異常気象で読み解く現代史

著者 :
  • 日経BPM(日本経済新聞出版本部)
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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532169879

感想・レビュー・書評

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  • 歴史に関することは何でも好きで多くの本を読んできましたが、歴史上の転換点となった時期には、季節変動(多くは寒冷化)が関係していると指摘されています。

    私達は毎年同じような季節が廻っていると思っていますが、それと異なる気候となると、毎日口にする食料ができなくなり、多くの問題を引き起こすことになります。

    この本では、現在も進行中である「温暖化」も含めて、最近数十年程度の間におきた、5つの異常気象を取り上げています。

    以下は気になったポイントです。

    ・1962年キューバ危機では、攻撃を受けた国が壊滅的な被害を受ける図式であったが、80年代に入って核兵器の使用は、地球全体に破局的な異常気象をもたらすという発想が生まれた(p3)

    ・IPCCの第5次評価報告書では、20世紀前半に気温が上昇した原因について、内部変動だけによるものでないとしている。内部変動、太陽活動の強化や大規模火山噴火がなかったという自然由来の外部要因、温室効果ガス排出等の人間活動による要因の3つを想定すべき、現時点ではそれぞれの影響度は不明としている(p21)

    ・大平原での干ばつは、自然現象としてみるならば、20世紀に入ってからいきなり起きたものではない。少なくとも過去2000年間、数十年おきに厳しい干ばつが大平原を襲っていた(p30)

    ・1860年から90年の30年間で、アメリカの総人口は3155万人から、6294万人へと2倍に増加した。3分の2が自然増、残りが欧州を中心とした移民、イギリス・アイルランド・ドイツが多い(p31)

    ・アメリカではトラクターの使用により、使役用に飼われていた馬、ロバ合わせて、1000万頭がトラクターに代わったため、家畜用の牧草地1200万ヘクタールが不要となり、耕作地に変わった。農民は借金を返すために只管増産をした(p37)

    ・1980年代にレーガンによる保守的な長期政権が誕生して、ルーズベルトが行った政策の殆どが消えたが、唯一、土壌保全システム(土壌保全地区)は残っている(p63)

    ・オガララ帯水層はアメリカ全土の灌漑用水の30%を供給している、気象に左右されない農業とされてきた、大深度のため使用開始は1930年代から(p65)

    ・中国では、1958年9月の時点で、粗鋼生産量における土法高炉によるものの割合は14%であったが、10月になると49%となった。労働力人口の4分の1にあたる9000万人が粗鋼生産に没頭した(p74)

    ・大躍進政策の時代、後の文化大革命のような内乱もなく、共産党が中国全土を統治する平和な時代に起きた飢饉であった。大躍進による死亡者の推定(1500-4500万人)は、ソ連が起こした3回の飢饉の合計(1921、1932,1946)よりも多い(p86、101)

    ・1966年には、毛沢東は、紅衛兵を使って文化大革命を起こした。劉少奇、鄧小平の追い落としに成功した(p103)

    ・大躍進政策で作られたダムは、ほとんど役に立たなかった。河北省では3分の1が使えなかった、崩壊、沈泥に起因するダム湖底の上昇、水漏れでの干上がり等(p107)

    ・地球の自転軸に傾きがあるので、日射量が最大になる地域が季節によって変わる。北半球では、夏至の時期には北回帰線上がもっとも多い(p113)

    ・戦略空軍のみとはいえ、アメリカ軍がデフコン2の態勢をとったのは、1959年にこの態勢が敷かれて以来、この時のみ。73年の第四次中東戦争、2001年の同時多発テロでは、デフコン3(p117)

    ・人間は固定した状態であれば、立っていれば3-4気圧、横になれば6気圧程度でも耐えられるが、歩いているような不安定な状態では、強風によって建築物に叩きつけられる(p123)

    ・火山の大噴火により、大量の硫酸エアロゾルが成層圏まで巻き上げられ、地球全体の平均気温を半年から3年にわたって、0.3~0.5℃下げた(p126)

    ・核の冬(核爆弾の投下による気温低下のシミュレーション)の批判の共通の特徴は、自ら予測モデルを使って異なる計算結果を示しているのではなく、「核の冬」の手法を批判し、その結果の不確実性を指摘するにとどまっている(p135)

    ・1963年8月5日に米英ソの部分的核実験停止条約の調印によって、同年10月10日から実験停止されるまで、大気圏での核実験は、アメリカ195回、ソ連219回、イギリス21回と、併せて435回行われた。フランスは45回、中国は22回実施。使われた核兵器の破壊力は、広島・長崎型(15キロトン、21キロトン)比較で、2桁も3ケタも大きい(p140)

    ・第二次世界大戦後の1975年までの寒冷化の要因として、大気圏核実験を指摘している、地表での放射性降下物(ストロンチウム90、セシウム137)は1963年がピークとして高濃度が続いた。60年代の日本で生産された白米は90年代と比べて10倍以上の放射性物質が含まれていた(p142、148)

    ・関東地方で1993年に夏らしい天気となったのは、8月23-25日のわずか3日間、9月に熱帯夜となった日はなく、夏季通して4日間のみ。毎年平均30日あるので特異性がうかがえる。8月31日には、7月9日以降の梅雨明けを撤回した、梅雨明けがなかったとした。東北地方では2003,2009年、北陸地方では2009年に梅雨明け無しということがあった(p169)

    ・天保の飢饉、1993年の夏と同様に、オホーツク海およびシベリア大陸の寒気が南下する複合型の冷夏であった(p172)

    ・1992年のタイ米の輸出量は約515万トン、この規模に対して、突然数十万トンの巨額貿易が入ったことになった(p191)

    ・1993年に自由米として大量に売買されたので(それまでの食管法では農家保有米を売買することは違法)1995年11月の施行により売買可能となった(p202)

    ・地球上の二酸化炭素の殆どは、石灰岩や石灰の形で蓄えられていて、その量は大気中にある二酸化炭素の、2000-3000倍と見積もっている。これは、かつてこれらの量が大気中に放出されていた時代があったことを推測される(p216)

    ・二酸化炭素濃度が1958-72年において4%増加していて温暖化するはずが、この期間は寒冷化期間であった、人間活動による二酸化炭素排出量は、1885年のクラカタウ火山噴火の5分の1である(p266)

    2016年6月25日作成

  • テーマ:気候変動

  • サイエンス

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著者プロフィール

気象予報士、日本気象予報士会東京支部長
1959年神奈川県生まれ。81年横浜国立大学経済学部卒。

「2021年 『気候で読み解く人物列伝 日本史編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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