街場の天皇論

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  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492223789

作品紹介・あらすじ

ぼくはいかにして天皇主義者になったのか。
立憲デモクラシーとの共生を考える待望のウチダ流天皇論。


【ウチダ流「天皇論」の見立て】
◆天皇の「象徴的行為」とは死者たち、傷ついた人たちと「共苦すること」である。
◆「今」の天皇制システムの存在は政権の暴走を抑止し、国民を統合する貴重な機能を果たしている。
◆国家には、宗教や文化を歴史的に継承する超越的で霊的な「中心」がある。日本の場合、それは天皇である。
◆安倍首相が背負っている死者は祖父・岸信介など選択された血縁者のみだが、今上陛下はすべての死者を背負っている。
◆日本のリベラル・左派勢力は未来=生者を重視するが、過去=死者を軽視するがゆえに負け続けている。
◆日本は「天皇制」と「立憲デモクラシー」という対立する二つの統治原理が拮抗しているがゆえに、「一枚岩」のロシアや中国、二大政党によって頻繁に政権交代する米仏のような政体にくらべて補正・復元力が強い。


【本文より】
私は他のことはともかく、「日本的情況を見くびらない」ということについては一度も気を緩めたことがない。
合気道と能楽を稽古し、聖地を巡歴し、禊行を修し、道場を建て、祭礼に参加した。
それが家族制度であれ、地縁集団であれ、宗教儀礼であれ、私は一度たりともそれを侮ったことも、そこから離脱し得たと思ったこともない。
それは私が「日本的情況にふたたび足をすくわれること」を極度に恐れていたからである。


【本書の概要】
2016年の「おことば」から生前退位特例法案までの動きや、これまでの今上天皇について「死者」をキーワードとしてウチダ流に解釈。

今上天皇による「象徴的行為」を、死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」であると定義。

安倍首相が背負っている死者は祖父・岸信介など選択された血縁者のみだが、今上陛下はすべての死者を背負っていると指摘する(「民の原像」と「死者の国」)。

さらに日本のリベラル・左派勢力は生者=現在・未来を重視するが、過去=死者を軽視するがゆえに負け続けていると喝破。

同時に日本は「天皇制」と「立憲デモクラシー」という対立する二つの統治原理が拮抗しているがゆえに、「一枚岩」のロシアや中国、二大政党によって頻繁に政権交代する米仏のような政体にくらべて補正・復元力が強いとも論じる。

天皇主義者・内田樹による待望の天皇論。

感想・レビュー・書評

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  • 【概略】
     日本国憲法第1条に登場する天皇は、現在「日本国民統合の象徴」とされている。天皇を含めた皇室の存在と民主主義は、相容れるものなのだろうか。2016年に現在の上皇陛下の「おことば」より紐解けた「天皇という存在」について、天皇主義者を標榜する筆者がエッセイとして綴る。

    2021年01月06日 読了
    【書評】
     ずっと疑問に思っていたのだよねぇ。日本って立憲君主主義だと思っているのだけど、色んなところで「天皇は君主なの?」みたいな発言を見てさ。君主制と立憲主義や民主主義って相反する・・・というより君主制=よろしくないもの、みたいな空気感があって。民主主義だって欠陥だらけな訳ですよ。君主制にしたって属人要素が強いから当たり外れはあるよ。でもやっぱり形態に変化はあれど、天皇という存在は日本の君主であり、現在は日本(そして日本国民)の象徴というお立場で君主してくださってる(君主を動詞としてみた)訳で。某大国が数年間、脂っこい方がトップにいたじゃない?色んな権利もってさ。あの脂っこい方の上には、あの国では誰もいなかった訳だよ?振り返って日本・・・カタカナ化されるぐらい嫌われてたトップがさ、天皇陛下がいない状態で、本当にトップだったとしたら?2600年単一王朝として(そりゃ時代時代においては天皇自身が表に出ることもあったけど)「そこにいらっしゃる」という状態が、見事なバランスとれてるじゃん?・・・って思ってたの。よかったー似た感覚の方がいらっしゃったー。
     乱暴な考えだけど、自分は天皇という存在は祭祀を行う方だと思っていて。宗教じゃないよ、祭祀ね。そして、「祈る存在」だと思っていて。事務色の強い国事行為は順位としては低くて、常に祈っていてくださる。その祈りの対象は、もちろん日本国民もそうだけど、そんなの関係なくて。戦争にせよ自然災害にせよ、国籍や肌の色とか関係なく奪っていくよね?そんなある意味、悲しい平等の扱いを受けた人類に対して鎮魂の意味を込めて祈る。そして、辛い状態で下を向かざるをえない方々に対して祈る。無理やりに「綺麗でいろ」と押し付けることはできないけど、そんな純粋な存在。宗教とか関係ないもん。だから自分にとっては(宗教上の)崇拝というよりは、尊敬であり、感謝の存在かなーと思ってる。それが日本という主権国家を包んでる訳ですよ。中では(自分も含めて)我執にまみれた人間が蠢いちゃってるけど(笑)そんな包まれてるその様さえも立憲主義のもとで定義されてる訳だから立憲君主制度が成立してる訳なんだよね。
     筆者の内田樹さんは、(ごめんなさい、レッテル貼りはよくないけれど)リベラル色が強くて「天皇制」に対して嫌悪感があるのかなと思ってたけど、違った。びっくり。あと、行間から、日本のおかれてる情況を憂う空気感を覚えたのだけど、その雰囲気は、どちらかというと(本人は嫌がるかなーごめんなさい)保守の方達を連想する。もうあれだね、右とか左とか、保守とかリベラルとか、分けるのは意味をなさないね(笑)
     エッセイということもあって途中、少し本論とは外れた話題などもピックアップされてたけど、すごく面白く読めた。願わくば、参考文献として紹介されている部分の引用については、書籍として出す時は(少なくとも同じ書内においては)引用ルールを統一してもらえるとありがたかったかなぁ。内田さんのお考えのように見えて・・・あ、これは引用先の著者の考えか!あ、こっちはちゃんとカッコでくくってある!とか、バラバラで。これはきっと編集する側の問題だね。

  • 死者とか敗者、忘れされれようとしている者、なかったことにされている者への想いを持つことが、今、自分が生きるために必要なのだ、と言われた気がした。

     読んでいて、気持ちが軽くなった。気持ちが軽くなったことで、俺は自分を死者、敗者の側に置いていたのだと気づいた。

     誰かから、負けや死を宣告されていたわけでもない。自分で自分をそういうふうに勘定していたのだな、と。

     今の社会情勢がそういう気持ちを喚起していたのかもしれないし、ひょっとしたら誰でもそういう気持ちをもつものなのかもしれない。だからこそ、死者をおもうことは、自分をおもうこと、救うことになるのかもしれないな。

     多くの友、同志を失うことによって、リーダーとしての卓越性をもつに至ったという西郷隆盛について、ちょっと読んでみたくなった。

  • 天皇制については、その歴史的な変遷も含めて現在の天皇制について考察する際、どうしても太平洋戦争中に多くの日本人がその名の下に亡くなったということが、今もって天皇について論じるということを難しくしていると思われる。そういう意味でも、まことに論じ難い(と思われる)テーマを扱われたことに対して、まず何よりも敬意を表したい。

  • 興味深い、しかし読みづらい。
    本書は書き下ろしではなく、月刊誌やブログにある天皇関連記事をまとめただけの天皇本である。1つの項で興味を惹かれたとしても、次の項では全く繋がりのない内容が書き綴られており、思考の整理が上手くできない。しかし筆者の考える天皇論は非常に興味深いので、入門書として本書の半分までを読む価値はある。後半は、だめだ。編集者は少しは手を入れて欲しい。



    私は天皇制について、何も知らなかった。それを気づかせてくれた本書は読む価値はあるが、買うほどの価値はない。
    象徴的行為とは鎮魂と慰藉であると、平成天皇は理解し務めてきた。

  • 率直に立場の推移を書いていて、よい。

  • 40 街場の天皇論
    共同体にとって、広く死者を悼み、苦しむ人によりそう人間がいかに、求心力を持っているのかというところから、始まる。なぜ内田樹が天皇主義者になったのかということにも納得できる。内田樹も良く言っているが、動物と人間を隔てたのは、死者をそこにいるかのように扱い、その人を悼む、生物学的奇習であり、その中心人物として、あまたの宗教的な権威は存在してきた。天皇もまたその一人であり、日本という国を保つうえで、必須の存在であるとしている。
    宗教というものは原理主義者の排他的な行動によって批判される部分もあるが、人間が共同体として生きる上で必要な倫理的な示唆を多く与えてくれる。各々の宗教にとって何が正しいかであるとか真理とは何かということは一度括弧に入れて、人が宗教を信じていることで得られる礼節や思慕の情は共同体が生き延びる上で明らかにプラスではないかというのが私の立場であるが、天皇というある種の日本的宗教的権威が存在することで保たれている秩序はあると思う。それもまた、失ってからではわからない類のものであると同時に、一度失ってしまうと再構築することが困難なものでもあるだろう。
    最後の、海の民と天皇の考察も面白く、日本の歴史を、海民的国家にするのか、陸運的国家にするのかの複数回のせめぎあいと、その中で、全国の無縁の民の頂点として求心力を持ち続けた天皇という考察も面白かった。
    いまの改憲案が、天皇に強権を持たせようとしているのは、戦前の統帥権干犯のように、責任を天皇に集中させたまま、その周辺の人物が実権を握ろうとする体制へのステップであるという考え方も、目からうろこだった。一見して、天皇に強権を集めることは、現政権の力を弱めることになるかと思いきや、戦前日本のように、天皇の強権の下で、取り巻きの暴走があったというパラドキシカルな道筋をたどることを志向しているという考え方は面白い。

  • 「おことば」から展開する天皇制のみかた。その視点ははなかった。源平合戦や日本書紀に遡り梅原猛とつながってるのが面白い。

  • 海民の話が網野善彦とクロスしている。面白い。

  • 2018.5.3
    あまりというか、ほとんど考えてこなかった天皇という存在。これほど日本人そして世界の安寧を強く願い、行動してる人はいないですね。
    本当にそれしか考えていない。それだけを考えてる。ありがたい存在です。

  • 人間が生きるために要るのは「もの」ではない。知識でも技能でも情報でも道具でもない。風儀である。作法である。必要なものを必要なときに「はい」と取り出すことのできる力である。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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