雲 (海外文学セレクション)

  • 東京創元社
4.11
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  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488016746

作品紹介・あらすじ

旅先で見つけた一冊の書物。そこには19世紀にスコットランドの村で起きた悲惨な出来事が書かれていた。かつて彼は職を探して、その村を訪れたが、そこで出会った女性との愛とその後の彼女の裏切りは、彼に重くのしかかっていた。書物を読み、自らの魂の奥底に辿り着き、自らの亡霊にめぐり会う。ひとは他者にとって、自分自身にとって、いかに謎に満ちた存在であるかを解き明かす、幻想小説とミステリとゴシック小説の魅力を併せ持つ、著者渾身の一冊。

感想・レビュー・書評

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  • メキシコの古本屋で見かけた古書「黒曜石雲」。それはスコットランドのダンケアン町に起きた不思議な気象状況に関する記述だった。
    ダンケアン。その名前に私の心は乱れる。それはまだ若かった頃の私が数ヶ月の間滞在し、情熱的な恋をして、そして酷く破れて去った炭鉱の町だった。

    ここから物語は、ハリー・ステーンという名前の”私”の人生の回想となる。
    ハリーは世界を回る生活だった。
    生まれたのはスコットランドの工場町のトールゲートというスラムだった。大学を出て教師になるために訪れたのがダンケアン、恋に敗れてどこかへ行こうと船乗りとして海に出る。しばらくアフリカに滞在して、カナダに家を持つが仕事でまた世界を回る。
    ハリーの人生は相当波乱万丈で、突然の別れに襲われたり猟奇的なものを見たり倫理的に問題のある問題を突きつけられたりするのだが、本書における語り口が淡々としていてどこか他人事ですらある。
    書かれている伝承や、実際に経験したことも、なかなかグロテスク。出産で妻が死ぬと産まれた赤子を殺し自殺した夫、突然目玉が飛び出し大量に出血して死んだ子どもたち、不発弾が爆発して人を飲み込み崩れた長屋、女の母乳しか飲んではいけないシャーマン、アフリカの種族同士の争いで切り刻まれつなぎ合わされた死体、超常的な力を得た人たちに対する脳実験、互いに性行為も語り合う父と娘の深すぎる信頼関係、冷静な時は三人称で妄想に囚われている時は一人称になる物書き。

    そうしてハリーが語る半生は、メキシコで「黒曜石雲」を手に入れたところまで追いつく。
    「黒曜石雲」に書かれた不可思議な雲の現象は本当に合ったことなのか?そしてついにずっと避けてきたスコットランドを訪ねることにする。
    ハリーの人生には突然の別れがあり、聞きたかったが聞けなかったことがあり、そして常に自分の人生に落ち着けなかった。
    愛する人はなぜ自分を裏切ったのか?愛する人達は自分に突然訪れた死をどのように迎えたのか、親しい友人はその後無事に生きているのか、今彼らがいたらなんというのか…。
    それらを少しでもわかるためにハリーはスコットランドへと向かう。そしてハリーに示される、新たな不安と、素晴らしい希望と、そしてそれらをも足元から揺るがすような悪い予感…。

    自分の人生の謎、残酷で矛盾に溢れ怪奇に満ちたこの世界、だが自分の謎に向かい合おうとするのなら、不穏な先行きであってもそれは人生の旅なのだろう。

    <いつも思うのだが、自分ひとりの胸にとどめておいたほうがいい事柄もこの世にはあるのだ。P453>

  • 読む前は幻想小説と思っていたのだが、その要素は少なく、裏に潜んでいるのは、人間の本能的愛情の気高さを試しているかのような内容だったが、冗長な文章が辛く、もう少し途中の部分はカットできるのではないかと思った。

    確かに最後の真相は驚いたし、やるせないものもあり、物語として良いとは思ったが、愛情があることの代償として、支払ったその対価は、場合によって、相手の人生を救うどころか、却って、谷底に落としてしまう危険性も感じさせられ、それを何でもかんでも若さの所為にしているような表現も、女性が我慢すればいい的な解釈も、私には解せないものがあったし、それで納得させられるだけの文学性も感じられなかった。

    それを言うなら、相手方だって自ら手放したのだから、より貴く辛いものがあったんだよとも、思われるかもしれないが、これは価値観の問題で、申し訳ないけれど、私はこうした姿勢に美徳を感じることはできない。

    まして、その代償を、人とはいかに謎に満ちた存在であることの、ひとつの解釈にされても、ちょっと違う気がするのだが。

    まあ、幸い、主人公はそれで納得しているようだから、いいんだろうな。
    私なら、絶対納得できないが。

  • 古書店で、とある本を見つけるハリー。
    そこから彼の半生が語られる。
    滾々と湧きいでる泉水が虹を放つような言葉で。

    タイトルどおり、ぽっかりと浮かびいつしか形を変え消えゆく雲のような挿話。ほんとうに、雲を眺めるような心地よい読書時間がもてた。

    ラストは、波乱に満ちていくのか穏やかに過ぎゆくのか、どちらにしてもハリーの人生が長く続いていくだろうことを感じさせる。
    本を閉じても物語は閉じないようだ。

  • あまりの面白さに2日にかけて朝と夜に本を手放せないほどだった。読了直後の興奮状態で書いているので多少熱が入りすぎているかもしれない(後で校正するかも)。何と言ったらいいんだろう。不思議な面白さ。訳者の柴田元幸さんが好きだとおっしゃるのがわかる不思議な魅力。ミステリのような、ファンタジーのような、ホラーのような、いろんな要素がないまぜになって、現実と異世界を行きかうように話が進む、何とも不思議な雰囲気を持った作風。読み通してはじめてわかる味かもしれない。タイトルは「雲」と何ともシンプル。もし映画化されたら配給会社が陳腐な説明をつけそう-青春時代の傷を抱えて世界を回ってきた男はやがて不思議な出会いから過去の謎へと導かれる-といったところか。実際物語の軸は主人公ハリー・スティーンの人生で、親も孤児、本人も天涯孤独の身から、知り合う人に次々と導かれるようにスコットランドからアフリカ、南米へと巡り、カナダへとたどり着く。そこ模様のように出てくると感じたのは本、家族(男女、親と子(どの家族もなぜか親を名前で呼ぶ)、子どもたち)関係といった要素。スコットランドでの生活が鵜っともやがかかったような幻想的な描かれ方なのに対し、アフリカ、南米、ディジーの島で起こる出来事は明るくも恐ろしい。その幻想の対比が面白い。そしてカナダでの生活には地に足がついた現実感があるが、それでも妻や子をめぐる地震の思いが影のように刺している。それらに比して第四部の青春時代の辛い出来事の真相と現在に続く事実の部分は思ったよりカラッとしている感じである。それだけにエピローグが効いてくる。
    本の作りが素敵。カバー絵も、所々挟まれる本の表示絵や表札、そして手紙や挿入された書物の活字などデザインがすべて素敵。稀覯本ではないけど本書も本として持っていたい一冊。
    もしかして気づかない謎が隠されているかもしれない。折を見て読み返したい。またマコーマックの他の作品も読んでみたい。

  • 一言で言えば「不思議な小説」

    主人公の半生が淡々と綴られていくのだが、読んでいくうちに何とも言えない感覚に陥っていく。

    例えるなら、古いカメラを使っているとき、ピントを合わせようとしてると、ピントがズレてファインダー越しの世界がどんどんぼやけてしまったり、かと思えばふいにピントが合って、ぼやけてた世界が急にはっきりとした輪郭を持ち、くっきりと見えてくるというような……

    曖昧模糊とした世界と明確に隅々まで捉えられる世界を行き来してるような、捉えどころのない感覚だった。

    合わない人には合わない小説だと思う。
    だけど、これほど小説を読む愉悦に満ち溢れているものは、そうそう無いとも思う。

  • 久しぶりの海外文学。ふらりと訪れた古本屋で「黒曜石雲」という1冊の本に出会う主人公。その本にはかつて数ヶ月だけ暮らしていた村で発生した奇妙な現象が記されていた。「ダンケアン」というその村を思い起こした主人公はこれまでの数奇な人生を振り返っていく。というのがストーリーの基本軸。そこから彼が体験する様々な奇譚を回想とともに読んでいく。これがめちゃくちゃ面白く数ページのエピソードで1つの短編を読んでいるような味わいがある。ラストの不穏な空気も合わさって非常に楽しい読書体験となった。

  • 面白かった。
    彼の今までの作品はグロテスクで奇想な展開が多かったのだけれど、本作にはあまりそういう展開はでてこない。
    所々出てはくるのだけれど、あまりメインの話に有機的には絡んではこない。
    ただ、そんなグロテスクで奇想な展開は、今までに彼が発表してきた作品に登場したエピソードに似た内容が多いので、彼の一つの集大成的な意味合いもあるかも知れない。
    まぁ、そんな展開を期待していた人にとってはちょっと肩透かしを食らわされたように感じるかも知れない。
    実は僕も最初はそんな肩透かしを食らった一人だったのだが、読み進めていくうちに「おいおい、エリックさん。グロテスクで奇想な展開がなくても凄く面白い作品が書けるじゃないか!」なんて偉そうに思ってしまった。
    とある男の数奇な半生を描いているのだけれど、その彼が持っている考え方や、恋愛に対する脆弱な感受性、モラルに対する潔癖感、人としての強さ弱さ、などなど「わかるわかる、あるある」と思いながら、実はあまり感情移入は出来ずに、それでも気持ちよくこの男を俯瞰しながら読み進める、といったちょっと変わった読書体験ができた。

  • めくるめく怪奇、ユーモア、官能。やがて脳内で文章が諸星大二郎作画に変換されていく。物語の描かれ方はマジックリアリズム的だが、南米のものとはずいぶんパースの取り方が違う印象。ヨーロッパの魔術的風景だなぁと感じる。人智を超えた非科学の世界と、素面で合理的な世界の両方を愛し、愛される主人公が誰より特異で魅力的だ。読みながら何度も「面白い…!」と声に出た。

  • 『ひょっとしたら、一見ごく取るに足らない要素 ― 聞き間違えた一言、誤った想定、無理もない計算違い ― こそ実は、物事の連鎖における何より強力な環なのかもしれないのだ』―『学芸員いま一度』

    旅先の鄙びた古本屋で目に留まる一冊の古書。物語がそのように始まると、ついウンベルト・エーコの小説を思い浮かべてしまう。だがしかし、この物語はエーコが好んで描いた劇中劇のような形式に素直に嵌まることはない。スコットランドでかつて観測されたという「黒曜石雲」にまつわる記録は十分に摩訶不思議な物語を展開しそうだというのに。

    一人称の主人公の語りは、古書の周りを回りながら自らの来し方を辿り、如何にして自身をメキシコの古書店に赴かせしめたかを説明する。その物語がやがて古書に書き残された物語と交差し、荒唐無稽とも思われる古い記録の謎が解き明かされる為の必要不可欠な過程なのだと思わせるかのように、語りの接ぎ穂は常に古書へと戻ってゆく。過去の一つひとつのエピソードは、主人公の抱える心の重荷の秘密に迫りながら、何も解決されぬままその重さを増すばかり。どこかで古書との繋がりが明かされるのではないか、それを切っ掛けに何かが解決されるのではないかと思いながら読み進めるのだが、古書の謎の解明は遅々として進まない。次のエピソードこそとの期待感だけが膨らみ続ける。

    しかし、読み手の期待はゆっくりと少しずつ裏切られる。そして控え目な語り手こそが、実は波乱万丈の物語の主人公であったのだと結論せざるを得なくなる。作家エリック・マコーマックの巧みな誘導の術中にすっかりと陥ったのだ。解明されるべきことは解明されたとはいえ、主人公の軛が解かれた訳ではなく、ただ物事の連鎖というものが、偶然とも見える人知を超えた因果によって織りなされていくものだということを知るのみ。不思議な感慨が残る。

    翻訳の柴田元幸によれば、マコーマックは幻想小説を主にものにする作家とのことで、確かに本編全般にその雰囲気はある。一方で、エピローグに至るまでの長い長い問わず語りの自叙伝は、歩んできた道程で遭遇した不思議な出来事を、淡々と受け止める人生論のようでもある。人生というものには、はっきりとした自覚できる序章もなければ、集大成を伴って迎える大団円もない、と主人公が、つまりは作家が、捉えているようであることが、どことなく不気味に響く幕切れの言葉からも読み取れるようでもある。

    『といっても、誰かに意見を求める気はない。いつも思うのだが、自分一人の胸にとどめておいた方がいい事柄もこの世にはあるのだ』―『エピローグ』

    何気ない心情の吐露が誰かにとっての因果を生み出すとも限らないのだから。

    ところで黒曜石は英語で「Obsidian」という。その言葉の響きが草野心平のとある詩を想起する。マコーマックが描き出した不思議な黒曜石雲の心象風景は、その草野心平の詩と不思議と呼応するように見える。


     黒燿石(オブシディアン)ノ微塵ノヨウニ。
     キシム氷ノ黒イ。
     海。

     黙(モダ)スハ岩礁。
     時間ノ中ニ頭ヲ抱ヘ。

     満満ミチル無数ノ零ノ。
     黒ガラス。
     天。
    』―『風景』

    スコットランド、エアシャー(Ayrshire)から望む荒涼とした波立つ大西洋の風景と草野心平が見た海景の繋がり。それを詩人が「黒曜石の微塵」と例え、更に天の模様と対比させる。偶然の繋がりが、ここにもまた。

  • ★4.0
    古書店で見付けた1冊の書物「黒曜石雲」から紐解かれる、ハリー・スティーンの人生と悲喜交々。なかなかの長編だけれど、細かい場面展開もあり、さくさくと読み進められる。何よりも、ハリーが体験する様々な出来事が、時にファンタスティックで時にホラー、片時も目を離せない。そして、旅先でハリーが出会う人たちが一癖も二癖もあり、強烈な印象を残していく。また、後々まで尾を引いた失恋、結婚と義父や息子との関係性等、現実的で重い描写が多々あるものの、独特のテンポの良さで不思議な軽やかさを感じる。不穏なラストも印象的。

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