- Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492314623
作品紹介・あらすじ
内田樹氏(哲学者、武道家)推薦!
「日本ではいま官民をあげて社会制度の『株式会社化』を推進している。国民国家も地方自治体も医療も教育も、株式会社に似せて組織化されねばならないと人々は呼号している。しかし、本書は株式会社が滅びを宿命づけられた、深く病んだシステムであることを教えてくれる。」
平川克美氏(事業家、文筆家、立教大学MBA特任教授)による1万字特別解説も収録。
「わたしは、日本社会の問題の中心に株式会社があると、見抜いた奥村の慧眼にいまさらながら、驚く。奥村のような息の長い研究をすることは稀有のことであり、ほんとうはこのような長期にわたる定点観測だけが暴きだせる真実というものがあるということを、ジャーナリストは奥村に学ぶ必要があるだろう。」
1970年代のオイルショック、2001年のエンロン事件、そして2008年のリーマンショック以降、さまざまな論者によって資本主義は行き詰まっている、危機に陥っている、さらには終焉を迎えようとしている、などと主張されています。
本書では、その原因を資本主義のエンジンである「株式会社」の巨大化・肥大化によるものであると鋭く指摘。
資本主義と株式会社の病因を「格差」「有限責任」「買収、合併」「支配」「実体」「金融資本」「無責任」「全体主義」などをキーワードに明らかにします。
さらに、資本主義と株式会社の先に別の道がないのかも探ります。
感想・レビュー・書評
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資本主義について、株式会社とは何かという点から解き明かす。起源のおさらいから理解できるので、断片的な知識も繋がり、本質的理解に有効。何より驚くのは、著者が80歳超えという点。本著を出版して間もなく逝去されるが、流石に歴史を踏まえた重みのある内容だ。
株式会社とは。株主が有限責任で、倒産しても責任を取る必要がない。出資額以上に損する事もない。倒産してしまえば良いのだから,借金踏み倒しで、好き勝手やれそうじゃないか。いや、借金は貸し手がいるから成立するのであって、貸し手も馬鹿じゃない。従い、債権者は、株主が支払った資本で購入された資産を担保に差し押さえる必要がある。つまり、資産状態を公開する義務がある。株主の有限責任を是認するための二つの条件として、資本充実の原則、財務内容のディスクロージャーが必要となった。
なるほど。自己資本とはつまり株主資本だが、企業はこれは返却しなくて良い。銀行は、この資本を担保にお金を貸すのだ。更にエスカレートする。高度成長期、川崎製鉄のように多くの日本企業が資本金の何倍もの借入金で設備投資。このオーバー・ボロウイングと低い自己資本比率、銀行によるオーバー・ローンが日本経済に不安定をもたらすとして問題化した。株主の資本金が借入金の担保になるはずが、それを無視した何十倍の借入金と設備投資。
資本金を取りっぱぐれた銀行が破綻する。それを政府が公的資金注入により救済する。全く、株式会社の原理に反する。
トマピケティは言う。経済成長率よりも資本収益率が高くなり、資本を持つものに更に資本が蓄積する傾向。この不平等は世襲で更に拡大。是正するには、世界規模で資産に課税強化する必要があると。著者は問う。資本主義が行き詰まったのか、あるいは、一部の特権階級が競争原理を狂わせたのか。株式会社そのものを問い直す必要がある事に気付きを与えてくれる一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ピケティに欠けている株式会社という視点、という副題がつけられている書籍で、実を言うともしかして、ピケティを読んでいなくても別の意味で役に立つ本かもしれない。株式会社の成り立ちのいきさつや、日本でたどった特異な歴史に触れられているからである。
読み始めると、株式会社について相当にながい記述が続く。また、著者の前身が記者で、そこで取材されたことや、目にしたことが、書かれる。あれ、と思うのだが、それは、もう、続く。株式会社が産声が上げた頃からの話だ。そして、それが実を結ぶのは、株式会社が、一方で株式会社の実質的所有者である株主の有限責任、つまるところ、株主は、買った株に出資した以上に責任を問われることはない、ということ、に対して、株式会社が引き起こすかもしれない危険と矛盾だ。日本では特に、法人に刑法が適用されるか、は重大な論点になっていた。エンロン事件で、顧客に多大な損害を与えながら、経営者はストックオプションを利用して莫大な利益をあげている、矛盾。アメリカでは、彼らに懲役刑を科したが、日本では福島の地震で引き起こされた東電へ責任を問う術のない事実である。そこでは、弱い立場に立たされた者が、一層弱い立場に立たされる矛盾が内包されているのである。
ここでは、株式会社の矛盾が二重の意味で重くのしかかっている。つまるところ、株式会社が有しているところの責任財産である資本以上の損害を手当てする方法が実質に実現不能になる可能性と、法人である株式会社に対する刑法の適用の不能である。
そして、これがどうピケティと関係するかだが、ここで現在のお金持ちがどのようにお金持ちになったか、である。土地などの不動産については出発点の差として扱われているが、おおくは金融であげた莫大な利益のつくりだした格差であるとする。彼らの多くが会社の経営者であることを考えるとストックオプションなどから相当に利益がもたらされている可能性がある。そもそも、ストックオプションは雇用者の財形に寄与することを意図してつくられたものであったのに、である。思うに、一定以上の利益は、還元する仕組みをつくるべきなのではないか、例えば、会社の資本に還元するとか、そうでなくても、温暖化に備える基金をつくってそこに資金としていれられるようにするとか。株式会社のひきおこす可能性のある将来を考えると、むしろこうしたほうがバランスがよいのではないか。
この本は、ピケティの提示する不等式と、実は対する視点を出しているわけではない。しかし、株式会社のかかえる問題の延長上に格差のある問題もあるようだ。
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奥村宏『資本主義という病』読了。
とても分かりやすい。
奥村経済額の入門書。
現在の社会の問題の根源に株式会社があるのは間違いない。 -
巨大企業の弊害について論じた本。
ピケティーの論と、してんを変えてというか、別な側面での議論で別の話かとも思う。
株式会社とは、有限責任とは、法人は刑事責任が取れない、、
巨大化や買収、持ち合い。金融資本の支配や会社本位主義。
日本の会社のあり方のまずさ。確かに!
目次
第1章 格差という病―ピケティ『二一世紀の資本論』に欠けているもの
第2章 有限責任という病―J.S.ミル、アダム・スミス、マルクスの株式会社論
第3章 買収、合併という病―巨大株式会社の二〇世紀
第4章 巨大化という病―危機に陥った株式会社
第5章 支配という病―会社は誰のものか?
第6章 法人という病―会社はヒトではない、モノでもない
第7章 金融資本という病―「会社を売買する」とはどういうことか?
第8章 無責任という病―企業に社会的責任があるのか
第9章 全体主義という病―「会社人間」の時代は終わった
第10章 資本主義という病―新しい企業システムを求めて -
新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:335.4//O55
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「ピィティに欠けている株式会社という視点」という副題がなければ手にしていない本だったかも知れない(笑)。
しかしながら、奥村氏宏氏の経歴を知ることなり、楽しく読めました。
氏が、哲学書青年であった大学時代を過ごし、産経新聞の経済担当記者が「株式会社」をその後研究する市井の学者になっていったという件が面白かった。
また、一貫して「株式会社」の研究を継続されている真摯な態度に共感するものがありました。
機関投資家資本主義、会社が大きくなりすぎている、そして、法人としての会社が自然人を想定している刑法の枠外に位置することの理不尽さが書かれている。
宇沢弘文氏との接点があり、「シンクネット・センター21」が立ち上がったが、すぐ閉鎖されたということは残念でありません(涙)。 -
大企業で働くのは幸せか
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内容は散文的だが、わりとまとも。しかし、タイトルにピケティを入れる必然性はなく、その点が残念。
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この本の帯に推薦の言葉として、
内田樹氏と平川克美氏の両氏によって言葉が
書かれてあります。
株式会社の有限責任からなる無責任体質。
法人という、擬似的な人格を持ちながら
自然人とは異なる制度のなかで生きている異様な存在。
資本主義の病態の中核に株式会社の病理があるということ。
会社というものを学問としてとらえている著者の
論理は面白く興味深くよましてもらいました。 -
15/06/07。