- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784562049073
作品紹介・あらすじ
絶滅の危機に瀕する言語の記録のため、シベリアからパプアニューギニアまで、<br>世界中の僻地を旅する言語学者。<br>グローバリズムに呑みこまれ、現地語が消滅しようとしている今語られる、<br>少数言語が失われてはならない理由とは。
感想・レビュー・書評
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噂にたがわぬ良書。
世界各地の共同体を訪ね、滅亡に瀕している言語を調査し、それらを守るための試みが理知的、かつ情感たっぷりに書き出されています。思い入れと冷静さのバランスが見事にとれているのは、著者が「亡びゆく言語」の専門家であるゆえでしょう。
氷と風の種類によって名前を使い分けるユピク族、丘の形や草の潰れた形までも認識するトゥバ語、我々のものとは全く異なる数え方を有するニューギニアの言語……ページをめくるごとに驚きがあります。
その驚きだけでも十分な読書体験となり得ますが、それ以上に重要なのは、言語を守ることは文化を守ることだけではなく、私たちの今まで知らなかった智恵を与え、世界の見方を変えることに繋がるという指摘でしょう。ある地域に根ざした人々とその言語だけが認識可能なものというのは極めて多いのです。
とにかく学ぶことが多い一冊といえましょう。丁寧良質な翻訳も好印象です。是非ともご一読を。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
少数民族の中でのみ使われる言語はグローバル言語に押され、消滅の危機にある。少数言語について研究する著者が、現地を実際に訪れ、調査を行なった記録と、それを通じて得た言語保存への想いが込められた1冊。日本語も大切にしないといけないな。
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言葉って1つあればいいじゃない。バベルの塔が建つ前に、1つの言葉で話せていた時代に戻ればいいじゃない。そう思わないこともない。
けれども、言葉というのは、その民族の文化、視点、生き方、歴史のすべてから成り立つものなのだ。1つの言葉に収めてしまうには無理がある。
今まで言葉について考えたことはなかったけれど、その多様性と豊かさに考えさせられる。
しかしながら、多民族の言葉をいやしいものと考える社会は辛いね。 -
地球上には数多の動植物が存在しているが、およそ80%を超える種類が、西洋科学の範疇において未だ存在を知られていない。それらの種は特定の地域に集中しており、その多様性から生態学のホットスポットと呼ばれているが、同時に深刻な衰退にも陥っているという。
一方で、言語に関しても同じような事態が起きている。少なくとも80%が未だ記録に残されておらず、今現在、何が失われつつあるのかすら正確には分かっていないのだ。こうした言語版ホットスポットのエリアを地図上に記し、現地に赴き、それらの言葉を記録しようと作業を続けているプロジェクトがある。
※参考リンク http://travel.nationalgeographic.com/travel/enduring-voices/
エリアの多くは伝統的な狩猟・採集民族や、自給自足の暮しをする人々の住む地域に該当する。オーストラリア、インド、パプアニューギニアからボリビアまで。その僻地にある共同体を、プロジェクトの一員でもある著者が訪ねていく。
彼らの最大の目的は、危機に瀕した言語ともに生き抜いていきた最後の話者の声を届けるというものだ。最後の話者たちは、すでに高齢だったり、虐げられ、抑圧され、また健康を害していることも少なくない。そんな言語の戦士たちが教えてくれたメッセージは、一体どのようなものであったのか。
ボリビアの高原にあるアルチプラノという地方。ここに住むカラワヤ族の中に、薬草について途方もない博識を誇る人たちがいる。彼らは西洋医学よりも早く、独自の実験方法によってケシの効能を知っていた。そして、その秘伝の知恵を守るために、秘密の言葉を編み出したという。
地球上最も過酷な地域に暮らすユピク族。彼らは少なくとも99種類の海氷の形状を識別し、それに呼称を付けている。それ以外にも、風、海流、星や天体など、あらゆる種類の季節現象にも名前が付いているのだ。これらの情報を統合的に活用することで、彼らは優れた天候予測能力を保持している。
シベリア南部でトナカイを飼いながら暮らしているトファ族。彼らは、ドゥーングルという単語をひとつ覚えるだけで、群れの中から特定のトナカイを識別することが可能なのだという。
それぞれの言語には、地形、土地固有の種、気候パターンや植生サイクルなどの環境要素についての特別な情報が、独自の形で文法や語彙に織り込まれている。そしてそれらが消滅するということは、自然界について人間が持っていた知恵も同時に消えてしまうことを意味するのだ。
普遍文法に代表されるチョムスキーの理論と違い、著者たちが支持しているのは、言語が現実経験に影響するという「言語相対論」なるものである。言語は私たちが言い得ることを告げるのではなく、言わねばならないことを告げるという考え方であり、その根拠をさまざまな言語の中に見出している。
本書で紹介されている危機に瀕した言語の多くが、ほかでは見られない独特の歌唱法を持っているということも特徴的である。ときには歌が、それを生み出した言語より長く生き続けることもあるのだ。
代表的なものの一つに、シベリアの奥地に住むトゥバ族のものがある。笛のような音、理容師の扱うハサミのような音、さらには霧笛のような音、そのすべてを声道ひとつで出す歌唱法で喉歌(ホーメイ)とも呼ばれている。
※参考リンク http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=CQdCUKdUE80#!
これは古来からの基本形をそのまま残した歌であり、何世紀もの間に外の文化と接触し、多くの異なる歌やメロディに晒されてきたにもかかわらず、孤高の状態でその特殊性を保ってきた。そして歌は文字を使わない彼らにとって、自分たちの物語を記憶するツールとしての役割も果たしてきたのである。
口承文学とは、人間の記憶が最も過酷な試練を経て、最も純粋な形で到達した地点とも言えるだろう。何千年という間、先住民族の文化は膨大な知恵を整理し、そして伝えてきた。その歴史の重みこそが、彼らの拠り所にもなっている。
また近年注目を集めているのが、言語の所有権に関する問題である。固有のナレッジにおいて重要な役割を果たす言葉というものの捉え方が、使い手によって百八十度異なるから面白い。
ネイティブ・アメリカンに見受けられることが多いのが、「言語守秘主義」というものだ。彼らは自分の民族の言葉がオーディオテープとして保管されるような末路になるのなら、いっそ消えたほうがいいと考えている。生き残るためには、新たな話し手を作っていくしか方法がないのである。
もう一方が「言語シェアリング」という考え方である。トファ族やシベリアのチェルイム族などに見られるように、彼らは自分たちの言葉がビデオや音声で記録されることを望む。そうすることで「不死」の存在になることに価値があり、そうした記録によって生き残る可能性が増したと考えるのだ。
そのような言語シェアリングの発展形は、モホーク語の幼稚園、ナヴォハ語のポップ・ミュージック、オジブウェー語によるFacebook投稿にも見ることができる。世界で最も古い言語の多くに、このような新しいメディアが強い基盤を与えつつあるのだ。ちなみに下記の動画は、インドのアカ族の言語によるヒップホップである。
※参考リンク http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=7epBWBzjjdY
日頃、本をはじめとする「文字」の世界に浸っているがゆえに気付かされるのは、「声」の世界というものが持つ広大さである。本書は、本の中の世界から外の世界へと導くゲートウェイのような役割を担っていると思う。
世界は広い。文字に置換すると、たった5文字である。その事実を言語で記述するというだけではなく、言語的世界観を物語ることで伝えてくれている。 -
様々な国の言語のホットスポットで暮らす最後の話者たちからその言語にまつわる話を聞き、そこから「亡びよく言語とどう向き合えばいいのか」を模索している本。
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グローバル化が急速に進む中でアイデンティティが失われつつある現状に、果たして世界は一体化すべきなのかとすら考えさせられる本だった。
身近で考えると私たちの使う日本語も重要な言葉だと気付かされる。
本書は、日々何気なく使われている言語の重要さを考える手助けとなるはずだ。 -
少数民族の話す言葉の多様性の意義と素晴らしさ,本当に無くしてはならないと思う.フィールドに分け入り研究する筆者のような研究者の地道な努力に敬意を払います.
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様々なフィールドでのお話をいくつか入れてましたが、ぶつ切り感が…ちょっとよくわからなかったです。