イスラームから考える

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560031827

作品紹介・あらすじ

ベール、風刺画、原理主義…これらは本当に「イスラーム問題」なのか。イスラーム報道を捉え直す待望の書。酒井啓子さんとの対談「私たちが前提にしている現実はなにか」も収録。

感想・レビュー・書評

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  • エジプト人の父と日本人の母の間に生まれ、日本人のイスラーム教徒として生きる著者が、9.11後のアラブをめぐる国際社会の動向について素直な気持ちを綴ったエッセイ。

    無知を承知で書くと、『アラブ』『イスラーム』という言葉に、厳しい戒律や女性への抑圧、テロ、といったネガティブなイメージを持っていた。けれど、『仏教徒』や『キリスト教徒』がひとくくりにできないのと同じで、イスラーム教も国や地域によって戒律がさまざまなのだそうだ。しかも、ムハンマドが提唱したイスラームの経典クルーアンはどちらかというとおおらかで、決して女性を抑圧するものではなく、近年ニュースを騒がせている過激派=『原理主義』ではないとのこと。

    女性の抑圧の象徴として語られる(私もそう認識していた)イスラームの女性の頭を覆うベール「ヒジャーブ」は、着用の義務のないエジプトにおいて、自ら進んで身に着ける女性が増えているという。
    それは決して女性の自由を抑圧するものではなく、逆に過度の女性性を見せないことで、セクハラの抑止になり、男性と同等に働くことができる、という考え方なのだそうだ。

    イスラームが尊敬するムハンマドをテロリスト扱いしながら「言論の自由」を主張するデンマークの風刺漫画騒動、9.11を初めて耳にしたとき、犯人がアラブ人、イスラーム教徒でありませんように、と思わず祈ってしまった気持ち。アラブやイスラーム教に対する世界の人々の決めつけや偏見に、憤ったり、あきらめたりしながら、著者の師岡カリーマ・エルサムニーさんは、心の中の忸怩たる思いを控えめに綴る。

    イスラーム教の信者と接する機会のない私は、まだネガティブなイメージを完全に払しょくできたとは言い難いが、このような本を読んで、少しずつ自分の中の偏見をなくしていければいいな、と思う。

  • 本書を手に取った理由は2つ。
    1つ目は梨木香歩さんと本書の著者・カリーマさんとの往復書簡集『私たちの星で』(岩波書店)を読んでから、カリーマさんの著書を読んでみたいと思っていたから。
    2つ目は先日仕事でイスラム教を国教とする国(アラブではなく東南アジアですが…)を訪れたことがきっかけで、イスラム教について知りたいと思ったからです。

    本書を読んで、メディアで報道されるイスラム教の姿が、自分自身に強く印象づけられていたことに気付かされました。
    カリーマさんの著書からは、集団としてのイスラム教ではなく、1人1人の人間の姿が見えてきます。
    「悪の枢軸を笑い飛ばせ」「ベールがなんだっていうの?」「青年よ、恋をせよ!」などの章からは、ニュースを見ているだけではわからないイスラム教のことを知ることができました。
    また、表現の自由や愛国心について示唆に富んだ内容もあり、非常に勉強になりました。

    巻末の酒井啓子氏との対談も非常に興味深かったです。
    特に「わかりやすいイスラーム報道」で語られていた、わかりやすくするために排除されている部分がある、単純化されている部分があるということは、常に意識しておきたいと思いました。
    また、対談の中で紹介されていた若い美容師の青年のエピソードがとてもすてきでした。
    「ぼくは世界のどこの国の人を好きになっても、愛の告白ができるように世界中の言葉で《I love you》を覚えているんです」という彼の言葉を聞いたときのカリーマさんの気持ちを想像して、じんわりと心が温かくなりました。

  • 大変おもしろかった。情報は10年ほど古く(2008年)、デンマークの新聞に、ムハンマドがテロリストとして描かれた漫画が掲載された事件など、ああ、あったなぁと思い出す。そのころのわたしはイスラムに興味が薄かったので、今になって何が問題であったかを理解した。
    興味深い箇所はたくさんあったけど、一か所だけ引用。「原理主義」について触れられた章から。
    P107
    「もしあなたがたが私のものとされる言葉を聞き、しかしあなたがたの心がそれを否定し、あなたがたの感情と感覚がそれを嫌い、あなたがたから遠い(受け入れがたい)と感じられるものがあれば、私はそれからさらに遠い(無関係だ、私の言葉ではない)」
    ここで注目すべきなのは、たとえ「これがムハンマドの言葉だ」と言われても、それを無批判に信じるのではなく、自らの「心」に耳を傾けなさいと指示していることだ。「心」を重視するというこの姿勢、そして「私は難しくするためではなく易しくするために、恐れや嫌悪ではなくよき知らせを広めるために使わされた」という彼の言葉を合わせれば、ひたすら人々の生活に制約を課すことに終始する厳格主義者や過激主義者を「原理主義」と呼ぶのは、短絡的と言わざるをえない。イスラム教徒が「原理主義」という言葉を嫌うのは、そのためである。

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    装丁がめちゃ素敵。トプカプ宮殿ハレムの壁装飾(トルコ・トプカプ宮殿博物館蔵)をもとに作成、とのこと。

  • 2017.11.11市立図書館
    九月に出た梨木香歩との往復書簡の本を読んで興味を持った本。イスラームというとつい身構えてしまうが、案に相違して慎重ながら肩肘張らない読みやすい文章で日本とアラブの懸け橋となる立ち位置にいる筆者(出版時40歳前)が日頃感じている違和感や戸惑いを説明している。それはあとがきに述べられているとおり、「イスラームが絡む事件はどうしてもイスラーム問題として捉えられがちですが、それらは多くの場合、実はイスラーム云々以前の問題」なのだと、人と人として話し考えたいのだという思いの伝わってくる本だった。
    2017.12.16市立図書館(再)
    冬休みにもう一度ゆっくり読むべく。

  • 『ベールがなんだっていうの?』の章は、読んでいて清々しかった。エジプト人女優・ハナーン・トゥルクを始め、「解放」の意思を持ってヒジャーブを着る女性の格好良さ!

    『愛国心を育成するということ』には、ひたすら納得。どんなに良いものでも、それを愛することを強要されたくはないし、されたところで愛することはできない。学校の授業では、世界中にある良いものを、ただ「紹介」してくれれば良い、そこから選ばせてくれたら良い、と思う。

    アラビア語のコーランの響きにくらくらした。

    装丁も綺麗。

  • 師岡さんアラブと日本の文化を知る人間としていろんなこと書いてる。イスラームを内側から知ってる人間が自分にわかる言葉で書いてくれててありがたい。

  • とてもおもしろかった。
    師岡カリーマさんは、NHKのテレビアラビア語講座で「アラブ千夜一夜」というコーナーを担当されていて、現代のアラブ世界の日常や、アラビア語で書かれた文学などを紹介されている。日本人のおかあさんとエジプト人のおとうさんの子どもとして東京で生まれ、小学校の時にエジプトに移り、大学までエジプトで教育を受けられた。カリーマさんがアラビア語で朗読されると、それは耳に心地よい一種の音楽のようで、「コーランは一語一句まちがえずにアラビア語で読まれなければならない」と言われるのがわかる気がする。でも、日本語もとても自然に話され、二か国語(以上)を読み書き話すことのできる、いわゆる均衡バイリンガルの方である。

    日本人的な見方もアラブ人的な見方も両方わかるがゆえの苦悩だったり、それゆえかえって自分自身が意識せずにステレオタイプ的な見方をしていることがあることに気づいたり、読んでいて、なるほどなるほどとうなずくことがたくさん。図書館から借りた本は付箋だらけになってしまい、結局自分で買うことにした。

    この本を書くきっかけになったのは預言者ムハンマドの風刺漫画騒動だと言う(p.215)。「なぜイスラーム教徒はこれほどに反発するのか」を論じる前に、「死者とはいえ生身の人間を侮辱することを表現の自由として称揚することが本当に人の品位にふさわしいか」を考えるべきではないのか、と書かれ、「イスラームが絡む事件はどうしてもイスラーム問題として捉えられがちだけれど、多くの場合はイスラーム云々以前の問題だ」と言われる。ヘイトスピーチが「表現の自由」の観点から擁護(!)されることもある現在、示唆的な意見ではないだろうか。

    とにかく、アラブの血をひいているということはなかなか大変なことのようだ。9・11事件が起きた時も、まずはこのことでアラブ人に対する悪いイメージが強まって自分にもとばっちりがくるのではないかと心配されたと言う。アラブに対して否定的な見解を述べる人に対し、自分がアラブ人であることを告げると「君はいいんだよ。君は西洋化された、半分日本人の立派な女性なんだもの」(p.94)と言われた時の複雑な思い。しかし、カリーマさんは「イスラームが世界で厭われている時代に、自分がその一部として生きなければならないのはある意味幸運だった」と書く(p.202)。その思いは、ある程度、私もわかる気がする。

    最後の章で、イラク研究の第一人者酒井啓子さんと対談されているのだが、これがまた面白い。「わかりやすい報道」の問題(p.195-)とか。お二人の話を聞いていると、私もまだまだ随分イスラームやアラブに対して、マスコミによって作られたイメージにとらわれているんだな、と感じる。

    抜き書きしたいところはたくさんあるけど、とりあえず、「愛国心」に関するところを。日本で愛国教育の導入について議論になっていることに関して、エジプトで愛国教育のようなものを受けたカリーマさんの見解。

    「文化を尊重することを教えるよりはるかに効果的なのは文化を教えることだ。この二つは区別されるべきである。エジプトの愛国教育は、結局はエジプトの文化に対する誇りだけを植えつけて、文化自体を教えることにはあまり成功していない。日本の文化の良さを自ら認識する感性を持たずに文化にたいする誇りだけを教えられても、そんな愛国心は空虚な砂の城でしかない。逆に、祖国の文化の素晴らしさがおのずとわかるだけの感性と想像力と教養を育めば、それを尊重するようにわざわざ誘導する必要はない。(中略)。。近年、多くの若者が目的意識や公共意識を失い、生気のない瞳で街をさ迷って、平気で道端にゴミを捨てているのは、愛国心に欠けるからでも、仮想敵国が頭にないからでもない、日本人の強みである自立精神と責任感を失いつつあるからだ。学校は、子供たちの自主性を育み、美しいものを美しいとわかる感性と教養と想像力を伸ばしてあげれば、それで十分なはずだ。」(p.166-)
    「。。。大人になって世界をあちこち旅してみると、結局すべての文明が偉大だということに気づく。。。。(中略)。。。もし私に、大好きなベートーヴェンをドイツ人と同じように誇る権利がないのだとすれば、それほどつまらないことはない。」(p.161)
    「世界でもっとも洗練された人形劇である文楽や歌舞伎などの日本の伝統芸能が世界無形遺産に指定されるのは、それが文字通り人類の遺産だからだ。文楽の発展に一切貢献していないある日本人が『ああ、やっぱり日本文化は素晴らしいんだ、日本人でよかった(中略)』と言うとしたら、それは虫が良すぎるというものだ。文楽を一、二度しか見たことのない日本人の私と、好きで好きで足しげく通っている外国人とでは、どちらがより文楽を誇るべきだろうか。ロッシーニとヴェルディの区別もつかないが祖国愛いちじるしいイタリア人と、オペラの勉強に一財産つぎこんでいる私とでは、イタリア・オペラはどちらの宝だろうか。」(p.162-)
    このほか、ヒジャーブについて、や、パレスチナについての言及もあり、とても興味深い。「イスラームは戒律の厳しい宗教」というのも必ずしも正しいイメージではないのだ、ということも知った。 私は放送大学でバイリンガルについて少し研究をさせてもらったけど、バイリンガルであること(というか多文化を経験すること)のメリットのひとつは、柔軟な考え方ができる、ということだと思う。あることに対して、こういうやり方もあるのか、こういう考え方もあるのか、と知り、多様性を受け入れることができる。 個人のそれぞれの生き方をできるだけ尊重して、他人にはそれを押し付けないで、ということができればいいのだけど…。

  • キレイな装丁に惹かれて手に取った本。
    (最近、そんな感じで手に取る本が多いなー)

    イスラム。イスラーム?
    私はまだまだイスラムに対する理解が深まってないなーと
    思った。

    メディアによって植えつけられているイスラムだったり、
    アラブの国のイメージとはまったく違う印象を1冊を通して
    実感した。

    あたしはアラブの国だからって、蔑視することはないけど
    (中国に対してはあるかもしれない…)
    当たり前だけど、アラブの国の人々だって
    自由にほんとうに、自由に生きているんだよね。

    あるルールをきっちり守るか守らないかっていうだけなのに、
    厳しい戒律だから~だって言いくるめ?られちゃう、
    そういうイメージを植えつけるメディアやある意味日本のイスラムに対する教育のあり方について考えさせられる。

    ふーむ。まだまだこの分野は本を読むべき分野かもしれない!
    (こんなまとまりのない感想しかかけない…)

  • イスラームについてほとんど何の知識もないという状態で「へー」と何度も思いながら読了。現代の「普通の」イスラム教徒であり、日本語とアラビア語と英語を解する著者なので、文化的背景の説明などがとてもわかりやすい。

    「みんないろいろなところで苦労しているんだなー」ということが伝わってくる。こういう類の本は文庫や新書でもっと普及させた方がいいと思うのだけれど、採算的に難しいのでしょうか・・。

  • ◆・『青年よ、恋をせよ』⇒原則として禁じられているこいうこと  では?(学生からの質問)
     ・イスラム原理主義についての誤解
     ・物事に関与している人がその事について語っても、客観的な意  見であるとみなしてくれない
     ・ムスリム⇒度合いはそれぞれ。色んな人がいる。
           身構えられることが多い
     ・報道の偏り
    ◇信仰⇒神と自分

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