なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心 (PHP新書)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569842776

作品紹介・あらすじ

日本人と中国・韓国人の道徳性が全く違う理由――その秘密は儒教理解の歴史にあった! 常識を覆し、核心を明かす「驚愕の日中思想史」。

感想・レビュー・書評

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  •  タイトルがひどい。この本のメインは朱子学批判であると思う。もしくは、イデオロギー化するとはどういうことかというものの一つの例である。
     やはり保守思想は雨の例えによってすぐに説明できると思われる。
     雨は降ったらいいのか、降らなかったらいいのか。イデオロギーで言えば、ここで果てしない論争が繰り広げられるし、「雨自体人間の妄想・幻想である説」や「雨は明治から作られたもの」とか言って、好き勝手なんでもできる・言えるわけである。「で?雨をどうしたいの?人びとをどうするの?」と言われても、何もできないのだが。
     しかし、保守とされる人びと、というか、日々その一日一日を責任を持って生きる人びとから言えば、雨とは降ったらいいのか、降らなかったらいいのかではなく、降ったり降らなかったり丁度良く降ってほしいものである。これが答えである。当たり前である。孔子の言動もここによく似ている。雨は丁度よく降って欲しい。それが弟子の問いへの答えとしてよく現れている。本著においても、孔子の哲学は、いわゆる西洋的な、もしくは体系的なものではなく、人間としての常識や思いやりにのっとった、真の紳士とは何かを追求する、迷いと苦しみも含んだ金言集である。世を生きる紳士はこの論語を見て、己を振り返り、ぶれずに常識を采配する。それが世の中を、責任をもって動かそうとする紳士たる責務である。それが説かれている本が論語であるという。
     しかし、時が経ち、論語から儒教へ、そして朱子学に変遷するころには、「仁」の概念はどこへやら、一つの思想でもって、人間の生き方を機械のように規定し、女性を苦しめ、生き死にを決めてしまう、イデオロギーになっていく。もし本著のタイトルを決めるならば「石平の朱子学批判入門」だろう。しかし、このタイトルでは売れない。絶対に売れない。

     孔子が、朱子学と絶対に相容れないのは、「天」についての態度である。孔子は「天」に対して、敬虔かつ極めて重要で、かつ信頼と信仰の態度を取っていた。弟子が動揺するほどの態度だ。しかしでは天の道理とは、天のパターンとは、天のジャッジメントとは何かを孔子に問うても何も孔子は言わない。まるでキリストの「神を試してはならない」にも似た態度だ。【P67 加地伸行氏の「子貢証言」の訳注は実に面白い。すなわち、先生からは「(人や物の)本質・実体(性)とか普遍的なるもの(天道)〔といった哲学的議論〕は学ぶことができなかった」という証言である。】と石平も引用しているように、孔子という一人の人間がどういう哲学を持っていたかよくわかる。いくらでもそういう議論ができるのに、そこにはとらわれなかった。最後まで、哲学的議論になることを避けた。それは孔子が宗教の人であり、信心深い人であり、つまり保守的なところが強くあり、ゆえに、そういった議論をすることはやがて閉塞的な考えになるから避けたのだ。むしろ、哲学的議論を避けることが、哲学的議論の深まりや物事を正確に捉える観察眼を鍛えられるきっかけになる。そう、孔子は考えていたのではと思った。
     やがて孟子と荀子の登場で、論語は儒教化する。
     時代は流れ、前漢王朝がたつ。秦王朝の法家一辺倒を避けて、最初は無為を基本とする老荘の道を前漢王朝は選んだが、官僚の統治がうまくいかず、そこへ儒者を雇い、叔孫通の指導による儀式をみて、劉邦はやっと皇帝であることの尊さがわかったと感動する。「儒教」と国家が結びついた瞬間である。
    次に董仲舒は前漢武帝のとき、天人相関説を唱える。人間世界で起きているすべての出来事や現象が「天」と相関しており、すべては「天」の意志の現れであるとする。地震や洪水が起きた場合は、天から天子=皇帝へのメッセージであるとなる。孔子がほとんど語らなかった天、そしてキリストが試してはいけないといった神は、ついに、災害を使いこなすメッセンジャーになり果てたこととなる。
     それから後漢消滅後の大乱世となり竹林の七賢が理想とされたり、そこから儒教では国は治められないと懐疑された末、南北朝・隋唐の時代になると仏教帝国の様相となる。梁の武帝は「三宝の奴」と自称するほどの献身的な仏法崇敬者であった。梁の武帝の治世下では、首都は「南朝四百八十寺」の仏都として繁栄を極めていた。
    その仏教興隆のあいだ、儒教はなにもできなかった。ようやく北宋の時代に周敦頤が現れる。「主静無欲」の人間論を導き出した。
     万物は太極から派生して、太極を内に宿している。万物のひとつである人間も太極を宿している。その太極は「誠」であり、「静」であり、純粋で無欲である。しかし、外物と接触すると、「動」がそこから生じる。まさに「静」から「動」にうつるときに「欲」が生じる。そして人は努力して、心の動かない純粋な状態を保つことが出来るようになる。「主静無欲」こそ聖人である。これは仏教の如来蔵思想と道教の影響下にあって、考え出されたものだろう。
     その後、程伊川(ていいせん)は周敦頤の「主静無欲」と同じようなことを述べつつも、「静」を「敬」にしたり、「太極」を「天理」にするなどして、儒教的な用語を基本概念として用いた。
     そして、程伊川らが新しい儒学の誕生の準備を整え、女真族に北宋が滅ぼされ、南宋王朝ができたとき、朱熹が誕生した。
     朱熹が打ち立てた朱子学の中心概念は「理」である。
     「理」は最高善であり、森羅万象の根本的原理である。(ゆえに、孟子の性善説も引き継いでいる)
     「気」は万物の構成元素で、微粒子状の物質的なものである。これが宇宙に充満しており、木火土金水の五行となって万物を形作っている。
     私なりに思うのは、「理」は目的、「気」は素材と考えるとわかりやすいかもしれない。「理」は「座るためのもの」、「気」は「木材」、それで「椅子」ができる。
     人間には「本然の性」と「気質の性」があり、本然のほうは、抽象化された一種の理想であり、至上の善である。これは、人間のなかの理そのものであり、実際にはそれが気とくっついている。これが気質の性だ。気質の性は動き出して、外部と接触するから、そこからは「情」と「人欲」が生じてくる。「情」と「人欲」のせいで、人は悪に走ったりする。では、どうやれば本然の性に近づくことが出来るのか。気質の性から、離れられるのか。そのための方法として、まず、格物致知がある。本然の性は、人間だけでなく、天地万物にもある。ゆえに、天地万物を観察研究して、その中の理を極めることができれば、自分の中の心の「理」を再発見・再認識できるのである。
     もう一つの方法が「持敬」である。気質の性が動いて外物と接触したことから情と人欲が生じてきて人間が悪に走るのであれば、「畏敬の念」や「慎みの態度」をもって心の中の静止状態を保ち、気質の性がむやみに動き出すのを未然に防ぐことが、人間の修養法として大事なのであるとする。
     これらのことは知的エリートならば可能であることだ。しかし、朱子学は礼教社会を目指しており、「存天理、滅人欲」(天理を存し、人欲を滅ぼす)というスローガンのもと、エリートでなく、庶民にも朱子学を広めようとする。礼節と規範をもって、人の発する「情」を正しく規制し、「人欲」を封じ込めて殺していくことだという理屈になる。
     前漢では、五経を製作する時に、孔子の名を利用しながら、論語を入れず、孔孟冷遇をしたが、朱熹は、礼記から大学と中庸の2編を選び出し、論語と孟子を配して四書とした。四書五経とは、朱熹による朱熹のためのものである。
     また、朱子学の基本原則となって続く、「餓死事小、失節事大」は中国社会を五〇〇年以上支配していた。それにより、多くの女性が命を失うことになった。特に清王朝は毎年約2万人が死に追いやられているのだ。
     そういった朱子学に反抗したのは、王陽明、李卓吾、戴震などが挙げられる。
     私はこの3名には特に注目する。特に戴震は「以理殺人」(理を以って人を殺す)という言葉で朱子学を批判しており、その通りであると思う。
     それから石平は伊藤仁斎に注目するが、確かに日本には朱子学や朱子学的なるものは最終的にあわなくなる。朱子学からの脱却が日本思想であるとも思える。
     李卓吾、戴震の翻訳の本はない。現代日本のインテリは、朱子学か、朱子学のような社会が好きだからだし、社会学を使う思想家はやがて朱子学の亜種を生み出し、人から命を奪うようになると思う。

  •  わかりやすいタイトルだ。そんなこと考えたことがなかった。中身もとてもわかりやすい。儒教は孔子が創始したものではなく、論語が経典でもない。言われてみればそうだ。論語は儒教的な内容も含んではいるが、雑然とした言行録であり、処世訓ていどにはなるかもしれないが、およそ整理された思想書とはいえない。また、四書五経といえば確固たる経典であり、素養として学ぶべきものであった、と何となく思い込んでいた。それらが後代の為政者の都合の良いようにつくられたものであり、論語あるいは孔子は利用されているだけだと。なるほど、儒教的内容の道徳教育がうさんくさいのも同じことなのだと腑に落ちた。好著。

  • 儒教は孔子の教えを源流だとしているが、その実何の関係もなく、数世紀後の儒学者たちが箔付けするために詐称したとの指摘。

    論語は苦労人だった孔子が口にした処世訓をまとめたもの。
    儒教は、成り上がりの皇帝の支配を正当化する屁理屈を尤もらしく体系化したもの。

    何事も自分たちに都合の良いように我田引水の屁理屈をこねる性癖は、今の中共も何ら変わらない。

  • 論語は儒教ではない。孔子没3百年以上後、皇帝の政治権力を正当化するためのイデオロギーとして編み出されたのが儒教。礼節と規範で情を規制し人欲を封じ込めるため、女性を徹底的に抑制、500万人以上が犠牲になった。

    儒教すなわち論語のことである、という常識を持っていなかったので、自然に読めました。

  • 孔子=理想的な人間(聖人)という等式は私の心の底にあまりにも深く根を下ろしていたので、本書を読むことでその概念はことごとく打破された。

    それからこの本で得た知識を踏まえて、もう一度論語を深く読みたいと思った。

  • 長年理解できなかった論語と儒学、朱子学、陽明学の関係が理解できた。なんだかスッキリした❗

  • 儒教がよく分からず読んでみた。孔子は儒教の祖と言われているが、論語の内容とは異なる部分も多いのだな。

    日本の立ち位置って面白い。海を隔てているからこそ、メタ的な立場で物事を捉えられているのかもしれない。

  • 非常に簡潔に儒教の成り立ちと教義を教えてくれる。これだけでも読む価値あり。
    五経が孔子の教えと何ら無関係であることは知らなかった。以前から何故詩経や易経が儒教の経典に含まれているのか疑問だったが、儒教成立の時代背景や目的からその理由が理解できた。
    ただ朱子学が何の益のない害悪という主張はやや行き過ぎではないかと思う。天、性、道、理気などの哲学思想や、慎独や中庸の概念は自らを律して正しく生きていくための重要な指針となる。儒教を毛嫌いすると、こういう中庸から外れた極端な人になるのかな?

  • 論語と儒学の違いについて、日本への影響についても、歴史的な流れを見ながら理解することができた。

    また歴史の中において思想、哲学、宗教、人間のよりどころにもなるこういったものが、いかに政治に利用されてきたのかを知ることができる。これは中国に限らない話ではないだろうか。こういった実情をしることで、今自分がよりどころとしようとしているものが本当に正しい物なのか?信じるべきに値する物なのか?疑問を投げかけることができそうだ。

    孔子の教えがあり、そこから多くの教えが派生している。果たして何を学ぶべきなのか、限られた時間の中で大変難しい問題ではある。

    例えばオリジナルの論語を学ぼうと考えた時、2500年以上前の、ただの常識人のおじさんの孔子(しかも特に大きな実績はなし)の、体系だったものでもない、弟子との問答や、出来事の中の言葉を学ぶだけで本当に実社会に生かせるのか。正しい生き方に近づけるのか?だとか思ってしまう。

    だったら後世に、なんらかの意図でまとめなおされた思想や哲学、宗教など、例えば多くのより正しそうな生き方をした人たちを生み出している陽明学などを学んだ方が良いのではないかなど、、、

  • 読了。
    ちょっとタイトルに中韓に対する悪意を感じるが(内容もちょっと…)、論語と儒教の関係に於ける一つの考察としては、非常に良く纏まっていると思う。
    論語自体は、生きていく上での常識と叡智を身に着けた、孔子という、巷から尊敬を集めた人の金言集?に過ぎず、後年の皇帝たちが、自らの権威発揚のために、孔子の名を利用して、民衆をコントロールするのに都合の良い価値基準として設定されたのが儒教である、という一つの仮説である。
    確かに、一つ一つ考察していくと、論語と儒教はイデオロギーレベルで矛盾する部分が多い(寧ろ真逆のケースも多々)。
    そう考えると、ナザレのイエスも、孔子と同じく、単に生きていく上での知恵を説いて回った道徳人だったのかもしれない。後年ローマ皇帝の権威確立に利用され、イデオロギー化されていった経緯もよく似ている。
    時の為政者が、過去の偉人の名を借りて自身の権威発揚に利用する、ということは現代でも繰り返されている。
    毛沢東なんかマルキストですらなかった、と言われてるからね。。。

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著者プロフィール

評論家。1962年、中国四川省成都市生まれ。1980年、北京大学哲学部に入学後、中国民主化運動に傾倒。1984年、同大学を卒業後、四川大学講師を経て、1988年に来日。1995年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程を修了し、民間研究機関に勤務。2002年より執筆活動に入り、2007年に日本国籍を取得。2014年『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞を受賞。近著に『漫画でわかった! 習近平と中国』(かや書房)、『世界史に記録される2020年の真実 内患外憂、四面楚歌の習近平独裁』(ビジネス社)、『中国五千年の虚言史』(徳間書店)、『日本共産党 暗黒の百年史』(飛鳥新社)などがある。

「2021年 『中国 vs. 世界 最終戦争論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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