アメリカはいかに日本を占領したか マッカーサーと日本人 (PHP文庫)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569768960

作品紹介・あらすじ

憲法、国防、沖縄基地問題……。そのルーツはマッカーサー統治下にあった。戦争史・昭和史の御意見番が、占領時代の見直しを試みる。

感想・レビュー・書評

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  • 敗戦直後、日本はまさか負けるとはと思っていなかった人達は呆然としていただろうし、負けても勝ってもいいけど平和になった事を喜んだ人もいただろうし、家がなくなって困ってる人もいただろうし 本当に凄い混乱の中だったと思います。

    そこに いきなり 敵の偉い人が来て
    しかもいきなり 神様と思っていた天皇に会っちゃった
    って事で 日本人は この人には逆らえないって思ったでしょうね。

    歴史の教科書では
    マッカーサー元帥が来て日本を統治したという事は
    書かれていたけど なんで 帰ったのかなどは 記憶にありません。

    ここには 
    まず 当時のトルーマン大統領とあまり仲が良くなかったという事と
    朝鮮戦争で 原子爆弾で戦争を終わらせた方がいいと思っていたので
    それは いけないって事で 任を解かれて 帰国させられたそうです。
    その時は 日本人は マッカーサー元帥のお陰で 日本は民主化も進み
    色々発展したので 感謝していて 銅像を作るとか色々計画あったようです。
    しかし 帰国後日本の印象を まだ12歳の子どもと表現した事から
    そういう感謝の気持ちが飛んでしまったようです。

    マッカーサー元帥が日本に来たばかりの時
    出された料理をあまり 宜しく思わなかったのですが
    料理長が 今の日本人はこれ以下のものを食べているんです。と 訴えたら
    すぐに 日本人から食料を取る事をやめた。
    占領軍は 寛大で同情的であると 日本人に思わせたのだ。

    アメリカだけが 統治していたが ロシアもやらせろって言ってきたけど
    それは 断った。 そのおかげで 日本は分断されずにすんだので この件は とても良かったと思います。

    マッカーサー元帥は 日ロ戦争後日本に来たことがあって かなり日本ツウだったそうです。 そして 関東大震災後 援助物資を送る事の中心的な役割をしたそうです。

    マッカーサー元帥は 早く日本を 非軍事国にして 日本を太平洋のスイスにしたいと思っていました。 そして 結果を出して
    アメリカ大統領選挙に出馬して 大統領になる事を 夢見たが
    選挙戦が始まった時はまだ終わっていなくて アメリカに行く事もできず
    結局落選してしまった。

    その後アメリカでは日本を再軍備ということを言ってきたが マッカーサー元帥は粘り強く抵抗した。日本の吉田首相も抵抗し「防衛はアメリカが、そしてその分の費用で日本は復興を」という考えだった。 マッカーサー元帥は当初の 理想主義を貫いた。

    戦後アメリカ人の多くは 天皇を処分することを考えていた。
    日本側はどうすれば天皇を守れるのか 必死に考えていた。
    が マッカーサー元帥は 日本に来て すぐに より良い世界、とか 自由と寛容と というような文言を含めたスピーチをして 驚きつつも喜んだ。そして マッカーサー元帥は 単なる軍人ではなく 平和の人であると 思った。

    11回の会談の秘話は 講演内容をまとめた様式で書かれていましたので
    口語っぽくって 読み易かったです。
    しかし この内容については 極秘だったので 想像になってしまいました。
    戦後のの日本の形作りについてはこの会談で昭和天皇はマッカーサー元帥に意見を言ったそうです。
    対談というものの マッカーサー元帥の方がおしゃべりでほどんど彼がしゃべっていたそうです。
    通訳も毎回日本人が入るのではなく 向こうの通訳だけの時もあったので
    本当に知りたいことはアメリカにあると思われるようです。
    対談の時に天皇は軍備を持たなくて大丈夫かと 心配していたけど マッカーサー元帥は 軍備を持たない事が安全であるという事、アメリカは必ず日本を守ると 言い切ったのです。

    マッカーサー元帥は日本に来て わずか一か月で妻や息子を呼び寄せた。本来なら占領軍に対して敵意を持つ民衆が多いから危険なのに 日本人の多くは敵意を抱く事をしなかった。
    (一部数名が切りつけたりしたけど大事には至らなかった)

    この占領時に マッカーサー元帥ではなく 他の トルーマンさんのような人だったら 天皇は処刑、あるいは処罰を受けていたかもしれない。
    アメリカなどの諸外国の世論は処すべきという主張だった。が すでにポツダム宣言に於いて 天皇制を認めているので処分ができないという 状況でもあった。
    マッカーサー元帥は もし天皇を裁判にかけたら占領が失敗に終わると思っていた。
    更に 日本人から多くの天皇を裁判にかけないでという内容の手紙も届いていた。
    これらの事を考慮し、アメリカ本土には 裁判にかけないという 決定を示した。
    そのころ 天皇が国内へ出向くことになり 各地で国民が喜んでいる姿を見て マッカーサー元帥は自分の決断が正しかったと思う事になった。

    フィリピンでの最初の敗北を味わっていた マッカーサー元帥は当時の指令官である本間氏をどうしても裁判を受けさせたかった。逮捕された本間氏は戦争反対を唱えていた立場だったし日本軍の方からは 生ぬるいと叱責されていたくらいなので 大きな裁判ではならないと想像していた。が 立場は上なのでそれなりに覚悟はしていた。

    フィリピンでの交戦の後 攻防を続けていたフィリピンの人たちは飢えなどで降伏して捕虜となったが あまりの数の多さと 日本軍のサポートが間に合わず 捕虜を徒歩で移動させていたが 途中倒れてしまう人が続出した。更に日本兵に対して捕虜を殺しても良いという指令が届いていた。

    この時の屈辱をマッカーサー元帥は忘れていなかった。しかし 本間氏はマッカーサー元帥に対してリスペクトはしていたのに。

    本間氏は戦時下捕虜に対する行為よりも 他の地域への攻防に時間を取られていた。できる限り捕虜などへの 対応もきちんと行っていたので 裁判では弁護側の有利な内容しか出なかった。が この裁判はマッカーサー元帥が何が何でも 本間氏を処したかったので 覆る事がなかった。

    最後に本間氏は部下達などの行いの責任を取って処するのは わかるけれど 広島長崎への攻撃に対する責任を誰が取るのか もし処されないなら それは不当ではないか というような内容を語ったそうです。

    戦争は勝った物が歴史を書くと言われますが この裁判もひどいです。
    もし マッカーサー元帥がフィリピンで敗れていなければ 本間氏に対する復讐?が起こらず 良き占領者でいたと思いますが 残念でした。

  • 第二次大戦敗戦後の日本を弾圧、壊滅せずに、「自由、寛容、公正」の旗印のもとに復興、民主化を強力に推し進めたマッカッサー元帥。この対日政策は世界戦略色が濃厚だったのですが、結果的に戦後70年以上の長きにわたる平和を日本にもたらしてくれた恩人であるとも思います。

  • 敗戦直後から7年にわたって続いた、GHQによる日本の占領統治について、マッカーサーの行動を軸に追ったノンフィクションである。PHPでこういう署名だと、歴史修正主義のトンデモ本(高山○之とかその辺のやつ)を想像されるかもしれないが、著者名をよくご覧いただきたい。真っ当な認識と語り口で書かれた、真にためになる本だ。中学生のころ、歴史の教科書にあった、「マッカーサーは占領をスムーズに行うため、天皇制を利用することにした」という記述にあれ? と思ったものだが、その疑問は本書が解いてくれた。

  • 本の帯に「憲法」「沖縄基地」と書かれていて、2019年7月の参議院選挙でこの二つのワードが気になったこともあったので買いました。

    内容はマッカーサー元帥の人物像、昭和天皇との対話が印象に残りました。
    昭和天皇の偉大さや、天皇を慕う人々の心があったから今の自分は不自由なく暮らせているのかと思いました。

    自民党が憲法改正に躍起になっているのもなんとなくわかった気がしましたが、やっぱり戦争はよくないです。この本の最後まで読んだらきっと皆さんも同じようにやりきれない気持ちになるはずです。

    この本を読んでおいてホントに良かったです。

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著者プロフィール

半藤 一利(はんどう・かずとし):1930年生まれ。作家。東京大学文学部卒業後、文藝春秋社入社。「文藝春秋」「週刊文春」の編集長を経て専務取締役。同社を退社後、昭和史を中心とした歴史関係、夏目漱石関連の著書を多数出版。主な著書に『昭和史』(平凡社 毎日出版文化賞特別賞受賞)、『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫新田次郎文学賞受賞)、『聖断』(PHP文庫)、『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)、『幕末史』(新潮文庫)、『それからの海舟』(ちくま文庫)等がある。2015年、菊池寛賞受賞。2021年没。

「2024年 『安吾さんの太平洋戦争』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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