日本でわたしも考えた:インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と

  • 白水社
3.71
  • (5)
  • (22)
  • (13)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 186
感想 : 20
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560098912

作品紹介・あらすじ

4年に及ぶ東京暮らしのなかで、インド人作家が驚愕と新発見の日常に溶け込んでいく自身の姿を描いたユーモアあふれる日本滞在記。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日本に4年住んだ著者の体験談&取材結果。
    ユーモアがあって本当に面白かったです。
    出身のインドはもちろん、転々と住んだ
    イギリス、中国、ベルギー、インドネシアでの
    経験と比較して日本の際立つところを
    教えてくれます。
    ネタは外国人あるあるかもしれないけれど、
    書き方がとても面白かったです。
    筆のちからをお持ちの作者です。
    この本、セイロから出したばかりの
    肉まんみたいにホッカホカの話題が多いので
    1-2年のうちに、できるだけ早く読まれることを
    お勧めします。そうしないと、失敗した
    アベノミクスやアベノマスクのエピソードを
    我々日本人は忘れてしまうから笑。


    訳者もいい!現在の言葉で訳してくれています。
    あと、編集者がファインプレーです。
    「日本でわたしも考えた」のタイトルは、
    もちろん椎名誠氏の「インドでワシも考えた」から
    持ってきたのですが、私にはツボでした。

    友人に薦めたくなった作品でした。

  • 英国、中国、ベルギー、インドネシアと暮らしてきたインド出身のジャーナリストによる4年間の東京滞在記。日印の結びつきを取り上げる第8章「僧侶、映画スター、革命家、そしてゾウ」もさることながら、第2章「「割れ」と「癒やし」」の文章にはっとさせられる。

    「わたしは早い段階で、真実は一つだけではなく、常に混沌としたものだという結論に達していた。だからこそ、中国社会がカオスであると同時に統制されていることや、インドに思いやりと残酷さが同居していることを知っても、落ち着いて受け入れることができた。日本についてわたしが思い至ったのは、深い癒しをもたらしてくれるとともに、深く傷ついているということだった。この矛盾こそが、日本をよりリアルに感じさせてくれるのだ。」

    一概に「傷」と呼んでよいのか分からないが、生きている間に捨てられたことや失ったことを通じて、悲しみを抱きしめて生きていくことはあるように思う。このことは日本社会に特有のことではない。けれど自然に近い文化の中では、それが意識に上りやすいかもしれない。

    また、第6章での「職人とジュガール」、第9章での「リスク回避傾向とジュガール的対応」では日印でビジネスをするときの溝を考えさせられる。

  • 外国人による日本賞賛のコメントは食傷気味であり、そういう番組自体を恥ずかしく感じる。
    私も周りも、日常の会話から避けがちな話題を、この本では率直に、その背景から考察して論述されている。思い込みと想像だけでなく、インドはもちろんのこと、中国やインドネシアの歴史や文化等と絡み合っていて、客観視できる。

    文化も制度も多様なる中で生まれ育ったインド人に、様々な国での経験が加わった視点で日本が暴かれていく。

    日本人の根強い人種差別。
    ラグビー日本代表でも時折耳にする…日本人以外…という言葉。
    人種を意識しているのではなく、ただの見た目で判断する人がいる危うい社会。
    ハーフという言語的区別と、羨望からの苛め。

    世襲性政治に起因する、柔軟性のない社会と制度。何をするにも時間がかかる。
    女性の社会的地位が低い社会。無意識下で女性に侮辱的な言葉を使う、おじさん社会。

    本を読みながら、自分を取り巻くこの日本社会について、より批判的に思いを巡らせた。

  • 筆者の名前は「ぱらび」ではなく「パラビ」
    (より正確には、「パーラヴィ」)

    P84 「日本語には表音文字があるが、「ひらがな」と「カタカナ」という、それぞれ四六文字からなるものが二種類存在している。(中略)同じことはカタカナでも可能なのだが、こちらは漢字以上に驚くべき存在だ。
    カタカナは単にひらがなと同じ音を表しているだけで、その目的の一つは元から日本にあった「固有」の単語ではない、外国由来の単語を表記することだ。賛否が分かれるかもしれないが、これは日本発祥か外国発祥かという、人種的存在論が言語そのものに刻み込まれていると言えないだろうか。」
    「名前を全て読まなくても、外国人ということがわかる。ほんの一瞬見るだけでも、カタカナで書かれており、したがって日本人ではないという事実がインプットされるのだ。カタカナとは、何かを言う前の時点でそれが日本のものではないことを示すものなのだ」


    このほか、

    掃除について
    「『掃除をすることは、水を飲んだり食事をしたりすることと同じくらい重要なんです』と彼は言った。『インドでは掃除のために人を雇うことがよくあると聞いたことがあります。ですが、わたしたちにとってこれは生活の一部ですし、自分の生活は自分でするべきで、他人にアウトソーシングするものではないと思うんです』」(P153)
    (筆者は箒を持つことのないカースト出身で、日本では小学生がマイ雑巾をもち掃除の時間がカリキュラムに組み込まれていることに驚いている)、

    政治が話題にならないことについて、

    日本文化のほぼ全ては中国伝来ということ、

    日本食には興味がわかないこと、

    中村屋のボース、

    東京裁判のパル判事、

    「ジュガール(即興の対応で課題をフレキシブルに解決)」と職人、日本式ビジネス(リスク回避傾向が強く、硬直的)

    「日本について私が思い至ったのは、深い癒しをもたらしてくれるとともに、深く傷ついているということだった。」(P 54)

    「イギリスで教育を受け、世界で名を馳せる企業でいいポジションの職に就いている友人が、わたしたちからすると困窮状態のように映る部屋に住んでいるという現実を受け入れるのに少々時間を要していた」(P219)

    などなど
    いままで考えてもみなかった興味深い内容満載。

    私も日本を考えた。
    ナマステ。ありがとう。

  • 筆者はジャーナリスト、プライベートでは外交官の妻で二人の子供の母。
    今まで長く中国での滞在経験もあり、ジャカルタ、日本、スペインと海外駐在を続けてきた。

    もちろん日本の生活になれるまでの、苦労話も面白いが、日本に住んでいたのが数年と思えないほど、深い日本文化への考察、俳句の知識、政治についての洞察が詰まっている。
    以下、ジャーナリストの視点から見た日本政治の分析が素晴らしいと思ったので抜粋

    "日本だけが「民族主義的封建制」の国というわけではないが、政治がダイナミックさを欠き、硬直的になっているのではないか。日本の政治エリートが過去にこだわる一方で一般国民から乖離している状況は、二十一世紀に求められる柔軟性やイノベーション-権威主義国の中国はこれを実現する能力をたびたび示しているように見える-に取り組んでいく中で自国を不利な環境に置くことになっている。"


  • インド人の筆者が日本に住んで見えたこと、考えたことについて。俳句が多用されていて、筆者は日本人よりもはるかに日本文化に触れていて知っていると思った。
    財布を落としてもそのまま戻ってくることに驚き、きれいな多機能トイレに驚き、四季の美しさに感動。独自の閉鎖的な文化や歴史を築いてきた日本だからこそ、良くも悪くも世界と異なるところが多いことを改めて知った。

  • 外交官のご主人に帯同して家族で日本に4年間住んだインド人ジャーナリストが、日本の日々の生活やインドとのかかわりについて書いた話。
    題名が軽いので、お手軽エッセイかと思って読み始めたら、想像よりも密度がある内容だった。トイレや落とし物などいわゆる、この手の本でよくある、外国人が持った日本に対する印象から、日本とインドの仏教の違いや、日本の歴史にかかわったインド人など、真面目な事項まで、多岐に渡る内容。知らなかったことも多く、とても面白く、興味深く読んだ。比較文化の研究員である訳者は、あとがきで、考察が浅いと書いていたけど、これ以上、難しいと読むのが大変だし、素人にはこのレベルが最適。気に入ったので、この著者の他の作品も読もうと思ったら、日本語版が出てない。残念。

  • 夫は欧州連合(EU)勤務のスペイン人。著者はインド人ジャーナリスト。過去に北京、ブリュッセル、ジャカルタに滞在した経験をもつ。

    夫の日本駐在に合わせて日本へやってきた彼女ーグローバルかつ複眼的な視点をもつ外国人ーの目に映る日本とは?

    禅、俳句、日本人の性質、日中印関係、政治、宗教...と、コラムのテーマは多岐にわたる。

    日本の良さを褒め称える本ではなく、時にピリッと辛い批評で本質をつくところが良かった。

    p50
    (前略)自分がこれまで住んだどの国よりも日本ではプラスチック製品が普通に使われていることにも気づいた。(中略)国連環境計画によると、実は日本は世界で二番目に一人当たりのプラスチック包装料)量が多い国とされている。

    p104
    日本社会の大部分は、自分たちの国に人種差別の類が存在していることを否定しているようだった。人種差別というのは、白人が有色人種に対して行うものだという見方が支配的だったのだ。そのため、非白人国である日本はそのようなことを正す必要はないと考えられてきた。日本が稀有な単一民族国家で、「外の人間」がほとんどいない人種的に純潔な社会だという考えは深く根づいており、公の政策や議論の場には「人種差別」は一見関係ないとする見方の背景になってきた。
    こうした思考は、一八六八年の明治維新にその源流を求めることができる。 維新後に発布された憲法は、天皇は万世一系であるという建国神話に基づいた国家体制の基盤を確立した。単一の人種的・文化的アイデンティティという考えは日本が作り上げた自国についての認識の中心となったことで、日本人は単一民族であり、それゆえに人種差別主義者になるはずがないという誤った理解をもたらしてきた。
    これは正しい見方とは言えない。

    p132
    イチゴが「単なる」ストロベリーと異なるのは、甘さだと彼は指摘する。そのためには、土壌の炭酸ガス濃度を四〇〇〜四五〇ppmに保つ必要があるとのことだった。こうすることで、イチゴに甘みが凝縮されるという。ビタミンCやコラーゲンを含む肥料には、昆布などの海藻を配合するという日本ならではの工夫もされていた。

    p173
    実は、日本仏教にはバラモン教ないしヒンドゥー教の神々の一部が守護尊や菩薩として取り込まれており、日本語では「天」と呼ばれている。たとえば、ヒンドゥー教のシヴァ神は「大自在天」となって観音菩薩と、ブラフマー神は「梵天」として文殊菩薩と、それぞれ何らかの関連がある。インドラ神(帝釈天)とヴァルナ神(雷神)は、寺院の門を守る役目を与えられている。ほかに日本仏教に取り入れられた神々としては、ヤマ(閻魔天)やガルーダ(迦楼羅)、ラクシュミー(吉祥天)がある。サラスワティー(弁財天)はとかに人気があり、これを本尊とする寺院は日本各地に何百山もある。
    だが、インドから中国を経て日本に至る長い伝播の中で、こうした神々は外見的にも哲学的な意味合いの点でも変貌を遂げた。普通の日本人にとっては、自分たちが寺院で常日頃崇拝する対象にヒンドゥー教のルーツがあることま、あまり伝わってこなかった。ガネーシャについて言えば、ゾウの頭をした像が公開されることはめったにないため、文字どおり目にすることができない。ガネーシャは非常に強い力を持つため凝視することは危険と考えられており、像は秘仏扱いになっているのだ。

    p194
    そこで繰り返し言及されたのは「法の支配」や「民主主義的価値観」といったフレーズだったが、これは「中国以外ならどの国とでも(Anybody But China)」を意味する「ABCクラブ」に属する国が戦略地政学的な発言をする際によく用いられる決まり文句だ。

    p203
    日本にいると、安倍首相が政権を維持できた唯一の理由は、野党が弱く、魅力が感じられないためだと感じざるを得なかった。別の言い方をすれば、世界各国の有権者にとっておなじみのTINA(「ほかに選択肢がない」を意味するThere is no alternative.の頭文字をとったもの)ファクターによるもの、というわけだ。

  • インド人ジャーナリストの日本滞在記。
    コロナ前〜コロナ禍にかけて、夫の仕事のために日本に滞在したジャーナリストが、日本の桜を愛で、日本語に四苦八苦し、トイレに感動し、禅や金継ぎについて取材し、日本社会とは何かを考えたノンフィクション。

    面白かったけれど、ちょっとそれは違うんじゃないかな〜と思う部分もちょいちょいあった。
    あと校閲が雑なのか、一読しただけで2か所もミスがあった。

  •  インドの人による日本滞在記。2020年の8月まで滞在していたから、安倍総理が辞めるところまでは話題としては網羅されている。

     わりとこう、インドの人向けに書かれている部分はあるのだろうが、そこまでインド映画が取り沙汰されているか? とか、(インドから見れば)日本のCOVID-19対策はどうなの、みたいな指摘は問題提起としては面白くはある。

     比較文化論としては最低限のラインではあると思うが、期待したほど目新しい情報はないかなぁって感じ。

全20件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

インド出身のジャーナリスト、作家。デリー大学ならびにオックスフォード大学を卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、南カリフォルニア大学で修士号を取得。インドを代表する英字紙『ヒンドゥー』の北京支局長およびジャカルタ特派員、インド有力経済紙『ビジネス・スタンダード』の欧州特派員を務めた。中国での特派員経験を綴ったSmoke and Mirrors(2008)、異国での育児と執筆の両立をテーマにしたBabies and Bylines(2016)、北京とニューデリーの大気汚染問題を取り上げたChoked!(2016)などの著書がある。2014年には世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダーズ」の一人に選ばれた。EU代表部に勤める外交官の夫の日本赴任に伴い、2016年から20年まで東京に滞在。現在は夫および二人の息子とともにスペインのマドリード在住。

「2022年 『日本でわたしも考えた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

パーラヴィ・アイヤールの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×