弓と禅

  • 福村出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784571300271

作品紹介・あらすじ

ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルが日本で弓道を学び、禅との関わりから身体と精神の関係を説く書籍。1940年代後半から1950年代にかけて西洋人に禅を紹介、スティーブ・ジョブズの愛読書としても知られる。
本書は、1956年に協同出版社より刊行された版の改版。

感想・レビュー・書評

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  • 弓道も禅も奥が深い。

  •  あのスティーブン.ジョブズ先生が愛読したというこの本。 
     さっそく読んでみましたが、、日本人なのに、深すぎてよくわからなかった。
     ジョブズは、東洋哲学に興味をもっていて、「禅」などは、今世界中から注目されているので、せっかく日本に生まれたので、少しは勉強してみようと思いました(笑)
     ぜひぜひ、みなさんも読んでみてください!

  • ドイツ人の哲学者オイゲン・ヘリゲルが、弓道の修行を通して「禅」の本質に迫った過程を描いた叙述。

    禅の本質とは「無心であること」であり、無心に至るための「道」(精神修行)として弓道が位置づけられると筆者は言う。精神統一、呼吸法、型といった形式が弓道において重視されるのも、それが無心に至るための一連の流れだからだと理解できる。
    筆者を指導した師である阿波研造が、無心に達した状態において、矢を射るのは射手ではなく「”それ”が射る」と表現していたことは非常に興味深かった。
    また、無心ということの真理は、決して言葉では伝えられるものではなく、経験したもののみにしか分からない。これは禅宗における”不立文字”という言葉にも象徴される。

    このようなスピリチュアルな世界が本当にあるんだと思わせてくれる本だった。
    無心についての深い考察や体験が書かれたこの叙述を読んでから、現代社会に目を向けてみると、自分も含めて今の現代人は色々と考えすぎなのかもしれないと思った。
    頭で考えるばかりで、呼吸することを忘れ、感じることを忘れてしまっているような感じだ。
    しかし、こうして記号の世界ばかりで生きていると、物事の真理にはたどり着けないのかもしれない、と最近よく思う。

    無心になることは簡単ではない。それは阿波研造の言葉からも容易に想像がつく。

    "あなたは無心であるように努力しています。無心になろうと意図するから、それ以上進めないのです。"

    たとえ無心になることはできなくとも、何も考えずにゆっくり呼吸だけをする時間を意識的に作っていきたいなと思った。

    難解な文章も多く、決して読みやすいとは言えないが、どこか惹きつけられるようなそんな魅力を持った本だった。また読み返してみようと思う。

  • 自然弓が放たれるというところがすごく印象的でした。外国人の本なので少し読みづらさもありますが、勉強になることが多いです。
    正直、全てを理解して読んでるわけではありません。印象的なところだけ読んで、意味を理解するようにしているため、また期間をあけて読んでみます。

  • 前に図書館で借りたのがものすごく良かったので、買っちゃった。
    意図しながら意図しないように振る舞う。何事にも囚われないように、しかも囚われないことにも囚われないように…って何だ。

    格調の高い美しい文章だ。原文でも読みたい。ドイツ語かな。

  • 型を追うことがどれだけ大変か、
    そのことを通してどんなことを掴んでいけるのか、
    著者の体験を通して、まったく新しい自分になっていける勇気を得る。

    自分と相手と天が一体となり、
    存在・本質・ものごとが見通せるようになる。
    芸道は悟りへの入り口だと思う。日々の仕事もそうありたい。

  • 最初に読んだときはちんぷんかんぷんだったけど数年後読み返したとき少し分かった気がした。また読み返したい。

  • 高校生のころ、弓道部員であった私は、岩波文庫の「日本の弓術」を読んで、深く深く感銘を受けたのでした。私の弓は、よくなかったけれど、オイゲン・ヘリゲルの著者はいつも私の心の中にいた。さらに発展させ、深く弓道を考えたこの書、もっと早く出会い、読んでおくべきだった。

  • 昭和初期に東北帝国大学の講師として来日したドイツ人の筆者が、弓道の達人に師事し、その教えの難解さに苦しみながら、5年の歳月を経て、ついに段位を得るにいたる、体験記である。

    師範は一貫して、「自分」が的を射るのではなく、「それ」が射るのだと繰り返す。
    「それ」とは、我々の中でごく当たり前になっているが、本質的には不可解極まり無い、自然の力の表出であるという。
    そして、自分自身から離れたとき、つまり真に無心、無我になれたとき、自ずから「それ」は現れるのだという。
    決して、自ら的を射ようと意図してはいけない。

    筆者は、長くその教えの意味を理解できずに苦しんでいたが、ある日師範が、的が全く見えない闇夜の道場で、的のど真ん中を居抜き、立て続けにその矢を縦に割るようにもう一本の矢を命中させる、という離れ技を見て、その教えの正しさを、感覚でもって悟るのだ。
    その日から、筆者は、人が変わったように、的を見ず、矢の行方を気にせず、ただ無心に矢を射続ける。
    そしてある日、「それ」をもって矢を放つことに、ついに成功する。
    (その違いを一瞬で見抜く師範の眼力にも驚嘆する。)
    そのとき筆者は、自分と自分をとりまく一切の物が一体になったような、不可解な感覚を口にする。それを聞いた師範は、筆者がその境地を得たことを確認する。

    あらゆる日本の武道や芸術の根底には、それら個別の技術を通して、こういった境地に達することが目的にあるという。
    確かに、こうした、作為が消えたときに、良い結果が出るということは、日常的にも体験できることだと思う。
    それを突き詰めたのが日本文化だとするならば、我々の祖先が何百年も前にそこに気付き、追求していたことは、本当に驚くべきことだと思う。

  • 元弓道部なので、思い出しながら現場の状況は分かる。当時はただ的に当てることだけを意識して弓を引いていたため、弓を通してこのような大悟する深い教えがあることを知り驚いた。ただ日本語訳が古く難解であるためもう一度よく読んでみる必要がある。今もこのような境涯を教えてくれる師は日本にいるのだろうか。

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著者プロフィール

1884年、ドイツ生まれ。哲学者。1924年に東北帝国大学講師として来日し、哲学史を教えるかたわら阿波研造に入門。弓道五段の免許を得る。帰国後は日本思想を講じ、1948年に『弓と禅』を著した。1955年没。

「2015年 『新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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