- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560084137
作品紹介・あらすじ
詩人・歌手・画家・競輪愛好家・宴会師……すべてでありながら何者でもなく、つねに孤独と怒りと笑いを武器に低く深く叫びつづけた40年。その軌跡を縦横に語り尽くす。
感想・レビュー・書評
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高校生の頃、初めて歌を聴いた時の衝撃は今なお変わらず。先日のトークイベントでも相変わらずのシャイっぷり。そのシャイネスがあちこちに散らばる独白録は、興味深いエピソードや名言だらけの「友川語録」が満載でファンにはたまらない。「オレみたいな無名の歌手に興味を持った時点で、すでに自立してるし、アンテナはって生きてるんだから。もうね勝手に生きればいいんですよ」と友川さん。なんか元気でた。
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自身のことをシンプル、面倒くさい人間と語り、たしかにそうかもしれませんが、我々がいうところの世間の面倒くさい人ってのは小さなプライドを守らんがため放っておいての中にも構ってほしいオーラを振りまく人で、友川カズキは自分の複雑さってものを自力で消化した上で剥き出すから、普段そんな界隈にいない自分なんかは恐らくどーしたもんやら、ってなるんですかね。今は吐き出す手段がない…ほんとそうかもしれませんね。自分みたいのをわざわざ聴く人は自立して生きてるんだってのもいいね。読んでいると創作いいかもなあと思わせます。
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坂口安吾の『わたしは海を抱きしめていたい』という小説の冒頭には「私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ」と書かれている。そのあてどなく、寄る辺なく、いたたまれない不安定、所在無さとでも言ったらいいのか、これらは友川カズキの歌を聴くときにも同じように沸き起こってくる情緒にも近しい、あるいは親和性か、そういうものを抱くときになぜか自分でも不思議だけど、妙に嬉しなったりする。そういう前向きとは程遠い負のエネルギーというものは、いいようのない連帯感を勝手に作り出して、それでまた勝手に慰められ、あるいは鼓舞される。何か深刻な問題を抱えたときに、あれやこれやと逡巡するよりも、生きているって言ってみろ!と怒鳴られて、「俺生きてる!」と絶叫するだけで、絶叫したことはないのだけど、それでどうでもよくなって生きていけそうな気がしてしまう。そういういい加減さというのは実は大事なんじゃないかとしみじみ思う。墜ちよ生きよと言われても、若い頃だといい加減なこと言ってんじゃねーと反論したかもしれないけど、いざとなったらその適当さは実は結構強いなと本当に思う。ダラダラ生きているのに昨日より今日はちょっと違う自分じゃないと面白くないという友川の愛嬌は、その適当さや危うさも孕んでいるのにギリギリのところで暗黒面を回避しているので、かなり勉強になります。
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インタビューを書き起こす形での独白録。
本人曰く、載せられない話のが多いのではないかということ。
載せられない話も聞きたくてしょうがなくなるほど、惹きこまれる内容。 -
ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/418332245.html
唯一無二の叫び、するどく遠く。