- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492315323
作品紹介・あらすじ
コロナ禍による大恐慌は「株式会社」の終焉を招くのか。
グローバリズムの終焉は「戦争」をもたらすのか。
東インド会社を起源とする500年の歴史から資本主義と国家と株式会社の未来を探る。
著者による立教大学MBAや早稲田大学で大好評の講義を書籍化。
シリコンバレーでも活躍した元ベンチャー起業家が「株式会社の謎」に迫る。
内田樹氏(思想家)推薦!
「僕は平川君の下で働いていたことがある。
平川君は親切で、公平で、大胆で、仕事のできる経営者だった。
そういう人だからこそ、これほど洞察に富んだ株式会社論が書けたのだと思う」
【本文より】
「私がここに株式会社についての論考を付け加える理由は、人口減少時代あるいは成長の糊代を失ったかに見える現代という時代において、それでもなお株式会社は可能なのかと問うてみたいからである。そのために、歴史のなかで変態を繰り返してきた株式会社が何であり、何であり続けるのかについて、そのさなぎの時代、幼虫の時代、成虫の時代、そしておそらくは妖怪の時代の、外観とその内部で蠢いていた生命力についての考察を開始したいと思う」
【本書の内容】
株式会社という資本調達と生産のシステムは、その出現以後、産業革命の時代を背景にして、巨大なパワーを発揮し、文明の発展と経済の増大に寄与してきた。
しかし2008年のリーマン・ショック、そして2020年のコロナ禍は、わたしたちの世界を支えている経済システムが、それほど盤石でも安定的なものでもないし、時に人々の生活向上に資するが、大きな病に陥ることもある両義的な存在であることを示した。
本書では、単に教科書的な知識としての株式会社ではなく、それがまさに生まれ出る瞬間の時代というものを生々しく浮かび上がらせつつ、その「力」と「病理」を描き出す。
また近代を牽引してきた株式会社が、これから先も経済発展の原動力として中心的な役割を果たしていくことができるのか、株式会社に変わりうる存在はありうるのか。この問いにも考察を加える。
シリコンバレーでも活躍した元ベンチャー起業家だからこそ書ける、資本主義のエンジンであり、国家と骨がらみな関係性を持つ「株式会社」の500年史。
感想・レビュー・書評
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株式会社という存在は社会の成長がストップしたときに自らを抑制するブレーキ装置を持っていない。コロナ禍の大恐慌で株式会社は資本主義はどうなっていくのか。
500年の歴史からじっくり読み解く本。 -
株式会社経営者が語る株式会社論。法人ってこわい!理性しかないから血も涙もない。できれば俺は地に足をつけたい。ああすればこうなるではなく、なるようになるで行きたいとと…
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2020年11月初版発行。
本書は単なる株式会社論ではなく、思想書に近いと感じる。出色なのは「利益追求という株式会社にとっての絶対善」を「病」と表現している点である。
国家でも制御できないほど肥大化した株式会社によるグローバリズムの行き着く先は戦争にならざるえないのではないか、というのが本書の予想であった。現在の世界情勢を考える「慧眼」という言葉しか浮かばない。 -
第一部では、株式会社の歴史的成り立ちの解説であり、中世キリスト教会の三位一体説から来る法人としての永続性と、聖職者への委託の仕組みに端を発し、それが東インド会社からの収奪の重商主義〜産業革命による生産性競争の産業資本主義〜金でカネを買うグローバル金融資本主義へと変遷してきている様がよく理解できる。
続く第二部は、株式会社の病理。特に戦後の日本を意識して、互酬的な人間関係によって右肩上がりの経済成長を実現してきたところから、経済成長の終わりと、それによって利益の最大化というそもそもの目的を果たせなくなった会社、さらにその結果として互酬的な共同体の崩壊を描いている。
第一部の満足度は高かったが、第二部は「あの頃は良かった」で終わってしまっているように感じられてしまった。
本題ではないが、島原の乱が、カトリック、スペイン・ポルトガル=一揆軍と、プロテスタント、オランダ東インド会社=幕府軍という対立の構図だという話が出てくる。学校の日本史ではキリシタン弾圧としか習わなかった記憶があるが、日本にキリスト教を伝えたザビエルはカトリックの復興を目指したイエズス会だし、鎖国中も国交を持っていたオランダは何のために日本と接点を持っていたのか、より世界の観点から物事を見るキッカケももらった。 -
めちゃくちゃ難しすぎて半分も理解できていないだろう。
使う言葉、扱う歴史のレベルが高いためそもそも話に入っていけなかった。
株式会社の歴史、株式会社の病(起源からしても病が起きざるを得ないような形態であること)、株式会社の未来について順に語られる。
社会的道義に反することをしてまでも投資家のために成長を追い求めるべきなのだろうか?これが大きな問であった気がする -
タイトルと中身が激しく違う。ノンフィクションと思って読んだが、単なるエッセイ。
ストーリーをベースにストーリーを、積み重ねているかんじ。その分野の素人の現代思想家が書くにはテーマが大きかったか。エッセイとして見ると、よくある反グローバル、反資本主義の人の意見を、ウェーバーやら大塚久雄のストーリーの本を根拠に語るというよくあるパターン。
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会社ってものの成り立ち。よくわかる。
著者はもとベンチャー起業家であった
り、あちこちの大学でも教鞭をとられていた方
です。
この本では、株式会社の歴史、 株式によ
って資金を調達し (主として大量に)生産する
ための
システムが発達してきた歴史と、 現代に
おける変容を解説した本です。
フリードマンに代表される新自由主義に
ついて、アダムスミスの「神の見えざる手」を
対比して
解説しているところは興味深かったで
す。
日本の会社(終身雇用や年功序列)は
「家」的な側面が強いこともわかりやすい解釈
かと思います。
少し分厚い本ですが、会社や経済につい
て、学ぶには面白い本だと思います。