なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか

  • 原書房
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (343ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784562055937

作品紹介・あらすじ

現代は人間による生物絶滅時代だといわれる。一方で人間社会から利益を得て、おどろくほど多くの新しい種が生まれ、適応している。外来種や雑種もそのひとつだ。進化生物学の大家が世界をめぐって見えた、生物多様性の「真実」。

感想・レビュー・書評

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  • 生態学を学ぶ者の見地から意見を述べます。

    一部参考になる部分もありますが、総じて悪書です。

    全ての外来種の侵入で問題となる事は「地域固有の生態系の喪失」及び「地球全体の多様性の喪失」です。この本(及び他の外来種を擁護する本全て)では地域の多様性が上がる事ばかりに言及しており、上の2つどちらに対しても触れてすらいません。

    生物多様性自体に人間が守る価値/意味があるのかという議論を通じて、外来種問題を論じるのは理解が出来ます。しかし、この本では小さな地域における多様性増加を肯定的に捉えてます。従って、この本の立場から述べると地球全体の多様性が減少する事はこの本にとってもネガティブになるはずです。

    多くの外来種の善悪の問題は、結局のところ価値観の問題です。本書でも述べられている通り「人間を介すると悪」と決めつける姿勢には確かに納得するものがあります。しかし、そもそも善悪を決めるのも人間です。それじゃあどういう場合に悪と判断されるのでしょうか?ある外来種(ef. ヒアリ)が経済的な損失を出す場合はかなり問題になるでしょう。しかし、経済的な損失も出さず、他の種を駆逐しない種は?例えば日本文化に馴染む梅という木は元々日本にはいなかった種ですが今更駆逐するべき?

    外来種の善悪を問う問題には正答はなく、ケースバイケースで判断していく、絶対的な答えはなく善悪は流動的で人それぞれによる、という側面を述べて欲しかったと思います。

    まぁまとめると、部分の現象だけを見て全体の現象を無視する悪書でした。


  • ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB2724071X

  • 自分も、繁殖力の強い外来種に駆逐されて風景が変わることを憂えたり、外来種の見た目をまがまがしく感じたりする。しかしこれはよく考えると単なる生理的反応と感傷に過ぎないのかもしれない。理解し受け入れる必要性を説く本だが、いかんせんちょっと訳文が読みにくく通読はなかなかハードルが高い・・・


    P028 自然保護の議論になると、人々は自分のことは脇において、自然はいかにあるべきかについてまるで裁定者か調停者のように振る舞っているように思えることが多い。しかしその立場は一貫性を欠いている。自然の正しい状態などというものはない。

    P111 今日の侵入者たちもやがて次の一時的な居住者たちにとってかわられるだろう。ものごとをとそのままにしておこうという人間のどんな試みも、全く無意味なのである。

    P136 500年と2000年の間のどこかに、外国嫌いを好きに変える線があるようだ。

    P137 陸上に生息する種の歴史は、世界の大陸の動きと位置から強い影響を受けてきた。【中略】外洋航行のコンテナ船は、大陸の移動に比べて100億倍も早く種を移動させ、航空機なら200億倍近い。人間はずっと早いスケジュールで大陸を再結合させる仕事を始めたのである。

    P149 現実的になって、世界の生物の状況をありのまま受け入れなければいけない。長期的には、生き残って反映し、そうやって一族が地球上に確実に生き残れるようにするのは、移動し続け、新たな環境をうまく利用する種である。成功する種が、人間が変えた地球を受け継いでいくだろう。

  • 一方通行、読者に何かさせたいなら工夫すべきかな

  •  とても刺激的な本です。一般的な自然保護の概念に対して真っ向から挑戦しています。おもしろかったです。
     著者は,じつに多くの事例を挙げて,「今,現在の地球上に存在している種は,決して固定されたものではない。常に動いている。それが進化論だろ」といいます。

    「生態学的変化は進化による変化が自然のやり方であるということを受け入れれば,生命を今日見えているような単一の固定されたイメージとして捉えるのではなく,終わりのない出来事の連続と考えなければならなくなる。地球上の清明についてこのように動的な見方をすれば,破滅を予告する大げさな言葉の大半を無視でき,人間によって直接的間接的に操作されてきたものも含め,身のまわりで見えている変化が前に起こったものと比べてかならずしも根本的によくも悪くもないということがわかってくる。」(p.277)
     
     また著者は「人間と自然がなぜ分けられて論じられるのか。人間も進化の過程で出てきたのだ。人間も自然の一部と考えるべきではないか」と持論を展開します。そして,「なんとしても外来種を排除しようとする考え方こそ,科学的ではない対応ではないか」と問題提起をするのです。
     
    「人間も進化によって生まれたのであり,すでに地球上のあらゆるところが人間によって改変されてしまったのだから,人が自然の一部とみなされるような,人間と自然界との関係についての新しい原理が必要である。自然界の生物学的プロセスに逆らうのではなく,それに沿ったやり方をしなければならない。」(p.16)

    と,序文に書いています。そして外来種排撃運動については,

    「結局は失敗することが避けられない終わりのない戦いを挑んでも仕方がない。新たな哲学が,もっと楽観的なアプローチへの扉を開く。」(同上)

    とも言ってくれます。この「楽観的」ってのが好きです。自然保護や環境問題というと,マユをひそめ,しわを寄せて,悲観的に語られることが多いのですが,それでは人は集まりません(善意の人を否定するわけではありませんが)。未来を語るのなら明るいのがいい。その「明るさ」は,個人の勝手な思い込みではなく,生物学的(科学的)に考えることで必然的に見えてくる光なのだからうれしいではありませんか。
     人が自然の一部だとすれば,それは大陸が勝手に移動して陸続きになり種の大移動が起きたことと何も違いはなくなります。それによって滅びる種もいただろうけれども,別の種に進化しながら子孫を残してきた生物もいたはずです。地球のプレートが運ぼうが人が運ぼうが同じではないか…
     しかし,頭で理解できても,〈外来種を排除したい気持ち〉はなかなかなくなりません。これは単なる本人の気持ちでしかありません。なんの科学的な根拠もないのだと思うと,少しは気がラクになるかも。
     これからも,地元のゲンゴロウなどを守る活動を続けますが,「ゲンゴロウがいなくなるのも自然」と言われちゃうと,やることがなくなる。人の活動のせいでロスしたものが帰ってくるのなら,その活動は続けたいと思います。

  • 農作物に被害がある分には防除も必要だろうけど、血が混じったり、元いた種が駆逐されたりってのはそんな目くじら立てることなのか?とは思ってた。ので、この本の方向の議論も進んでくといいですな。

  • そもそも「外来生物」は、排除すべきなのか。

  • 人間も自然の一部であり、人間による環境変化も受け入れるべき

  • 請求記号 468/Th 5

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