祖父はアーモン・ゲート: ナチ強制収容所所長の孫

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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784562050840

作品紹介・あらすじ

映画『シンドラーのリスト』で、時間つぶしに人を撃ち殺す冷血な親衛隊司令官。
それがアーモン・ゲート。黒肌の著者は38歳になって初めて自分のルーツを知る。
当時ならば祖父に撃ち殺されていたかもしれない。
ナチスの罪を心に背負う子孫の苦悶。

感想・レビュー・書評

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  • 「私はどこの家族に属しているのか、もう分からなくなってしまった。(中略)選べる立場ではない。そもそもゲート家の一員なのだから」

    血縁というものをここまで意識したことがあったか。幼い頃に養親から愛情をたっぷり受けて育った著者が、ひょんなことから自分のルーツを知ってしまう。実母が著者より先に他人に打ち明けていた事実も含め、取り乱してしまうのも無理はない。
    優しい養親、思い出の少ない実母・祖母の後ろに極悪非道な祖父が突如として現れた。当然切っても切れない関係にあって自分ではどうすることもできない。

    著者が自身の人生を取り戻すまでの道の上で、共著のゼルマイヤー氏(ジャーナリスト)の解説がエコーする。
    映画『シンドラーのリスト』は何年か前に鑑賞しており、ゲートのこともよく覚えている。だから尚更、あまりに色々な事(残虐性の継承、他の加害者遺族の話etc.)を知りたくなるのも当然だろう。
    著者や専門家による映画の捉え方も興味深い。(あの邸宅が現存しているのが衝撃だった…)

    著者の実母が大変不憫な立場にある。あの邸宅で全てを目撃しているはずなのに夫を慕い続ける母親から嘘を教えられていた。ここまで苦しめられなきゃいけないのか。その苦悩が、著者の"母"になりきれずにいた要因を作っていると自分には感じられてやり切れなかった。
    筆者自身の生い立ちにも波がある。(生い立ちについては何度も語られているが、あとがきが綺麗にまとめてくれている) ’14年初版だが、実母とは再会できているのだろうか。今度はお母さんと手を携えて「過去ではなく、将来を向いて」いると信じている。

    「すべてがとても悲しいことだらけだったりしたら、どんな人でもそれぞれよいところがあるんだと信じて、その信仰を守っていきなさい」


    自分はよその国の人間だから、他国の歴史や一族に対して一方的に意見することはできない。しかしドイツ史の中でも恐らく重要な、一つの家族史の目撃者となった今は、著者の祖母や戦後多くの国民が口にしたと言う「知らない/知らなかった」を通すこともできない。
    読み終える頃には分かっているはずだ。このまま本当に押し黙ってしまうのが、実は一番恐ろしい事なのだと。

  • 図書館で、偶然見つけた本。
    一気読み。

    38歳の時、筆者は実の祖父を知る。

    筆者が1970年生まれというところも自分がこの本を読むきっかけになった。そうなのだ、1930年代、1940年代に生まれた世代が子を産んだ(親として生きた)のが1960年代、1970年代だ。

    筆者にはイスラエルに留学した経験があり、イスラエルには大切な友人がいる。

    筆者の生みの母はアーモン・ゲートの娘、モニカ。
    母方の祖母はゲートとともに強制収容所の所長夫人として住んでいたルート・イレーネ・カルダー。

    自分の親族が加害者であることを筆者は突然、偶然知り苦しむ。

    自分につながることをどのように考えるのか、自分の存在する価値を確認するように、プワショフ強制収容所跡を訪ねる。クラクフ、アウシュヴィッツは言うまでもない。

    写真を、映像を見て、似ているところはないか探すこと…これはよくある風景かもしれない。
    しかし、彼女にとってはそれが何かを精算することのようだ。

    読みながら、苦しくなった。
    関係者の子孫のドキュメンタリーをテレビで
    見て、複雑な気持ちになったことを思い出した。





  • 犯罪者が先祖にいる。自分が子供を作れば、犯罪者の気質を子供に受け継がせてしまう。だから不妊手術を受ける。
    劣った有害な遺伝子を断絶するという発想は、結局はナチズムのそれである。

    当事者でありながら、呑まれずに冷静に矛盾に気づけるのが著者のすごいところだと思う。
    当事者だからこそ、言葉にできるんだろうな。

  • 未婚のドイツ人女性とナイジェリア人男性の間に生まれて孤児院に預けられた後、別のドイツ人家族に育てられた女性が偶然、祖父がナチス捕虜収容所の残虐な所長であったことを知り、自身のルーツを探るノンフィクション。

    以前から抱えていた人種差別や養子縁組に起因するアイデンティティ問題に加え、家族史における戦争責任という重い十字架を背負った著者が、様々な人たちとの対話を通じ、悩み、傷つき、苦しみながらも、自分は何者なのか?、家族とは?、愛とは?、運命とは?・・・といった疑問に対する答えを追求する。

    「加害者」としての祖父母世代とその子孫である実母や養父母、そして「被害者」の子孫である旧知のイスラエル人の親友たち。それぞれ世代ごとに複雑な思いがあり、著者の「真実を知りたい」という信念は時に拒絶され、動かせぬ歴史を前に人はひたすら無力なのかという絶望感に襲われた後、読者は一つの希望を見出すことになる。自虐史観云々の論議とは別の意味で、日本人としても決して他人事で済まされない真実がここにある。

  • 実母より祖母に親しみを持つっていうの印象的だったな……
    祖母の話もっと読みたかった

  • 「シンドラーのリスト」の悪者アーモン ゲートが自分の祖父だったという悪夢のようなノンフィクションです。小さいときに養子に出され自分のルーツを知らないまま育った著者のジェニファーはイスラエルで大学を卒業して「シンドラーのリスト」も見ていました。アフリカ系ドイツ人の自分は全く関係のない世界だと思っていたのに38歳になって図書館で自分の実の親のことが書かれた本を見つけてしまいます。
    38歳まで黒人のハーフで養子という問題を抱え、それ以降はさらにアーモンゲートの孫であるというハンデを抱え込んだ女性。辛かったと思います。最後の慰霊碑への献花が感動的でした。まるで「シンドラーのリスト」のエンディングのようでした。

  • ジェノサイドはお金になることに気が付いた。つまり宝石や値打ちのあるものを提供できるユダヤ人はその場で殺害されずに強制収容所へ行くことができた。
    殺人収容所ではレジャーになっていた。どういうことだ、、、恐ろしい。
    ゲートもアイヒマンと同じように、上司の命令に従っただけ、と法廷で回答した。
    囚人の入れ墨をしていたインクはペリカン社のものだった。学校で使っていたペリカンのインク、万年筆と同じものだった。

  • 気にするべきところは違うと思うが、作者の文章の時系列が分かりにくいうえに、第三者の解説が入ってくるので、混乱。読みにくくて辛かった。
    筆者の祖母がアーモン・ゲートを庇っていたように、身内が悪いことをして庇いたくなる気持ちがよく分かる。
    被害者家族だけでなく、加害者の家族も傷つく。祖母の「悪いことをしたら、周囲が悲しむ」の言葉は正しかった。

    今までナチの人たちは特別だったと思っていた。特別、残忍冷酷だと。でも彼らにも家族がおり、家族を慈しみ、私たちと大差ない人生を送ってきたことが分かった。私たちもいつ流されて同じことをするようになるのか分からない。
    何故、自分たちと違うものを排除しようとする気持ちが生まれてしまうんだろう…。

  • 「己の罪と真摯に向き合い、謝罪と賠償をほどこしたドイツの戦後は、日本と違って美しく清算されている」
    このようなことを言い張る、自称「リベラル」な日本人は多い。かれらにはぜひ、本書を読んでもらいたいと思う。

    私の狭い見聞においてだが、天皇陛下を御名の呼び捨てで「戦争犯罪人」などと呼ばれるに甘んじ、同じ皇統に連なる総理大臣が「一億総ざんげ」とスローガンを掲げた我が国とは、ドイツは180度異なった戦後を歩んだように見受けている。アドルフ・ヒトラー(とそれに従った側近たち)を「異常者」の「殺人狂」と断じ、ナチスの所業はすべてひとえにかれらの異常性に起因するものであり、かれらはドラマ「LOST」で言うところのothers——善良無辜なる一般のドイツ人とは「違う」「おぞましき何ものか」である、という切り分けかただ。
    本書の主題はそこにはないが、ふとしたエピソードに現れる現地の空気は、そんな私の「偏見」を補強するものだった。優しかった大好きな祖母が、収容所所長の事実上の夫人として公邸に住みながら、夫が囚人を射殺するたび大音響で音楽を流してそれをかき消し、「私は何も知らなかった、何も見聞きしなかった」と死ぬまで言い張り続けた事実に著者は苦しむ。しかし、戦前戦後のドイツには、同じ主張をしている人間がいくらでもいた。彼我の違いは、ただ収容所所長の妻であったか否かにしかない。
    かれらの子供たちは、そんな両親の姿に疑問と不信を抱き、己の疑心暗鬼を次の世代へ受け継がせていく。アーモン・ゲートを祖父に持ち、さらにその事実にある日突然直面させられたがゆえに著者の懊悩はいっそう深いが、悩みそのものは、先祖がナチス高官でないドイツ人にも共通している。それも本書では語られる。
    ドイツは今も苦しみ、病んでいる。おのが同胞を悪しざまにののしるためだけに、他人様の苦悩を全否定してみせる輩の、なんと罪深く醜悪であることか。

    衝撃的なタイトルを冠する本書だが、実のところ本書の主題はこのことだけにとどまらず、むしろ全体における比重は、ある意味小さいとさえ言える。同じかそれ以上に大きなウエイトが、実親との縁が断絶した養子として育った彼女のルーツ探しに割かれ、そのあたりの肌触りは、最近読んだ「AIDで生まれるということ」に酷似していた。
    また、彼女はアフリカ人とのハーフであり、わずかながらそれ——つまり異人種がごく少なかった1970年代のドイツで、「黒人」として生きるということについても言及される。ただ、本書は非常に前向きにしめくくられるが、それは一見してドイツ人とは思われにくい(たとえばイスラエルで)その外見と、ナチス当事者との縁の薄さ(彼女が愛し、彼女を愛してくれた「家族」はユダヤ人をその手で撃ち殺した祖父ではなく、それに見て見ぬふりをしていた「だけの」祖母だった。アーモン・ゲートが——生後10か月で死に別れたとはいえ——「実の父親」であった母との違いは、この距離感にあったと思われる)があったればこそだろうと思わせた。

    人間は、善いことを成そうが悪いことをしでかそうが、死んだらただの「無」と成り果てる——。
    個人的に生涯忘れえぬ物語のテーマだが、結局この、きれいに言えば「時間薬」でしか、人と人とのわだかまりが解けることはないのだと思った。
    人は死に、何ものでもなくなることでしか、何ごとをも成しえないのかもしれない。

    2014/9/24〜9/27読了

  • 3.86/79
    内容(「BOOK」データベースより)
    『ジェニファー・テーゲは、ドイツ人とナイジェリア人との間に生まれ、養親のもとで成長し、後にイスラエルで大学教育を受けた。家族の秘密に直面した彼女は、音信不通だった生みの母親と再会する。このままでは、ユダヤ人の友達に対して顔向けができないし、自分の子供にも納得してもらいたい。ジャーナリストのニコラ・ゼルマイヤーとともに、家族史を調査して過去の現場を訪れ、イスラエルとポーランドへ行き来しながら、実母の家族、養母の家族が崩壊しかねない衝撃に、傷つきながらも真摯に向かい合う。』


    原書名:『Amon: Mein Grossvater hätte mich erschossen』(英語版:『My Grandfather Would Have Shot Me: A Black Woman Discovers Her Family's Nazi Past』)
    著者:ジェニファー・テーゲ (Jennifer Teege), ニコラ・ゼルマイヤー (Nikola Sellmair)
    訳者:笠井 宣明
    出版社 ‏: ‎原書房
    単行本 ‏: ‎259ページ
    発売日 ‏: ‎2014/8/11

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