された心理戦キャンペーン計画/天皇制の活用/原始性/幼児性/異常性

    第7章 イエロー・レッド・ブラックマン 
      人種用語の系譜/黒人とインディアン/フィリピンの征服/科学的人種主義/中国人との出会い/黄禍論/大衆文学に現われた東洋人/黄禍論への警鐘/反東洋の人種用語/差別的な移民法/中国移民の排斥/同盟国中国の処遇/人種戦争の予感/黒人問題との連係/白人至上主義の終焉

    図版


      第Ⅲ部 日本人から見た戦争 

    第8章 純粋な自己 
      セルフ・イメージへの没頭/白と赤のイメージ/歌とスローガンに現われた自己/清浄さの起源/進化論の容認/『国体の本義』/禊としての戦争/日常生活における浄化/究極の浄化──自己犠牲

    第9章 鬼のような他者 
      身内とヨソ者/「南蛮人」との出会い/様々な動物イメージ/ケダモノ/鬼の登場/「鬼畜米英」/両義的な存在としての鬼/「桃太郎パラダイム」/アニメに描かれた桃太郎/「新生日本」の象徴/人間の顔をした鬼/反ユダヤ主義・反キリスト教/敵に対する無知

    第10章 「大和民族を中核とする世界政策」 
      一九八一年に発見された文書/大東亜共栄圏プログラム/「其ノ所」/人種と民族の区別/日本人の優越性/日本人の量的拡大/共栄圏拡大の諸段階/海外移住計画/家族イデオロギー/アジア人の反撥/経済政策


      第Ⅳ部 エピローグ

    第11章 戦争から平和へ  
      第二次世界大戦の犠牲者/戦争の最後の年/ステレオタイプの逆転/天皇制の戦後への適応/冷戦のレトリック/経済戦争のレトリック 


    監修者あとがき
    平凡社ライブラリー版刊行にあたって
    索引

  • ゼミの先生が選んだ本
    日本とアメリカの太平洋戦争前後の敵国、自国の見方が、とても面白い
    プロパガンダや自国愛を強める手法、民族問題など現代に通じる部分がいくつもある

  • 血迷った残虐な超人の加害者と、脳の足りない残酷なサルの被害者として、まるで逆の両者はどちらもたった数十年前の我々である
    さいわい海外から頭のおかしいサルに見られることはなくなったが、此岸から海外を見る目は昔と変わったか、まだ確信は持てない

  • 日本人論「浄化」の構図とかは若干理解しがたいが結局日本も西欧も考えることは同じなのね。

    お互いが他方を正反対の存在として描いた。

    ただし日本とドイツは別物。あくまでも「ナチ」であり、日本は国民性に由来。

  • ジュンク堂の小熊英二書店のキャンペーンで見かけたもの。学生時代、個人的な印象としては、1945年の敗戦前後の日本史、とくに政治・思想史に関する「古典」として、ジョン・ダワーの名前はおそろしく知名度があったものに思える。それはもう社会学におけるマックス・ウェーバーやテンニース(これはちょっと古すぎる?)のような感じで、同種のものにベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』があった。そんな感じ。実際はどーだったのだろうか?

    彼の名前をそのように有名なものとしているのは『敗北を抱きしめて』だけど、本書はそれに先立つ作品。第二次世界大戦、とりわけ太平洋戦争において、日本とアメリカやイギリスの両政府や知識人、マスメディア、印刷媒体が大いに生産流布させた人種主義的言説のおびただしい実例の数々を示しつつ、それらがヨーロッパ戦線やとくに中国人を対象とした米国内のアジア人差別とどう異なっていたかを論じている。

    論述にあたっては多くの例が引かれているけれど、日米両側で生産された言説の源泉や文脈となっているものについての考察はちょっとざっくりと単純化されすぎている感があった。数百年前にまでさかのぼるこの列島の古文に現れた思想がそのまま現代に生き延びて、それと近代欧米の帝国主義的言説/オリエンタリズムや戦時下アメリカにおける人種主義的言説が反応して、太平洋戦争下の日本側の言説を形づくった、そんな単純化されたビジョンで議論がなされているところがあるように感じた。

    こういう不満を言うときに念頭にあるのはそれこそアンダーソンの『想像の共同体』であったり小熊英二の『単一民族神話の起源』『〈日本人〉の境界』などであったりするわけだけれど・・・。

  • 大東亜共栄圏によって体現された新秩序は、世界史において前例がなかったようである。それは、道徳が、科学と法律に優先したからである。 こういう閉じられた世界に生きる人々は、他の世界を知らない限りにおいて幸せであろう。一つの絶対的な価値を信じていれば、ある種陶酔感を味わえるであろうし、おのれの身の安全も最低限保証されているであろうから。 今にあっても、我が国の隣人は何も知らずに幸せに生きているのであろうか。反対に、知ったことによる不幸せも分からぬでもないが。

  • (要チラ見!)

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