オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (513ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569841373

作品紹介・あらすじ

「修行の天才」と呼ばれた井上嘉浩。真面目な少年がいかにオウムに堕ち、悔悟の果てに「いのちの真実」に目覚めたか。魂を震わす書。

感想・レビュー・書評

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  • 2018年7月オウム真理教で死刑判決を受けた教団幹部に対する死刑が執行された。その死刑囚の中に本書で取り上げる井上嘉浩その人も含まれている。同じくオウム事件で同時に死刑執行された中川智正について書かれた『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』で、その著者が「彼の死刑執行という事実で中川という個体がこの世から消されてしまったことに対し、私は一抹の哀悼を感ずる」と書いたように、本書でも著者の門田は井上が死刑に処されることに対して、そうされるべきではなかったという思いを隠さない。特に一審では無期懲役の判決が出ていたことから、著者はその想いの正当性を見つけようとしているように見える。オウム死刑囚と深く交流を持った人は、その人に情を移し、そして惹かれると言ってもおそらくはそう問題ではない。かくいう自分も本書で描かれる井上の人生とその想いを知るにあたり、一定のレスペクトを抱いている。まずもって彼らは常に真摯なのである。彼らはその意味においてはすでに予め更生しているとも言える。

    一方で著者は終始彼がこのような罪を犯してしまった原因を麻原個人に求め、純真な人間の道を私欲のために誤らせてしまったという筋で話を進める。「刑事事件を引き起こした罪びと、特に死刑囚には、憎しみと罵りの言葉が浴びせられる。当然だろう」と書きながらも、その内実を書き起こすことで井上に対する批判をどこかで和らげられることを望んでいる。少なくとも再審請求には賛成しており、一審通り無期懲役の判決をまた得られることを望んでいた。

    しかしながら、麻原に騙されて可哀そうであったという見立ては、逆に彼にあまりにも失礼であり、もっとも不適切な言葉ですらあるだろう。例えば、次の言葉がその例だ。

    「オウム事件が私に教えたのは、人は些細なきっかけから、死刑囚になりうるということであり、また、まじめで真摯な人柄でも、そんな闇に落ちていくことがある、という残酷な事実にほかならなかった」

    自分は井上と直接話をしたわけではない。著者は何度も井上と話をしている。それでも、やはり、これでは井上のことをあまりにも世間の紋切り型で評価してしまっており、不適切であるように思われる。おそらくは彼の意図にも沿っていないのではないだろうか。まじめで真摯な人柄だからこそ、あのような人生の選択につながり、またその後の行動にもつながったのだ。本書では井上の手記や両親への取材などを通して、出家に至った経緯が詳しく書かれているが、それは「些細な」という形容詞を使って表現するべきではない。それを「些細なきっかけ」と呼ぶのは井上に対するレスペクトが不足している。あまりにも上から目線であり、人生に対する畏れにも欠けている。畏れに欠けているからこそ、次のように筆を滑らせてしまうのであろう。

    「人間には、何があろうとも踏み外してはならない一線がある。いくら洗脳されようと、信じている人物にどう唆されようと、人の「命」を奪うことは絶対に許されない」

    著者はこのように書くが、それが自明ではないからこそ、オウムの事件は起こったのだ。それが自明ではないことは、現在でもテロや戦争が起きることからもわかる。大規模な戦争が過去何度も行われて、人の「命」を奪うことがやるべきこととして指示され、多くの人間がそれに従い、さらに多くの周りの人間がそれに賛同してきた。それはそれほど遠い昔のことでも遠い彼方でのことではない。

    畏れるべきは、井上のような若者がオウムのようなものに騙されたということではなく、もしそれが世間一般の評価からすると常識から離れたことであったとしても、「宗教」の論理で内側から見ると、論理的でかつ倫理的ですらあることがあるということである。もし麻原が真に最終解脱者<グル>であったのであれば、井上の行動は全く論理的である。最終解脱者に帰依しており、すべてが宗教的な試練として与えられるのであれば、その内容については内側からは否定されることはない。彼は「善悪の規準はグルの意思の一点にありました。そのためグルの意思に逆らうという発想がまずはありませんでした」と告白する。また、次のようにも自覚していもいる -「もし自分ができなくてもグルの意思の流れに逆らわず、自分のできるグルの意思をやればそれなりに取り返しがつくとの甘えもありました」。彼は聡明で、さらに言うと世間一般の多くの人々よりも倫理的であった。だからこそ、彼はそれをある種の甘えと自覚もできながらも、オウム真理教と麻原に真理と希望を求めたのだ。

    「人の「命」を奪うことは絶対に許されない」などと言うことが、何かの解決になると考えているのであれば、オウムの事件から何かを学んだということにはならない。井上が「真実を語り、二度とこのような犯罪を起こさせないことが自分にできる被害者への最大の償い」と言うとき、その真意を著者が果たしてつかんでいるのだろうかと問うべきなのかもしれない。

    井上の言葉を聞き、彼の書いた言葉を読み、それでもなお著者は自らを絶対の正しさの側に置き、井上氏の若き頃の判断を後付けで判断するのであれば、それはまじめと真摯さにかけた姿勢であるように感じられる。注目するべきは、井上氏の逮捕後の真摯さではなく、それが教団への入会から彼の「変わらない」真摯さであることだ。ある意味では彼は変わっていないのだ。

    そうした井上に対して、一審の無期判決の中で井上にもっとも重く響いたのは、裁判官からの言葉の次の部分ではないだろうか。
    「無期ですが、被告人に与えたのは、決して自由な日々でも、修行の日々や瞑想を送る日々でもありません。これからは、自分たちが犯した凶悪な犯行の被害者のことを、一日、一時、一秒たりとも忘れることなく、特に宗教に逃げ込むことなく、修行者ではなく、一人の人間として、いいですか、一人の人間としてですよ、自らの犯した滞在を真剣に畏れ、苦しみ、悩み、反省し、謝罪し、慰謝するように努めなければなりません」
    これまですべてだと考えていた修行を、あらためて逃げと指摘をされたのである。しかも無期懲役を下した一審判決自体の内容を正当であり、公平に自らを裁いてくれたと感じている裁判官の言葉でもあるからである。

    井上はその能力においても優秀であった。彼が弁が立ち、その人間的魅力も併せて多くの入信者を獲得したことや、麻原からもその能力がゆえに嫉妬されたのではないかということからもそれが伺える。真面目に修行に取り組み、空中浮揚も1メートルも飛べるようになったという。

    井上が当初より捜査に協力的であったのは、そのころすでに麻原に対する信用を失いつつあったからでもなかったか。それでも、集団の中における序列と恐怖にも縛られていた。麻原に逆らうことは、それまで親の反対にも会いながらも自らを投じてきたものに対する否定でもあった。それでもなお、麻原彰晃がここまで井上の態度を掌握できた論理と実践について、知っておかなければならないことなのだと思う。その意味で井上が死刑となったことは、ある意味では残念なことでもあった。合掌。

  • 井上嘉浩は他の手記では積極的に犯行を手伝ったと記載されることが多く
    これ以外、例えば江川紹子の裁判傍聴記あたりも読んだ方が彼本人がどういう振る舞いをしていたのかについてはニュートラルな視点を持てると思う。

    とはいえ一番の弟子がどのようにしてオウムにのめり込み、またその洗脳から正気に戻って自分自身の信仰を取り戻したのかが丁寧に書かれてるのは非常に面白かったし、何より裁判の結果を覆す証拠が出ている再審請求中の死刑執行でこの国の司法制度に疑問を持つきっかけを与えてくれた。世間一般の視点からすると死刑やむなしなのかもしれないが、真相を明らかにしないまま闇に葬られてしまったものがあったことを教えてくれた一冊だった。

  •  井上嘉浩はオウム幹部の中で飛び抜けて若く、有名大学出ではなかったのに、麻原に重用されていった。中学生の時に密教、修行や解脱というものに関心を持ち、阿含宗へ入信して修行をするようになったが、そこで自分の疑問に応えてくれる人や教えとの出会いが無かったことが悔やまれる。ここで良い出会いがあれば、彼はオウムへと進むことはなかっただろう。
     また、唯一、無期懲役から死刑に、二審で判断がかわった人で、再審請求中に死刑執行という司法の不条理には驚いた。
     門田さんのように取材を丹念にすると信頼できる人は本当に貴重だと思う。500頁超の作品もそれを感じさせなかった。




  • これは井上元死刑囚の側に立って書かれた本なので、この本の内容全てを100%信じて考えてはいけないとは思うんだけど、それでもやっぱりこの人は死刑で良かったのかな?と思ってしまう。
    この本に書かれていないこともたくさんあって、何よりオウム事件によってたくさんの被害者が出たわけだから死刑は妥当だという意見もあるだろうけど(実際そうなったわけだし)この本を読んで、井上元死刑囚がどうしてオウムにのめりこんでいったのか、どういう気持ち考えで麻原に仕えていたのか、どういう気持ち考えで数々の事件に関与していたのか、逮捕されて裁判が行われ、麻原から離れる覚悟を決めた心の詳細などがよくわかった。

    「洗脳されていたから」という一言では済まされない、麻原との深い関係やそれから起こる絶望感など、頭が良ければ良いほど、麻原から近ければ近いほど、それが強く出て逃れられないということも良くわかった。

    それでもやっぱり、地下鉄サリンの実行犯でありながら、最初に供述を始めた等の理由で死刑を免れた元医者もいる中で井上元死刑囚は死刑が妥当だったのかなという疑問が残る。
    ただ、最後は自宅(実家)に帰ることが出来て両親に見送ってもらうことが出来たのが幸いだったのかなと思った。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/763257

  • 嘉浩さんの幼少期や愛犬の太郎との写真を見る度に悲しい気持ちになりました。読みながら何回も写真のページを開いてしまいました。もし麻原と出会わなければと思うと残念でたまりません。

  • オウムが起こした数々の事件は、どんな理由があろうと決して許されるものではない。オウムの幹部であった井上嘉浩の人生が描かれている。真面目で優秀、井上の人柄に惹かれ入信した信者も多数いたらしい。逮捕後は犠牲者たちの無念にせめて報いようと「償い」と「真実の究明」のために捧げたという半生を読むと、「仮に出会う人間が違っていたなら、どれだけ社会に貢献できる大人になっていたか」「どんな人に出遇ったか、人はその出遇いによって一生が決まるといっていいかと思います」という作中の言葉が心に重く残ってやるせない気持ちになった。

  • ジャーナリストさんの著書をはじめて読んだ。オウム関連の事件は、私の中でなぜか心から離れない事件。当然 許されるものではないにせよ、井上さんの生き様は 興味深く 誰もが陥る可能性のあるものであったと切に感じた。

  • 幹部受刑者の手記等を元にした著作物です。一般に報道されていたイメージとは随分異なる人物像で少し驚きました。(真実は現時点では分かりませんが)また事実が明らかになっていない事が多々あることが指摘され、司法当局の在り方にも戸惑いを覚えます。犯罪は許されることではありませんが、文言を正面から見た悔悟の記録として共有されて、繰り返されないための教訓として残っていけば良いと感じました。

  • 今年いちばん面白かった。
    筆者が割と井上嘉浩寄りなところはあるが、それをあらかじめ理解した上で読むと良い。それ以上に、松本智津夫の生い立ちからオウム真理教がどう成り立ち、事件を起こしていったのか詳しく書いてあった。井上嘉浩は16歳でオウムに浸かり、青春を知ることなく26歳で死刑囚となり48歳で死んでいった。もし、あの時オウムに出会わなければもっと社会のため人の為に生きていたはず。

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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