梅と水仙

著者 :
  • PHP研究所
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569845661

作品紹介・あらすじ

父との葛藤、帰国子女ゆえの周囲との軋轢を乗り越え、女子教育の先駆けとなった津田梅子の知られざる生涯を描いた感動の長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • 津田梅子の生涯。合わせて父親津田仙の事も。
    6歳でアメリカに留学した梅子。
    父親が決めた事だけど、父親もなかなか日本の為に尽くした方なんですね。
    まったく知りませんでした。

    2人が幕末の時代に苦労しながらも女子教育の為に奮闘した事が、とてもわかりやすい文章で書かれています。

    まずは表紙が素敵で手に取りました。

  • 津田塾大学の創設者として誰もが知る津田梅子さんの生涯を植松三十里さんの味付けで記した1冊。

    知っているつもりでいた事柄が実は未消化であり、自分が知る世界や経験はまだまだ世の中の一部でしかないなと感じた1冊でした。

    「正しさ」「普通」「当たり前」は時代やお国柄によって変わり、また時間軸においてもうつろうものだと再認識します。

    例えば妾や婚外子の存在についても「男の甲斐性」として了解されていた事実。咀嚼しなおすと大変興味深いものです。

    「甲斐性」とは何でしょう。豊かさ、力強さ、有能さを自分の傘の下で扶養するおんなこどもで誇示する時代だったということでしょうか。

    次に芸妓が上流階級の正妻に収まるのは幕末維新という激動の時代だからこそであり、それまでは身分階級制により区別されていていたため普段ではありえないことだったということ。(P.234)

    維新により薩長等の下級武士が官職につき上流階級の仲間入りをすることとなりました。
    彼らの正妻はもともと高い身分の女性ではなく花柳界出身の芸妓等が多かったとのこと。

    そのため上流階級の立ち居振る舞いをこなすことは難しい女性が多かったということ。
    さらに鹿鳴館を通じ西欧の男女間、夫婦間の社会的役割が変わったため、従来の男女の慣習常識マナーを改めねばならなず、そこに女性の意識を含めた改革の必要性が生じたというのも納得です。

    現代では「誰もが平等である」という大前提に立ち物事が進んでいますが、生い立ち、門地、出自、経歴等で物の見方、感じ方、立ち居振る舞いは異なって当たり前という前提がすっ飛ばされているなと逆に感じました。
    だからこそ梅子と父親の津田仙が生涯を捧げて追い求めた「教育」「啓蒙」が人の世界を広げるのだと感じます。

    梅子と一緒に岩倉使節団に随行し留学をした大山捨松の生き方も梅子とは異なり、答えや正しさは1つではないことの証だと感じます。

    梅子はまだ年端もゆかぬ6歳で親元を離れ、ワシントンD.C.のジョージタウンの家庭に滞在し家族の一員として10年を過ごしたということの重みも噛みしめました。
    ジョージタウンは仕事で何度も訪れて、私の大好きな街の1つであり、勝手な親近感が湧きました。

    梅子は帰国し日本語に不自由で苦労を重ねたことも丁寧な描写から分かりました。

    米国で学び感じたこと、帰国してこうありたい、こうしたいと欲したこと、そして日本の目の前の現状の隙間の中で沢山の悔しさや歯がゆさを感じながら、どこかに居場所を見つけられぬまま過ぎた年月が炙り出されるような筆致でした。

    女学校のみで帰国し、学位を持たなかったため再度奨学金制度を利用し、自ら切り拓いた彼女の矜持に憧れます。

    新札には津田梅子さん。共学が増えてで女子大は厳しさを増しているようだが女性が高等教育を受けることは本当に大切だと感じます。

  • 植松さんの本で、初めて⁈面白くなかった。
    梅の言動が、なんかイライラして、全然共感&感情移入できず、もう少し魅力的に描けたのでは?とも思えるけど、単にこういう人だったのかもしれない。
    女子で初めて、というような期待値が高かったのもあるが、心に響くものが何もないという、無駄な時間となってしまった。うーん、、、。この言葉素敵だなというような引っかかりもなかった。残念。

  • とても読みやすく、サラッと読めました。

    津田親子に焦点をあてているので、父と娘、どちらもざっくりとした内容でしたが、お父さんという人も、たくさんの事業を成した人だったのですね。

    明治維新後の落ち着かない時代だからこそなのか、志を持つことは、自分を奮い立たせる原動力になるのかと思いました。

    この時代から、女性に求められた教育というものが、今の私の中にあるのか、わかりませんが、ほんの少しはあると信じたい。

  • 江戸から明治、全てが瓦解するその舞台、昨日が過去へ明日が未来へと激変する中に【梅】がいるそして【仙】もいる。津田塾、青山両大学の創設に関わった親子の生き様の軌跡を辿ることが、幕末から維新の国家最大の激変の縮図を紐解く、新たな視座を与えてくれたことに感謝です。わずか九歳で岩倉使節団に随行し、父の期待に応えようとする健気な梅の姿が読後も脳裏から離れません。

  • 書き下ろし

    津田梅を描いた小説はいくつか読んだが、これが一番面白い。父親を一緒に描いていて、時代背景をいっそう生き生きさせ、感動的な場面もたくさんある。さすが植松三十里の筆の力。

    佐倉藩士津田仙は、藩主堀田正睦が老中になったため、幕府のアメリカでの軍艦買い付けに同行し、アメリカの農業に注目して、西洋野菜を栽培、缶詰でもうけ、農学校を作って材を育て、農業雑誌で啓蒙に努めた。6歳の娘を留学させたのにはポリシーがあったのだ。しかし、日本語を忘れるような開拓使のというか黒田清隆のPRのための長期留学計画は無茶だったと思う。

    留学生仲間には、戊辰戦争で徹底的に打ち負かされ領地を追われた会津藩の家老の娘で、大山巌夫人となる山川捨松がいて、彼女の背景や目指したものも面白かった。一方英語ができるだけで目指すものがない津田梅は、再留学して大学で生物学を学ぶ。このあたりは知らなかったが、作者はこのへんの父親との重なりにインスパイアされたのだろう。

    津田塾創設のあたりはカットされているが、そのあたりも画いてほしい。

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著者プロフィール

静岡県生まれ。東京女子大学卒業。2003年『桑港にて』で歴史文学賞、09年『群青 日本海軍の礎を築いた男』で新田次郎文学賞、『彫残二人』で中山義秀賞。著書に『帝国ホテル建築物語』『万事オーライ』等。

「2023年 『羊子と玲 鴨居姉弟の光と影』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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