帰りたい

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560090749

作品紹介・あらすじ

ロンドンで暮らすムスリムの3人姉弟の末っ子が、聖戦の戦士だった父に憧れ、イスラム国に参加する。姉たちは弟を救い出そうとするが……。

感想・レビュー・書評

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  • 原題は"Home Fire"。「炉の火」、それが象徴する家庭生活を指す。

    物語は5章からなる。それぞれ、主な登場人物の名前を冠する。
    それはパキスタン系イギリス人の2つの家族が交錯する物語。共通点と相違点を持つ彼らが絡み合い、反発し合い、怒涛の終盤へとなだれ込む。

    第1章は「イスマ」。28歳、イギリスからアメリカに渡ろうとしている。学生の時に親を亡くし、学業を中断してまだ幼い双子の弟妹を母親代わりに育ててきたが、どうやら双子の手が離れ、再び博士課程で学びなおそうとしているのである。だが、彼女の旅は順調ではない。ムスリムの出国審査は厳しかった。散々待たされた挙句、予定のフライトは逃す。
    学業を再開したいという意思に嘘はなく、彼女自身は取り立てて危険な思想を持ってはいなかったが、その経歴は真っ白というわけではなかった。かつて父親がジハード戦士として紛争地で戦い、グアンタナモ収容所に移送される途中で病死していたのだ。
    どうにかアメリカに渡った彼女は、学生生活を始める。そしてイギリスから来ている1人の裕福な青年と知り合う。実はイスマはその青年の父を知っていた。ムスリム出身だが、ムスリムに厳しい政策を取り、内務大臣にまで上り詰めた男だということを。

    第2章はイスマが知り合った青年、「エイモン」。経営コンサルタント会社を辞め、しばらくふらふらしている。父ほど野心家ではなく、のびやかな明るさを持つ。ふとしたことからアメリカでイスマと出会い、妹アニーカの写真を見て、その美しさに目を引かれた。彼は、イギリスに戻った後、イスマから託された荷物を届けることを口実に、アニーカに会う。そして彼は恋に落ちる。恋に落ちた彼は、どんな困難も乗り越えられると錯覚している。それが悲劇を加速させる。

    第3章は双子の一方の「パーヴェイズ」。若干、オタク気質である。アメリカで学ぶことを決めた長姉イスマ、イギリスで法律を学んでいる双子の姉アニーカに比べると、自分の行く先が見えずにいる。まだ若く、ちょっと背伸びもしたい、ちょっと自分を大きく見せたい、そんな年頃でもある。その心の隙に、危険なものが忍び寄る。こんなはずではなかったと気づいたときには遅かった。だが、彼はまだ引き返せると思っていた。その無邪気さは凶悪さとは程遠かった。

    第4章は双子の姉、「アニーカ」。美しく、勝気な彼女。双子の弟は人生になくてはならない存在だった。その子の様子がどうもおかしい。何とか弟を救わなければ。彼女は思い切った手に出る。

    第5章は英国内務大臣「カラマット」。エイモンの父である。元はパキスタン出身のムスリムであったが、国家のためにはムスリムに厳しい立場を取ることも厭わなかった。そのため、かつての同胞には嫌われていた。だが、そうしてきたからこそ、内務大臣にまでなれたのだ。彼は自信に満ち溢れている。
    そこに国家に弓引く愚かな小僧と、その小僧の処分に異議を唱える目障りな小娘が現れる。あろうことか、自分の息子はその小娘に味方している。
    力で抑え込もうとするカラマットだが、息子の真剣さを図り損ねた尊大さが悲劇の炎に油を注ぐ。

    著者は、ギリシャ悲劇の「アンティゴネー」から着想を得ている。国家の反逆者となり、正式に葬られることを禁じられた兄に弔いの儀式をしたため、地下の墓地に閉じ込められる刑罰を受けて自死する乙女の物語である。そこにあるのはいわば「肉親の情」と「国家の法」の対立である。
    著者はこの物語を現代版にするにあたり、ムスリムに対するイギリス社会の厳しい目や、ムスリム間での立場の違いによる反目、そして危険なテロリスト集団に参加してしまう若者の心情などを巧みに織り込んでいる。SNSやスカイプが物語に重要な役割を果たすのも現代が舞台の作品ならではだ。
    複雑化しつつある現代では、対立の構図も単純ではない。割り切れなさは古代以上だろう。
    物語は緩急をつけて展開され、最後は一気呵成に駆け抜ける。
    この後、カラマットは政権での地位を維持できるのだろうか。
    イスマは精神の均衡を保つことができるだろうか。
    衝撃と余韻がこだまする。

  • 傑作である。
    ブッカー賞の受賞は逃したが、それは多分に政治的色彩が強いためで、文学的レベル、今日的問題を扱っている点、その問題の掘り下げ方、ドラマツルギーどれをどっても一級である。よみだしたら止まらないページターナーですらある。(バンバン場面が進むミステリーのようなストーリテリングではありません。念の為)
    アメリカに留学中のパキスタン系イギリス人の女子学生と、裕福なパキスタン系の若い男性の出会いから話が始まる。
     この二人を中心に話がすすむかというとそうはならない。この二人の家族の何人かが語り手となり、視点を変え、時間がたち、話は進んでいく。現代のイギリスの抱える国籍の問題、イスラム国、テロリストなのか違うのかどう判断するのか、イギリスにおいてイスラム教とはイギリス人に同化して生きるべきなのかそうでないのか。などの様々な問題や課題を読者に突きつける。
    そして圧倒的なラスト、これからも繰り返し読みたい傑作に出会ってしまった。

  • 自分は知らないことばかりだー、と本を閉じる。最後の衝撃は…。帰りたい。そのまんまやん!のタイトルが胸に迫る。

  • 帰りたいと願う、それは自分が還りつく家、国、信条。

    パキスタン系イギリス人の家族、ジハード戦士だった父親は帰ってくることなく死亡。その後病気で祖母も母も亡くなり、姉と双子が残され監視と差別の下で成長する。

    気丈な姉、反発する聡明な双子の妹、詐欺師のような男に父親へのあこがれを植え付けられ自滅されられる弟。

    姉のイスマ、弟のパーヴェイズ、内務大臣のカラマットの描かれ方は秀逸だと感じた。特に弟のパーヴェイズの章は現代のイスラムを実感できる。

    反面、双子の妹(パーヴェイズの姉)アニーカと内務大臣の息子・恋愛一直線エイモンの国家を巻き込んだ怒涛の展開のメロドラマ的・漫画的な描かれ方が私には鼻についてしまった。三章までとそれ以降が別の作品のよう。

    ベースがギリシャ神話のアンティゴネー(未読なのでwikiを読みました)ということで納得…うーん、納得?

    追記)読み終えたときは結末に唖然としていたけれど、ここ最近の現実に目を向けるとその理不尽さに納得してしまった。今、イランで起こってることを悲しく思う。

  • 帰りたいと思う瞬間は、誰にでもある。家族に会いたい、くつろぎたい、なんにせよ今ここにいたくない。だが、これほど強く「帰りたい」という言葉が胸に響く作品はいままでなかった。この世界の誰もが、帰りたい場所に帰れるわけではないのだ。

    パキスタン系ブリティッシュムスリムの父親をもつ三きょうだい。かつて、父親はテロリストだった。彼は、ある日突然、家族のもとから消えてしまった。

    姉はアメリカへ、妹は法律を学ぶ大学へ、弟はISへ入隊しシリアへ。人生の三叉路で別れてしまったきょうだい。その後、三人を待ち受けていたのは、悲劇だった...。

    著者はパキスタン出身のイギリス在住者。パキスタンとイギリスの二重国籍をもつ。著者の経験や実際のニュースも織り交ぜられたこの作品には、細部にリアリティがある。たとえば、パキスタン系の移民の子孫がイギリスで官僚になる、ISを除隊したパキスタン系イギリス人が国家権力によってイギリス国籍を剥奪される、など。

    日本国籍をもつ人ならまず経験しないようなことがテーマになっていて、世界にはまだ自分の知らないことが多いことを思い知らされた。ミステリー仕立てで、分厚いながらも読みやすく、小説の世界から「帰れない」のではと思うほど、のめりこんだ。

  •  ポッドキャストで友人が2023年読んだ中のベストとして紹介してくれたので読んだ。確かにこれはベスト級!と唸らざるを得ないエンタメとしてのオモシロさがあった。さらにイギリスのムスリム社会に関する群像劇から見えてくる現実が単純なエンタメではなく物語を分厚くしている。つまり勉強にもなるしエンタメとしても抜群なので読み手を選ばず薦めたくなる作品だった。
     合計5人のムスリム系イギリス人の視点で語られる構成になっており、読ませる展開の連続でページをめくる手がとにかく止まらない。訳者あとがきにもあったが冒頭が物語の根幹をなす大きなインパクトを持っていると感じた。具体的には博士号取得のために US へ渡米しようとすると、空港で厳しい取り調べを受けて予定していた飛行機に乗れないという展開。彼女を待つことなく飛行機が飛び立ってしまう現実はにただただ驚くしかないし社会から取り残されている状況の隠喩であるとも言える。これを筆頭にムスリムに対する社会的な圧力が厳しい状況が物語内にちりばめられている。
     一番大きな事件としては若い男の子がIS に入隊し悲劇を迎えるというプロットがある。これを軸にイギリスにおけるムスリム社会の在り方をグイグイと問うていく流れが圧巻だった。もっと広く解釈すれば「過ちをおかしたもの」に対する態度のあり方とも言える。人の懲罰願望がSNSで可視化される社会において、どうやって罪と対峙していくのか考えさせられた。もっとも短絡的な解決を求めるのが政治家だというのはキツいアイロニーだし、家族をスケープゴートにした報いとして残酷すぎるエンディングを迎えるのも示唆的に感じた。
     このように複数の視点で描き分けていくことで思想の差異が浮き彫りになり、そのすれ違いを 物語に落とし込む筆致が素晴らしい。十把一絡げに「ムスリム」と言ってもグラデーションがあることがよく分かるし、生身の人間を感じさせられながら物語は映画のようにドライブする。だからこそ馴染みのないイスラム教という概念が説教臭さゼロで頭に入ってきた。
     家族も大きなテーマになっていて、親の行いに影響される子どもたちという観点がある。政治家とジハード戦士という相反する親を設定し各自の抱える困難を描いている点が秀逸だった。どっちが良いかではなく、どっちも辛いという話になっているので、現状維持よりも互いに歩み寄る必要性を暗に伝えたいのだと思う。
     イギリスでは二重国籍が認められているが、それでも移民がイギリス国籍を持つことに良く思っていない層が一定数いて、その排外主義なムードはどこの世界でも共通なムードだろう。それは日本も例外ではなく他人事ではない。だからこそ、こういった本を読み多角的な視点で物事を捉える力が必要な時代だと思う。

  • 日本に生まれて、周りにも日本人しかほぼ居ない環境で育った自分には宗教や人種、国籍などで自分のアイデンティティに悩んだことは一度もない。でも世界にはそうでない人の方が圧倒的に多いのかもしれない…

    この本を読むまで、イスラム国のことなんてとうに忘れていた。ムスリムの人達が欧米でどれだけの迫害を受けているとか、全部正直遠すぎて、実感がなかった。この本は遠すぎるそれらの出来事をとてもリアルに感じさせてくれた。フィクションだが、多分こんなことは現実に沢山あるんだと思う。

    だからって自分がこの世界を変えるために何か具体的にできるわけではないが、少なくとも、自分の価値観だけで物事を捉えるのではなく、色んな視点をもつようにしたい。当たり前だけれど、世の中にはいろんな背景の人たちがいる、そして皆それぞれの思いがある事を忘れないようにしたい。

  • 姉イスマと双子(美しい妹アニーカと音源撮りが好きな弟)、そしてジハードだった、既に亡き父。イギリスて暮らす姉弟が母と祖母が立て続けに死んで、姉はアメリカに留学、弟はなにやら行方不明とバラバラになっているところからはじまる。父がイスラムの戦士だったために迷惑している雰囲気で、イスラムに傾倒していない家族。弟を心配し大臣の息子を介して事態が動いていく。
    イギリスって世界有数の監視国家なんだ。知らなかった。でも、国にビザやパスポートに力及ぶ管理されたら言いなりにならざるを得ない。でも、イギリスでは差別的な扱いを受ける…。美しい双子と能力の高い姉、みんな幸せになってもよかったのに。父親への慕情を上手く突かれて海外にまでいってしまった浅慮が一番の失敗なのか。
    最後のシーンはあまりにもわかりにくかったので何回も読んでしまった。悲劇を下敷きにしているのでこの結末なのかな。

  • 読書会の課題図書。
    メルカリで購入。
    政治、宗教、生活が複雑に絡み合い、愛し合うものと、対立し合うものと、その狭間に揺らぐもの、すべてが葛藤している。
    誰のことも100%批判も出来なければ、納得することもできなかった。容易にそんなことが出来てはいけないような気すらした。

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著者プロフィール

1973年、パキスタンのカラチ生まれ。米国ハミルトン大学創作科卒業後、マサチューセッツ州立大学アマースト校でファインアート修士号を取得。98年に In The City by the Sea で作家デビュー。2007年、英国に移住。13年に英国籍を取得。アイデンティティの問題に悩むマイノリティの主人公、というテーマで国際色豊かな作品を書き続ける。七作目になる本作は、2017年のブッカー賞最終候補、2018年の女性小説賞を受賞。BBCが選ぶ『わたしたちの世界をつくった小説ベスト100』の政治・権力・抗議活動部門で10作品のひとつに選ばれた(対象は過去300年間に書かれた英語の小説)。また、本作は「ガーディアン」「ニューヨーク・タイムズ」「オブザーバー」「テレグラフ」など各紙で〈ブック・オブ・ザ・イヤー〉を獲得した。本書が本邦初訳。

「2022年 『帰りたい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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