作家が死ぬと時代が変わる: 戦後日本と雑誌ジャーナリズム

著者 :
  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532165611

作品紹介・あらすじ

言論史の現場を語り尽くす。「中央公論」「東京人」の名編集者が見た現代史。

感想・レビュー・書評

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  • 著者は、中央公論編集長(1967~1978一時解任)であり、退職後は東京都の広報誌「東京人」や外務省の広報誌「外交フォーラム」の創刊・編集長を務めた。(2誌ともその後独立)
    中央公論社では当時の嶋中社長に見いだされ、30代で編集長に抜擢されている。
    編集方針は嶋中社長の意向に沿って、総合雑誌「世界」と同じような左寄りだった「中央公論」を右旋回させた。(左右に組みしない「中央」に戻した)

    「作家が死ぬと時代が変わる」というタイトルは、嶋中社長が著者に言った言葉を引用している。もっとも言葉通りに作家が死んで、時代が変わることなど有りえないが、オピニオンリーダー的な人が亡くなると、それに対してこれまで表面に出て来なかった人が、出てくるという意味と理解したい。著者は、昭和45年に三島由紀夫が自衛隊に突入して割腹自殺した事件の翌日に、毎日新聞の一面全面を使って、司馬遼太郎が「三島由紀夫への献辞と批判」の文章を書いたことにより、「司馬が文士としての歴史解釈を超えて、現実の日本の問題に対する指導的な言論を述べるリーダーへの転機となった一文である」と述べて、本のタイトルの好事例としている。
    私も三島事件の評価が混乱する中で、毎日新聞の編集長が思い切った決断をしたものだと思う。(余談:三島は事件の1ケ月前に「おれが荷風みたいな老人になることが想像できるか」と著者に漏らしている)

    本文では「論壇」と「文壇」が入り乱れているので分離して、本題に戻ります。
    【論壇】
    戦後丸山真男が偶像視され、その門下の坂本義和や、清水幾太郎、加藤周一、久野収らが唱える「反体制・反米・非武装中立論」が学界・野党だけでなくマスコミ全体の主流だった。60年安保後に、中央公論では、現実主義の高坂正堯(現実主義者の平和論1963)、永井陽之介(平和の代償1967)や山崎正和らを起用し、時代の流れに少し変化が現れ始める。その後60年代末の大学紛争で、全共闘に最も理解をしめしていた丸山真男が、大学が荒らされたときに「彼らはファシストより悪い」と批判し、全共闘から突き放された。一方の「反動的」とまで言われた林健太郎は団交で学生に連れ去られても、全く屈しないで信念を貫いた。この全共闘への対応で、丸山と林の評価が決定的に逆転し、丸山は東大を辞め「丸山神話」が崩壊した。これで丸山派全体が影響力を失った。一方急進派は、最後は連合赤軍まで行ってしまい、内ゲバのリンチで破綻してしまう。(林は後に東大総長となる)
    著者は、高坂正堯、山崎正和、永井陽之介を世に送り出した時が、編集者として一番充実していたと述べている。

    【文壇】
    戦後、白樺派(志賀直哉・武者小路実篤等)は戦争協力で傷つき、戦争に非協力であった永井荷風と谷崎潤一郎の地位が不動のものとなった。著者は「言ってみれば、非常時に祖国を大事にしようという倫理的な人より美意識が大事な人たちが主流となった」と述べているが、戦犯リストに載った人が、必ずしも戦争を煽った人ばかりでもないので、そういう見方も、言い得て妙とも思う。
    文学では、その後第一次戦後派の大岡昇平、野間宏、武田泰淳、堀田善衛らが登場する。もう一方で、無頼派と呼ばれる坂口安吾や太宰治らがいた。その中で三島由紀夫だけが、戦後に背をむけて、反動的な発言を続けていたという。
    その後「第三の新人」として、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、阿川弘之らが登場した。特に三島の重しが取れると、吉行(軽薄のすすめ)、遠藤(狐狸庵)、安岡(ぐうたら)は、軽みで勝負し始めたという。更に石原慎太郎や大江健三郎が彗星のごとく飛び出し、それに続いて、開高健、北杜夫、加賀乙彦、辻邦生、大岡信らが続いた。その中で著者が、真の前衛的と評価するのが安部公房。ただ安部公房は三島事件の後、筆を取らなくなっている。安部公房の後に出てくるのが丸谷才一。但し丸谷は前衛ではなく文化的保守主義者。
    批評家としては、小林秀雄、福田恆存、江藤淳が代表的という。そして詩人・批評家・急進派として吉本隆明が、異彩を放っていた。
    余談だが、共産党支持者の話は面白かった。松本清張の共産党支持はイメージし易いが、井上ひさしも山田洋次も支持者。井上は「表裏源内蛙合戦」山田は「寅さん」。こういうイメージはかつての共産党のイメージではなく、70年代以降生まれた現象だという。そういえばジブリの宮崎駿や高畑勲も同じかな???

    ただ全体としては、論壇・文壇ともに梅棹忠夫と司馬遼太郎の二人の関西人が圧倒的な影響力を持っていたという。論壇では戦後、丸山真男が支配していたが、梅棹の「文明の生態史観(1957)」が出てからは、影響力が徐々に浸透し始めたという。この本の中で「日本はアジアの一部というより、ユーラシア大陸の東にある英国に似ている。中国・インド・ロシアは専制帝国が交代するだけ。近代化という観点から見れば、封建制が発達した国が近代国家になって現代社会をつくる」という仮説を1950年代に出して、その後の日本の経済成長と予言した。
    余談ですが、私の親友(故人)が、「文明の生態史観」を読んでもの凄く興奮していた記憶が鮮明にあります。私は読み損ねて、再購入しこれから読む予定です。
    またダニエル・ベルが「脱工業化社会論」を書いたが、「脱」「ポスト」というだけで、それが何かとは言わなかったが、梅棹はそれを「情報」だと言い切った。
    司馬については、冒頭で述べたので省略します。

    非常に面白い本であったが、例えば自身が東大法学部出身とか、「高坂正堯、山崎正和、永井陽之介、塩野七生らを世に送り出したのは自分だ」と言うのが、至る処に出てきたりして著者の奢りのが感じられる。名前についても「敬称なし」「君」「さん」と別れており、過去の丸山真男や谷崎潤一郎らの敬称なしは分かるが、年下についていえば、高坂正堯は君付けだが、著者を批判した江藤淳は呼び捨て。高坂と同い年の山崎正和は、退職後サントリー財団で世話になっているので「山崎さん」など。
    また言わなくてもいいような裏話を、特に死者に鞭打つ感じのものもあり、いただけない。著者の品性が疑われる箇所もある。
    今年の5月に93歳で亡くなった文藝春秋の名編集長とうたわれた田中健五は、「編集者は、よくよく考えないといけない。物書きには誰にも言えないこと、お金のことや異性関係を相談することだってある。それをいちいち外に漏らしていたら、信頼されない。黙して墓場まで持っていく」と編集者のモラルを説いていたという。

  • 戦後の日本の雑誌界が誰に引っ張られてきたかという変遷がわかる。
    社会の状況に作家が受けている影響というのは大きい。
    司馬遼太郎は戦争で関わった陸軍を嫌い、その元となる長州を嫌う。そこからの小説。

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著者プロフィール

●粕谷一希(かすや・かずき)1930年東京生まれ。東京大学法学部卒業。1955年、中央公論社に入社、1967年より『中央公論』編集長を務める。1978年、中央公論社退社。1986年、東京都文化振興会発行の季刊誌『東京人』創刊とともに、編集長に就任。他に『外交フォーラム』創刊など。1987年、都市出版(株)設立、代表取締役社長となる。現在、評論家。著書に『河合栄治郎――闘う自由主義者とその系譜』(日本経済新聞社出版局)、『二十歳にして心朽ちたり――遠藤麟一朗と「世代」の人々』『面白きこともなき世を面白く――高杉晋作遊記』(以上、新潮社)、『鎮魂 吉田満とその時代』(文春新書)、『編集とは何か』(共著)『反時代的思索者――唐木順三とその周辺』『戦後思潮――知識人たちの肖像』『内藤湖南への旅』『〈座談〉書物への愛』『歴史をどう見るか』『生きる言葉――名編集者の書棚から』(以上、藤原書店)、『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)、『中央公論社と私』(文藝春秋)など。

「2014年 『忘れえぬ人びと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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