- Amazon.co.jp ・本 (170ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560099063
作品紹介・あらすじ
祖母の秘密、精神病院での日々、クリスマス・イブの思い出……みずみずしい記憶と懐かしい感覚に満ちた、半自伝的な24の物語。生誕90年、ニュージーランドを代表する作家による珠玉の短篇集。
感想・レビュー・書評
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しみじみする。「昔はこうだったのよ」と家族の誰かが話す。ほんわかするのは内容というよりも、生きてきた歴史の秘密を共存するという行為なのかも知れん。書かれたのが1953年位で、自然豊かな?ニュージーランドのせいか、印象はこうだ。よし、頑張ってネギ用の土手を作るぞ。ざっと作って日も暮れたし、明日ネギを植えるぞ。寝て起きると豪雨。さらに翌日跡形もなく土手は崩れ、しかも天気は良い。悲観するも、自然の押し流した土の造形のなんと美しいことか。自分の労働は無に終ったが、自然の一部として生きてる。ネギも自分も。
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こどものきもち
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爽やかな物語のはずなのにその途中に描かれる主人公の心象風景には底知れぬ深みがあった。いつか再読してから抱く感想はきっと初読とは異なるだろう、それが今から楽しみだ。
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精神病院に入っていたという著者の経歴からもわかるとおり、そして、そんな精神病院での様子を描いた一篇が紛れ込んでいるように、この短篇集に描かれる記憶、想い出は決して美しいものではありません。ちょっと変わった子ども、なんかズレている子ども、決して快活でもなければ根暗でもない、素直とは言えないけどひねくれているというのともちょっと違う、そんな子どものイメージが立ち上がってきます。
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パステルカラーの飴玉があとからあとから転がりだすような短編集。それでいて、なんとなくよるべない気持ちになる。登場人物(子どもが多い)の心もとなさが伝染してくる。それが落ち着かなくて、少し急ぎ足で読んだ。
その一方で、親が保護者であったころの気持ちを思い出した。彼らがニコニコしていれば自分も安心できた時代。なつかしくふんわりした気持ちになって、そのあとですこしさびしくなる。ふだんは忘れているけれど、もう戻れないよき日々がかつてあったことを思い出す。 -
一日に三編ずつ読んだけれど、ページを繰るのがだんだん怖くなった。穏やかな光に満ちた思い出が確かにあったはずなのに、最後の一文によって切り裂かれ、深黒の闇に浸されてしまう予感に脅えていた。
私が親しげに微笑みかければ、世界は哀憐の情を込めた一瞥をくれる。
どうしてうまくいかないのだろう。どこで間違えてしまったのだろう。水面に向かって投げかけた問いが波紋となって広がってゆく。濁った水面に顔を近付けて映したところで、輪郭は揺らぎ私は分裂していくだけだ。もう本当は答えに気づいている。
だから「物語」を書き続けたのだろうか。言葉で、私とばらばらになっていく私自身と世界とをつなぎとめて提示するために。言葉は私であり、言葉は私の居場所だ。
《2015.09.01》 -
クロウタドリがさえずる牧歌的な描写がみずみずしい。それと背中を合わせる形でのぞき見える死者の領域が、この世の一瞬一瞬に魔が住むことを知らせる。書き方やことば選びが童話のようにやさしいことがむしろ、不協和音の伝わりを重くする。
「虎、虎」
「ジャン・ゴドフリー」
「潟湖」
「煮たカブを食べるいとこたち」
が好き。 -
クロウタドリの歌みたいな本だった。
美しく、時に不愉快な旋律。
わかるようでわからないもの。
私自身のことだって、ほんとうには見えてないのだ、たぶん。
ちょっとブローディガンの西瓜糖の日々のようで、プラテーロと私、みたいでもあった。
淡い色合いの世界。たくさんの美しい自然があたり前にある世界。貧しい人も狂った人もいる世界。 -
う~ん。
なかなか難しい内容だったかな。。。
作者の意識と感覚で書いてるような文章。
頭を空っぽにして読むのがいいかも。 -
主に幼少時代の想い出の断片を綴った短篇集。と書くと、いかにもキラキラとしたきれいな想い出を想像しがちですが、どこか屈折した、それでいて暗くはない不思議な記憶の数々。もちろん想い出そのままではなく、たぶんに脚色されて小説に仕立て上げられてはいるのですが、著者の人生の芯となる部分を見事に描き出しているのではないでしょうか? 誰でも、この短篇の中の一つくらいは、自分の記憶と重なるものがあるはずだと思います。