起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男
- 東洋経済新報社 (2021年1月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (476ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492062166
作品紹介・あらすじ
【ジェフ・ベゾスは、このヤバい日本人の「部下」だった】
かつて日本には、「起業の天才」がいた。
リクルート創業者、江副浩正。
インターネット時代を予見、日本型経営を叩き潰し、
自分では気が付いていない才能を目覚めさせた社員のモチベーションを武器に
彼がつくろうとしたのは、「グーグルのような会社」だった。
だが彼の名は「起業の天才」ではなく、
戦後最大の企業犯罪「リクルート事件の主犯」として人々に記憶される。
「ベンチャー不毛の地」となった日本に必要な「起業家の資質」とは何か。
リクルート事件の大打撃を乗り越え1兆8000億円の負債を自力で完済、
株式時価総額で国内10位にまで成長した「奇跡の会社」はどのようにつくられたのか。
苦境に立ち逆風に向かうすべての日本人に贈る、
歴史から葬られた「起業の天才」の真の姿。
【日本にも、こんな経営者がいた!】
・グーグルの「検索」を先取り
・独自の「クラウド・コンピューティング」
・読売新聞と「全面戦争」
・電通から広告を奪う
・日・米・欧を結ぶコンピューター・ネットワーク
・世界の「コンピューターの天才」をかき集める
【「はじめに」より抜粋】
江副さんが生きていたら、保身に汲々とする日本の経営者にこう尋ねることでしょう。
「経営者とはどういうものか、経営者ならなにをすべきか。わたしはつねに学び、考え、
そのとおりにやってきました。あなたがた、自分が経営者であると考えたことがおありですか」
――瀧本哲史(京都大学客員准教授、エンジェル投資家、2019年没)
感想・レビュー・書評
-
【まとめ】
0 まえがき
日本はいつから、これほどまでに新しい企業を生まない国になってしまったのか。答えは「リクルート事件」の後からである。リクルート事件が戦後最大の疑獄になったことで、江副が成し遂げた「イノベーション」、つまり、知識産業会社リクルートによる既存の産業構造への創造的破壊は、江副浩正の名前とともに日本経済の歴史から抹消された。だが日本のメディアが、いやわれわれ日本人が「大罪人」のレッテルを貼った江副浩正こそ、インターネットというインフラがない30年以上も前に、アマゾンのベゾスやグーグルの創業者であるラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンと同じことをやろうとした大天才だった。その江副の「負の側面」ごと全否定したがために、日本経済は「失われた30年」の泥沼にはまり込んでしまったのである。
1 リクルート誕生
東大新聞の広告で成功を収めた江福は「大学新聞広告社」を立ち上げる。
江副の考えていたメディアとは、「求人広告だけの本」だった。江副は「広告だけの本」を「無料」で学生に配り、求人広告を出した企業からの広告収入だけで回す、という前代未聞のビジネス・モデルを鶴岡に明かした。それは、東大新聞の広告からはじまって全国の大学新聞に広げた1→nのビジネスではなく、ゼロを1にする、これまでどこにもなかった仕事だった。
求人広告だけの雑誌である『企業への招待』から始まった、リクルートの情報誌ビジネスのいったいどこが革新的だったのか。今だからわかることだが、江副の情報誌は、一言で言えばインターネットのない時代の「紙のグーグル」だったのである。つまり、情報がほしいユーザーと、情報を届けたい企業を「広告モデル」(ユーザーには無料)によってダイレクトに結びつけたのだ。
日本リクルートセンター(旧株式会社大学公告)は 『企業への招待』の大学版と高校版を配布する過程で、全国の大学、高校に配本網を築き上げた。その結果、学生の就職の世話をする就職部の職員や進学・就職指導する先生と太いパイプを持つことになった。1960年代半ばの日本の高校進学率は約70%、大学等進学率は約15%。女子の多くは高校を卒業した出た後、家事手伝いをしていたが、少なく見積もっても毎年百数十万人が高校、大学から社会に出る。日本リクルートセンターは、その百数十万人に直接アプローチできる唯一の企業だった。誰がどんな人材を欲しがっているかという「需要」の情報と、どこにどんな人材がいるかという「供給」の情報が、交差する場所。日本リクルートセンターは巧まずして「人材情報のハブ」になった。
2 ライバルとの戦争
1967年、順風満帆だった日本リクルートセンターに突如暗雲が立ち込める。老舗出版社のダイヤモンド社が就職情報誌を刊行したのだ。江副は全面闘争を決意し、社内報に書いた。<同業者間競争に敗れて二位になることは、我々にとっての死である〉
江副の豹変により、大学サークルの延長で「仲良しクラブ」の雰囲気を残していた社員は、自ら月次の目標を立て、その達成に邁進する「戦う集団」に変わった。
江福はこのとき、経営会議で「経営の三原則」を決めている。
1社会への貢献
2個人の尊重
3商業的合理性の追求
江副が実践した「個人の尊重」とは、高卒や女子社員の登用である。たとえば1968年、日本リクルートセンターは38人を採用している。そのうち大卒男子は7人だけだ。残りは大卒女子8人、高卒男子8人、高卒女子15人という構成である。中学時代に成績優秀で進学校に進んでも、家庭の事情で大学進学を諦めざるを得ず、悔しい思いをしている高校生が大量にいた。中には大学に進む者をはるかに凌ぐ学力を持つ生徒もいる。女子も同じだ。高卒と大卒女子は有能な人材以外のなにものでもない。満たされない思いを抱えていた彼ら、彼女らに活躍の場を与えれば、意気に感じて発奮してくれる。
江副は「均質化」を恐れた。東京の裕福な家庭で育った東大卒ばかりを集めたのでは、霞が関と変わらない。時代を切り開くパワーは生まれてこないだろう。「人事の天才」江副は、「東京、金持ち、エリート」に「地方、貧乏、野望」をぶつけて化学反応を起こそうと考えた。江副は、「大卒に負けるものか」という反骨心を持った地方出身の高卒者や、男子よりはるかに優秀な成績を収めながら就活で差別されて悔し涙を流した女子学生、祖父母の代から差別され「まともには就職できない」と諦めていた在日コリアンの若者に機会を与えた。
3 モチベーション経営
江副浩正は、自分にはない才能をもつ人材を見出し、その人を生かすマネジメントの天才だったことはすでに書いた。一方で、ベンチャー企業を率いる多くの起業家がもちあわせている資質が欠けていた。カリスマ性である。
「経営の神様」松下幸之助や中内功、本田宗一郎といったカリスマ型経営者は、強烈なリーダーシップを発揮して、倒産寸前、絶体絶命の危機を何度も乗り越えてきた。「心理学」を経営に生かそうと試みていた江副や大沢武志は、カリスマの「リーダーシップ」に置き代われるものを見出す。それは、社員の「モチベーション」だった。江副は社員に対して「こうしろ」とは言わない。社員が常々、不満を持っている事業や、自分が「やってみたい」とか「変えなければいけない」と思っている事柄について「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。
心理学を経営の実践に活かすことをライフワークにしていた大沢は、社員のやる気を高める独自の組織論を模索していた。終身雇用、年功序列、企業内組合の三点セットによる「日本的経営」が幅を利かせ、「社員が会社のために忠誠を尽くすのは当たり前」と考えられていた時代。江副と大沢は、心理学をベースに社員の適性を生かす「個の経営」を目指していた。
住宅情報誌の成功で日本リクルートセンターを更に飛躍させた江福は、会社をより大きくするため、日本のエスタブリッシュメントにコネを作ろうと接近していく。20年以上情報でメシを食ってきた江副は、頭の中で情報に値札をつけるクセがついている。エスタブリッシュメントの世界には、外からはうかがい知れない「おいしい話」がゴロゴロしていた。だが閉ざされた世界の情報をカネに換えるという行為は、インサイダーそのものである。
情報の解放者だった江副は、徐々に既得権益に浸かりはじめていった。
4 1984
1984年、電信電話会社のAT&Tの地域電話部門が「ベビー・ベル」と呼ばれる8つの会社に分離される。アメリカで行われた通信自由化が、江福とリクルートの運命を変える。
日本でも電電公社の民営化の動きが始まると、江福は通信事業への参入を計画した。コンピューターにリクルートの持つ人材情報を埋め込み、価値あるデータとして企業や大学に提供しようと考えたのである。その布石が1983年10月にサービスを開始したオンラインの中古不動産情報サービス「住宅情報オンラインネットワーク(JON)」だ。
『住宅情報』は紙メディアだったが、JONは、いまの「SUUMO」を先取りしたオンライン・メディアである。コンピューターに希望の地域、間取り、価格帯を入力すると、リクルートのデータベースの中から、条件に合った何件もの物件を瞬時に見つけられる。地図や間取りもプリントアウトできる。アメリカでグーグルが産声をあげる15年も前に、日本でコンピューターを使った「検索サービス」を始めていたのだ。
ただ、インターネットもブロードバンドもない1983年の時点では、電送速度が遅く、地図と間取りを記した白黒の紙を1枚プリントアウトするのに7分かかった。伊藤忠の「センチュリー21」や三井不動産の「三井のリハウス」はフランチャイズ間の物件情報のやり取りにファクシミリを使っていたが、こちらのほうがはるかに速かった。
結局、1987年にリクルートはJONのサービスを停止した。
日本経済新聞を「紙の新聞」から「経済に関する世界的な総合情報機関」に変えようとした森田康。NTTを「もしもしの公社」から「データ通信の会社」に変えようとした真藤恒。そしてリクルートを「情報誌の会社」から「情報サービスの会社」に飛躍させようとした江副。「モノづくり」こそ経済の根幹と信じられていた日本で、この3人は次の時代に経済を動かすのは「モノ」ではなく「情報」だと気づいていた。
産業主義と戦う江副の姿を見ていた伊庭野は言う。「江副さんがやろうとしていたのは情報利権の破壊でした」。
『リクルートブック』は、優秀な学生を教授のコネで囲い込んで独占していた大企業の利権を破壊した。『住宅情報』は、新聞社が独占していた不動産広告の利権と、新聞やテレビの限られた広告枠を押さえ込む電通など広告代理店の利権を打ち砕いた。利権を破壊されたエスタブリッシュメントの中には、リクルート、そして江副に対する怨念が澱のように溜まっていった。
5 変容と破滅
江福は次第に紙の情報誌に飽きていった。紙の情報誌はどんなに急いでも、売上高を100億円にするのに10年はかかる。「1兆円企業」を目指す江副にとっては、まだるっこしい事業だった。一方、土地バブルの真っ只中、1000億円で買った土地が次の年には2000億円になる。江副はそのダイナミズムに酔い、土地の買い上げを繰り返した。
リクルートコスモスが新たに土地を仕入れると、銀行はその土地を担保に低金利で新規融資をしてくれる。その資金を使ってリクルートコスモスはまた新たな土地を仕入れる。この繰り返しでリクルートコスモスの借入金は雪だるま式に膨らんでいった。
江副にはプラットフォーマーの自覚がなかった。情報誌で大量のデータが集まる場を作り上げたのは自分の功績であり、それを利用して儲けることが悪いとは露ほども思っていなかった。『住宅情報』に集まる他社の物件情報は、広告主の競争相手であるリクルートコスモスに筒抜けだった。それを「ずるい」と思わない無神経さで、江副は墓穴を掘ることになる。「空売り」も「底地買い」も「学生名簿の売却」も「未公開株の譲渡」も、プラットフォーマーであるリクルートには本来許されざる行為だったのだ。
志布志、安比で開発利権を学んだ江福は、純度の高い不動産情報を得るため政治に近づいていく。このころ、江福は中曽根にとっての最大のスポンサーのひとりであり、5000万円を超える政治献金を渡していた。
この献身に対して中曽根は名誉で報いる。地価高騰の対策を審議する土地臨時調整委員会と、教育課程審議会の委員に江副を任命した。
中曽根の手引きで日本の中枢に入り込んだ江福は、新たなエスタブリッシュメントへのプレゼントを考える。それがリクルート事件において「賄賂」とみなされた未公開株だった。
6 リクルート事件
1989年6月18日、朝日新聞はリクルートの未公開株売却を政治家への利益供与とみなし、糾弾する記事を出した。
といっても、未公開株の譲渡自体は違法ではない。購入後に値段が下がる可能性もあるし、当時は未公開株を関係者に贈与するのが当然だったからだ。江副やリクルートに「犯意」はなかったということになる。だが、朝日の横浜支局員たちが書いたスクープ記事は、江副と江副から株をもらった政治家、官僚、財界人に対する国民の怒りに火をつける。
東大を卒業してすぐ起業し、一度も人の下で働いたことのない江副の周りには、世の中のルールを教えてくれる大人がいなかった。江副のまわりにいるのは、巨万の富にあやかろうとする政治家と江副を褒めそやす人ばかりだった。リクルート事件の渦中、50歳の江副は漂流していた。
9月5日、社会民主連合の楢崎弥之助が国会内で記者会見を開き、リクルートから贈賄工作を受けていることを暴露。夕方のニュースに映ったのは、江福の側近である松原が、楢崎に現金の束を渡したところを隠し撮りした映像だった。
これが発端となり東京地検特捜部がリクルートを本格捜査。そして1989年2月13日に江福は逮捕された。
7 江福浩正の哲学
本当に買いたい物の広告は、おカネを払ってでも手に入れたい「情報」になる。グーグルが登場する38年前に、江副は「マッチング」の可能性に気づいた。心理学を学んだ江副はトップのカリスマ性や社員の忠誠心に頼る日本的経営の限界にも気づいていた。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。江副の組織論はこの社訓に凝縮されている。「世の中は自分より優秀な人間ばかりだ」というコンプレックスを抱えていた江副は、年間に60億円超のコストをかける「狂気の採用」で、日本中から優秀な学生を集めた。
革新的なビジネス・モデルと、心理学に根ざした卓越したマネジメント理論。江副の手によっこのふたつを埋め込まれたリクルートは、江副が去った後も成長を続け、日本の情報産業を牽引する企業になった。2012年に1000億円で買収した米国の求人サイト「Indeed」の爆発的な成長で、2019年3月期には連結売上高2兆3000億円のうち1兆円を海外で稼いだ。江副が成し得なかったグローバル化に、ついに成功したのだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
リクルート創業者にして「東大が生んだ戦後最大の起業家」、「徹頭徹尾「ゼロ・トゥ・ワン(ゼロから事業を立ち上げる」の経営者」、社員のモチベーションを高める「社員皆経営者主義」のリーダー、「グーグルより38年早く「検索サービス」を始めた男」、マスメディアの既得権・秩序の破壊者、違法でなければダーティーな手法をも厭わない合理主義者、「上場会社のネガティブ情報を仕入れて「空売り」を仕掛ける投資手法を得意と」する仕手筋、そして「「叩かれる起業家」の先駆け」江副浩正とその分身であるリクルートの創業・発展・挫折・再生を描いた渾身のノンフィクション。
リクルートが急成長し、巨大化していく中で歯車が徐々に狂いだしていく。時代を先取りしようと焦り、やり過ぎてしまった江副氏。成功に慢心し、倫理観や価値観に歪みを生じさせてしまった江副氏。リクルートに広告を奪われ恨み骨髄の新聞社(マスコミ)の逆襲。そして法治国家とは思えない検察の強引な国策捜査。う~ん、何処かで見たことのあるパターンだな。
「リクルート事件がなければ、ネット時代の世界を牽引するグーグルのようなベンチャー企業は日本から生まれていたかもしれない」。いかにも惜しい。情報化社会・ネット社会の到来をいち早く察知し、1980年代にクラウドサービスを構想するなどとてつもなく先見の明があった経営者を退場させてしまった日本社会は、自ら自分の首を絞めてしまったのだろうか。出る杭は打たれる、とはこのこと。その後の日本経済の長期低迷も宜なるかな。 -
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏も彼の下で働いていたことがある。その彼とは、リクルートの創業者江副浩正氏である。
江副氏といえば、起業家というよりも、「リクルート事件」の張本人として語られることが多いと思う。本書は起業家としての江副浩正という人間に焦点をあてて書かれており、とても興味深く読むことができた。
彼は、いち早く「情報」が持つ価値に気づいた。また、性別や学歴に囚われずに人材を登用していった。彼の事業を「虚業」と評した経営者がいた。リクルートは得体の知れない会社と見なされていた。そして江副氏は脇の甘さをつかれ、潰されることになる。誰に。当時の日本人のメンタリティや企業文化に。彼の合理性と儒教的発想が相容れないのだ。ちなみにこれ、大河ドラマの渋沢栄一が作ったといわれる(論語と算盤か)。旧態依然の新聞やテレビといったマスコミ、検察に代表される「権力」。変わらぬ夢とを続ける者たち。
確かにリクルート事件がなかったならば、日本からGAFAに匹敵する企業が現れたかしれない。「リクルート事件」と「失われた30年」、この二つは密接に関係しているように書いているが、実際どうだったろうか? -
【はじめに】
1988年に、リクルートコスモス社の未公開株の譲渡が賄賂とみなされたリクルート事件で
本書は、リクルート創業から、バブルにも乗って会社を大きくし、そしてリクルート事件で追い込まれ、晩年の様子までを追いかけたものである。素材自体がすこぶる面白いこともあって、ストーリーだけでも面白い本に仕上がっているが、おそらくはここから学ぶべき多くのことが含まれている。事件から30年以上経つが、もっと早く書かれてよかった本。
帯にも書かれているジェフ・ベゾスが部下だったという話は、江副が買収したファイテルに一時期所属をしていたということで全くの嘘ではないが部下というのは言い過ぎだろう。しかし、そこで二人が交わったということは、江副が見ていた未来が「情報」という観点で同じ方向を見ていたということではないかと思うと、その事実はとても興味深い。
【概要】
リクルートは東大大学新聞の求人広告から始まった。学生新聞の求人広告を企業から取ってくる広告代理店のような事業であったが、大きな転機は、広告だけの本を無料で学生に配って、広告収入だけで収益化するビジネスモデルを始めたことだろう。そこから不動産広告にも同じ手法でビジネスを拡げた。そこでのダイヤモンド社の『就職ガイド』、読売新聞社の『読売住宅案内』との闘いは読みごたえがある。この辺り、弱小企業のNIKEの躍進、NetflixとBlockbusterの闘いなど、ベンチャの成功譚において、弱者が強者を打ち破る様は結論を知って読んでいるにも関わらずやはり面白い。
著者はリクルートの成功の鍵として、社員のモチベーション管理を挙げる。上記の競合との闘いでも明らかになったのは、現場のモチベーションの差だったということが書かれている。特に『読売住宅案内』との闘いでも勝利を決定づけたのは社員のモチベーションから来る現場の行動力であった。自らも認め、著者も繰り返すが、江副自身はカリスマ性をもつリーダータイプの人間ではなかったという。その代わりに社員の「モチベーション」を上げる仕組を作ることに成功した。徹底した当事者意識を植え付けるためにプロフィットセンターという小集団に分けて採算管理を行ったのがその例だ。著者も書くように稲盛和夫の「アメーバ経営」にも一脈通じるところがある。江副はよく「君はどうしたいのか?」と問うたという。それは、結局自分は何をしたいのかということを徹底して問う習慣を根付かせることになった。それが、今のリクルートの成功の大きな要因になっているのは間違いないだろう。
リクルートが成長するにあたって、不動産情報や企業求人情報がその手に集まる江副は時代の流れに乗り、そして時代の流れに流されていく。今となってはバブルと呼ばれるマンション開発、安比高原スキー場などのリゾート開発、通信の自由化、などの時代の流れに次々に関わりを持つ。そして、政治家との関係も深くなり、それが結果として江副の命取りになった。
リクルート事件後、追われた江副の後を継いだリクルート経営陣のその後も書かれていて物語の最後を締めるに当たり、独特の後味を残す。リクルートコスモスの社長になった池田や重田は借金をして購入したコスモス株の暴落で自己破産を余儀なくされた。リクルートを再建した位田や河野は、2014年の再上場によって多くの資産を得ることになったが、江副が残した1兆8,000億円の借金を返済するために相当の苦労をしたことを根に持っているかのように記載されている。リクルートを象徴していたカモメのバッジはもはや使われることはない。江副が心血を注いだリゾート事業の安比高原スキーリゾートを声も掛かっていた江副の友人に売らずに、二束三文で売ってしまったのにはその意趣返しが含まれていたのではないかという。リクルートを救済した中内のダイエーは破綻した。そして、江副は失意の中、因縁のある安比高原で早朝スキーを楽しんだ後、帰りの新幹線で缶チューハイ2本を飲み、降りたホームで転倒したことで頭部打撲による急性硬膜下出血で死亡する。享年76歳、アルツハイマー病を患っていたという。
【所感】
現在、リクルートと言えば、次から次へと新規事業を立ち上げるとともに多数のビジネス人材を輩出する優良企業、リボンモデルやNew RINGといった仕組化が成功の源泉としてもてはやされている。時価総額は8兆円を超えて日本企業で7位となっている(2021年4月)。
本書は、当時は必ずしも違法であると言えなかった未公開株の譲渡によってつぶされたリクルートが、そのまま江副のもとで永らえていたらどうなっていたか、という思いに貫かれている。歴史にもしはないし、またそうだとしてもバブル崩壊の波をまともに被って潰れてしまった可能性もないとは言えないが、江副が倫理的でないヒールとして扱われて、自らの才覚で新しいビジネスを一から事業を作り上げたヒーローとして扱われることがなかったのは、やはり日本にとって損失であったと思わざるをえない。
リクルートはそのはじめから情報企業であった。「情報のマッチング」が価値を持つことを企業の求人と学生とを結びつけることから学んだのだ。そして、だからこそ通信・ネットとクラウドの重要性をいち早くつかみ取っていたのだと思う。
著者は、「いまなお、江副がつくった「情報誌」の革新性はきちんと理解されていないかもしれない」という。江副が作った情報誌は、インターネットがない時代の「紙のグーグル」だったのだ。正確に言うと「紙のクレイグリスト」と言った方が近いのかもしれないが、何よりも情報の価値が本質であり、時代によってそのメディアが紙であったものが、インターネットになったのだ。
また、江副が深く通信自由化にも関わり、リクルートが第二電電の株主になっていた可能性もあったことや、NTT民営化に尽力した真藤総裁がリクルート事件により失脚したことなど、通信業界とも浅からぬ因縁を持っていたことも改めて認識した。
おそらく日本のベンチャー企業育成が大きく遅れることになった一因にもなったリクルート事件はもっと振りかえられるべき大きな事件だと思った。何より、この事件が起きたこと要因のひとつが、ベンチャー企業育成文化(エンジェル投資家やメンター的起業家の存在)が遅れていたことにもよったのだ。
面白く、読み応えがある本。 -
リクルートを創業し、巨大企業に育て上げた江副浩正の生い立ちから、死去までの栄枯盛衰の経緯を、丹念な取材をもとに明らかにした力作。
一定の年齢以上の方であれば、「リクルート事件」として江副の名を記憶しておられると思うが、本書ではそれについても詳細な経緯を、江副に対する検察の取り調べの模様までも含め明らかにしている。
本書によれば、江副自身に企業経営のとびぬけた才能があるわけではなく、優秀な人材を見抜き自分の周りに置くことに長けていたことがわかる。
一方で、情報社会となっていくであろう将来を見据えるカンは鋭く、やり方によってはリクルートが日本のGAFAになっていた可能性があったことも本書は明らかにしていて、もし、そうなっていれば「日本の失われた20年」(30年?)もなく、ICTの分野においても日本のプレゼンスを強くできたかも、と思うと非常に残念でならない。
本書によれば、江副の暴走は、他の成功したベンチャー企業と違い、創業者の暴走を抑えるエンジェル投資家がいなかったことにより起こったとしている。
残念ながら、日本からは今のところ世界的な企業になったベンチャー企業は登場していないが、全てのベンチャー企業経営者、およびこれから起業を目指す人たちはぜひ本書を読んで今後の指針とされてみてはいかがだろうか。
もちろん、私のような一般の読者にとっても本書は、現在も続く巨大企業の裏側を知れる貴重な読み物として十分に楽しめるものであることは間違いない。 -
リクルート創業者の江副氏の伝記。
自分も(直系ではないが)亜流?のリクルート系に所属した身として、
江副さんの話は色々聞いたことがあったけれど、
体系的に江副さんの話を聞いたことはなかったし、
リクルート事件がどういったものだったのかもしっかり理解していませんでした。
帯のジェフ・ベゾスは江副氏の部下だったというのは、
言い過ぎで(本を売るための商業的な匂いがして)好きにはなれませんでしたが、
本の内容自体はとても面白かったです。
江副さんの時代を読む目は天才的だったものの、
違法ではないギリギリのラインを進む価値観は
個人的には好きにはなれなかったです。
それが結果的にリクルート事件へと進むことになってしまうのかもしれません。
リクルート事件の解釈も難しいですね。
確かに検察のやり方も行き過ぎていたでしょうし、
江副さんのやり方も道義的・倫理的には黒に近いグレーのように感じました。
(ただ、今あのやり方をしていれば、無罪になっていたかもしれないですね。)
個人的には、リクルート事件で、あの人が逮捕されていたの…という驚きもありました。
江副さんのスティーブ・ジョブズばりの口説き文句や発言には、とても驚かされました。
バカ高いスパコンをNECから買って、「これは採用費です」と言い切ったり、
「学生の間は、歴史を学ぶが、社会人になってからは歴史をつくるんだ」とか、
こんなこと言われたら、身体に電流が走りそうですね。。
同時に興味深かったのは、今や古い日本企業の典型とも言えそうなNECやNTTのトップに未来を見る確かな眼があったということ。
リクルート事件がなければ、日本がネット時代の覇者になる可能性もあったんじゃないか、と
確かに思えてしまいます。
自分のまた聞いた江副ストーリーは、
亜流だからかこの本の中にはあまり書かれていませんでしたが、
江副さんってこういう人生を歩んできたんだな、というのはよく理解できました。
江副氏の伝記なだけあって、江副氏よりなストーリーになってはいると思いますが、
それを差し引いてもスリリングで面白い物語だと思います。 -
引き込まれて一気読み。
恵まれているとはいえない生い立ちから学生運動を斜めに見ながらの学生新聞広告営業、そして起業。
私の周囲のリクルート出身者はだいぶ前に軒並み「卒業」しているが、彼ら彼女らの中にもこの本の中にあるどこか学生のサークルのような勢いが感じられたことを思い出した。時価総額7兆円企業となってもなお大企業病とは無縁な組織のあり方は、イノベーションを志向する成熟した大企業にとって学ぶところばかりだ。 -
すげー。そして日本がショボい。
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
変化対応を超えろ!
圧倒的当事者意識と社員皆経営者主義。 -
【少しだけ悪い】
リクルートの江副浩正の生涯を描いた本です。
江副さんは合法か違法の狭間のグレーゾーンは問題なしという考え方で、何が悪い?というスタンスです。
したがって、いろいろなところから「彼は危うい」と見られていたようです。
個人的な意見では違法でなければいいと思いますが、政財界の重鎮からは叩かれてしまいます。 -
出る杭打たれる
出すぎる杭は、どんどん周りから押し上げ、高く高くあげられ、ある時にスーッと手を引かれ、地面に叩きつけられぐちゃぐちゃになる
バブル崩壊から30年経っても日本の経済が停滞から抜け出せない根本的な原因の一つが記されてた。
日本には、起業家やベンチャー、若い人達が活躍できる土壌がない理由がこの本には書かれてると思います
江副さんが築いた文化で働けた人達を羨ましく感じました。
ダイナミックに社会を動かすような仕事をすること、他人に委ね、それぞれに責任を持たせることの強さ、例え、女だろうと男だろうと関係はない
先見の目、大胆な発想と行動力、
それを潰した日本の代償は今も尾を引いてると感じます