ジョゼフ・コーネル — 箱の中のユートピア

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560081099

作品紹介・あらすじ

ニューヨークの片隅で、女優のブロマイド、天体図、古切手や古地図、海岸で拾ってきた貝殻などを箱に収めた作品を、生涯に800点以上制作し、さまざまな芸術家に多大な影響を与えたコーネルの全貌に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 1/7 読了。
    映画スターの肖像や、古い博物画を使った箱型オブジェの製作でその名を知られる芸術家の伝記。父を早くに亡くし、束縛の強い母と障碍者の弟を世話しながら、閉鎖的な環境で創作活動に勤しんだコーネル。初期はシュルレアリスムに接近したがダリに謂れのない嫉妬をされ、その後ポロックらに刺戟を受けて抽象主義を取り入れるも黙殺され、遂にポップカルチャーがコーネルを見つけたときには、彼は疲弊しきっていた。嫉妬深い婚約者のような母と、信仰していたクリスチャンサイエンスのせいで、彼は60まで女性を知らなかった。しかし、夢の世界ではセピア色の写真の中のバレリーナや銀幕のスター女優たちとロマンティックな恋に明け暮れて、彼女たちへのオマージュとして≪箱≫を多数作り上げた。

    帯で柴田元幸が「誰にも似ていない人生」と書いているが、本文中に再三「ヴィクトリア朝の紳士のようだった」と言い表されていることからもわかるように、コーネルは完全にルイス・キャロル型の天才である。インテリで閉鎖的で自らの性欲を厳しく律していて、人嫌いなくせに人と繋がりたがっていて、子どもが好きなくせに子ども相手でもロクなコミュニケーションが取れない、臆病で誇大妄想狂の独身者。絶対に手の届かないプリマドンナに憧れると同時に、ウエイトレスやレジ係の仕事に就く女の子を女神のように崇拝して、自分が救い出してやらなければという強迫観念に囚われ、そのヒーロー願望を恋愛と勘違いしてしまう、ものすごく現代的な病理の持ち主である。それに職人気質で寡黙な狂人というアーティスト面も加わって、ほとんどスティーヴン・ミルハウザーの孤独な求道者小説を読んでる感覚に陥った。
    この伝記の著者はコーネルの≪箱≫を、「崇高な芸術」と「価値のないがらくた」を一緒くたにした点で意義があると見做しているようだが、私の意見は少し異なる。コーネル及びポップカルチャーの齎した功罪というのは、「そもそも全ての物には絶対的価値などない」「だから物の価値は自分が決める」ということで、ルネサンスの絵画もダイムミュージアムのオモチャも、"コーネルの眼"というフィルターを通して等価に生まれ変わるのだ。この試みはデュシャンの芸術活動とも通底するが、シュルレアリスムも抽象主義もポップアートも従来の芸術的価値観の破壊を明確に意図していたのに対し、コーネルはあくまで本人の気質としてそういう人間だったのであり、主義主張とは無縁だった。だから20年やそこらで変わるイズムのサイクルなどに流されはしなかったのだろう。
    ≪箱≫はある意味で、コーネルのナルシシズムの爆発であり、それがガラス板で覆われて見せびらかされると同時に抑圧されているのだとも言えるだろう。作品が売られるのを嫌ったり、一度贈った作品を返却しろと言ったりするのは、端的にそれが彼の半身なのだということを表している。≪箱≫は全てが彼に収斂していく小宇宙であり、神でもなくパトロンでもなく自分の愛する幻影に捧げる供物であり、あらかじめ喪われたもので溢れた聖遺物箱だった。その意味では、コーネルはキャロルの先達とも言えるルネ・デカルト、夭折した娘そっくりの人形を箱に詰めて持ち歩いていたというあのデカルトの方に、より近いのかもしれない。

  • 読み終わりたくない、と思うほどに面白かった。それは、私がコーネル好きだということも、もちろん影響しているだろう。
    最初は、ところどころ作者の主観が入っているし、それが私とは意見の違う主張のこともあるし、伝記物は眉唾だ、くらいに思っていたのだけれど、どんどんコーネルの人生に引き込まれていった。
    芸術家にとっては、創り出す作品がすべて。そして私はコーネルがどんな人物であろうとも、彼の箱に惹きつけられ、目が離せなくなる。でも、彼の人生、彼の一見奇妙に思える振る舞いにも、私は共感し、不遜だけれども、コーネルをとても近しく感じた。
    箱の中にあるのは、夢、思い出、たくさんの好きなものと願望。その箱の中から何かを読み取るというよりは、「同じ思い」を感じるのだ。

  • ふむ

  • 美術作家ジョゼフ・コーネルの伝記。
    作者の丁寧な文章で思っていたよりスラスラ読めました。図版は少ないので図版を手元に置いて読むと分かりやすいかもしれません。

  • 作品は有名だけど、コーネルがどういう人物であるか知りませんでした。この本はコーネルの評伝としては、決定版とも言えるんじゃないでしょうか。とにかくよく調べてあると思います。
    家族のこと、コーネルと芸術家や画商との関係、女性たちとの不器用な恋愛など、私生活まで詳細に調べあげています。
    そういう本だと、堅苦しいとか紋切り型とかになりがちですが、文章も面白くグイグイ読ませてくれます。
    コーネルという作家に興味がある人はもちろん、全く知らなくてもある芸術家の孤独と作品への純粋な情熱を描いた物語と思えば、楽しく読めるのではないでしょうか。

  • ジョゼフ・コーネルはアメリカ人。ニューヨーク郊外、ユートピア・パークウェイという名前だけは素敵な町の小さな木造家屋に住み、口うるさい母親と障碍を持つ弟と暮らしていた。昼間は毛織物などのセールスをし、夜になり家族が寝静まると、地下室で自分の作品を作っていた。これは、後年「コーネルの箱」の作者として知られることになるジョゼフ・コーネルの伝記である。

    「コーネルの箱」をご存知だろうか。大きくても三十センチをこえない木製の小箱の中に貝殻や陶製のパイプ、コルク玉、金属製の環といったものをつめこんだものである。身近にある雑多な物を寄せ集めて展示したそれは、今では「アッサンブラージュ」という呼び名で現代美術の一ジャンルを占めている。アッサンブラージュは、彼が始めたものではないが、それを表現の中心に据えた第一人者はジョゼフ・コーネルその人といっていいだろう。

    コーネルは、ニューヨークの街を歩き回り、古本屋を漁っては挿し絵入りの本や好きなオペラの楽譜、ロマンティック・バレエの記事などを集めることを趣味にしていた。当時、フランスではシュルレアリスムの運動が起き、ニューヨークにもそれは伝わってきていた。エルンストの『百頭女』のコラージュに影響を受けたコーネルは、蒐集した古本の中にある挿し絵を鋏で切り抜き、コラージュを作り始めた。それを見た画商が、コーネルに「シャドーボックス」を作ってみることを勧めた。

    シャドーボックスというのは絵葉書を数枚重ねて厚みを増し、適当に切り抜いて額縁の中に張った飾り物だが、コーネルは箱の表面にガラスを張り、その中に様々なオブジェを配置するやり方を好んだ。マルセル・デュシャンの『大ガラス』の影響もあるかもしれない。とにかく、それはシュルレアリスム運動勃興期にあたり、誰も実作者がいなかったアメリカにあって、アメリカ人が試みたシュルレアリスム作品と受けとめられた。デュシャンと友情を結び、ダリに嫉妬されるなどシュルレアリストの仲間入りを果たしながらも、コーネルは彼らとは距離を置いていた。というのも、騒ぎを起こすのが大好きなシュルレアリストとコーネルとは水と油ほどもちがっていたからだ。

    早くに父を亡くしたコーネルは、自分の欲望というものを抑え、家族を養うことを義務づけられた。ほとんど旅行というものをせず、女性とも交際することがなかった。ただ、女性を見ることは好きで、行きつけの食堂で有名な作家や芸術家の伝記を読みながら、ウェイトレスやレジ係の娘を眺めては片思いに耽っていた。ただ、その思いは成就することはなかった。デートに誘うことさえできなかったからだ。

    コーネルは自分の作品を売りたがらなかったという。人に贈ることはよくしたが、相手との縁が切れると返却を求めたりもしている。有名になりたいとか売りたいとかいう野心とは無縁で、「天文台」と名づけた家の台所で星を見ることや、裏庭に置いた椅子に腰掛け、やってくるカケスに落花生をやることを好むような物静かな人物だったようだ。

    著者は、コーネルの伝記を書くことで美術史上に彼の正確な位置づけをしたかったようだ。シュルレアリスムから抽象表現主義を経て、ポップアートに至るアメリカ現代美術史の中で、コーネルはそのどれとも関わりながら常にコーネルであり続けた。彼のアッサンブラージュは、美術品と日用品が境界を越えて出会うことで新たな次元を展開させる今日の美術界の先駆であった、という著者の見解はよく理解できる。

    著者が力を入れているのは、コーネルの芸術と彼の性的嗜好の関係である。母の愛がその裏に束縛という側面を併せ持つものであることは、よく知られている。コーネルは母を愛していたが故に女性への欲望を自ら抑圧した。しかし、そのことが母との葛藤を生み、彼には母や弟から逃れて自由に羽ばたきたい、旅したいという欲求が生まれる。彼の箱によく使われるモチーフに蝶や鳥は多い。また、「ホテル」を冠した作品も数多くある。金網や横木に通した金属の環に繋がれた鎖といったモチーフも家族に縛りつけられた自分を表しているという見方もできるだろう。

    ただ、あまりにもうがった読みとりというのはかえって芸術作品を薄っぺらなものにしてしまう危険性が伴う気がする。「コーネルの箱」の持つ人を惹きつける力は、それを鑑賞する人との共感から生じるものであり、そこにこそ「コーネルの箱」の魅力がある。ペニー・アーケードやニッケル・オデオン(五セント玉劇場)への執着、星座や天体運行への興味、球体や卵、グラスや瓶、細かな木枠で区切られた箱といった独特の愛玩物は、洋の東西を問わず同じ気質を持つ同士を見つけることができる。

    伝記の中に、皆の前で自分のことを恥ずかしがり屋だと言った友人をコーネルはいつまでも許さなかったというエピソードが紹介されている。伝記を読むのが好きだったコーネル自身にこそ読んでほしいと著者は冒頭に記しているが、多くの女性との性的交渉のことまで事細かに論っているこの本を読んだコーネルが眉を顰めるのが目に見えるようだ。この本を読んでコーネルの箱に興味を持たれた方はチャールズ・シミック著『コーネルの箱』を併せて読まれることをお薦めする。カラー図版も多く、「コーネルの箱」の持つ魅力を味わえると思う。

  • 資料ID:21101541
    請求記号:

  • 「病める貝のみ真珠は宿る」あの作品が出来る過程も真珠に近いかも。それにしてもよう調べたなぁ!ソロモンさん。脱帽です。
    膨大な情報をもとに冷静な視点から書かれたドライブ感のある文章があの長さを最後まで支えていた気がする。
    人物の名前の索引もあったりして、いろいろ親切な本。

  • 「箱」の芸術家として知られるジョセフ・コーネル(1903 - 1972)の伝記。ダリ、ブルトン、デュシャン、そしてデ・クーニングやラウシェンバーグ、ポロックなど、コーネルが生きてきたのと同時代のアーティストだけでなく、当時のアメリカの画廊や美術館の内幕にもスポットが当たっているのが興味深い。
    この本を手に取ったきっかけは、アメリカの写真家、オリビア・パーカー(1941~)のことを調べていた際のことであった。コーネルと同じように、限られたスペースに自分の世界観を作り上げたパーカーは、17世紀のオランダ絵画の写実主義へのオマージュを「写真」で行ったとされているが、そこにコーネルの影響も少なからずあることが伺われる。コーネルに興味の出た方は、オリビア・パーカーの写真集"Signs of Life"や、"Weighing the Planets"もあわせてご覧になることをお勧めする。

  • いろいろ詰め込んであるのに、こんなさびしい箱を見たことがないよ。

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著者プロフィール

1957年生まれ。コーネル大学で美術史、コロンビア大学でジャーナリズムを学ぶ。ジャーナリスト、美術評論家。

「2022年 『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア [新版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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