火定

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (414ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569836584

作品紹介・あらすじ

時は天平。天然痘流行を食い止めようとする医師たちと、その混乱に乗じる者たち――。人間の光と闇を描き切った、感動の歴史小説。

感想・レビュー・書評

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  • 天平年間、平城京における裳瘡(天然痘)の流行を扱った医療時代小説である。天然痘はウイルスが原因だ。古代何度もパンデミックが起きている。現代は根絶しているが、我々世代は何れかの肩に昔のワクチンの痕(あと)が必ず微かに残っている。しかし、古代は天然痘で生き残った者には一生痘痕面(あばたずら)がついて回った。

    天平9年(737年)、京内の病人の収容・治療を行う公的施設、施薬院では、天然痘の発生から忽ち大パニックに陥る。いわゆる医療崩壊である。何しろまともな医師が1人しかいない。庶民は怪しげなまじない札を高価格で買い、フェクニュースに踊らされて外国人襲撃を始める。現代でも起こりそうな事を上手いこと時代小説に取り入れている。

    澤田瞳子の小説は2冊目。2つとも、古代文献や最新考古学資料を読み込み、奈良の都の位置関係を我が庭のように描いているのには好感を持った。

    その中で、施薬院での重労働に逃げ出そうとする若い看護人、立身出世の夢を陰謀で断たれた元医師、天然痘で生き残り病人を救うことに自分の存在意義を求める医師、世の中を悪弊を憎みながら、それを拡大させて都をパニックに陥れる元囚人、その他様々な人が入り乱れて、病の収束に向かってゆく。

    ただ、最後までのめり込めなかった。上橋菜穂子「鹿の王 水底の橋」の厳密な医療描写を読んだばかりだったからか、同じウィルスパンデミックに晒されている今の私たちには違和感のある描写がある。確かに綱手医師は昔30年前の流行時に抗体免疫ができていると思う。諸男も一回できているだろう。しかし、その他の施薬院の若いスタッフは完全に「濃厚接触」をしている筈なのに、十数人全然感染していない。

    未知の病に命を賭して治療に向かう医療スタッフを描くことで、人の生き方を問うストーリーには共感する。が、少し歌舞伎節のように、若いスタッフのはっとそれと気がつく過程がわざとすぎる気がする。これだと、直木賞は私はダメだな(←えらそー^_^;)。


    なお、本書とは直接関係ないが、最近観た岡山県の『災害の記録』展で、天然痘ワクチン接種に貢献した緒方洪庵の弟子、難波医師の事を初めて知った。このような全国的には有名ではない医師の、命をかけた献身があって現在の医療体制があるし、今現在コロナ禍の下で同じ献身をしている医療従事者がいる事を想い、展示品説明を以下にそのまま転記する。

    難波抱節著『散花新書』三冊
    嘉永(1850年)3年 
    岡山藩の家老、日置氏の侍医で、御津郡金川で開業した難波りゅうげん(立と原+心)(号は抱節)は、緒方洪庵から牛痘苗を譲り受け、金川で3000名に種痘を行いました。しかし安政5年のコレラの大流行で治療にあたる中、みずからも感染して翌年に死去しました。『散花新書』は種痘について記した主著で、展示品は版行された原本からつくられた手写本です。

  • 奈良時代に猛威をふるった疫病とたたかう医師ら。
    重すぎて読みにくいかと思ったけれど、力強い筆致に引き込まれ、感動しました。

    聖武天皇の御世。
    都の施薬院に勤める名代(なしろ)は、病人の世話に飽き、出世の可能性がないことを嘆いていました。
    上司の綱手は治療に打ち込む良心的な医師ですが、思わぬ疫病がはやり始め、打つ手に困るほどに。
    一方、侍医だった諸男は罪を着せられて、この時期に獄にいました。運命に翻弄されることになります。

    皇后の兄である藤原家の四兄弟が権勢をふるっていたのが、天然痘に襲われたら無力で、つぎつぎに命を落としてしまう。
    かと思えば、この機に乗じて怪しげな札を売り出す宇須という男も。
    新羅から帰国した遣唐使らは、自分たちが疫病を持ち込んだことに苦しみます。

    治療法がろくにない時代、それでも奮闘する人々。
    その精神の強さと激しさ、次第に迷っている暇もなくなっていく。
    それぞれの人生が極限状況でどうなったか。
    すさまじいばかりですが…
    生きる意味を問い直す、胸を打つ言葉も。
    名代の成長物語として読み終えました。
    かすかな光明と救いを心に残して。

    2017年発表、第158回直木賞候補作。

  • 2015年に雑誌連載された作品らしいがテーマは実にタイムリー。
    裳瘡(天然痘)が大流行し夥しい人々が亡くなりパニックに陥っていく寧楽(なら)の都を、施薬院で働く蜂田名代(はちだのなしろ)と冤罪により投獄されたことにより世を怨む元侍医の猪名部諸男(いなべのもろお)の視点を通して描く。

    『病とは恐ろしいものだ、と名代は思う。それは人を病ませ、命を奪うばかりではない。人と人の縁や信頼、理性すら破壊し、遂には人の世の秩序までも、いとも簡単に打ち砕いてしまう』

    正に今のご時世を表現している。時代が移り変わり医学や科学、技術の進歩があり手段は変わっても人の心の不安定さは変わらないのか。
    出世コースから外れた施薬院での仕事から逃げ出したいということばかり考えていた名代が裳瘡で苦しみ手当ての甲斐なく次々死んでいく有り様に少しずつ考えを変えるのに対し、諸男は獄中で知り合った宇須らと共にまじない札を売りさばき人々を煽り立てていく。

    数えきれない犠牲の中で何とか治療法を見出だそうと最前線で闘う施薬院の人々に対し、裳瘡の感染から逃れようと都を離れ者や引きこもる者、まじない札などの怪しげな物が効くと人々を騙し、次には裳瘡は異国から来たのだから異国人を襲えと煽り立てる。そして扇動に乗った人々がついに暴動を起こす。
    そして政は全くの機能不全に陥り、貴族や官人たちは身を守ることだけに必死になっている。
    正に今、世界中で起きているパニックや終わりのない闘いを見ているようだった。
    しかし施薬院の人々も決して命知らずではなく、死ぬのが怖いとパニックになる者もいる。一方で裳瘡に感染してしまった孤児院の子どもたちと共に世話役として敢えて自ら隔離する僧もいる。

    名代や諸男が裳瘡に襲われる都を見てそれぞれが思い変わっていく様はベタではあるが良かった。
    諸男の冤罪や名代が感じていた中央官庁への気後れの顛末も裳瘡終結への希望にも上手く繋がっていた。
    これほどの犠牲と混乱の先に見えた景色と同じものが、近い将来現実にもあれば良いのだが。

  • 時は天平、ところは寧楽(なら)。
    藤原四兄弟が権勢を誇った聖武天皇の御代。
    施薬院に務める名代(なしろ)は辞めるきっかけを探していた。
    貧しい病人の治療をするといえば聞こえはよいが、孤児の救済のために建てられた悲田院とともに、藤原氏が慈悲深いことを世に示すためだけに作られた施設だ。
    なるほど資金は藤原氏から出るが、ここで務めていたとて出世の道は望めない。
    上司の綱手は金にも名誉にも興味がない。兄貴分の広道は無暗と口うるさい。孤児院の悪ガキどものいたずらにも手を焼いていた。
    何にせよ来る日も来る日も貧しい病人の世話をするのにほとほと嫌気が差していたのだ。

    そんなあるとき、都に不吉な気配が流れる。
    何十年も前に荒れ狂った裳瘡(もがさ:天然痘)が都に入り込んだらしい。
    どうやら新羅の国から帰った者たちが疫神に取り憑かれていたようだ。
    じわり、じわりと、野火のように感染は広がっていく。
    確たる治療法も薬もないまま、人々は見えない疫病に翻弄され、狂奔する。

    業火に焼かれるように伝染病になぎ倒されていく人々。
    歯を食いしばってこれに立ち向かう綱手。
    普段は施薬院に薬を納めているが、疫病の気配を察して、いち早く身を潜めた比羅夫。
    宮中の医師でありながら、無実の罪を着せられ獄に落とされた猪名部諸男(いなぶもろお)。
    混乱に乗じて怪しげな神をでっちあげ、人々を扇動することに異様な喜びを示す宇須(うず)。
    悲田院の孤児たちを我が子のようにかわいがる僧、隆英。
    内心、自分たちが病を持ち込んだことに苛まれている遣新羅使たち。
    地獄のような都で、それぞれの人生が交錯する。

    病は善人も悪人も区別はしない。
    それぞれの悲しみを苦しみを呪詛を抱え、人は斃れる。
    猛り狂う疫病の中、名代が物語の最後に見るものは何か。

    昔から、人は何度も何度も感染症に襲われてきた。
    病と闘う術が非常に限られていた時代、その怖ろしさはいかほどのものだったろう。
    著者の重厚な筆は、文献の裏付けを杖に、読者をぐいぐいと天平へと引っ張っていく。
    「火定(かじょう)」とは、仏教の修行僧が自ら火中に身を投じて入滅することを指す。
    人は病に斃れ、けれどもまた立ち上がる。先に続く者の礎となるのであれば、業火に焼かれた者の死も、決して無駄ではない。

    凄惨な描写も多く、気楽に読める1冊とは言えない。
    けれども終幕に降る雨が、しみじみと胸にしみいる余韻を残す。

  • 頼れない国
    感染病、パンデミックに対する藤原時代の官民の動き。現代と変わらず、国を司る医事薬事等は病人から退避、健闘するのは庶民の医者と看護する下働き者だけ。現代で風で言うならば国から補助金をもらっている医療機関はほんの一部が治療するだけで、国民が頼れるのは民間の医者と看護婦だけだ。さらに最終的な感染病に対する処方箋は「自己予防対策」しかないと言うことだ。
    出自、コネで出世、後は競合他者を排除すれば例え学がなくとも頂点に立てるのが現代社会の出世の道だ。周りには生まれた時から大臣などと言われた輩もいるだろうが果ては中身の無い薄い出世欲しか無い人間になるだけとなる。 現代、政治家を見ているとまさに経験・専門知識が全くない輩が大臣級に上り詰めドタバタするだけで何も発信できない無策状態となっている、将来の日本は危うい、と感じているのは私だけだろうか。

  • 奈良の平城京で起こったパンデミックの物語。
    新羅から帰ってきた使節の一人が発熱した。その後、亰では次々と病に倒れる者が続出する。発熱し、数日経つと一時的に熱が下がる。治ったかと思いきや、全身に豆粒のような発疹に覆われるのだった。
    本作は蜂田名代(はちだのなしろ)と猪名部諸男(いなべのもろお)という二人の人物の視点で物語が進んでゆく。

    名代は役人になれたものの施薬院勤務を命じられて不満を抱えている。諸男は宮廷で薬の調合の仕事をしていたが無実の罪を被せられ、この世の全てを恨んでいる。
    屈託を抱えた二人の前に、裳瘡(天然痘)という恐ろしい病が現れた。
    施薬院にいる名代は、裳瘡で苦しむ民を少しでも救おうと奮闘する人たちと、内心反発を抱きながらも共に戦う。諸男は、獄中で知り合った者達と怪しげなまじない札を売り始める。

    1980年にやっと根絶宣言がされた天然痘。その猛威は身体だけでなく心までも蝕む。熱や発疹に苦しみながら死んでゆく人、まれに助かったとしても、発疹の痕が残り絶望する人。病の恐ろしさに詐欺まがいのものを信じる人、デマに踊らされ暴徒化する人。そんな人間の醜さを、名代と諸男二人の視点から残酷なほどに描かれている。

    本作ではとにかく人が死に、遺体が腐る。その描写も容赦なくされている。グロと言ってしまえばそれまでだが、少し前まで元気に過ごしていた人たちが、病であっという間に命を奪われ、腐った骸となって蝿がたかる様は人の命はなんと儚いものなのかと泣けた。

    これは千年以上前の天平時代の物語である。現代は医療技術やその他いろいろな技術発展により、当時より生活はかなり良くなったけど、人間の根源は基本的にあまり変わっていないと思う。
    感染症に脅かされている今だからこそ読んでおきたい一冊。

  • 友人に「絶対に好きだと思う」とオススメされた本。

    めちゃくちゃおもしろかった!
     
    天平の時代
    栄華を極めた藤原四兄弟をもおののかせ、
    都の京都をはじめ、日本国中を揺るがせた天然痘
    その病と闘った医師、
    疫病の恐ろしさから混乱する人々
    さらにその恐怖に乗じて国内を騒がそうとする人々

    死に至る病に対面した時、不条理な死に取りつかれた時、愛する人を成すすべもなく奪われた時、人はその死に何を思うのか?そして病気から救えなかった人々への医師たちの葛藤と思い…

    コロナ禍で混乱する現代にも通じる作品
    今だからこそ読みたい作品!!

    天然痘を恐れ隠遁生活を送る比羅夫の
    「お気を付けくだされよ。疫病の流行は時に、人の身体ばかりか心まで蝕みまする。」
    という言葉が胸に刺さる!
    今も昔も人は変わらんの~。

    と、ここまで書いておいてなんだけど
    内容はかなりヘビーかと思うかもしれませんが
    著者の澤田さんの文章がものすごく上手くて、かなり悲惨な状況でも、まるで絵巻物を見ているような、残酷な美しさのような、それでいてきらめきのような光を感じる作品でした。

    すごい作家さんだ~!

  • 時は寧楽(奈良)時代、猛烈熾烈な疫病 天然痘に見舞われて都が壊滅の危機を迎える中、施薬院に勤める群像の それぞれの葛藤と挫折と成長がドラマチックに展開する。読み始めた折りには馴染まない時代でもあり理不尽な輩も蠢いてどうなることやら?と読み進めるうちにページを捲る手が止まらなくなった!なんて面白い本だろう。
    時代が時代だけに人物名は馴染み難いけど、会話を敢えて今風仕立てにしてあり取っ付き易い。
    いやぁ 面白かったです♪

  • 生への執着、死の恐怖。
    それはいつの世も変わらず、我々の前に立ちはだかる壁なのかもしれない。

    天平の世、人々を死に至らしめる疫病「天然痘」の流行により、人の業や医師の存在意義について深く考えさせられた。
    正体不明の疫病への恐怖が人々の心と身体を蝕んでいく。
    そして疫病に懸命に立ち向かう医師達もまた、治療方法が分からず己の無力さに打ちのめされる。

    医師とは病を癒すことだけが仕事なのではなく、病人達の苦しみ無念を後の世まで語り継ぐ責務がある。
    タイトル「火定」の意味が分かった時、その尊さが胸に焼き付けられる。
    己のプライドを捨てても病と戦い抜く医師達の強い信念に感動した。
    無数の「死」の向こうにある「生」の輝きは、現代にも通じることだと信じたい。

  • 『火定』という聞きなれない単語、広辞苑を紐解けば「仏道の修業者が火中に自ら身を投じて入定すること」と、記してあった。
    時代は平安朝、そして人物名も現代名とは異なり、読みにくいかと思っていた。ところが、著者の筆致の圧倒的な迫力に、忽ち取り込まれてしまった。
    疫病の患者の治療に奮闘する施薬院の医師綱手、不満を抱きながらもそこで働く名代。策略により、医師の地位を奪われ投獄の身となった諸男。混乱に乗じ、ひと儲けを企む宇須。彼らを中心に、「生と死の狭間で繰り広げられる壮大な人間絵巻」が展開する。
    疫病の蔓延に絶望的な闘いを挑み続ける綱手は、その凄惨な現場から逃げ出そうとする名代に諭す。
    「己のために行ったことはみな、己の命とともに消え失せる。・・・されどそれを他人のために用いれば、己の生には万金にも値する意味が生じよう。さすればわしが命を終えたとて、誰かがわしの生きた意味を継いでくれると言えるではないか」
    やがて名代は、病に倒れた幾人もの氏を目のあたりにし、「彼らの死は決して、無駄ではない。この世の業火に我が身を捧げる、尊い火定だったのだ」との、境地に達する。名代の成長物語としても読める作品。
    さらに著者は、「医者とは、病を癒し、ただ死の淵から引き戻すだけの仕事ではない。病人の死に意味を与え、彼らの苦しみを、無念を、後の世に語り継ぐために、彼らは存在するのだ」と、記す。世の医者たちに、心してもらいたい言葉ではないだろうか。
    読み進む中で、綱手に映画『赤ひげ』の三船敏郎を、名代に加山雄三を、想起してしまった読み手であった。
    ともかく、著者渾身のこの作品、直木賞を受賞しなかったのが残念・・・

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著者プロフィール

1977年京都府生まれ。2011年デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞、’13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞、’16年『若冲』で親鸞賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、’20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、’21年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。近著に『漆花ひとつ』『恋ふらむ鳥は』『吼えろ道真 大宰府の詩』がある。

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