パトリックと本を読む:絶望から立ち上がるための読書会

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (393ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560097311

作品紹介・あらすじ

人生と社会のどん底から抜け出すための読書会

 ハーバード大学を卒業した著者は、ロースクールへ進む前に、アメリカ南部の最貧地域の町で2年間、ボランティアの教師となることを決める。だが、劣悪な環境で育った黒人の生徒たちに読書を通じて学ぶ楽しさを教え、誇りを持たせたいという著者の理想は、最初からつまずく。読書以前に、生徒たちの読み書き能力は年齢よりはるかに劣っていたのだ。自治体に予算がなく人々に職のない小さな町で、生徒は将来を思い描けず、学校は生徒を罰することしか考えていない。それでも著者の奮闘の甲斐あって生徒たちは本に親しみはじめるが、当局の方針によって学校が廃校になってしまう。
 ロースクールへ進んだ著者はある日、もっとも才能のあった教え子、パトリックが人を殺したという知らせを受ける。数年ぶりの彼は読み書きもおぼつかず、自分が犯した過ちに比べて重すぎる罪に問われていることが理解できていなかった。かつての聡明さを失った姿に衝撃を受けた著者は、拘置所を訪ねてともに本を読むことで、貧困からくる悪循環にあえぐ青年の心に寄り添おうとする。同時にそれは、ひとりの教師・法学生の自己発見と他者理解をめぐる、感動的な記録ともなった。

感想・レビュー・書評

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  • 以前読んだ向井和美さん『読書会という幸福』で紹介されていた本です。

    何よりも著者ミシェル・クオさんの勇気、行動力、強さに心打たれました。そして黒人青年のパトリックの素直さ、優しさ。ふたりが真剣に向き合った時間の尊さ。

    力を尽くしたと感じつつも著者自身が最後の方で「この時間は自己満足だったのかもしれない」と述懐する。出所したパトリックを取り巻く環境は依然として黒人差別、貧困、途中退学する子ども、犯罪の多い街。過去に犯罪歴があると就職も困難。そしてまた貧困状態に陥るという悪循環。

    希望の光を見つけたパトリックの未来が拓けていくことを願いたいです。

  • ミシシッピ・デルタ。アメリカ南部、綿花と極貧の地。著者は大学卒業後、この地で二年間ボランティアの教師をする。


    “パトリックが人に助けを求めるところなど見たことがない。差し出された助けは受けても、自分のほうから助けてほしいと言うような子ではなかった。それに冷静に考えてみれば、パトリックにはたしかにあきらめの早いところがあるように思った”
    真面目で素直な生徒でもドロップアウトしてしまう。助けを求めるという行為は、そういう経験をしてこなかった環境で育った子どもにとっては、学ばなければできないもの。怠けているとか努力が足りないわけではなく。


    根深い人種差別、貧困と暴力。台湾系アメリカ人の著者のアイデンティティ、移民一世の父母との関係についての葛藤もある。

    拘置所でともに本を読む。パトリックの書く文章から彼の繊細さが伝わってくる。パトリックの人生が困難なことに変わりはないけれど、かけがえのない時間だったと思う。

  • 絶望から立ち上がるための読書会 ミシェル・クオ『パトリックと本を読む』|じんぶん堂
    https://book.asahi.com/jinbun/article/13405023

    パトリックと本を読む - 白水社
    https://www.hakusuisha.co.jp/book/b506284.html

  • よかった。貧困と犯罪の世界からどうやったら抜け出せるのか、抜け出すことは可能なのか…などと思いながら読んでいたが、中ほどからは、それよりもパトリックの豊かな読みに驚かされ嬉しくなり、読書の純粋な歓びを再確認することとなった。難を言えば、パトリックの状況は解決されたわけではないし、ここまで献身的な著者の関わりも例外的かとは思うけれど、なんにせよ、パトリックが詩を朗読したり詩を作ったりしていくシーンには幸福感と言っていいものがある。

  • 丸の内の丸善でノンフィクションの特集の本棚に置いてあった。

    初めは気づかなかったが、「パトリックと本を読む」というタイトルが目に入った。読書会に関する本かなと思い、手に取って帯に書いてある「自己発見と他者理解」という言葉に惹かれた。

    それは自分にとっての本を読むという行為、読書会をしていて思う、その本質を言い表しているような気がしたからだ。
    買って一週間もたたずに読んでしまった。

    本書のあらすじとしては、アジア系アメリカ人の作者が大学時代にボランティアとして黒人差別とその抵抗運動が激しかったデルタ地域に赴く。
    しかし、今はそのような名残もなく貧困と諦めが蔓延している学校で、彼女は教師として学生と本や詩を通じて向き合う。
    その後、司法試験のためにこの地を離れ、弁護士のインターンを目前に再びこのデルタ地域に戻る。教え子はかつての輝きを失った姿として現れる、というものだ。

    作者の読書に関する一連の文章がとても良かった。
    「パトリックと本を読んでいたとき、彼がまるで初めて出会った、私が理解し始めたばかりの人のように思える瞬間が何度もあった。その一瞬一瞬、私たちのあいだには、不思議な、根本的な、ありそうにもない平等さがあるように思えた。本を読めばたとえつかのまだろうと、人は予測を超えた存在になれる。それが読書の力だ。本を読んでいるとき、その人は別のだれかかが『こういうタイプ』と決めつけることのできる人間ではなく、あらかじめ規定されていない素のままの人になっている」(342ページ)
    このような気づきや丁寧な自己の描写が繰り返し、重複しつつも進んで行く。
    自分と他者を見つめる中からアメリカのある地方の歴史、公民権運動の過程、司法制度等様々な環境を描写していく。

    言葉が連なってできる文章が本という形態をとる事によって、または詩という形態をとる事によって、その形態が何を引き起こしうるのかという事の一つの事例でもあるように思う。

    立場や認知の異なる人々を乗り越えて同じ景色を見るという現象が起きている。
    そういう事を自分も目の前で見ているようだった。それは次の瞬間には揺らいでしまうものだったりもするけれども。

  • とても静かで美しい文章。ひとつひとつの文が、撒いた水が土に染み込むように、身体に入ってくるようだった。

    黒人の歴史が横糸となり、自身の将来への希望と不安、家族等との関係を交えた選択が縦糸となって織られていく。そこへパトリックの物語が絡んで立体的な織物となり、時には調和し、時には解れ、ひとつの作品になっていった。

    著者が多くの本を読んでいたこと、とくに詩に親しんでいたことが、そういった文章に表れているのだと思う。

    目に浮かぶのは、子供たちと車でミシシッピ川にかかるヘレナ橋を渡る場面。大きな川を越えることは、将来への明るい希望を表しているようでもあり、一方で立ちはだかるとてもとても大きな困難を表しているようにも感じた。
    車内に満ちる静寂は、純粋に感じる川の大きさと美しさ、抑圧からの開放、そして心の奥底にある、将来訪れるであろう抑圧に対する達観なのではないか。

    アーカンソー州を例として、黒人のおかれた状況はとても厳しい。小学生にして、将来を諦める状況をしり、諦めてしまわざるを得ない描写は、読んでいて辛い。それでも少しだけでも希望はたしかにある。いくつかの芽はある。
    私自身は大きなことはできないけれど、できることをやっていかなければ、と思う。

  • 「参考文献」ページに書かれている「アーカンソー州の子どもと家族を守る会」の情報によると、2013年の時点でも、黒人生徒が校内謹慎処分を受ける頻度は白人生徒の約3倍、校外謹慎処分に至っては5倍以上、黒人生徒が体罰を受ける頻度も2倍。
    警官によって男性が殺害された件をきっかけに、アメリカで大きな抗議行動が起きているが、その背景を垣間見ることができる貴重な本。差別はアンクルトムや、キング牧師の時代とは形を変えて、多くの黒人の前に立ちふさがっている。アジア系から視点で書かれているこの本は入門編として最適。また、学ぶこと、本を読むこと、立場を越えて人と人がつながること、そうした大切さも教えてくれる。

  • 教師は生徒をすこやかに生きる力を与られるが、今より明るい未来へ導けるか、そして相互間に信頼関係を結べるか?
    そう言うことを考えさせられた。
    荒れ果てすさんだデルタ、仕事もなく犯罪の巣のような町で生きることに投げやりな人々。根強い黒人蔑視、筆者自身も中国系ということで差別体験はあり、そのような泥沼感に理解がある。だからクオ先生の記録としても興味深い。
    そして何より筆者がパトリックを助けようとキャリアを犠牲にして刑務所に通い本を読みながら共有した時間、会話に感動した。
    最後、あったかもしれない未来に思いを馳せるところ胸に響いています。

  • アメリカの黒人差別がどれだけ酷いものかがわかる。
    生まれながらに蚊帳の外に追いやられ、自由がほとんどなかった時代。

    暴力や殺人が当たり前、警察は見て見ぬふり。

    警察が見て見ぬ振りとか意味あるのか?
    当時の話を聞いてるとただの給料泥棒にしか感じない。

    それが親子代々に受け継がれていく。
    というか、なにが「普通」かわからない。心から。
    それだけ当時は黒人差別が酷かった。近年も人種差別に関する運動は過激になっている。

    パトリックがミシェル・クオと本を通じて成長していく姿に感動しました。実話なので、リアルに、鮮明に感情や情景が思い浮かびました。

    私自身も今年に入って読書をたくさんするようになりました。ジャンル問わず、どんな本からもインスピレーションを得て、成長につながっている実感があります。

    そして、本を通じてもっと世界の知らないことや、文化が異なる人々の価値観を知りたいとより強く思えた本でした。

  • 著者とかつての教え子パトリックが「読書」を通して、他社理解、自己理解を深めていく記録である。

    著者が文中において引用される文献から、彼女の膨大な読書量や知力が垣間見れる。また、強い信念と行動力には頭が下がるが、彼女を突き動かしているものは、アジア系アメリカ人という出自にヒントがある。

    黒人差別だけでなく、黄色人種の差別もさらりと触れており、アメリカにおける人種差別の根深い問題を軸に、著者は他者理解の難しさ、理想と現実のギャップを綺麗事を並べることなく、素直に語っている。

    唯一救われるのは、静かな環境とたくさんの本、大人の少しの導きがあれば知的成長は誰にでも約束されるということを証明してくれていること。
    しかしながら、「読書」によりパトリックは最終的に救われたのか。NOでもYESでもない。現実は厳しい。でも諦めてはいけない。

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著者プロフィール

ミシガン州生まれの台湾系アメリカ人。ハーバード大学卒業後、アーカンソー・デルタのオルタナティブ・スクールで二年間、英語を教える。ポール・アンド・デイジー・ソロス研究奨励金授与財団フェローとしてハーバード・ロースクールに進学、カリフォルニア州オークランドのNPOで移民のために法的支援の仕事につく。プリズン・ユニヴァーシティ・プロジェクトでのボランティア教師、第九巡回区連邦控訴裁判所での法修習生の経験をへて、現在はアメリカン・ユニヴァーシティ・オブ・パリスで人種・移民問題や法律を教えている。本書が初の著作。

「2020年 『パトリックと本を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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