- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784575307009
作品紹介・あらすじ
月間3000万強のPVと90万人のTwitterフォロワーをもつ、ポップカルチャーのニュースサイト「ナタリー」。
大ヒット映画『モテキ』の舞台にもなるなど、カルチャーファンからの認知は絶大だが、ただ閲覧者が多いのみならず、
「ナタリー、ありがとう! 」と単なるニュースサイトの枠を超えて「愛され」ている稀有な存在でもある。
星の数ほどあるメディアの中で、なぜナタリーだけがここまでの「共感」を勝ち得たのか?
その秘密を、創業者にして音楽ナタリーの編集長でもある大山卓也氏が初めてちゃんと振り返る、待望の初単著。
津田大介氏(ジャーナリスト、ナタリー共同創業者)×唐木元氏(コミックナタリー編集長)という、
最も近くで著者を見てきた2人による特別対談「大山卓也ってこうなってたのか」も収録。
「インターネットの時代に、誰かになにかを伝えること」にかかわる全ての人が必読の、刺激的なメディア論。
感想・レビュー・書評
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キュレーションメディアとか最適化とか、それぞれの趣味嗜好に合わせて世界を作るテクノロジーに目が行きがちな今。
ナタリーという音楽情報サイトがどのような想いと歴史で作られてきたのかを明らかにする作品。
キュレーション以前の世界がしっかりしていないと、キュレーションもへったくれもないんだということに気づかせてくれた。やっぱりコンテンツはちゃんと作られないといけない。
この気付きは自分の仕事観にも影響を与えてくれそうだ。
と同時に、著者でありナタリーの創設者である大山卓也氏以外にも、ナタリー倒産の危機を救った津田大介氏が持つ営業力やマネタイズに対する観点も強い影響を与えてくれる。
仕事を哲学しながら楽しみたい人には確実に面白い作品。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナタリー創業のエピソードは面白い。
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大山卓也という人は"天才"なんだろうな〜と思う。
津田大介、唐木元による対談でもそう称されているし、知人の元スタッフもそう言っていたし、自分も会って話したのはたった1回だけだけど、そう思う。
直感型の人間であるとか、強運だという意味もあるけれど、天才というのはなにより天啓をキャッチできる能力なんじゃないか。
まだ儲けも売上もあがらない状況でもナタリーは行けるという確信を何故もっていたのか。本書だけでは疑問に思うところだけれど、かつて運営していた<ミュージックマシーン>を見ていたのでうなずける。
ゲーム雑誌編集の激務の中で毎日更新していたのは知っていたけれど、1回の更新に90分かけていたとは驚き。もうちょっと(ルーティン、システム化して)サクサクと2〜30分で更新していたものだと思っていた。
淡々と、飄々と毎日更新を続け、「批評をしない」「全部やる」というふたつのテーゼを守る。これこそが成功の秘訣。結果論としてはそうなのかもしれないが、このテーゼに気がついたこと、それを実行し続けられること。しかも、大規模なチームになってもこれが普遍であること(編集長が変わったとしてもこのナタリーらしさは残るとまで岩し得るほどにスタッフがこの意識を共有している)これこそが"天才"の所業なのかもしれない。
<blockquote>「君たちこういうの好きでしょ」とか「これをレコメンドするおれのセンスすごいでしょ」とか、そんあ上から目線のじい意識は20世紀に置いてくればいい。送り手の側は自分が持てる全てを提示して、そこから先の判断はあ読者に委ねてしまえばいい。(中略)始まりから今に至るまで、この形を意識して粛々とやり続けていることが、ナタリーの最大の発明といえるのかもしれない。</blockquote>
更に
<blockquote>自分の中に情熱がないのかと問われれば、それはおそらくあるのだと思う。</blockquote>
<blockquote>ただ、それをわかりやすい形で表に出すのは抵抗がある。自意識をさらけ出し、共感を煽るようなアウトプットのスタイルは、やはりウザいし、みっともない。</blockquote>
と続ける。
この自意識の薄さ、いや抑制のされかたは天才という言葉は似つかわしくないのかも知れないが後天的ではなく天性の資質で、特別なモノであることに異論を挟む人はいないだろう。誰だって多少はドヤ顔きめたいだろうに!
<blockquote>自分は「ナタリーというサイト」をつくったのではなく、言ってみれば「ナタリーというシステム」「ナタリーというスタイル」を作ったのだと思っている。
</blockquote>
まさにこういうことなのだと思う。
新聞やテレビなど情報は生活に欠かせないものになり、あって当たり前というインフラである。にも関わらずそれらを作る人たちには主義主張がある(そりゃそうだ)。受け取る側もそういうものだと思っている。
ナタリーはこの「情報インフラ」に可能な限り近づいたといえるのではないだろうか。それは経済や政治といった暮らしに直結しかねない情報ではなく「ポップカルチャー」であるからこそ、そのもの自体が主義主張の塊である作品(つまりはその主義主張を解釈する事こそが消費であるモノ)の情報を発信するニュースサイトだからこそ可能なことだとも思った。
ただ、"国技館事件"とか読むと「この人の下で働くのはキツイだろうなぁ」とは思うけれども。直感と感性が肝だから合わない人は徹底的に合わないだろう(合わない人が合わせる余地がない)。 -
世の中から評価されているサービスが、ちゃんとした想いや軸によって作られていることを知り、ホッとした気持ちになった。私もそうでありたいし、そんな仕事をしていきたい。
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ナタリーといえば、音楽好き、マンガ好きにはもはやお馴染みのメディアだと思います。
量とスピードが凄まじいなといつも感じていましたが、こんな風に丁寧に作られていたんだなあとびっくりしました。
ネットのメディアって、他所のコピペで済まされてるもから、きちんと段階を踏んで作られているものまですべてが同列に並んでいて、真面目にやり続けるのは難しく大変ですよね。
コスト0とコストをかけたものが当たり前に隣に並んでいる。
それでもナタリーは「ちゃんとやる」をずっと貫いて、そしてここまで大きくなった。その流れにちょっと感動してしまいました。
文章も凄く「平熱」という感じで終始淡々と流れていくんですけど、津田さんと唐木さんの対談を読んで納得しました。
凄いことをやろう!みたいなのがないからこそナタリーというか、記事から書き手のドヤりが透けて見える、というのを感じない理由がわかりました。
シンプルな情報を伝えるメディア、そういうのあってもいいよね、を叶えてくれたナタリーには感謝です。 -
ナタリーって実はよく見たことないけど、
いわゆるコアな文化系のファンの人たちから
支持されているサイトってことでたぶん合ってて、
そのターゲットに対して徹底的に正直に向き合い、
自分たちの揺るがないスタンスを持ってるってところが
興味深かった -
批評をしない
全部やる
ナタリーのモットーは
支持される理由をそのまま表している。
メディアは本来の媒介者としての役割を忘れ
がちである。
企業としてはビジョンがハッキリと見えているとはいいがたいナターシャという会社は
地道にやる事によって
仲間が増えて行ってく過程はRPGさながら
(しかしおやつナタリーやトライアンドーエラーは人知れずかなり行われていた。)
私語りが多くなったインターネットのメディアとしてもこれからも平熱ですごい事をやってのけるのを見続けたい。 -
こうなってたのか
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ナタリーは、記事のアップが早くて、記事に変なジャンルの偏りがなくて、変にこった動画とかがないからサイトのダウンとかもないし、些細な情報もアップしてくれて音楽サイトとして一番信用してる。音楽のことを聞いたらなんでもひとことで答えてくれる仲いい友達って感じ。実際に友人と音楽の話するときも、ナタリーにアップされてたっていうより、ナタリーがこう言ってたって話すし。。。っていう私にとってのナタリーですが、それは「ナタリーらしさ」として創業者が強く意識して実践していることとわかり非常に嬉しく感じた。当たり前のことをきちんとやるって簡単そうに見えてすごく難しくて、大切なことなんだなと改めて思い知らされた。これからも進化はし続けると思うけど、芯はここままのナタリーであり続けてほしい。