大津中2いじめ自殺 学校はなぜ目を背けたのか (PHP新書)

  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569812229

作品紹介・あらすじ

「自殺の練習をさせられていた」-生徒たちの埋もれかけていた証言から事件は発覚した。いじめと自殺の因果関係を認めず、調査を打ち切った市教委の対応は、社会問題となった。事務作業や保護者対応に忙殺される教師たち。連携さえとれない現状で、はたして子どもの異変を察知することはできるのか。子ども1人に孤独を背負わせる世の中であっていいのか。私たちはいま、彼らのために何ができるのか-。大津支局記者のスクープで疋田桂一郎賞受賞。全国25紙以上に掲載され大反響となった3部にわたる連載記事をもとに、この事件の真相、そして悩ましき、いじめの構造に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • この本、2011年の「大津市中2いじめ自殺」について調査しただけの本ではなかったです。
    家族から、学校側から、行政から、第三者委員会からこの2011年の自殺事件を考える。大津の事件の内容は本全体の半分くらいでした。
    この自殺事件は決して特殊な事件ではないことが、この本を読むとわかります。文部科学省の報告では6年間に576人が自殺、2010年度だけでも小中高で147人もの子供が自殺しているんです。日本の児童生徒の自殺の原因としたのは2.7%で、半分以上が原因不明。
    なぜ大津の学校側が自殺の原因を隠蔽したのかもありますが、隠蔽した学校側を吊るし上げるだけではない内容でした。
    しかし、学校・教員が必ずしも悪くはないともこの本にはかかれています。誰もが当事者意識を持つことが大事だと感じました。
    医療職の自分として、この本を読んで感じたことは「思いやる」余裕が欠如している現代。子供も親も学校側も思いやれないんだと思いました。
    過去、自殺で子供を亡くしたが、学校などが自殺にまつわる調査を一生懸命してくれたことで癒しにつながったケースもかかれています。自死の親は、どうやっても自分を責め続ける。そんなことも書かれている中で、心をこめた報告をすることが大事だと書かれています。
    考えさせられる言葉がちりばめられた、勇気ある一冊だと思いました。

  • 図書館で借りた本。

    この本一冊読んだぐらいで、すべてを理解することは不可能だし、いじめた側が悪いと批判するのは簡単だけど、それだけじゃないよね。

    この子の件がメディアに取り上げられることによって、どれだけのいじめが発覚し、どれだけのいじめを未然に防ぐことができたのか。

    子を持つ親として、感謝の気持ちが大きいです。

  • 大津市中2いじめ自殺事件の最高裁判決文を見て改めて。報道だけでなく事件の背景や以降の取り組みも知っておくべき。
    難しい。ただ、学校や教育委員会が早期に適切に対応し、加害者とその両親がいじめを認めて謝罪できる環境が整っていれば、ここまで問題が大きくなることはなかったのでは…と思う。
    もし自分が加害者や加害者の親だったら…。反発せざるを得ない状況になっていなかったか?文中に、最初は自責の念があるものの、数日経てばオセロのようにひっくり返ると触れられている。だからこそ、早期の対応が重要なんだろう。
    スクールカウンセラーも制度は稚拙で機能してない。
    校長や教師もおかしい。アンケートでは、生徒や教師のつながり・信頼感を“ある”とする回答数が減少しているという結果。しかし、学校側はそれを自立心や独立心が旺盛だとも言える…と捉えている…とか、問題にまともに向き合っているのか疑問のところも。
    これら問題を踏まえても、最高裁判決について個人的に思うことは変わらない。事件が風化して判決に影響したの?と感じてしまうぐらい。

    https://twitter.com/vahhoi/status/1354258848878637061

    本書でも第三者調査委員会のことは触れられていて、その調査方法や結果は、少なくとも一定の評価は得られている。
    報告書では「(生徒の家庭についてささやかれた)『虐待家庭』というフィクションがいじめと自殺の解明の重大な障壁となり、被害者の家庭の名誉を侵害するとともに、加害生徒の反省を阻害した可能性がある。学校、市教委は深く反省しなければならない」と厳しく指弾している。でも過失相殺の判決。
    第三者調査委員会は警察捜査のような強力な権限はない。例えば、真相解明のためには、担任や加害側とされる生徒3人への聴き取りが欠かせないが、1人とは最後まで接触できず、担任とは約40の質問項目に文書で答える1回のやりとりだけだった。
    間接的だけど文科省の責任も重大。教育現場の実態についてどう考えて、何を基準にこれまで取り組んできたのだろう。機能していたのか、今はどう改善されたのか気になる。いじめの看過は許されない。でも、なぜそうなったのかを真剣に考えることがとても重要。現場は疲弊している。教師の多忙化。学業面以外の対応に手がかかる。教育委員会制度が癌であることは言うまでもない…。
    教育現場の評価基準は、問題を隠さずに適切に対処できた場合にプラス評価するなど改められた。それまでは、いじめが少ないことが評価され、しかしそれが隠蔽を生んできた。
    本書は大津市中二いじめ事件の詳細とその後の対応、後半はさらに他のいじめ事件や学校教育のことまで言及している。後者は、ややまとまりに欠けているように感じた。

  • 悲しくつらいことですが、直視しないわけにはいかない。
    詳細な調査に基づき、いじめについて今わかっていることをよくまとめられていると思う。ここから学ぶこと、考えさせられることがたくさんある。巻末には全校生に実施されたアンケートの回答が掲載され、子どもたちの生の声にふれることができる。

    学校も社会も、変わらなければならない。
    国連・子どもの権利委員会が2010年に指摘した「高度に競争的な学校環境が就学年齢層の子供のいじめ、精神障害、不登校、中途退学及び自殺を助長している可能性があることを懸念する」について、今に生きるすべての人に関わる大きな課題と考えたい。

  • 子どもたちのあいだには、いじめも含めていろんなことが起きます。ですが、私一人ではすべてのことに気づくことはできません。ぜひ保護者の方の力を貸してください。気になることは遠慮なく話してください。
    そういう謙虚な姿勢を忘れないこと。

    繋がりが弱くなっている。繋がりがないから、相手のことを気にしなくなる。どうでもいいと思うようになる。

  •  大津いじめ事件の詳細を地元の新聞が特集、書籍化。

     やはり大きな事件というのは時間をかけてじっくり取材して考察することが大事である。
     この学級は崩壊気味であった。崩れた雰囲気の中で仲間内のふざけが深刻な暴力へと発展していった。教師は忙しさに加え大きな学校で教員数も多く連携力がやや弱かった。
     あと、大きかったのはいじめかどうか、いじめによる自殺がどうかという迷いが事件の前と後の学校の対応をまずくしてしまったことだと思う。

     私はいじめかどうかを判断するというのは害にしかならないので止めた方がいいと思う。むしろ関係性を差っ引いて起きている暴力などの状態を評価するべきだと考える。

     いじめ問題を考える上で必読の一冊。

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4569812228
    ── 共同通信大阪社会部《大津中2いじめ自殺 学校はなぜ目を背けたのか 20130317 PHP新書》
     
    …… いじめと自殺の因果関係を認めず、調査を打ち切った市教委の対
    応は社会問題となっ た、この事件の真相、そして(略)自殺の翌日、
    健次の祖父母が経営する銭湯を生徒の親 が訪れ、告げた、
    「健次君はいじめ抜かれて死んでいったんやで。(20130921)
    http://ameblo.jp/shellacmode/entry-11618302428.html
     
    (20140808)
     

  • いじめられている子を見て見ぬふりをしているのは、いじめていること同じだ。そんなことを誰かが言っているのを思い出した。私が中学の頃はいじめで自殺をすることがニュースになるようなことはなかったように思う。確かにいじめは学校に存在していたし、私もそういう状況を目の当たりにして何もできずに見て見ぬふりをしている生徒の一人だった。本作の中で、自殺をした生徒の友人などが最後のいじめ調査に関するアンケートでそれぞれの思いを綴ったページがある。それを見たときに、なにか言葉で書かれている以上に思い何かを感じ取った。エスカレートするいじめに対しどのような対策を学校、国がとっていくのか考えさせられる内容となっている

  • チェック項目11箇所。「いじめをしない、させない、見逃さない、許さない学校」とも謳っていた、いじめが起きた際の迅速な対応につなげるための詳細なマニュアルもきちんと備えていた。プロレスごっこ……ある教育学者は「低温やけどみたいに、慣れっこになっていくうちに、気がついたら深く細胞まで侵されていて、あとは一生治らない、というのと同じような現象だ」と指摘する。「おじいちゃんおばあちゃん本当にごめんなさい。どろぼうといっしょのことをしたのはわかっている。でも、俺にはわるい友達は一人もいない。それだけは、分かってほしい」。「罵倒しても土下座させてもかまわないという社会の空気は、いじめと同じ論理」と分析、「無慈悲の悪循環を断ち切るために、各人が心のブレーキをできるだけ意識しておく必要がある」と訴えた。自殺の翌日、健次の祖父母が経営する銭湯を生徒の親が訪れ、告げた、「健次君はいじめ抜かれて死んでいったんやで。知らないのは被害者の親と加害者の親、そして学校の先生だけ」。学校は不当子に陥っている三人を授業に戻すため、指導でいじめを認めさせ、反省を引き出す必要があった、個人差はあるものの、三人とも「ちょっとやりすぎたかも」という気持ちはあると感じていた、だが、親から「いじめ前提の指導は必要ない」「冤罪だったらどうするんや」と断られ、先に進めなくなった。新しいPTA会長は毎朝、学校の校門に立って生徒に挨拶をする、何から始めていいのかわからないが、再生のためには行動するしかない、と考えた、生徒の様子に気づくためには、チャンネルが多ければ多いほどいいと思うからだ。「いじめを許さない学校」を掲げると、先生はだれも自分のクラスで起きていることを言い出せなくなる、「そんなばからしいことを言わないでもらいたい。いじめが仮に起きたとしても、先生のチームワークや生徒たちの力で、深刻化する前に止められる『いじめを包み込める学校』でありたい。「私が若かったときは職員室は生徒の話で満ちあふれていた。担任していない子のこともよく知ってましたよ。でも、いまの先生は雑用に追われて、余裕がまったくない。生徒のことを話している実感でいえば、採用された当時と辞めるときとでは10対1」。いじめている子どもに罪の意識なんてない、ということです、子どものときは、だれだってほかの子をからかって遊ぶことがあります、どんないじめをしていた子も『おもしろかった。遊びのつもりだった』と言います、それは子どもの本心だと思います、遊びだ、楽しいと思えば行為はエスカレートしていく、それがいじめの怖さです」。教員の世界には「困った子は困っている子」という言葉がある、手のかかる子どもは、悩みを抱えているという意味だ、同様に「困った親は困っている親」と考えることはできないだろうか、学校と保護者はパートナーであり、敵対することには、なんのメリットもない。

  • 全体的に視点がぼわっとした感が否めない。
    既読感があるからかも知れない。
    でも「いじめ」を問題視したことは評価したい。

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